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〜自然が育てる生きたワイン〜綾二ノ段

宮崎県3件目に向かったのは、同じく綾町。
個人生産者としてブドウの自然栽培から醸造、瓶詰めまで全てを行う、日本初のオーガニッククラフトワインを創る個人ワイナリー『香月ワインズ』 さんにお邪魔してきました。



お話をうかがったのは香月ワインズ代表『香月 克公(かつきよしただ)』さん(43)。
ベジタブルジャーニー107件目の農家さんです^ ^



大学を中退し、働きながら日本を旅した後に、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。
そこで出会った醸造家が造ったワインで香月さんの人生が大きく変わる。
ニュージーランド南島のマールボロ地方のワイナリーに10年間勤め、帰らないつもりで永住権まで取得していたが、色々と想う所があり生まれ育った宮崎県に帰国。
地元を盛り上げる事をしたいと、宮崎県の綾町にて今年の7月ワイナリーが完成。
2018年2月下旬に初リリースを予定している。

農家?醸造家?

農家ですよ。
そうなんですよね、人は分けちゃうんですよね農家とワイン造りって。
でもヨーロッパの伝統では、自分達のブドウを育てて、自分達でワインを造るのが普通なので。
当然、規模が大きくなっちゃうと効率化する為に生産者とワイナリーって分かれちゃうけど、僕みたいな少量生産者は全部自分でこなすっていうのが、ヨーロッパに居た時も当たり前だったから。
1年間の中でほとんどが畑なんですよね。



ニュージーランドはワインが盛んな国なので、ワイン好きな人には美味しいワインで知られてるんです。
自分達が造ってたワインも世界に輸出してて、80%はイギリス、ロンドン、アメリカの大きな街にほとんど輸出するような感じです。
外資を獲得するような大きなビジネスになって来たんですよね。
たまたま僕がバックパッカーで行った時にはまだヒットし始めた頃で、世界中から受注が来るから時代の変わり目のところが凄く見えてて。

ニュージーランドは気候的にワイン造りに向いてるんですか?

島国なので日本に似ていて、四季がはっきりとして凄く住みやすいんですけど、唯一違うのは向こうは湿気がないんですよ。
湿気がないカラっとしている所が美味しいワインが出来るという条件。
要するにブドウは雨や湿気に弱いんでね。
高温多湿の宮崎県の環境は結構厳しいところなんです。
そんな中で宮崎に帰る事を決めた時に、どうやってブドウを育てようか?と。
ヨーロッパ産のブドウを育ててもすぐにカビちゃうのが常なので。
だから宮崎県でワイナリーはあるけど、なかなかヨーロッパの品種は難しくて育たないんです。
なので僕は地元のブドウ研究員の人達と、湿気に強いおもしろいブドウがないか探して、ドイツの方からもかき集めて来て。
全然有名なブドウ品種じゃなくて土着の聞いたことないようなブドウ品種を、ヨーロッパの伝統に憧れるんじゃなく『宮崎の高温多湿でよく育つブドウ』ってことで、だいたい30種類のブドウを直輸入したんです。
でも苗木の輸出量っていうのが1年間に1人300本って決まっていて。
ココに1000本植わってるんですけど3年くらいかけて揃えたんですよ。
色々植えて、どれがこの環境に1番よく育つかを今は見極めてるところですね。



土壌的には海外の苗木は日本の土に合わなかったりはしないんですか?

ヨーロッパの土地、質に改良してやるってつまらないなと思って。
結局それは同じ味を作ろうと追いかけてるだけで。
人間が100人いれば100人キャラクターがあるように、ワインもそれでイイんじゃないかなと思って。
その土地のミネラル、栄養分を吸ってその『土地の味』になっていく、そういう事がやりたかったからね。
ちょっとみなさんと違う感覚で、僕は常に人間社会と照らし合わせて物事を進めるんです。
なぜ同じ時期に植えたのに小さいの?とか、人間だって大きな人も居れば小さい人も居るのと同じように、これも個性だから。
赤は赤で一緒にして混醸法(こんじょうほう)って言うんですけど、ヨーロッパの田舎に行くと色んなブドウが植わってて同じ時期に収穫して一緒にワインを仕込むんです。
そういうのは安いワインって印象があって、あまり高級なワインが出来ないっていう概念があって、やる人が少ないんですけど、僕は1つ1つそれぞれに完熟したタイミングを見計らって摘めば、混ぜたところで安いワインになんてありえないなと思っていて。
僕としてはそれが『面白いな』と。
というのも、これも人間社会と照らし合わせると、1人の人が出来る事は限られてるけど、みんなが1つになって協力し合ったらとてつもないエネルギーになって達成する事もあるという概念をワイン造りに込めて。
1種類のブドウキャラクターは表現出来る味は限られてるけど、いろんな品種が1つになれば凄く複雑な味になるんじゃないかと。



自然栽培のきっかけ。

ニュージーランドから帰国を決めて、帰りの飛行機の中でたまたま『奇跡のりんごの木村秋則さん』と『ローマ法王に米を献上した高野誠鮮さん』がタッグを組んだドキュメンタリーが流れてて。
もともとニュージーランドに居た時オーガニックに興味があったから色々そういう所でも研修してたんですけど、100%無農薬っていう所がなくて。
オーガニックって日本でもそうだけど、低農薬でもオーガニックになるんですよ。
基本的には無農薬では商売として成り立たないから、最低限は撒いて良いですよってルールがあるんですよね。
JASとか色んな認証があるんですけど、みなさん完全無農薬だと思ってるけど全くそうじゃなくて。
ワインのオーガニック制度も同じです。
ボルドー液っていうのがあるんですけどそれは最低限使う。
最低限って言っても結構キツイんですよ。
だからそのくらいがブドウの限界なのかなと思ってたら、そのドキュメンタリーで全然撒かないのを見て「出来るんだ」やってみようと。
でもいざ始めたんですがやっぱり始めは大変ですね。
なかなか肥料をやらないんで普通の成長過程よりかなり伸びないし、薬を使わない事で苗木の時に虫が集るし。
でも凄くおもしろくて、苗木も折れたら折れた所から脇芽が出てきて、次に出て来た芽って結構強いんですよ。
硬いやつとかが出てきて、自分の防衛本能が働いてるのかなって思いながら。
そうやって普通の人の2倍掛けて、2〜3年で実が成るのに、5年くらいかかっちゃったんですけどね。
その5年が今年なんです。





こっちは白ワイン用の木なんですけど、見た感じは一緒なんですが生えて来る草の種類が違うんですよ。
こっちの方が力強い草がいつも生えるんですよね。





その中で選抜していくんですけど、弱い物が出てきて育てても将来性がないものをどうしていくか。
引っこ抜いたらまたココまで育てるのに4〜5年掛かるんですよ。
このくらいまで育てないとしっかりと実が成るまで結果が解らないから。
そしたらそのダメなやつの胴体に良いやつのツボミを差し込むんです。
するとドンと枝が出る。
接ぎ木した部分は完熟しえるなかなか強いブドウで。
かなり効率良く強い木に変えていけるからこういうテクニックも使いながら。





ワイナリーも見てみますか。









発酵の時の温度管理はもの凄く重要で。
温度管理する為に冷却水をタンクの隙間に流す事によって管理して、ゆっくり時間を掛けて自然発酵させます。

ニュージーランドでも自然発酵はやってたんですか?

