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〜神と動物〜津和野ノ巻

江津市の次に向かったのは、島根県津和野町にある『おくがの村』という集落。
ここは日本初とも言われる農事組合が地域で法人化されている。
つまり、単独で農をするだけでなく地域として農を支える事で農人の生計も立てやすく、地域の存続にも力を貸せるというところ。





2000年からおくがの村に移住して農的暮らしを営みながら地域に貢献している『たまたま農園』代表の『田中 海太郎(たなかうみたろう)』さん(43)にお話を伺いました。



たまたま農園では旬の野菜を少量多品種生産。
養鶏も並行していて、鶏糞や落ち葉・緑肥などを肥料とする循環型の無農薬有機栽培。



音楽や政治活動にも力を入れていて、おくがの村に移住する前はアメリカに旅へ出たり北朝鮮へ行ったりと、イメージや情報ばかりを鵜呑みにせずに「自らの目」で見たものをリアルとする現実派。



駒澤大学の法学部出身の海太郎さん。
優秀な学歴を持っているのに、集落で農的暮らしをする理由とは。





海太郎さんが農家になった理由とは。

もともとは福岡久留米の出身で、高校までは普通に都会へ出たいって想いばっかりで、「大学行くなら都会に出してやる」と両親に言われたから一生懸命に勉強したらなんとか合格して。
それで東京に行ったんですけど、大学が駒澤っていうとこで北海道と東京のキャンパスがあって、どうせなら北海道のキャンパスに行ってみようかなと。
2年間、自然の中で過ごしてみたら「意外と田舎おもしろいな」と思って、東京帰ってきたら凄い人混みや満員電車とかで嫌になって。
大学時代に何を間違ったのか「哲学」っていう勉強をしてしまったら法哲学の授業があったんですね。
だんだん突き詰めていったらルソーが「自然に還れ」って話を聞いて凄いなと思ったり。
それと同時に大学の時に国際関係論って勉強をしてて、世界の食糧事情を調べたら2025年に必ず食糧危機が来ると。
その当時は「せめて自分だけでも助かろう」かなと思って、田舎暮らしもイイかなと思ったり。
ただ、当時はマスメディア関係で仕事をしたいと思ってたので、大学出て1年間フリーターしながら興味があった政治活動や音楽活動やったり、好きな事をしながら就職活動してたけど、だんだんそういうのが面倒になってきて。
そういえば田舎に行きたいなとか思ったり。
色々な事が混じりあってて、政治活動しているうちに「なんか1人でやってても虚しいな」と。
そう思ってる時にUIターンフェアっていうのがあって、会場に行ってみたら農業を色々体験出来ますよっていうのがあって。
当時2000年頃は、まだほとんど就農したいって人が居なくて、ブース出してるのに対応も凄い厳しくて。
あっちこっち断られまくって、たまたま島根のブースに行ったらうちは大歓迎ですよってことで島根に行こうと。



島根でも2ヶ所興味がある場所があったので早速行ってみようと飛び込んで来て、1ヶ所目には東部の方へ行ったけど、なんか会社的な農業やってたから違うなぁと思って、2件目にココへ来たんですよ。
そしたら、おくがの村っていう法人でやってる所があって今の師匠が代表で。
代表が来るなりビールを勧められて。
とりあえず「今日からおれ」とか言われて、何か変なオッサンだなと。
でも話しているうちに「農業は文化だ」とか「農業は哲学だ」みたいなカッコイイ事言うから、ちょっと面白そうだなと思って。
ちょっと居ようかなと思ってたらずるずる今に至るみたいな感じで。
人に惹かれたってことになるんでしょうね結果的には。







農園名の「たまたま」。

たまたま来たし、振り返ってみると凄い偶然が重なってるんですよね。
この家も来た時にあと2年くらいしたら崩れるって家がたまたま残ってて、誰も入らなければ崩れてただろうって言われてたし。
有機農業もスムーズに入れたキッカケもたまたま俺が来た前の年に某青汁会社が来て、有機でケールを作る人を募集してたり。
補助金制度もたまたま俺が最後の年だったし、なんだか凄い色々な運が重なってたから、それを活用しないわけにはいかないって事と、卵の「たま」を掛けてですね。



たまたま農園のこだわり

有機農業に通じてくるんですけど、一時期「自然栽培」や「自然農」に興味持ったんですけど、そこからナゼ有機栽培に戻ったかに繋がるんです。
これはあくまで自分の中での話ですけど、一方で「神」がいるとして、もう一方で「猿」がいるとする。
人間が真ん中にいるとしたら、自然農ってどちらかというと神に向かってる気がしてて。なるべく何もしないとかね。
有機農業ってどちらかというと糞とか沢山使ったりするから動物に近付いてる気がして。
俺はどっちかというと動物に近付いてる方が好きだなと思ってて。
結局、人間は肉食でもあって、鳥も食べるし猪も魚も獲って食べる。
そういう暮らしをしているから排泄物も出るわけだから。
人間は何かしら環境を汚して生きてるから最低限の汚し方として循環を考えて。
昔、自然農の有名な先生に「自分、自然農やりたいけど鶏飼ってるんですよ」って相談したら「そんなの大丈夫だよ、有機農家は鶏糞欲しがってるからそいつらに売りつければ良いんだよ」って言われた時に凄い違和感を感じてね。
結局、自分達が卵も鶏も食うのならその糞も処理するのが筋だし。
ゴミとして出すんじゃなくそれは土に還さないといかんと思う。
普通に鶏糞をたくさん使うと確かに腐りやすい野菜が出来るけど、上手に使ったら自然農に近い良い野菜が出来るって肥料の先生に言われて。
俺はソコを目指したいなと。
だから、あえて有機農業を堂々と訴えたいなと思ってて。
そのかわり、鶏でも抗生物質をたくさん使ってるエサを食べてる鶏と、うちの鶏は違うから、鶏糞もなるべく自然に近い鶏糞と、落ち葉とか色んな山の恵みを貰って肥料を作ってるから。
そういう発想がこだわりですね。





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〜自然との対話〜江津ノ巻

鳥取県を後にして、、、



向かったのは鳥取県のお隣、島根県。
鳥取県境港市と島根県松江市との間にかかる江島大橋、通称「ベタ踏み坂」を通ってきました。





ベジタブルジャーニー25県目です!
まずは島根の名所でもある「出雲大社」に参拝。











そして日本の製鉄のルーツでもある島根県の奥出雲地方「菅谷たたら山内」へ。
砂鉄と木炭を用いる日本古来の製鉄法をたたらと言い、日本各地にその技法はあるものの、菅谷たたら山内は江戸時代初期にその原型が完成し、日本で唯一現存する生産施設。
国の重要有形民俗文化財に指定されている。





日本刀専用の素材となっている優れた品質を誇っていた「玉鋼(たまはがね)」は、現代の製鉄技術でも再現不可能とされる、たたら製鉄における唯一無二の物。
映画『もののけ姫』の舞台にもなり、たたら場で女性が足場を踏み空気を送り込んでいたシーンは印象的だ。
しかし実際の足場は火の元に近く、非常に重労働とされ男の仕事だったそうで。
6人で1時間毎に交換したとされるこの「番子」さん。
あまりの重労働で、交代を余儀なくされる様から「交代ばんこ」という言葉が生まれたと言います。