やはり一般的にはやらないですね。
酵母菌もジビエと一緒で家畜よりは天然の方が気が荒いです。
やっぱり野生っていうのは人間の言うことを聞かないものです。
だから適当な温度管理しても言うこと聞いてくれないから、物凄くシビアにやらないと言うことを聞いてくれない。
それをコントロールしないと臭くなってくるんですよね。
一般的にオーガニックナチュールワインとかヨーロッパにある物は臭いイメージがあるんですよ。
それは自然派だから、温度管理をあえてしないからなんです。
自分なりの小さい製造冷却水を調達して、シビアに温度管理をしたら自然発酵だったんですけど全然臭くなかったですよね。
本当、生き物を飼ってるような感覚で、目に見えないので香りを嗅ぎながら判断するんですけど。



ここで味を整えて。
しっかり時間を掛けて、酸と甘味と渋味が綺麗にまとまって一体化してくるんです。
最初って酸とか苦味が物凄く主張してて荒いんですよね。
綺麗にまとまるのに何ヶ月も掛かるので、そうなった時に瓶詰めして。
お客さんに熟成させるのもリスクだから、ベストの1番良い旬の熟成度合いまでじっくり時間を掛けてから瓶詰めして商品化します。
特にうちはフィルターとか機械処理してないから、微生物が生きたまま入ってる『生き物』なんですよね。
一般的には徹底的に殺してから瓶詰めですからね。
酸化防止剤っていうのもそうですよ、あれは殺菌剤でもあるから。

そしてこの温度管理を半年ずっとやります。
置いとくと濁り成分が下に溜まってくるんですね。
オレンジジュースが下にドロドロが溜まるような感じで。
それを1ヶ月に1回のペースで上澄みを取って、下のドロドロは酵母菌の死体だから畑に還して。
上澄みを次のタンクに移して、また時間を掛けて重力で落としていき、次の空いてるタンクに上澄みだけを移していく。
この作業を4〜5回繰り返すと、サラサラのクリアなワインに。
その作業を一般的には機械にかけて3ヶ月くらいで強引に済ましてしまうから必ず味が削げてしまう。
やっぱり自然に時間を掛けた方が本来のそのままの味が残る。
手間は掛かるけど焦らずにゆっくりと。



香月ワインズのこだわりとは。

人間だけの都合じゃなくて、自然と共存しながら全てを回していく事がテーマで。
人間だけが生きてるわけじゃなくて自然と共に。
自分達の体も土があってこそ。
土を作るのは畑の中にいる沢山の命。
人間は勘違いするんだけど、土作りとか自分で作ってる気になるけど、あれは微生物が作ってくれてるし、ワインも一緒で酵母菌が発酵してくれてるんだよね。
俺たちはよい環境を作るために手伝うだけで、人間は人間で出来ること、微生物は微生物で出来ることでみんなが1つになって全てが成り立ってるんだなって。
香月ワインズにとって、何1つ無駄がないそういうバランスの中で作っていくのがテーマ。
そういう事を若い人達にこの仕事を通じながら教えて行きたいなと思って。
宮崎に帰ってきたのも1つそういう理由で。
自分は外国で色々学んだからね。
卒業したら就職活動、世界も観ないままとりあえず就職、みたいな子達がほとんどなので、イカンなと思ってココを拠点に『沢山の人と会えや』って。
基盤を作ってもっともっとみんなに色んな世界を知ってもらいたいなっていうので今活動してる。
人生幸せにならないと意味がないから楽しく生きてるかって。
それには情熱持てるもの見つけて欲しいしね。
若い人達には『旅』しろって。

これからの目標は世界中で仲間になった人達をこっちに仕事として研修生で来てもらって、若者達と交流をまず始めようかなと。
色んな異国の人の考え方も刺激になるし、今後は県と組んだりして研修生の若者を育成する、海外の本番を見せるようなプロジェクトを立ち上げたいなと思ってます。
そこは香月ワインズの大きな目標かな。





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〜今を生きる〜綾ノ巻

高千穂町の次に向かったのは宮崎県の中西部に位置する『綾町』。
「有機農業の町」「照葉樹林都市」などをスローガンとする町おこしの成功例として知られ、自然の中での人間らしい生活を求める全国各地からの移住者が後を絶たない町。
そんな綾町で自然に寄り添い、自然のリズムで流れに逆らわず農業を営む『いまここ自然農園』さんにお邪魔してきました。
いまここ自然農園ではお米と、冬野菜を少量多品種生産。
畑は不耕起栽培の自然農。
田んぼは自然農法。
ヒノヒカリから品種改良された、にこまるを中心に、古代米(黒米・赤米・緑米)・もち米も栽培。





お話をうかがったのは、いまここ自然農園代表『日高 宗宏(ひだかむねひろ)』さん(46)。



学生を卒業してすぐ百貨店に就職。
21年間勤続し40歳を機に、定年退職してから好きな事をやるか、それとも今やるべきかの選択で『今』を選択した日高さん。
土いじりはおろか、家庭菜園すらもした事がない日高さんがたまたま出会ったのが農業体験での自然農。
どこかで研修をすることもなく、農業塾に通いながら独学で学んだ結果が自然農による畑作と自然農法による稲作だった。

日本では98%の農家が慣行栽培(現在農法)と言われていますが、なぜオーガニックを?

代々農家の友人がハウスでキュウリやピーマンを作っていて「1回遊びにおいでよ」とたまたま遊びに行って見せてもらったんですよ。
色々話をしてるうちに「ちょっと今から薬撒くからハウスに入らないでね」って言われて。
その光景を見て薬を嗅いだ時に「うわぁ、これ出来んなぁ」と思って。
初めて農薬の香りだとか、やってる様を間近に見て「これは違うな」と。
後日また自然農業塾に行った時に「やっぱりコレが合ってるのかなぁ」って。
毎月塾に通う中で、知り合いの方を通して農地を借りれたり、田んぼを借りれたり。
農業塾で学んだ事を自分の圃場で始めたのがスタートなんですね。
何も知らなくて、たまたま出会ったのが自然農で、逆に他のやり方を知らなくてここまで来たんです(6年目)。





自然農から入って、なぜ田んぼは自然農法に?

同じように自然農で田んぼもやってはみたんですよ。
自然農の田んぼって草は凄い生えてくるし、それぞれ手植えなのでこれはもう追いつかないなと。
収量も落ちるんですよね。
1週間で植えて、その後ずーと草刈り入って。
面積広げて行ったらとてもじゃないけど追いつかなくて。
田んぼの栽培は自然農から切り替えて、自然農法にしましたね。

百貨店で働いてる時は定期的に給料が貰えてると思うんですけど、自然相手の農業に転職するに当たって金銭面など将来的な不安などは感じませんでしたか?

そうですねぇ、やりたいと思った時には正直不安はなかったですね。
なんとかなるだろうみたいな(笑)
でもやっぱり日々の充実感というものがサラリーマン時代と比べると全く違いますね。
会社員時代は与えられた仕事というか、自分の意とは別に会社の為にやらなきゃいけないし、色々なルールの中でやっていたのが、今は自分の裁量でやりたい事や時間のデザインまで出来るし。
自然相手だからやっても報われない事もあるけど、収穫出来た時の喜びもあるし、色んな思いが出来るのが農業かなぁと思ってますね。





いまここ自然農園のこだわりとは。

とにかく自分がやりたい事をやりたいようにするって事ですかねぇ。
特にこだわってないって言えばこだわっていないし。
自分がやりたい、作りたいという気持ちに正直にやるような感じですかねぇ。
毎年毎年、環境も変わるし、1つとして同じ事がないので、柔軟に対応しながら『今を生きる』みたいな所に最終的には繋がっていきますね。
会社員時代は常に計画立てて、反省をしてと、先しか見てなかったんですけど今は毎日『日々を見つめる』その時その時を大切に生きるという感じですかね。





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〜繋がり〜高千穂ノ巻

ベジタブルジャーニー28県目、日照時間・降水量ともに全国で上位の南国情緒豊かな『宮崎県』に入りました。

向かったのは宮崎県『高千穂町』。



五ヶ瀬川の水流に削られて出来た高千穂峡は観光地として有名。





日本神話に出てくる高千穂は神の里とも言われ、多くの神々が登場する舞台にもなっている。
石を積むと願いが叶う言われる天安河原。







天岩戸神社は天照大神(アマテラスオオミカミ)の伝説が残り、古事記・日本書紀に書かれてる天岩戸神話を伝える神社。









雄大な自然が創った高千穂町にて、硝酸体窒素等に配慮し有機肥料を少量使用の無農薬有機栽培をしている『農園皐月』さんにお邪魔してきました。
お話をうかがったのはアウトドア派サーファーでもある農園皐月代表『前田 亮太(まえだりょうた)』さん(30)。



2017年の2月に奥さんの実家がある高千穂町へ移住。
大学院まで工学技術を学び、卒業後は”環境に良い新製品を開発して貢献したい”と自動車関連の会社に入社したが、そこには開発過程で出る大量の廃棄物や過剰性能(オーバースペック)がもたらす多くの製品不良問題など思いとはほど遠い現実があり悶々とした日々を過ごしながら3年間が経ち退職を決断。
既に農業を志そうと考えながらPatagonia創業者のイヴォン・シュイナードの考え方が好きだった前田さんは「農業とは別の仕事だが何か得るものはあるだろう」とアウトドアメーカーPatagoniaで働き始める。
そして2017年4月に農園皐月を立ち上げ独立し、現在に至る。

農園皐月の農法とは。

農法はあえてこだわってないですね。
最終目的が″健康な野菜″なので、深く根を張り、たくさん光合成をする健康な作物に育てる為の『手段』として農法があると思っているので、色んな人、色んな気象条件でやるから農家通りの方法があると思うんですよ。
僕も少量の有機肥料は入れているんですけど、これからは肥料を入れなくなったりだんだん変わって行くかもしれないですね。
肥料は完熟鶏糞を入れてるんですけど、鶏糞がもたらすデメリットな話も、どういう鶏糞をどういう土にどれだけの量をどのタイミングで入れたって所まで明確化された情報がないので、自然の摂理からして鶏糞を土に入れる事に対しては特別おかしい事ではないんじゃないかと思って今は少量を肥料として使っています。





なぜ農業だったんですか?

自動車関連の会社に勤めている時に、新しい環境に良い製品とかも開発していたんですけど、環境に良い事はしてるけど開発時に出るロスがあって、そこに矛盾を感じてしまって。
もともと物作りは好きだったんですけど、爺ちゃん婆ちゃんの家が離島だった事もあり小さい頃から海水浴ってよりは素潜りして貝をとるような遊びをしていて、今でも波乗り(サーフィン)しているんですけど自然が好きで。
環境に優しいものを作っていきたいって思って工業の道に入ったんですけど現実は違っていて、行き着いたのが農業でしたね。

オーガニックとは。

農法もそうですけど、変わって行くっていうのは自然な事ですよね。
一つの事にこだわると言うよりも。
こだわるって意味合い的には執着するというか価値があまりないものに対して執着するという意味合いらしいんですね。
僕『消費は投資』ってblogを書いてたんですけど、スーパーで買い物するにしてもその先の事を考えるとか、オーガニックっていうのも『先を観ていく』というか商品の裏にある根源を探すというか『繋がり』をみてく事だと思っていて。
どんな栽培方法だとしても、その人の顔を知ってて、その人から買うという行為がオーガニックだと思うんですよ。
この人から買いたいなっていう顔の見える関係ってイイと思って、裏にあるものを見に行く事で気付きがいっぱいあると思うのでオーガニックってそういう感じなんじゃないかなって思ってますね。





では農園皐月のこだわり。

あえてこだわらないってとこですかね。
オーガニックって農法も色々あるけど、この人から買いたいなって思えるように『繋がる事』ですね。





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〜農薬に疑問符〜竹田ノ巻

国東市を後に向かったのが大分県『竹田市』
大分県南西部に位置する竹田市は、瀧廉太郎が「荒城の月」の構想を練った岡城で知られる城下町。
大分県3件目にお邪魔したのは、MOA自然農法の最高ランク「プレミアム」の認定を受けている『White Canvas(ホワイトキャンバス)』さん。
真っ白なところから描いていこうと付けられた農園名。
お話をうかがったのはWhite Canvas代表『堀 耕一(ほりこういち)』さん(57)。





実家が専業農家な事もあり、堀さん自身も学生を卒業して以来ずっと農業に準じてきた経歴を持ち、一時はアメリカへ研修に行くなど国外の文化に触れる経験もしている。
自給自足を基本とした農的暮らしを営む堀さんは、環境問題を危惧し、洗剤なども自然に負荷を掛けない天然素材の物を選んで使うこだわり。





玄米菜食の堀さんはあまり肉を望んで食さないが、年に1回豚を一頭買いして1年分のハムやベーコン、ソーセージなどに加工して保存する。
農園ではヤギも飼育していて、ヤギのミルクから作る無添加のアイスはアレルゲンが無く、コクのある濃厚な味わいだ。





動物を飼い始めて思ったのがやはり動物が食べる食べ物。
畜産現場に行くと多くの場合が酷い匂いとベチョっとした糞が落ちている光景。
これらは餌として与えている『穀物』が原因で、大きく太らせる為に食べさせられている穀物により、牛や豚が下痢を続けている事があの匂いを出していると堀さんは言います。







専業農家の実家では慣行栽培(現代農法)。
アメリカから帰って来て実家で農業を継ぐのが嫌で独立したと言う堀さん。
ベジタブルジャーニー104件目の農家さんです^ ^

なぜ家を継がずに無農薬栽培を?