次に向かったのは、島根県西部の日本海に面した江津市(ごうつし)。
山陰地方の中で最も人口が少なく、県内で最も面積が狭い市。
お邪魔したのは、自然栽培と一部有機栽培でゴボウ・お米・大豆を三本柱に営農されている『有限会社はんだ』さん。
元は土建業から始まった会社で、2004年から農業部門を設け、2009年には養分供給という概念を持たない「自然栽培」に全圃場を転換。
広大な農地ゆえ、あまりに地力が低い農地に限り、一部有機栽培で営農されている農場です。



お話をうかがったのは、有限会社はんだ代表取締役『反田 孝之(はんだたかゆき)』さん(47)。
学生時代には山に青春を掛け、道無き道を突き進む「藪漕ぎ(やぶこぎ)」に夢中になった20代。
いかに自然と一体になるかで、登山靴ではなく靴下も履かずに便所サンダル。
ザックにはテントを持たず、水ではなくビール20缶と硬い鰹節に寝袋を持っていくトリッキーさ。
そんなオルタナティブな反田さんが選んだゴボウとは。
ベジタブルジャーニー98件目の農家さんです^ ^



農業や農地面積について

真面目に最高だね。
生まれ変わったって何度でも百姓やりたいと思う。
金じゃないからね。
でもうちの場合はある意味、金も考えてる。それはナゼかって数字で出さないと山奥で変な変わり者が変わったことやってる、で終わっちゃうから。
それじゃあ面白くないっていうことで今のような農業を志して実現したんだけどね。
うちは面積もかなり広くやっていまして17町歩を夫婦2人がメインで管理してます。
結局10町歩以上の規模でやらなんだら、変わり者扱いされて終わりなんだよね。
今まで巡られて来た方々は、おそらくそんなに規模は大きくない方が多いと思うんですけど、みなさん地域では変わり者扱いされて勿体ないでしょ?本当に惜しいんですよ。
だから無視出来んぐらいの規模でやれば行政だって無視できないじゃない。

自然栽培を始めたキッカケとは。

2009年から自然栽培に切り替えたのですが、それまでは化学物質っていうのがいかんのだろうと「化学物質拒否農法」みたいなね。
いわゆる今のガイドライン化された有機JAS農法ですよ。
やっていると色々と矛盾が出てきたんです。
化学物質過敏症の人が食えないとか。
化学物質排除してるのに食えないって言われるし。
あと、ゴボウっていうのは2〜3ヶ月保存したら1番美味くなるのにドロドロに腐っちゃうんですよ。
これもおかしいなと。
それから連作出来ないという点。
有機栽培の指導だと、大豆も3年連作して4年目から収量が一気に落ちるから圃場を変えなさいって言われてるんだけど、これだっておかしい。
ゴボウも大豆も観察してると種は真下に落ちるんだよね。
落ちて即芽が出るっていうことは自然の摂理で考えたら連作出来ないっておかしいじゃない?
もし連作出来ないならタンポポみたいに離れた所に種を飛ばす構造になってるか、もしくは種子には休眠期間っていうのが物によってはあるから、しばらくは芽が出ない仕組みになってるとか。
この3つの点がおかしいなと思っている頃に、ナチュラルハーモニーさんが出雲で自然栽培講習会を開催してくれて、それをお客さんがメールで教えてくれたのがキッカケで参加したんです。
そうしたらその3つの疑問が全部ストレートにテーマになってて、まさにズドーンと討ち取られた感じで。
化学物質とか何とかじゃなくて『養分供給するという事』自体が不自然であって、連作が出来ないとか腐るとかは、土が『不自然さを解消する為』の表れだったわけですよ。
腐るっていうのも自然界が0に戻そうとするプラス方向の作用であって、化学物質過敏症の人が食えないのも見方によっては人間への警告でもある。
そういう事があったから自然栽培を始めたわけなんだよね。



一気にやりたくなっちゃって全面積でやり始めちゃって。
そうするとこれだけの広さだから中には育たない畑ってあるわけで、だんだん毎年土に向き合っていくうちに育たない畑っていうのは厳しいなと。
経営が成り立たないんじゃ意味ないですからね。
そういう所は有機肥料を仕方なく使おうと。
ただ、自然栽培をやり始めると有機肥料の使い方も変わってきてね。
あんまりインパクトを与えないように、土に漉き込むんじゃなく、土の上にばら撒くだけとか。
有機栽培でも肥料の量が少なくて済むようになったし、そういうところは自然栽培のおかげかな。



ゴボウを美味しく食べる方法てあります?

よく聞かれるんですけどね。。。
食ってみますか!それが1番手っ取り早いですよ。









右の方はもう廃棄用で、置いてるんだけなんだど、こうやって干からびさせると吊るし柿みたいな味になるんですよ。



ゴボウは有り難いことに、あちこちのシェフにこれ以上ないぐらいの賛辞を頂いとって、先月も5人くらいシェフが東京の方から来られて。
どこかで有名なシェフがうちのゴボウを食べて感動して、ご自身の著書の本を送って来られたりね。
年間15tぐらいしか生産できてないんですけど新規のお客さんにはもう分けられんのですわ。
基本お断りなんですよ、申し訳ないんですけど。
もし良ければ「生」でどうぞ。







めちゃくちゃ甘い、全然生でも食べれますね。なんだこれ。

なんかバカバカ食えそうでしょ?女房も子供産まれた次の日に病院食が物足りないから生のゴボウ持ってきてくれって言うから、キンピラにして持ってこうかて言ったら、生のまま持ってきてくれって(笑)



だいたいこれ食うとシェフ達もビックリするんですよ。

ゴボウは収穫してから置いとくものなんですか?

島根県の公務員さんがある論文を持って来てくれて。
反田さんこんな論文あったよって今でも保存してあるんですけど、ゴボウは収穫後2〜3ヶ月目が1番オリゴ糖が乗って美味しくなるっていう事を研究した学者さんがいて。
『灰汁が糖』に変わるわけですわ。



1つは、ここで育ったから美味しいっていうのと。
それと肥料をやらなきゃ美味しいわけです。
このゴボウが美味い秘密はこの2つですね。
うちも有機肥料使ってた頃は土壌の栄養分を分析して、それに基づいて施肥設計をしてやるというのを一時やったわけですよ。
それをやってる頃は美味いと褒められると自分の施肥設計が間違っていないと、腕の見せ所のような世界があるんですけど、今は違いますよね。
いかにこの素晴らしい土の素地があって、そこに邪魔をせずに育てられるか、そうすればこうやって美味い物になるわけですよ。
そこが今の僕の腕の見せ所であって、いかに要らんことをしないかって。
要らん事ってなんだろうってそればっかり考えてますからね。
僕の中でも考えがシフトしていって。
腕の見せ所なんてないんだ、違う所で力を発揮しなきゃって。
そうするとね、凄く楽になったんだよね。
例えば病気で全滅する時もあるんですよ。
ゴボウは農薬使わないで育て難い代表的な野菜ですから。
病気になっても「土」が前向きに良くしようという1つの通過点なんだと。
そういう事も解って来たんで、仮に病気になっても気持ちはまぁまぁ安らかに。
これでまた良くなったぞと。
という風に考えられるようになったのは自然栽培のおかげかな。
消費者って肥料を与えるとそれが栄養になって、食べて身体に良いって思ってるけど、本当は違うんだよね。