米とトマトを父が作っていて、どちらも慣行栽培だったんですけど。
農薬は大きく分けて『粉剤』『粒剤』『水和剤』。
エアーで撒く粉状と、粒で土に混ぜ込むタイプと、水に溶けるタイプ、おおむね3種類あるんですよ。
当時は実家で田んぼに粉剤を撒いたり、トマトに水和剤のスプレーを掛けたりを手伝っていたんですね。
昔は『ホリドール』っていう強い農薬を使ってて。
そういう農薬を使う現場を見てて、子供心に『こんな毒薬を使って生産を維持出来ないんじゃおかしいな』と疑問に思ってたんです。
そういう自然思考がベースにあって農薬は使ってはいけないって。
考えてみれば第二次世界大戦直後くらいまでは日本は全て有機栽培でしたし、農薬自体無かったんですよ。
年に1回MOA自然農法の講習会があってそこで勉強しながら独学でやり始めて、全圃場を自然農法に切り替えたのが10数年前ですね。
でもまだまだ手探りですよ。
基本、虫の付きにくいニンジンだとか冬場も大根だとかそういうのを作ってます。

White Canvasのこだわり。

1・有害な硝酸態窒素を減らす
ボカシ肥料の主原料は藁・野草などの植物。

2・元気な野菜作り
元気な野菜を食べることは、元気な体を作ることにつながる。

3・環境保全
土が農薬や化学肥料、窒素過剰などで汚れていないということは、雨などで水が地下に浸透しても、川(やがては海)が汚されないということです。 体にいい野菜作りは、環境にもいいからです。







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〜死ぬと思った〜国東二ノ段

大分県2件目に伺ったのは、同じ国東市で稲作をされている『合同会社 農未来 NOU FUTURE』さん。
農未来と書いてノウフューチャー。



国東半島の先端で農薬や肥料を一切使用せずにお米を育てていて種籾は他家・自家、合わせて10年以上自家採種を重ねた種を使用。
加工品にも力を入れていてお米から転換可能な物をメインに麺・マカロニ・シリアル・米粉・甘酒など様々なラインナップが揃っている。
甘酒で使用する麹菌も、強制発酵させる強い培養菌ではなく、日本国内でも片手で数えるほどしかない『蔵付きの天然発酵菌』を使うほどのこだわり。
ちなみにベジタブルジャーニー福井編で行ってきた『マルカワ味噌』も片手で数える天然菌を使う蔵の1つ。
販売先も卸しではなく、ほとんどが個人販売。
『作り手と食べる人とのイメージの共有』を最も大切にしているのは強いこだわりの1つだ。





お話をうかがったのは合同会社 農未来代表社員『村田 光貴(むらたこうき)』さん(40)と加工をメインにされている奥さんの『恵(めぐみ)』さん。
ベジタブルジャーニー103件目の農家さんです^ ^



村田さんの生い立ちと農業始めた理由。

東京出身で、小学校の頃に山村留学をしてるんですよ。
長野県の標高1000mぐらいの所に何年間か居て、その時に農業体験みたいなのがあって。
月の半分はその施設で過ごして、もう半分はその村の農家にホームステイをする生活を2年ぐらいしてたんです。
うちの親戚もだいたい東京周りだったので、田舎もないし、盆も正月も帰る所が無くて、けっこう親が田舎暮らしをしたい思考が強い人だったから家族ごと長野に引っ越してきたんですね。
それで中学校3年生くらいの頃にまた関東の方へ戻って、高校行って。
それからバックパッカー5年くらいやって。

バックパッカーはどの辺に行ったんですか?

僕はヨーロッパとか欧米人が居る所によく行ってました。
アジアとかだと日本人を見てすり寄ってくる感じが嫌で。
ヨーロッパとかだとロンドンの公園で寝てても「なんだ日本人か」みたいなあの雰囲気が好きで。
どこへ行っても助けてくれたのが農業やってる人だったんですよね。



オーストラリアをヒッチハイクで一周してる時も農園の人に助けてもらったりだとか、ニュージーランド行った時も農園で働いたり、フランスに居た時もブドウ園で働いたり。
金が無くなるとだいたい農民が助けてくれてて。
バックパッカーしてる時にちょっと料理の仕事もしてたんですけど、その時に『食べるものによって体調が違うな』って思い始めて。
掘り下げていったらオーガニックだったり自然栽培の物だったので、それで食生活を整えようと思ったら到底全部を厳選する事は難しいので「じゃあ自分で作ろうかな」って農業始めた感じなんですよね。
僕自身が凄いアトピーだったんですよ。
自分の食べられる物を作りたいなと思って、そういう理由で始めたのもあって。
そんな事を言ってたら「うちの親戚にアトピーの子が居るんだけど」っていうお客さんが「食べさせたら大分症状も良くなったよ」だとか「花粉症が治ったよ」とかそういうような声をよく戴くようになって。
アトピーだった事もあるけど、一生出来る仕事がしたいなと思って農業始めたのもあります。
初めは農業の事、何もわからなかったので農業を教えてくれながら熱い所を探そうと思って。
色々探してる内に見つけた所が陸前高田。
そこで食べたリンゴが凄く美味しくて「こんなリンゴ作りたいな」と思い、陸前高田に行ったんです。
1年半くらい学校みたいな所で農業研修を受けて勉強させてもらって。
慣行栽培(現代農法)から始めて、野菜・果物・花と、作り方はだいたい解ったので、今僕がやっている栽培方法は化学的な物を使わなきゃいいだけだよねって独学でやったような感じですね。



国東に来た経緯。

これもたまたまなんですよ。
陸前高田で、出来れば農業続けて行きたいなという気持ちがあったんですけど、東日本大震災の津波で畑もハウスも全部流されてしまって。
農地だった所も、地主さんが亡くなって他の建物が建ったり、どうにもならない状況があって。
そんな時にフランス財団の方が陸前高田に来てて、その人から「フランスに来ないか?」て言われて。
フランスって原発推進国だから、フランスで日本式の農業をやって原発とか震災の恐さを話す語り部になってくれないかってプロジェクトで。
そういう事だったら行こうかなと思ってたけど、ビザが取れなかったりとか話がなかなか進まなかったりしてたら、日本でもこういう活動してる人が居ますよって紹介してくれた人が大分が良いんじゃないかって紹介してくれて。
それ以外にも候補はいっぱいあって、もともと果樹屋なので果樹がやりたいと思ってたんですけど、無農薬でやらせてくれる所が無くて。
月に数十万円貰えるとか、この家あげるよとかはいっぱいあったんですけど、地域と同じ栽培方法をしてくれなきゃ困るみたいな縛りがあったのでそれだとサラリーマンと変わらないなと思ってて。
大分に来る時に、間に入ってくれた人がミュージシャンで、国東市でライブをやるって言うからついて来たら国東が気に入っちゃって勝手に僕が引っ越してきた感じなんですよ。
最初に陸前高田に居た時みたいなイメージだったんですよねここら辺って。
時間の流れとかも。
それで来てみたら田んぼしか空いてなかったので、米をやろうかと。



何かを入れないと成立しない農業って持続可能性ではないじゃないですか。
それが肥料にしろ種にしろ。
毎年種を買わなきゃいけない、毎年肥料を作り買わなきゃいけない、それを投入しないと出来ない農業は持続可能じゃないなと思ってて。
僕その震災の時に、陸前高田って電気も無い、電話もない、情報が全く無かったので日本中がこうなっちゃったと思ったんですよ。
明日からどう生きてこうかって考えた時に、ポケットに2百万円入ってても全く嬉しくないんですよね。
そういう時に友達の農業やってる奴が自分のとこの米や野菜を持って来てくれた時が涙が出るほど嬉しくて。
やっぱり食べ物、いつまでも持続出来るものが大事だなって思って。
あの時に『当たり前の事が当たり前じゃないな』って凄い思ったんですよ。
蛇口ひねれば水が出る、スイッチ押せば電気がつくとか。
ある物はいつか無くなるから、そういう『物』に固執しなくなったと言うか。
僕あの時に「死ぬ」って思ったんですね。
今死んだら凄い後悔するなと思ったんです。
後悔ばかりが残るイメージで。
それから自分の『死に方を考えて生きている』ので、遊びも仕事も全部一生懸命やって、自分が死ぬ時には後悔ではなく明るいイメージで死んでいきたいなっていう想いがあって。
そうなると後の世代に残して行けるような環境とかを大事にしたくて。
何かを入れなきゃ続かない農業だと持続出来ないので、種があって、土があって、水があって、米が作れたらそれだけで成立するじゃないですか。
何があっても。
そういうのを目指してる感じですかね。



農未来のこだわりとは。

震災を機に色々変わった気がしますね。
それまでは農的な暮らしというかライフスタイルで農業をやりたい感じだったんですよ。
自給自足でちょっと生活費になれば良いみたいな感じだったんですけど。
震災があって今はジョブ(仕事)の農業になっていて、それはあまり自分のやりたい農業ではないんですけど、この先日本で起こる災害で僕みたいな想いをする人が絶対出てくると思ったんですね。
そうなった時に、自分の農地で農業が出来ない人、だけど農業がやりたい人、特にオーガニックや自然栽培やっている人って行き場が無くなっちゃうので。
ただでさえそこの地域で肩身狭くやってる方も多いので、そういう方を今度は自分が受け入れる側になりたいなと思っていますね。





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〜挑戦する姿〜国東ノ巻

ベジタブルジャーニー27県目の大分県に入りました!
全国的に知名度が高い別府温泉や由布院温泉をはじめとする温泉は、源泉数、湧出量ともに日本一のおんせん県。

最初に向かったのは大分県北東部に位置する国東市(くにさきし)。
お邪魔したのは、無肥料・無農薬の自然栽培と自家製有機肥料(植物性)による季節の路地野菜を栽培している『まるか三代目』さん。



お話をうかがったのは、埼玉県出身のまるか三代目代表『上平 将義(かみひらまさよし)』さん(44)



前職は芸能界とも関わりの深い広告・出版関係のデザイナー。
埼玉県で農業研修を受け、2015年より大分県国東市で新規就農。 奥さんの実家が経営していた八百屋の屋号を戴き、まるか『三代目』
あえて過疎化が進む限界集落で農業に挑戦する理由とは。

なぜ埼玉から大分県の国東市に?

最初は5年間くらい仕事をしながら移住先をずっと探してたんですけど、その最中に『東日本大地震』があって北方面は難しいなと感じて。
妻がたまたま北九州出身なので、九州まで1度農地と家を貸してくれるとこがないか見に行ってみようっていうのが始まりだったんですよ。
でも貸してくれるっていうところが意外と無くて。
今でこそ空き家バンクブームですけどその頃は不審者扱いというか、関東から出て来てそんな事できるはずないみたいな感じで。
なかなか農地と家のセットはむずかしかったんですよ。
最初は熊本の阿蘇の方で探してたんですけど全然なくて、大分に来てから結構イイ物件も紹介してもらえるようになって大分県内を見てまわったんですけど、ちょっと農地も狭かったり家が古過ぎたりなかなか決めかねていて。
最後、大分空港から帰る時にみたのがココの国東市だったんですよ。
市役所の人に空き家を色々紹介してもらってあんまりイイ所ないなぁと思って帰ろうとした時に、道の途中で大工さんに会ったんですね。
立ち止まって市役所の人と何気ない話が始まって、飛行機もあと2時間後に飛ぶのにのんびりしてるなぁと思ってたら大工さんが「僕が借りてる家が農地もあるし古い古民家だから探してる条件に近いし見てみます?」ってなって。
これも縁だから見に行きますって行ったのがココなんですよね。
僕がこだわってたのは、囲炉裏があったり五右衛門風呂も残ってる古い古民家で。
ゆくゆく聞いてみると、その大工さんはこの家を壊すのが勿体無くて借りてたらしくて。
1回家に帰って、撮ってきた写真を見て本当に住める家かなとか考えてたら、市役所から電話が掛かってきて「今度地域興し協力隊って制度が出来て、市役所で働きながら農業の準備もできるから応募してくれないか?採用するので」って言われて、それも面白いなと。
仕事内容も移住・定住事業のお手伝いっていう仕事だったので自分も苦労したから、仕事しながら農業も出来るし。
結局それが色んな地域の方と面識が出来たり農機具も貸してくれたりと色々な縁に繋がったのでやって良かったと。



そもそもなぜ移住を?

コンセプトが『経済的にも精神的にも自立したい』っていうので全部捨ててこっちに来てるんですけど。
埼玉に居た時ってオール電化の家に住んでたんですよ。
当時あった計画停電の時に、お風呂にも入れないしエアコンも点かなくて。
高い金払って生活してるのに何やってるんだろなっていうのがあったんですよね。
それもあるので、五右衛門風呂と囲炉裏が欲しいっていうのは電気・ガスが例えば止められる何かがあった時でも微動打にしないような生活が1つ出来るという理由。
電気もガスもあるのでしょっちゅう使うわけじゃないですけど、無くても生活出来るようなスタイルっていうのを子供たちにさせてあげたいなっていうのがあったので。
僕自身も20代の頃バイクで日本一周した事があったんですけど、8ヶ月くらい掛けて毎日キャンプしてたのでアウトドアは得意なので子供たちにも自分で何でも出来るような生活をさせてあげれば『何かに頼らないと生きて行けない』ような人生を送らなくて済むんじゃないかなっていうのもありますね。



広告・出版関係のデザイナーからまさに畑違いの仕事ですけど農家になった理由とは。

デザイン業界も10年やっていたんですけど、独立出来る見込みもなくサラリーマン自体があまり性に合ってなくて30代後半は徹夜すると身体壊すみたいのが続いてたんですよね。
家族とゆっくり時間を過ごすという事もしたことが無かったので、定年退職してから田舎に引っ越して農業したいなってずっと思ってたんですけど、40歳を迎えるにあたって人生半分なので『好きな事を最後のチャンスでやってみよう』と思って。
あとは自立して経営することが出来れば、生活も出来るかなと今はチャレンジしてるところですかね。



まるか三代目のこだわりとは。

農業だけで自立していく営農ですかね。
それとやっぱり畑に肥料も何も入れない事を確立できれば、田舎でも農業だけで食べて行けるチャンスがあると思っているので、そこが今1番目指している所ですかね。
今この地域の移住定住部会の部会長もしているので、将来的には研修生も受け入れて、空き家や農地を紹介しながら少しづつやる人を増やして行けたらなと思っているんですよ。
それには自分達がちゃんと食べて行けて、農業を確立する事がまずは目標です。





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〜もう一つの海〜向津具ノ巻

下松市の次に向かったのが山口県の『長門市』
山口県北部の日本海に面したところに位置していて、本土に囲まれた深川湾・仙崎湾、向津具半島に囲まれた油谷湾などの入り江も存在し、天然の良港となっている。

今回は長門市の中でもさらに北西端にある向津具(むかつく)半島に向かいました。
自然の中からあらゆる糧を生み出す「Life artist」として、生活をまるごと豊かにできる 新しい時代の「百姓」を築き直し、ホンモノを追求し続ける『株式会社 百姓庵』さんにお邪魔してきました。