農家になったキッカケとは。

林業やりたかったんだ本当は。
でも人の下で働くってのはきっと僕は向いてないなと。
自分でやりたいと思ったけど、木を植えて30年後に伐採っていっても、その間どうやって生計立てる?みたいな事になるので。
そうなると林業を自分でやるなら林業家の娘を見つけて養子に入るしかないと。
これはダメだなと、林業ダメだ、どうしようで、農業も良いんじゃないかみたいな感じの流れで。

後は学生時代に社会と接し始めて「社会の矛盾」というか。
1番具体的にショックを受けたのが、化粧品会社の社員は自社の化粧品を買わないとかね。
シャンプー会社の社員は自社のシャンプーを買わないとか。
何が入ってるか生々しく知ってるから買えないっていうね。
化粧もわざと肌が荒れるように作られて、荒れるとまた化粧が売れる。
シャンプーも髪が痛むように出来てて、痛むからリンスが売れる。
要するに経済というのは『環境と人間の健康から搾取する事で回っている』と。
でも一方で人間の精神上、幸福感を得るためにも景気っていうのはある程度良い必要があって。
じゃあ経済っていうのが必要で、人間と環境から搾取してる事実があって、ココを上手くバランスとって俺どうやって生きていこうと思った時に、一言でいうなら「正しい農業」をしたいって
思って。
食っていくのに経済行為として何か少しでもマシな正しい農業というのを追求するのも、人生の中でアリなのかなと。
っていうのが農業を志した最後の後押しですかね。
命賭けてやってみようと。

有限会社はんだのこだわりとは。

とにかく1にも2にも、世の中の課題解決のヒントは、自然界にあること。
経営も自然界から学びながらやる、というのが唯一のこだわるところですね。





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〜油〜倉吉ノ巻

北栄町の次に向かったのは、鳥取県の中部に位置する倉吉市。
当市は鳥取県中部の玄関口としての役割もあり、打吹玉川地区をはじめ土蔵が多く、白壁土蔵の街として知られている。

そんな倉吉市にある自家農園産、自然栽培原料低温圧搾生搾りにこだわる油屋『西川農藝』さんにお邪魔してきました。

お話をうかがったのは西川農藝代表『西川 真(にしかわまこと)』さん。
ベジタブルジャーニー97件目の農家さんです^ ^



高校卒業後、東京、大阪、アメリカに留学し、Uターン帰省。 長く外資系ラグジュアリーホテルのレストラン部門や料理学校の新規事業開発などを担当し、「食」の世界に長く関わり、良質の食材を提供するために献身的に取組む人達の世界を垣間見る中で、いつかは自分も手掛けたいとという思いが湧いてきて西川農藝を立ち上げたそうです。

輝かしい業績に思えますが、なぜ農業をやろうと?

「経営者」に成りたいっていうのがありますね。
農業がバリバリやりたかったか?って聞かれたらそこはちょっと疑問符なんですよね。
「加工」がやりたかったんですよ。
加工やるんだったら自分で原料作ればいいじゃんっていう、どっちかと言うと胡麻を作ったから胡麻油作りましたではなくて、胡麻油作りたいから胡麻を作りましょうの逆の流れから来てるんですね。
自分はもう45歳で、帰って来た時点で42か。
いつまでもサラリーマンやっててもなぁと。
変な話、将来の年金制度もどうかと思うし、それなら自分で手に職つけた方がって。
サラリーマンで、60定年でいつリストラされるか分からない生活より、自分の思ってるようにやれて、リスクもあるけどその方が賢いかなと思って。



後は多分アメリカに行ってきたっていうのも凄く、独立して経営したいみたいな意欲に繋がってると思うんです。
結局、日本だと良い企業に入りましたっていうのが勲章じゃないですか。
だけど、ハーバードの学生に言わせれば「そんなつまらない人生」っていうアメリカ人のそういう発想の人達といると、そうだよなと。
どこの組織に属してるかがその人の価値を決めるみたいな日本ってそういう所あるじゃないですか。
僕もね、東京でもトップの良いホテルに働いてたんですよ、だから周りは「西川凄い」て言うんですけど、僕はそこでただ働いてるだけの話で、そこで何か実績を残してるわけでもないので。
なんかそういうのも疑問に思ってね。
属してる組織が凄いからその人が凄いかはまた別の話だし、そりゃある程度は良い組織なんだから選別されてるし業界で見たときに優秀な人材が居る確率は高いと思いますけど、だけど1人1人見ていって個人が優秀かはまた別の話じゃないですか。
自分で農業やってる以上は自分が全てじゃないですか。
そういう挑戦というか。
はっきりとは解らないけど、多分そういったアメリカ人的価値観に触れたのもあるんだろうとは思います。





加工がやりたくてと言う事ですが、なぜ胡麻だったんですか?

胡麻って国産化率が0.1%と言われている業界なんですけど、あまりありきたりの物を作りたくなかった、それも何でって言われちゃうと僕も答えに困るんですけどとにかく帰って農業で何かを作るなら「胡麻だ」と。
最初、油を作りたいからって話ましたけど胡麻を作りたいっていうのもあって、胡麻を何かするとしたら油だなみたいな。
鶏と卵みたいにどっちがどうかは自分でもよく解らないよね。
とにかく胡麻を作りたい、加工もしたい油も作りたいみたいな。





西川農藝のこだわりとは

自然栽培でも例えば食酢は使ってイイとかあるじゃないですか。
そういうのも一切使いたくないなっていうのはありますね。
マルチも使いたくないとかね。
そういう化学合成的な物を畑には入れたくないですね。
自然栽培では一応OKにはなってる物だけども、そういう事はしたくないなってとこはありますね。

今後のビジョンとは?