百姓庵では自給自足をベースとしてお米や野菜作りはもちろん、生活に必要な大工仕事も全て自分で賄うこだわり。
食べ物だけに気を取られがちだが、人間が生きていく上で最も重要な『塩』の製造・販売をメインに、無農薬有機栽培で育てた野菜などの加工品も販売している。
そこには『百姓』と聞くイメージとは全く違う、クリエイティブな空間で、田舎暮らしに憧れるようなお洒落で豊かな生活感が垣間見れた。











社会と付き合う上でお金は便利なツールだけどお金の為に使われるのではなく「お金を道具として使える人間」になりたいと話してくれた、百姓庵 代表取締役『井上 雄然(いのうえゆうぜん)』さん(45)にお話をうかがいました。



『株式会社 百姓庵』とは。

何でも作る人になりたくて。
「百姓」って百の姓って書いて100の仕事が出来る人という意味だから、そこを目指せば1番良いかなと。
僕自身がこういう暮らしをしようと思ったのは20歳ぐらいなんですけど、その頃に気付いたのが、現代人はお金がなかったら社会で暮らしていける力が無くなってるという現実はおかしいんじゃないかと思って。
資本主義の行く末は、いずれ崩壊するだろうというのを僕は20歳ぐらいの時に見えたので、そのレールから外れる為には何が良いか色々勉強していくうちに、昔の生き方に戻して出来るだけ『自分で作る力』さえ取り戻せばお金に依存しないでいい暮らしが実現出来るんじゃないかって。
23歳の時から自給自足の暮らしを始めたんですね。
ココで15年前からやってるんですけど、自分の自給的なスキルというのは身に付いて満足したんですけど、それと並行して子供も大きくなってきて、地域も変わって行く中で、1人自給自足をやってても仕方ないじゃないかとだんだん思い始めて。
WWOOFホストも去年まで14年間やっていて、移住して来るような需要も増えたんですけど、実際子供が出来たりするとみんな事情が一気に変わって。
学校も無くなりそうな所とか、遠かったりなど、将来の子育てに不安を感じて街に帰って働いた方が良いんじゃないかという選択になりがちなんですよね。
何組かはそういう理由で帰ってしまって、こりゃいかんなと。
もうちょっと不安を与えないで大丈夫なように僕らがサポート出来る力が欲しいということで、今年1月に法人化したんです。
会社っていうのを僕はずっと誤解していたんだけど、意外と良いもので。
会社って共産主義なんですよね。
会社の中は言ってみたら1つの「村」みたいな。
今は会社の中に各セクションの職人を育てていって、行く末は職人集団の会社にして自給自足を目指した会社を作ろうと。
地域を守るためにも力を蓄えなきゃいけないし、自給力のある力だけじゃなく、外貨を稼げる力も必要だし、それを個人でやるより組織でやった方がたくさん生産も出来るし、より技術の高い物を作れるので会社にしました。



なぜ『塩』なんですか?

バイクで九州1周して屋久島まで行った時に、たまたま天草で出会った塩屋さんに塩作りを見せてもらったのがキッカケで。
その時に塩の大切さとかも聞いて。
確かに自給自足を目指しているのに、1番根底でもある大事な塩には気付いてなかったんですよね。
米、野菜、大豆、雑穀とかその辺があれば生きていけると思ってたけど、塩がないと生きていけないんですよ。
空気が無かったら人間は3分で死にますよね。
水と塩、どっちが欠けても1週間もたないんです。
でも食べ物が無くても水と空気と塩があれば1ヶ月は生きれるんですよ。
っていうことは優先順位がどちらが高いかで言えば圧倒的に塩なんですよね。
水は取る事は出来ても作る事は出来ないので、塩は絶対に作らないといけないなと思って。
それで全国周って。
ハイエースにベッド積んで旅しながら良い所がないか海岸線を見て周ったんです。
東北は雪が降るのでその間は農作物も作れないし、塩も作れないので行かなかったんですけど、それ以外の本土は全て周ったけどなかなか良い所が無くて。
僕山口県出身なんですけど、その頃は外ばかり見てて、山口県を全然見てなくて。
たまたま友人が教えてくれたココに来たら「まだこんな残された場所があったのか」と。
後から地図を見て解った事なんですけど、自然が豊かで良い塩を作れる場所は高知と秋田とココしかなかったんです。

海を見てどういう基準で良い塩を作る場所を探すんですか?

まず大事なのは『森』なんですよ。
植林されていない豊かな森があること。
川があること。
閉鎖域があること。
汽水域(きすいいき)っていうのは閉鎖された場所があると「森の栄養」がいっぱい入って美味いんです。
森の栄養がいっぱい来てる所にしか海草って生えないんですよ。
要は、森の栄養が海草とか植物性プランクトンとかも養っているんです。
そして塩の味が1番変わるのは『雨』なんですね。
雨量が多い後には森の栄養が川をつたって流れてくるので、梅雨明けの自然海塩は旨味が強いんですよ。








みんな普通、陸から海を見るじゃないですか。
でも実は『海が陸を養ってる』っていう見方があまり気付かれてないんですよね。
海が蒸発して雨が降り、雨が森から栄養を蓄えて海に持ってくる、そしてこれを遡上(そじょう)する魚達がまた森に返すんです。
海に出て、川に戻る魚達が海のミネラルを森に戻して、森の動物に食べられ循環してたんですけど、残念ながら今は護岸工事などでさえぎってしまって森がだんだんと痩せてきてる傾向に。

塩の賞味期限はあるんですか?

塩っていうのは実は『食品ではない』ので賞味期限はないんです。
塩の管轄は『財務省』なんですよ。
昔から塩は貴重な物で、どこの国でも財務省が管轄してるんです。
歴史が始まって以来、ずっと権力者の隣には塩があるのでどこの国でもまず権力者は塩を抑えるんですよ。
ヨーロッパでも塩を抑えて、抑えようとした事に反発して『フランス革命』は起こってるし、塩の語源から出来てる言葉が『サラリー』ですから。
給料の代わりに塩をあげてたのがサラリーで、塩っていうのは凄く貴重で昔は『金と同等』だったんです。
当時は貴重な塩を運ぶ際に盗賊に襲われてしまうので、盗賊から塩を守る兵士のことを『ソルジャー』と呼んだんです。
そういう風に、塩が由来の語源が今日に来てて、塩は昔から大事にされていて政府は手放さなかったんですね。
1971年に塩業近代化臨時措置法っていうのを国が作って、それまで3000社あった塩屋さんを全部潰して、NaClという『食塩』と言われるイオン交換膜で作った塩以外は製造販売禁止という法律を作って。
それまでは今僕らが作っているような『自然海塩』というのがあったんですけど、それを全部潰して出来たのが工場地帯です。
太平洋ベルトが出来た所は塩田で、塩屋さんが居た所を全部潰して工場に変えて、工業用に必要な塩(NaCl)のみに。
NaClが作れたので最初にイギリスが産業革命を起こせたんですよ。
NaClしか要らないんですよ工業用には。







その法律が出来て、でも解禁になったんですか?