当然、規模は拡大していきたいし、ここに帰って来て農業やります加工やりますっていう1つはやっぱり地方創生じゃないけども、何か自分に出来ることはないかって考えるんですよね。
だから人も雇用したりとか少しはこの町に貢献できたら良いなと思っています。







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〜人が来たいと思う理由〜北栄ノ巻

鳥取市をあとに向かったのは、鳥取県の中部に位置する北栄町。
北栄町は『名探偵コナン』の原作者の出身地であり、町内には青山の記念館やコナンのオブジェがあるなど「コナンの里」構想での町おこしを行ってきた町。

そんな北栄町で昭和40年から代々続く農家『浜根農園』さんにお邪魔してきました。
浜根農園では平成3年から無農薬・無化学肥料の有機栽培を始め、種がある自然のブドウやイチゴ、ジャンボ落花生、さつまいもなど長いシーズンで収穫体験が出来る、お客さんが実際に畑に足を運ぶ事をメインとした「観光農園」として運営している。

観光農園の前身が焼き芋屋だったこともあり、農園で収穫したさつまいもを石の上で3時間じっくり真心込めて焼いた焼き芋は「甘過ぎず」「濃厚」でねっとりとした味わい深い絶品の焼き芋だ。





ジャンボ落花生も名に恥じないサイズで、食べ応えのある優しい甘みが1度食べると止まらない中毒性の高い味。





農家さんからのレクチャーで落花生の正しい食べ方。
上の方にあるエクボの部分を親指で押してやるとスムーズに殻にヒビが入り、割れやすく、とても食べやすい。









出して戴いたお茶も農園で栽培している「浜茶」。
浜茶は、日本各地の日当たりのよい河原に多く自生する、マメ科の植物「カワラケツメイ」を原料にしていて、古来より「弘法茶」という呼び名で、茎葉を摘んでお茶の代わりとして愛飲されてきた昔ながらのお茶。
マメ科だけあって、呑むとほのかに豆の香ばしいかおりがして非常に飲みやすく、この地域では今でも焙煎して呑む習慣があると言います。
ノンカフェインで利尿作用があり、身体の体脂肪を落とす効果もある。









この地域は日本一の砂丘農業地帯。
3月〜10月まで2日に1時間のペースでスプリンクラーで水を土壌に供給している特殊な地域だ。
土畑とはまた違った作り方の為、自然農法だと砂丘地では難しいとお話を伺ったのは、浜根農園代表『濱根 良保(はまねよしやす)』さんと、息子の『裕介(ゆうすけ)』さん。
ベジタブルジャーニー96件目の農家さんです。



浜根農園の農法

(良保さん)人の身体を第一に考えて、安心、安全をモットーに無農薬、無化学肥料、殺菌剤、殺虫剤、ホルモン剤、化学除草剤を一切使用しない観光農園にしようと思って今も頑張っています。
言うならば浜根農法ですね。
1番良い物を食べて欲しいです。
種も良い作物から採って自家採種しています。
(裕介さん)メインとなるものは自分達で種も採ってます。
(良保さん)良い物を残して悪いのは辞めてく、お客さんの口に合わない物は辞める。良い物を食べて欲しい。
今はわけがわからんです、農家はみんな輸入の化学肥料で。

観光農園の宣伝はどこかでしてるんですか?

(裕介さん)ホームページくらいですね。
後は口コミやイベントで対面販売で少しずつ。
顔見えた商売が本当にしたくて、その方が父親に会いたいわ〜みたいに来てくれるそういう方を増やしたいし、うちのブドウだったりを理解してもらって食べてもらいたいですね。
うちの作り方理解してもらって、食べてもらうって考えると対面で少しずつ知ってもらって「あぁ浜根さんのが良いわ」って言ってもらった方に食べてもらいたいです。
休みなく働いてるから、「ブドウ種がある、嫌だ〜」って言うお客さんとかは心がいたい(苦笑)
休みがほとんど無い分、理解ある人に食べてもらいたい。
ブドウ見に行きましょうか!





ここはブドウの葉などが落ちてフカフカのベッドみたいになってるんです。







コレ巨峰の木なんですけど昭和58年お姉ちゃんが生まれた年に植えたみたいです。









(良保さん)この落花生は16粒からスタートしたんです。
長い年月、大事に大事に可愛く育てて来て今は80a(2400坪)。
もう全てがこだわり。
感動を味わって欲しい。
自分の作った物をお客さんに食べてもらいたい、想いを伝えたい。
いい加減な物はいけんと思う。
良い物ならお客さんは増えると思います。





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〜稼ぎよりも本物を〜鳥取ノ巻

ベジタブルジャーニー24県目の鳥取県に入りました!
鳥取県は西日本有数の豪雪地帯でもあり、全国47都道府県中、面積は7番目に小さく、人口は最も少ない県。
砂丘として日本最大の「鳥取砂丘」は全国でも有名な観光地の1つ。



今回は鳥取県の県庁所在地である鳥取市に向かいました。
鳥取市気高町で、全国でも珍しいらっきょうの不耕起自然栽培をしている『タローズファーム』さんにお邪魔してきました。







タローズファームでは当初、2町歩あったらっきょう畑を現在は身体を壊した事もあり10分の1に縮小。
100%自家採種で、植え付けたらっきょうは耕起も除草も一切せずに収穫するまで自然に育て上げる、まさに「天然」にほど近いらっきょう。
らっきょうの他にも季節に合わせた旬の野菜や放飼の自然養鶏も飼育している。
2013年から「とっとりオーガニックマーケット」運営を開始。
現在は週末のみ作業場をリノベーションし、飲食店としてオーガニックな食べ物も提供している。







お話をうかがったのはタローズファーム代表『田中 正貢(たなかまさつぐ)』さん(50)。
幼少期からお世話になっている近所のオーガニックな稲作農家さんの影響で「食の大切さ」を学び、時には農薬を売る仕事もしていたが様々な職種を重ね、2009年に脱サラして農家へと転身。
ベジタブルジャーニー95件目の農家さんです^ ^



オーガニックにこだわる理由とは?

自分の稼ぎというよりも、世の中の食品がいかに汚染されてるかっていう現状をちょっとずつ勉強して、添加物とか全く知識なかったんですけど想像以上に大変な事になってるなって。
作るんだったら自分もオーガニックを食べたいし、だったらお客さんの口に入る物もそういう物でないといけないなって。
同じ作るならオーガニックですね。
今の農家さんは稼ぎ重視で、食べる人の事はほとんど考えてないんですよね。
F1種を買って、農協の指導で農薬をいつどれだけ撒いてとか、収量がこれくらいだから年間どれだけ上がりがありますよとか。
そこにお客さんの顔は見えてこないじゃないですか。
そういうとこにも疑問を持ったりしたので。



オーガニックってよく言われるのが「野菜」とか「食べる物」なんですけど、「反原発」だとか「音楽」「着てる服」「考え方」
全て共通するものがあるので、食べ物だけにこだわらずライフスタイル全て含めて『オーガニック』なのかな。
無農薬で野菜作ってても家に帰ったらカップラーメン食べたり、コンビニ食が大好きな人って結構いるんですよ。
僕の場合、食べ物は全て徹底してます。
そうじゃないと人から突っ込まれた時に何も言えないじゃないですか。
もちろん自分からはあえて言ったりはしないですけど。
あえて言うと人って反発するので、聞かれたらいくらでも答えますけど、こちらからは押し付けはしないですね。
押し付けてもその人は変わらないので自然に。その為には自分は当然ですね。



なぜ今の栽培方法に?

世の中に有機栽培があるんだっていうのを知ったキッカケは近所のオーガニックでやってる稲作農家さんだったけど、やっぱり自分で色々調べてると「自然農」とか「不耕起栽培」「自然栽培」などがあって。
でも収入に結びつけようと思ったら有機栽培で管理をしっかりして収量を上げて付加価値を付けないとお金儲けは出来ないんです。
でもお金儲けに僕は興味がないので、有機栽培よりもっと『本当に人に良い物』ってなんだろうとなった時に、収量は減るけど雑草の中から見つけるような本当の美味しい物っていうのが『自然栽培』。
だから僕は自然栽培の方がレベルが上だと思っています。
それと、有機栽培で有機JASとか取るとお金が凄い掛かるんですよ。
結局、有機栽培を喰いものにしてる事って世の中にたくさんあるので、そういうのも嫌だったし、自然栽培は定義があって農水省から認められたシールが貼れるわけじゃないけど、人と人との繋がりや信用で買って貰う方がシンプルで無駄のない行為の中になんともいえない安心感と充実感を覚えるんですよね。



鳥取のオーガニック事情とは?

全然根付いてないですよ(笑)
鳥取の人ってやっぱり閉鎖的なのでよっぽど変人じゃない限り無茶しないんですよね。
『煮えたら食わあ』っていうことわざが鳥取県にはあって、お鍋を囲んでて普通は「お腹すいた〜」って箸を出すんですけど、鳥取の人は誰かが箸を出して食べて大丈夫な事が解らないと箸を絶対に出さないという意味。
自分からはやらないっていう気質なんですよ。
まぁそれも1つの特徴で、それはそれで、こうでないといけないって事もないのでイイのかなと(笑)

タローズファームのこだわりとは

『やっぱり嘘をつかない事』ですね。
突っ込まれても詮索されても嘘がなければ問題ないので。
そこには1番気をつけてますね。





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〜手間を楽しむ〜丹波ノ巻

ベジタブルジャーニー23県目の兵庫県に入りました。
南北に長い県域を持ち、近畿地方の府県で最大の面積で北は日本海、南は瀬戸内海の2つの海に接している県。
向かったのは兵庫県の丹波市。
農薬・化学肥料を使わず、肥料も一番搾りの胡麻油搾りカスのみという、有機肥料も必要最低限を貫く無農薬有機栽培農家『ぼちぼち農園』さんにお邪魔してきました。



ぼちぼち農園では季節に合わせた旬の野菜を全て露地栽培する少量多品目スタイル。
野菜の他にも果樹やハーブ、見た目に美しい食用花なども栽培している。
「丹波の黒豆」は全国的にも名高い名産の1つだ。
農園では手作りの石窯でピザやパンを焼いたり収穫祭では人が賑わう行事も展開中。









丹波の黒豆が有名になった理由の1つとしてこの地域では「丹波霧」と言われるくらい朝の霧がもの凄く濃く、「寒暖の差」と霧による「保湿」が豆を良く育てる事で産地となっている。





お話をうかがったのは、ぼちぼち農園代表『潮屋 健太郎(しおやけんたろう)』さんと奥さんの『涼子』さん。
ベジタブルジャーニー94件目の農家さんです^ ^



なぜ無農薬・無化学肥料で栽培を?

良く行ってた天然酵母のパン屋さんが和歌山にあって、そこの人達のこだわりと言うか無理もしていないし、無農薬の良い物使ってランチを提供していたり、食べても美味しいからこういう暮らしもいいなぁって思ったのが大きいと思いますね。
あと農場で勤めた事があって、農薬も使う慣行栽培(現代農法)だったんですけど面白くないんですよ。
それやったらもう草が生えようが自分の手で取った方が面白いし、何も使わん方が面白いと思ったという事ですかね。

一般的には農薬・化学肥料を使った方が収穫量もあるし手間も時間も掛からないと思うんですがそこも面白味と?

例えば種の話になると、F1種って一斉に蒔いて一斉に同じように成長していくのがF1種の良い所で、在来種を使うと成長のマチマチがあったりとか、全然違うのがたまに混じってたりとか。
そういうのもあるので、一般的な市場だと主にF1種を使うから出来の良い物をA品として、B品C品はまるで粗悪な物としての扱いだけど、僕らのやり方だと間引き菜もサラダとして出したり、小さいのを採って大きい物を残す、無駄なくというか最初から最後までずっと採れるのが良いかなと。
よっぽと虫食いだとか、形が悪すぎる物はさすがにお客さんには出さないですけど、キュウリなんかでも曲がってたりとかちょっと傷があったりぐらいはそのまま出させて貰ってます。
こういう作り方をしてますっていうのを理解してくれてはる人がとってくれてるような感じではあるので、そこは有難いですね。



【奥さん】こういうのが届いたら自分達やったら嫌やなって言うのは出さないですし、例えばキュウリに今ヒビが入ったばかりだよっていうような物ならオマケとして入れたりとかしてますね。






なんで農業をやりたいと思ったんですか?

両親が田舎の出で、幼少の頃にそこで遊んでたっていうのが大きいかな。
それが楽しかったんでしょうね。
泥んこになって生き物捕まえたり、自然で戯れたり。
自分でも畑やって、そこに人が来て、そこで遊んで、なんか良いなぁって思って貰えたらイイかなっていうのもキッカケの1つですし、さっき言ったパン屋さんも1つですし、色んな人と会ったりがキッカケになってるのかなと。
1つではないですね。
無理せんとガチガチにならずぼちぼちやっていきたいなと思ってます。

ぼちぼち農園のこだわりとは?

無理せず楽しんでやりたいですね。
後は自分達が食べたい物を作ること。
自分が作って楽しい物を。





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〜命を育て命を戴く〜南丹ノ巻

賀茂町を後にして向かったのは、京都府の中部に位置する『南丹市園部町』。
無農薬無肥料のお米(合鴨農法8反・機械除草3町2反)と、自家用に野菜・果樹・養鶏、狩猟、家具製作、ログハウス・木造建築のリフォームなど「できることは自分たちの手で」をめざす農場『コバタケファーム』さんにお邪魔してきました。



お米は京都の在来種『京都旭1号』や『亀の尾』のほか10品種を栽培していて、可能な限り自家採種を続けている。 くん炭・竹チップ・米ぬかを使った自家製培土にて育苗し、圃場においては無肥料で栽培。



そしてコバタケファームが今までの農家さんと圧倒的に違う点が『農業と狩猟』という二足のわらじを履いているところ。
種から『育てる』農業と、生きている動物を『狩る』狩猟は、私たち人間が自給するに当たってはどちらも選択肢としては大切な事。

出来ることは自分達の手でやるにふさわしいコバタケファームの『小畠 完(こばたけかん)』さんと奥さんの『麻希子(まきこ)』さんにお話をうかがいました。
ベジタブルジャーニー93件目の農家さんです^ ^



お米や野菜、肉に至るまで自給するようになったキッカケとは?