解禁になったのが平成9年ですね。
インドのガンジーが1番大きな仕事をしたのが『塩の大行進』をしたんですよ。
塩を民間でやらせろっていうデモ活動をしたんです。それでガンジーの名が知れ渡ったんですよ。

僕けっこう塩で講演会とか回っていて、塩のこと知られていないので話さないといけないなって。
塩っていうのはどんだけ身体に必要かというのもほとんど知られてないんです。

井上さんが作っているジャンルの塩は何ていうんですか?

『自然海塩』っていうジャンルになるんですけど、公正取引委員会が出来てから今はその用語を使っちゃいけないようになってるんですよね。

自然海塩と食塩を見分ける方法ってないんですか?

自然海塩という表現はダメになったんですけど、裏の表記が義務付けられて『工程』っていうのが入るようになったんですね。
そこに『天日平釜』とか『平釜』って書いてあるのは基本的には自然海塩です。
大手の食塩は『縦釜』とか『真空釜』『イオン交換膜式』などが書いてあります。
もしくはメキシコの塩とかオーストラリアの塩を再製してますって。
それともう1つ大きな違いとして『天地返し』っていうのをしてるかで違うんです。
これは工程とかに記載されていないので塩屋に聞かないと分からない事で。
塩っていうのは、4段階で組成の違う結晶が出来るんです。
1番下に沈むのは『カルシウム』が多い結晶、その次に『ナトリウム』が多い結晶でこれが1番量が多いもので。
その次に『カリウム』、最後に『マグネシウム』が多い組成の塩って4種類が出来るんです。
『岩塩』はそのままが地層になった物で、ナトリウムの層からしか採掘しないんです。
ナトリウムの層以外はしょっぱくないんですよ。
ナトリウムが溶けた瞬間、イオン化してしょっぱい味が出るので。
天地返しっていうのは、この4つを混ぜるという作業のことで、これをしないと『海と同じ組成の塩』にならないんです。
海と同じバランスの組成に戻した物を摂るのが身体には1番良いので。
血液を作るのは塩なので、いくら良い物食べてもベースが良くないと。
全ての命の源は海から始まってるから。





人間の内側は海なんです。
その海を守っていく為に良い水と、良い塩を摂って、常に綺麗な体液を作れたら健康がずっと続くと。
ミネラルが欠乏した状態が、病気が発病する時で、今は毛髪検査でも何のミネラルが足らないとか解る時代なので。

ただ海水と僕たちの体液の中で1つだけ大きく違うのがマグネシウムなんですよ。
海水の方が僕たちの体液と比べて13倍多くなってるんですよ。
マグネシウムって便秘の人がよく使う下剤に使われるんですね。
だから海水を飲むと出てしまうから脱水症状を起こすと。
漂流して海水を飲むと下痢を起こすから、脱水症状で寿命を縮めてしまうので、それを防ぐ方法として3倍に真水と薄めて飲むっていうことをしてたみたいですよ。
なので塩屋っていうのは、海水のバランスに戻してあげるというか、マグネシウム分を抜いてあげるのが塩屋の仕事で、飲めない海水を飲めるようにする、体液に1番違い塩を目指してるのが僕は塩屋として正しいと思ってて。
もともとは環境問題から始まってるので、環境を良くする為に何をしたら1番良いかなって考えたら、僕は自然の中で極力百姓になって何でも自分で作る暮らしを『人に魅せる』ことが1番早いんじゃないかなと。
当時ぼくサラリーマンだったんで、傍らで環境問題言ってもなんか説得力ないなって。
暮らしの中で魅せて、これが答えだよという暮らしをしていくことが1番良いなと。










『百姓庵』のこだわりとは。

大切なのはやっぱり僕は自然だと思っているので、自然を出来るだけ残せるような事に繋がる、要は『自然を護れる事に繋がる』ような事をやっていきたなっていうのがこだわりかもしれないですね。
ただビジネスがやりたいんじゃなく、ビジネスの延長線に、その仕事をやると自然が護れるってことがしたいです。
僕がなんでまた荒れてきた所で農業一生懸命やりたいかって言ったらチャンスだからなんです。
この地域を全部オーガニックにしたいので。









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〜朝露に魅せられて〜下松ノ巻

ベジタブルジャーニー26県目、本州最西端に位置する山口県に入りました!
向かったのは山口県の東南部に位置する『下松市』。
山口県下松市の山間部で「安心して日常的に使える野菜」をモットーに、農薬・肥料を使用しない野菜を育てている『田中野菜』さんにお邪魔してきました。
お話をうかがったのは田中野菜代表『田中 友紀(たなかゆうき)』さん(35)。

ベジタブルジャーニー記念すべき100件目の農家さんですp(^_^)q



もともと東京出身の田中さん。
いずれは田中さんが作る野菜が地方野菜のように【田中野菜】としてお客さんに認知されるよう願いが込められ名付けられた農園名。

東京出身でなぜ山口県で農業を?

大学生の時に語学留学で1年間ニュージーランドに留学してて、向こうの自然が凄く豊かなので大好きになっちゃってニュージーランドで働こうと思ったんですよね。
日本に帰って来てからニュージーランドと1番関係のあるフルーツ商社に入社して、キウイフルーツの取り引きとかをやってたんですけど、このまま転勤になってニュージーランドに住めるなと思ってたんですが、仕事があまりに大変すぎて退社することに。
その後に某携帯会社の派遣社員をやってたんですけど、海外に行きたいなと思いつつ働いていました。
ニュージーランドだと4時くらいに仕事を終えて、その後サマータイムだから21時くらいまで明るいのでサーフィンやったりとか、遊びに行ったり、バーベキューやったり。
「あぁ豊かな人生だな」と思ったんですよね。
そういうのに憧れてたんですけど、前の会社を退社したから目標だったニュージーランドには行けなくなっちゃったのでどうしようか考えてて。
色々と考えた末、自分は自然が好きだったので国立公園のパークレンジャーになろうと思って、オーストラリアの専門学校に入学したんです。
オーストラリアに居た時にホームステイしてた隣の家がドイツ人のオーガニックファーマーで、1年間毎朝アルバイトで手伝ってたんですよね。
そこで収穫する『朝』が凄く好きで。
太陽が登って来て、朝露に濡れた野菜を見て空気が澄んでるし、シーンとした中で収穫していく事に凄い毎日癒されてたんですよ。
「あぁこんな仕事もあるかな」って、そこから農業も悪くないなと思い始めたんですよね。
日本に帰国して当時の彼女(現奥さん)に農家になろうと思うって言ったら「良いね」って言ったので、僕は実家が東京なんですけど彼女が山口だったので、畑ならいくらでもあるからっていう事でこっちに来たっていう感じですね。
やっぱり朝の収穫が大好きなんです^ ^
すんごい静かで、まだみんな動き出してない空気も澄んだ空間を独り占め出来る感じが凄く好きなんですよね。



実際に農家になった今でも同じように感じますか?