もともと実家は1町ほどの兼業米農家で、言うても大きな機械は持ってないので農協で苗を買って、機械持ってる農家さんに田植えも稲刈りも頼むんです。
自分でする農作業は月1回の畦の草刈りと、肥料と農薬をまくだけ。いわゆる土地を守っていくだけの兼業農家ね。
刈ったモミは軽トラで農協に運んで、納めたモミの買取価格から乾燥代とか調整料いろいろ引かれた分が玄米になって戻ってくる。
農協で他の農家さんのお米と一緒くたになった玄米が戻ってくるから自分の田んぼで穫れたお米を食べたことがなかったんです。
2004年に食糧管理制度の改正で農家が自分で作ったお米を自分で売っていいっていうことになったんで、近くの農家さんにお願いしてウチのお米を乾燥してもらって初めて食べたんですけど。
それがほんまにおいしくて、自分の手で作ったものを食べられるてええなって思いました。
そしたら不思議なもんで別の欲が出てきて「自分で卵を手に入れられたらなぁ」とか思うようになって、タダで貰えるって話やったから甥っ子を連れて青少年科学センターってとこでヒヨコ10羽もらってきて。
それが大きくなって卵を生むようになったら「ヤギ飼ってミルクとれたらなぁとか」ってまた別の欲がでてきて。
並行してそれまで減農薬で作ってたお米もどうせ売るんやったら無農薬で出来ひんかと、合鴨農法はどうやろ思て。
早速鴨の卵を買ってきて、孵卵器を作ってあたため始めました。
そしたら最終的に合鴨の肉が手に入った。

こんな感じで自分で手に入れられるものが増えていくのが面白くて少しづつ増えてった感じ。
今うちで継続して買ってるのはお酒と調味料、お魚ぐらいかな。

農業は育成する世界で、ジビエは狩猟という全く違う世界ですけどその辺はどのような解釈を?

僕の感覚やったら山に行って栗拾うとかワラビ採るとかそれとジビエは一緒の感覚かな。
もちろん命を殺さなあかんし、皮剥いだりしなあかんし、手数はかかるけど僕には生きてる鹿を見てもう食べ物にしか見えへん。
家畜育てるのってむしろ大変やからね。
1キロの牛肉を作るのに11キロの穀物が必要で、それが食料危機や地球温暖化にも関係してる。
京都ではまだ放射能汚染の危険性も低いしジビエはイイコトづくめなんよね。

麻希さん(妻)と出会った9年前、出会って1週間後に彼女の家でご飯食べよっことになってね。
鶏を〆るからそれで焼き鳥しようって言うてみたんです。
そん時、僕はさばいたこと無かったんですけどさばいた事あるの?って聞いたらアルって言うんですよ彼女は。
実はこれ僕の試金石的な質問やったんやけど、これ聞いて彼女と結婚しようって決めたんです。
それでさばいたのが初めて。



フランス料理とかだと子羊とか重宝されますけど若い方が肉は美味い?

「美味い」って言うことと「食べやすい」って事はちょっと違うと思う。
若い方が食べやすいし、歳とった方がクセが強くなるし、それをどっちが美味しいと思うかやと思うねんか。
沖縄とかやったらヤギ食べるけども、子ヤギなんか本当に臭いせえへん。
昔うちの子ヤギが激しく骨折して食べるしかなかったから1回食べた事あんねんけどホンマにクセが無いねん。
でも歳とっても特に雄ヤギとかクセがすっごいし、でもそれが好きな人もいるやん。
美味いって事で言うと、親の方が旨味もあるかな。 子ヤギとか子羊食べても旨味は少ないし。
最近重宝されてるのは「乳飲み牛」とかね。
乳しか飲んでない牛であったり羊も商品になってるけど、凄い淡白で。
それはそれなりの浅いのが好きな人はいいけど、そこは好みかな。



なぜそこまで出来ることはしようと?

やっぱ面白いよね。なんでも出来るって。
楽しくないと出来ないのは大前提やと思う。
子供なんか見てて思うけど、楽しい事しか絶対しないからね。
それを見た時に大人も一緒やなと思って。
ワクワクするかしいひんかって1つの基準ですよね。
麻希(妻)さんもそうやけど1度はやってみること。
やってみたけど「これ手間凄いぞ」っていうことになると買おうってなるし、買うのでも大変な手間をしてはる物を売ってる人がいる、そういう人のちゃんと手の掛かった物を買おうと。
あとうちらでは絶対に手に入らない海のものとか果物とかね。
そういうのは買うと言うか、お互い沢山ある物同士を交換しようって物々交換をやってますね。
楽しい事ばっかりしてると言うよりは、『どう楽しくするか』って事を考える事かな。



奥さんの理念は?

私は自然に負担を掛けないで持続的に。
もともと農業がしたかったわけじゃなくて、その場でなるべく自然に迷惑を掛けずにやっていけたらな、みたいなのが凄く強かったので。
当時就農したのが今から18年くらい前なんですけど、その頃はまだ今ほどオーガニックとかも言われてなかったし、無農薬の人がチラホラ居たぐらいだったんで。
自然栽培って言葉とかもなかったし、農薬と化学肥料は絶対使わずにやっていくってくらいですね。



動物の〆方とかはどこで学んだんですか?

私は鳥しかやったことがなくて、鶏とか合鴨とかは合鴨農家さんの所に行って〆るのやってみたい?て聞かれたんで「是非お願いします」ってやらせてもらったのが初めてで、それ以上大きい鹿とかは私は〆た事はなく彼が全部やってくれるので。
自分1人の時は鹿を自分であえて〆て食べようとかまでは思ってなくて、近所の人からたまに貰って食べるくらいで充分かなと。
当時は肉もあまり食べてなかったので鳥くらい食べられればいいかなぁって感じで。
まぁ農業してるとどうしても死活問題(獣害)になってくるし、根本的に数を減らさないと良くならないとこもあるので、うちの場合は食肉としても美味しいし、忙しくて獲ってなくても近所の猟師さんから「獲れたけど〆る?」って声がかかるから、今はジビエとうちの鴨や鶏を使い分けてます。













コバタケファームのこだわりとは?

こだわらない事じゃない?
まぁ特に僕らの場合やったらまず家族があるって事もあるから、何が目的かってなると別に米を作るのが目的でもなんでもなくて、生活していくという中で最終的には子供達が『色んな面白い生き方』をしてくれれば良いなぁっていうその為だけやから。
別に農法どうってことにストイックになり過ぎる事もないし、収量が1割しかなかったら、言うたらしゃあないなみたいな。
そういう気持ちでいつもいるとこかなって気はする。

あとはココを自給することに関心があって、散髪屋さんとか時計職人とかお茶の先生とか、いろんな職を持つ人が移住してきてそれを目当てに外から買い物に来たり一日過ごしたり「ここに来ればなんか面白いことがある」って町にしたいですね。
ゆくゆくは学校を作りたいと思っていますけど、足がかりとして次の春からこどもキャンプを始めるんですよ。






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〜仕事を哲学する〜加茂二ノ段

今回も同じく加茂町で、自然栽培の野菜・米を生産している『Red Rice自然農園』さんにお邪魔してきました。

Red Rice自然農園は京都府中小企業「知恵の経営」実践モデル認証企業にも選ばれている農園。
脱サラして始めた農業。
勤続15年、飛行機や自動車の製造業を辞め、安定した収入生活から畑違いの農業を志す理由とは。

お話をうかがったのはRed Rice自然農園代表『赤穂 達郎(あこうたつお)』さんと奥様の『海佳(みか)』さん。
ベジタブルジャーニー92件目の農家さんです。



今までの仕事を辞めてまで農業をやろうと思ったキッカケとは。

『なんで働くんやろ?』と思ったんです。
よくお金の為とか、家族の為とはよくありがちですけど、逆説で家族が居なかったら働かないのか、お金が貰えなかったら働かないのかって自分に問いたんですよ。
僕は違うなと思ったんです。
ホンマにやらなあかん事やったらお金貰わなくても僕はやるなと。
って事はなんの為に働いてるんだろうって凄く考えたわけですね。
そこでとある結論に達したのが『人の役に立つ為』
要は、今使ってる機械なり洋服なりは自分では作ってはらへんでしょ?
デジタル一眼レフを作れって言われたら、多分100年あげるから作りって言われたらむっちゃ頑張って研究して出来るかもしれないけど。
電気も原油を誰かが掘りに行って燃料にして電気起こして、それを僕らが使えてるわけじゃないですか。
つまり、ものすごく色んな人のおかげで今の自分の生活が出来てるんですよね。
そう考えると僕も何かの1つの役割りを果たすことが『仕事』なんだろうなと思ったわけです。
衣・食・住というのは人間の根幹なんですよね、その3つって最終的にはどうしても必要なものだと思うんですよ。
なんか僕そういう本質的なものが好きで、そういう事に関わりたいなと。
その中でも食べ物ってどんな職業の人でも、どんな偉い人でもみんな食べてるんですよね。
とある本によると、太陽の光を浴びるだけで生きていける人が世界に何人か居るみたいですけども!(笑)
でも大体の人はそんなことしたら死にますわ。
そう考えると食べ物ってめっちゃ大事やなっていうところで農業をやりたいと思ったんですよ。



ちょうどそんな頃に子供もできて、嫁さんも食の事を考えるようになりだして、お互いに農業がえぇなみたいな中で、サラリーマンを続けてて。
それがちょうど31歳ぐらいの時かな。
ちょっとずつ農業を勉強していこうと思って調べてるうちに自然農とかにぶち当たったわけですよ。
たまたま近くでそういう食べ物を作ってる人が居て、見に行く機会があって食べさせて貰ったらめっちゃ美味しいわけですよ「なんじゃこりゃ、野菜てこんなんやった?」みたいな。
買いたいねんけどみたいなね、ところが売ってないんですよ。
そういう野菜ってどっちか言うと自給自足的に作られてるのが多くて、スーパーに行ったら買えるもんでもない。
ちょっとお手伝いしたらお礼で貰えるみたいな感じのやりとりで。
要はそういう野菜が売ってないし手軽に手に入らない「コレや!」と思ったんです。

そんでやり始めてやっと解ったんですけど、量が出来ないんですよね。
最初は色々な堅いこと想ってたんですけど、これは全員に届けることは無理やなと。
世界中が全部コレやったらえぇなとも思わんくなってね、僕はコレが欲しいねんって人の為に役に立とうと。
だから「コレええ食べ物やから食べや」みたいなのはあかんなと思ったんですよ。







これは1つのポリシーで、2人では2人分しか出来ないですよね。 結局自分が生産から加工、販売までやったら2人では2人でできる分しか届けられへんのです。うち個人で野菜セットでやっても、1回で10人が限界ですわ。
僕はひろく広めたいんでそこは『協働』したいんです。
つまり、僕は作る人、僕が運んだらその時間取られるんですよ、だから運ぶのはプロフェッショナルにお任せして、運んだ後に売るのはまたプロフェッショナルにお任せすると10倍にも20倍にも出来るんですよ。
そうやって世の中は役割り分担して成り立ってると思うので、さっきの話じゃないけど僕も電気起こせって言われたら1万年くらいあったら出来ますよ。
だけど、1万年も生きてられへんし仮に1万年経っても電気が起こせた『だけ』やからね。
それを今の世の中はこのたった一瞬で出来ている。
それぞれが役割を担って働き、その分野のエキスパートになっているからそれを活用して自分たちもどんどん進歩出来るわけですよ。
だから何でも自分でやろうとは思ってないです。
僕たちはしっかり作る事が役目だと思ってます。







Red Rice自然農園のこだわり。

今まで話したのがこだわりかも知れないですけどね。
要は顧客ニーズですわ。
そこです判断基準は。
自分たちの考えを押し付けるんじゃなくってお客さんの声を聞いてみようと。
今はこの自然栽培が自分たちにとって1番よい選択と思ってます。
お客さんも欲しいと言ってくださる方々がいるので。
でも、ずっとやってて自然栽培がもしかしたら凄くアカんもので、お客さんも要らんとなったら立ち止まりますね。
そして何でなのか調べて改善します。
「いやいや、これは間違いないんだ」ってそのまま続ける事はないと思います。
僕の好きな言葉にダーウィンの進化論で『強い者が生き残るんじゃない、その環境に適応した者が生き残るんだ』っていうあの言葉が好きでね。
今は必要やから作っててお客さんのニーズもあるから、やらなあかん僕の仕事やと思ってるんですけど、何か状況が変わったらまた考えるでしょうね。

でもまぁ、究極やと思いますけどね^ ^





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〜体験が選択を与える〜加茂ノ巻

ベジタブルジャーニー22県目の京都府に入りました!
日本の都市の1つで、歴史的には794年に日本の首都に定められた当時は日本の政治・文化の中心地であった場所。



















向かったのは京都木津川市にある『加茂町』
奈良時代の一時期、都が置かれたという歴史があり、多数の史跡・文化財を有する町で、日本最初の流通貨幣「和同開珎」が造られた地でもある。





そんな加茂町で、静岡茶とともに日本二大茶とも言われている『宇治茶』を自然栽培で生産している『加茂自然農園』さんにお邪魔してきました。

お話をうかがったのは、京都で代々お茶農家を伝承されている加茂自然農園代表『山崎 徳哉(やまざきとくや)』さん。
ベジタブルジャーニー91件目の農家さんです^ ^



もともとは「山徳製茶園」として代々受け継がれていた屋号で6代目になる徳哉さん。
しかし、2013年から無肥料・無農薬の自然栽培に切り替えることから親とは別の屋号「加茂自然農園」として独立。
宇治茶として代々、京の文化を支えてきた歴史ある屋号を継がずに独自の道へ進んだ。

独自でつけた屋号の理由。

もともとは、この土地でずっと農家をやってる家で、専業になってきたのが祖父の頃。
JAが出来てから農薬・化学肥料を使い出して慣行農法に切り替わって行って、僕も継ぐ時に学校へ行って勉強して農薬・化学肥料を使うやり方で継いだんですけど、お茶って農薬めっちゃ使うんですよ。
自分らも凄い吸うし、年々身体を壊していって。
枯葉剤(除草剤)もよく背中とかに溢れて浴びてたんですけど、すぐに症状が出ないので大丈夫なんかな?と思いながらやってたら、半年後くらいに段々と異変が出てきて。
肌が浅黒くなって吹出物が出てきたり、手が震えて痺れが出て、足の指先も麻痺して動かんくなってきたりとか。
それで身体がガチガチになって椎間板ヘルニアやって腰壊したんですよね。
今はジムに何年か通ってるんですけど、そこの先生に身体の事とか食事の事を教えて貰ってリハビリしてて。
通い出してアドバイスを貰ってからはヘルニアも痺れてた手足も全部治ったんですよね。
今から4年前が自然栽培に転換する時なんですけど、上の子がちょうど生まれた時でもあって、予防接種の事とか、農薬のリスクも前々からチラッと聞いてはいたんですけど、安全で大丈夫って聞いてたし信じてたので、あんまり聴く耳持たなかったけど「アレ?おかしい」ってなってから自分でも色々と調べてみたら全然安全ちゃうやんと。
手足の痺れも、よくよく調べたら『慢性中毒』やったんですよ。
そこからですね転換しようと思ったのが。





お茶って木が強いんですよ。
野菜とかやったら枯れてしまうぐらいの肥料の量を投入しても大丈夫なので、すごい虫が出る環境が作れてしまうから、逆にめっちゃ農薬が要るようになるんです。

もともとは父親と一緒にやってたんですけど、4年前に父とは分けさせてもらって、部分的にやらせてもらう流れで『加茂自然農園』として自然栽培でやっている感じです。
今でも父親の方は山徳製茶園として慣行栽培でやっています。

山崎さんが農業をやる理由とは。

代々やからっていうのはもちろんあるけど。
ちっちゃい頃からなりたいものが無くて。
かと言って継ぐ気満々でもなくて。
大学も農業とか勉強してたわけじゃなく英語科やったんですよ。
その頃はずっと海外に意識が向いてて、大学の短期留学でオーストラリアに行ったんです。
あっちは移民の国なので色んな国の人が居るんですけど、みんな自分の国の事をよく知っていて。
僕も聞かれるんですけどその時初めて「日本の事なんも知らんな」と。
そこから日本に意識が向くようになって。
お土産にお茶を持って行ってたんですけどそれが凄い喜ばれて「お茶ってえぇんやな」て想い出してその時に決心しましたね。







加茂自然農園のこだわり

自給自足も興味がないわけじゃないけど、自分や家族だけっていうよりは社会全体の問題やし、伝えられるような人に成りたいなとは思っていて。
自分としては農薬を使って来て、年々と土もカチカチになり、小さい頃に見てたお茶の景色と、自分が始めた時と比べるとお茶の木が元気なくなって来てるなって感じて。
一生懸命に肥料とかやってたら木がさらに元気なくなっていくのを感じがして。
転換する前って、お茶の木に「助けてくれ」って言われてるような感じが強くて、目が伏せれないというのもあって転換したので「お茶の木自身が元気」になるようにって想いがこだわりですかね。









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〜疑う人だけが観える真実〜野洲ノ巻

ベジタブルジャーニー21県目の滋賀県に入りました!
滋賀県は近畿地方北東部の内陸県。
地図で見ると県内の大半を琵琶湖が占めてるようにも思えるが実際には最も面積を占めるのは山林(総面積の約半分)であり、琵琶湖が占める面積は総面積の6分の1程度。

向かったのは滋賀県の南部に位置する野洲市。
江戸時代の終わり、西暦1800年はじめの享和(きょうわ)時代から続く稲作農家の『中道農園』さんにお邪魔してきました。





中道農園では慣行栽培(酒米)16町歩、JAS認証を取ってる有機栽培18町歩、自然栽培を2町歩の合計36町歩という広大な面積を切り盛りされていています。



お話をうかがったのは中道農園代表『中道 唯幸(なかみちただゆき)』さん。
時代に合わせ販売方法としてIT企業の勉強会に参加したり、僕らの取材中にもメモをとったりと、相手の年齢や役職だけで判断せずに常に勉強姿勢を欠かさない姿が印象的でした。
人間はいくつになっても勉強、といわんばかりの吸収力の高い方。
ベジタブルジャーニー90件目の農家さんです^ ^



自然栽培っていうのかな?
僕の場合は具体的に無肥料・無農薬栽培っていうのが1番古いので11年目の田んぼがあるんやけど、それがもの凄く良い成績なんですよ。
7表採れて、お米の品質は完璧、稲も誰が見ても良い稲なんですよ。
プロが見ても素人がみても解るほどに。
濁りがなく、下の葉っぱも元気なまんま。
栄養分析にかけても有機より更に上なんですよね。
自然栽培はドコかから圧力を貰った、ドコかから大きなエネルギーの影響を貰ったではない世界。
ひょっとしたら遠回りなようで近回りなんかなって、その1つの現象が僕の田んぼで実際に起きてるから。



有機をやり始めるとだんだん土が肥えてきて、投入資材を減らさないといけなくなってくるんですよ。
僕15年前に、この先の有機栽培はもっともっと普及して来ると思ったから、品質の良い有機資材を確保するのに困る時代が来るだろうと思ってたんですよ。
そうすると肥料が少なくても効率よく出来るノウハウを勉強する必要もあるだろうな、じゃあ無肥料ってのは極端な事だけど勉強になるなと。
この先、田んぼに肥料を入れられなくなって来るのと、将来肥料が貴重になるだろうっていう2つがキッカケで無肥料栽培をやり始めたんだけど、やり始める時も本当に出来るのかな?と。
今までの感覚からするとあり得ないし、引き算すればいずれ栄養分は無くなる。
誰かが勝手に補充してくれるとは考え難いから正直初めは疑いで始めたんです。
始めて結果として、収穫量が2表ぐらいのレベルから、4年目に6表ぐらいまで戻って来て「アレ?やっぱりホンマなんや」と。
京都に【NPO法人無施肥・無農薬調査研究所】っていう所があって、親父もお世話になってた京都大学の教授の先生がやっぱり調査してるんですよ。
学術的根拠から理屈に合わないけど結果として成ってると。
土壌を計ったりすると、そこから収穫された量、内容が今までの農学ではありえないけど、事実としてあるからそこは解らないんだけれども、研究者としては矛盾した所が凄く楽しいみたいで。



僕としては肥料が無くてもこれだけの収穫物があると言う事は、お金で肥料が買えない所なんかには大きく貢献するし、有機肥料と言えども環境に負荷を掛けてるからそれを少なくしつつ。
結果として未来への扉の位置がこの方向にあるっていうのだけは解った。
ただ開けるのにまだまだ鍵はいっぱいあるけど。

僕は肥料は絶対必要、『絶対』と言う言葉を僕は付けて来ました。
生まれてきた以上は絶対死ぬ。これは明らかに『絶対』が付くんだけどそれと同じ意味で肥料は絶対必要やと思ってたんですよ。
だけど絶対じゃないって事が事実として目の前にあるんで「この世の全てを1回疑って周らんとあかんねんな」って。
例えば空気ってホンマに良いのかって話ぐらいから。
それくらい『当たり前』となってるものを全部疑わなあかんと。
それをあの田んぼの現象は僕の人生を大きく変えましたね。

中道農園のこだわりとは。

名前はどうでもいいんだけど、50年後も100年後もこの農園がずっと人のお役に立ってるかどうか。
誰かが継いで名前が変わったっていいんです、とにかく親父が作ってきた農園が20年後、50年後、100年後も世の中の役に立っている、それを実現するのに自然栽培の方が合理的だなと思ってるからそっちに進めたいなと思ってるけどね。
僕の理想ですね。
滋賀のココから名前はどんどん変わってるけど、あの農園役に立ってるよってなったらOK。





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