同じですね。
やっぱり農家はキツくて、腰痛くなったりめちゃくちゃ忙しくなったりもしますけど、その景色に癒される瞬間がたまにあるんですよ。
そうすると凄い満たされちゃいますね。
あぁ良かったな農家でって。



前にオーガニックファーマーのblogを見てた時に、そこに来てたフランス人のオーガニックファーマーと話してて「オーガニックの魅力は何だろう」って話題になったらしいんですね。
そうしたら『豊かさだ』と。
オーガニックは単に豊かさに尽きる。
もちろん健康とかもあるんでしょうけど、オーガニックの物を食べるという豊かさだったり、作るという豊かだったり。
身体に良いとか、個性的な味がするとか色々言いますけど、やっぱりそれを食べた時に色んな要素を含めて『豊か』に感じれる野菜がオーガニックだったり、自然栽培だったら良いなと思いますね。

田中野菜として、今後はどのようなビジョンを。

まだ自分が何もなかった時に、この下松市の役所の方とか農家の方々が色々と助けてくれたりお世話してもらって今が成り立っているので、いまは耕作放棄地も増えて来てるので少しでもそういう耕作放棄地の解消に役立つような、若い人とかがもっと農業をしてもらえるような農家のモデルになりたいなと思ってます。
けどその為には生活がもっとしっかり出来るようにならなきゃいけないなっていうのは常に意識はしてますね。



農業をやるなら慣行栽培が一般的ですけど、なぜ手間も時間も掛かるオーガニックを?

留学中のホームステイ先で、自分のガーデンを作って何も入れないでルッコラを植えたんです。
そのルッコラが肥料とか入れてたドイツ人の物と味が全然違って、すげーシビれたんですよ「うわー美味い」て。
やっぱコレなんだと思って、自然栽培にしようと思いました。

田中野菜のこだわりとは。

やっぱり『健康な野菜』をお客さんに食べてもらいたいなというのが1番のこだわりですね。
自然栽培って実際腐らなかったりするけど、有機栽培の迫力に負けたりするなと僕は思ってるんですよ。
それが悔しくて、何か悶々と今もしてるんですけど、何がこの野菜の特徴なんだろうってずっと模索しながらやってるんですけど。
最近、隣町の病院でそこは癌患者とかパーキンソンとか抗がん剤治療をしませんって人達が全国から集まってる病院なんですけど、そこの院長先生と波動測定をする人が居てその人が先生とタッグを組んで良い野菜を探しましょうっていう事でうちの畑に来てくれた事があって。
レヨコンプ10っていうドイツの医療機器があって、振動数を測る事でいかに細胞が活性化しているかを測定できるものらしくて。
例えば細胞の振動具合が弱いから病気になりやすいとか、ドイツでは医療として認められてる機械らしいんですけど、その機械を野菜にも応用できるらしくてどれだけ細胞が活性化してるかを調べられるみたいで。
それでうちの野菜を調べてもらったら、全てのミネラルが存在していると言うより『生きたミネラル』がいかに野菜の細胞として入っているかの数値が他の野菜の2倍以上があるって色々調べてくれて、その病院で野菜を使いたいって言ってもらえて。
でもうちそんなに野菜ないから出せないんですけどね。
でもやっぱり何か違うんだなっていうのは思いましたね。
なのでせっかくうちの野菜買ってくれるお客さんには健康になってもらいたいなと思っています。



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〜神と動物〜津和野ノ巻

江津市の次に向かったのは、島根県津和野町にある『おくがの村』という集落。
ここは日本初とも言われる農事組合が地域で法人化されている。
つまり、単独で農をするだけでなく地域として農を支える事で農人の生計も立てやすく、地域の存続にも力を貸せるというところ。





2000年からおくがの村に移住して農的暮らしを営みながら地域に貢献している『たまたま農園』代表の『田中 海太郎(たなかうみたろう)』さん(43)にお話を伺いました。



たまたま農園では旬の野菜を少量多品種生産。
養鶏も並行していて、鶏糞や落ち葉・緑肥などを肥料とする循環型の無農薬有機栽培。



音楽や政治活動にも力を入れていて、おくがの村に移住する前はアメリカに旅へ出たり北朝鮮へ行ったりと、イメージや情報ばかりを鵜呑みにせずに「自らの目」で見たものをリアルとする現実派。



駒澤大学の法学部出身の海太郎さん。
優秀な学歴を持っているのに、集落で農的暮らしをする理由とは。





海太郎さんが農家になった理由とは。

もともとは福岡久留米の出身で、高校までは普通に都会へ出たいって想いばっかりで、「大学行くなら都会に出してやる」と両親に言われたから一生懸命に勉強したらなんとか合格して。
それで東京に行ったんですけど、大学が駒澤っていうとこで北海道と東京のキャンパスがあって、どうせなら北海道のキャンパスに行ってみようかなと。
2年間、自然の中で過ごしてみたら「意外と田舎おもしろいな」と思って、東京帰ってきたら凄い人混みや満員電車とかで嫌になって。
大学時代に何を間違ったのか「哲学」っていう勉強をしてしまったら法哲学の授業があったんですね。
だんだん突き詰めていったらルソーが「自然に還れ」って話を聞いて凄いなと思ったり。
それと同時に大学の時に国際関係論って勉強をしてて、世界の食糧事情を調べたら2025年に必ず食糧危機が来ると。
その当時は「せめて自分だけでも助かろう」かなと思って、田舎暮らしもイイかなと思ったり。
ただ、当時はマスメディア関係で仕事をしたいと思ってたので、大学出て1年間フリーターしながら興味があった政治活動や音楽活動やったり、好きな事をしながら就職活動してたけど、だんだんそういうのが面倒になってきて。
そういえば田舎に行きたいなとか思ったり。
色々な事が混じりあってて、政治活動しているうちに「なんか1人でやってても虚しいな」と。
そう思ってる時にUIターンフェアっていうのがあって、会場に行ってみたら農業を色々体験出来ますよっていうのがあって。
当時2000年頃は、まだほとんど就農したいって人が居なくて、ブース出してるのに対応も凄い厳しくて。
あっちこっち断られまくって、たまたま島根のブースに行ったらうちは大歓迎ですよってことで島根に行こうと。



島根でも2ヶ所興味がある場所があったので早速行ってみようと飛び込んで来て、1ヶ所目には東部の方へ行ったけど、なんか会社的な農業やってたから違うなぁと思って、2件目にココへ来たんですよ。
そしたら、おくがの村っていう法人でやってる所があって今の師匠が代表で。
代表が来るなりビールを勧められて。
とりあえず「今日からおれ」とか言われて、何か変なオッサンだなと。
でも話しているうちに「農業は文化だ」とか「農業は哲学だ」みたいなカッコイイ事言うから、ちょっと面白そうだなと思って。
ちょっと居ようかなと思ってたらずるずる今に至るみたいな感じで。
人に惹かれたってことになるんでしょうね結果的には。







農園名の「たまたま」。

たまたま来たし、振り返ってみると凄い偶然が重なってるんですよね。
この家も来た時にあと2年くらいしたら崩れるって家がたまたま残ってて、誰も入らなければ崩れてただろうって言われてたし。
有機農業もスムーズに入れたキッカケもたまたま俺が来た前の年に某青汁会社が来て、有機でケールを作る人を募集してたり。
補助金制度もたまたま俺が最後の年だったし、なんだか凄い色々な運が重なってたから、それを活用しないわけにはいかないって事と、卵の「たま」を掛けてですね。



たまたま農園のこだわり

有機農業に通じてくるんですけど、一時期「自然栽培」や「自然農」に興味持ったんですけど、そこからナゼ有機栽培に戻ったかに繋がるんです。
これはあくまで自分の中での話ですけど、一方で「神」がいるとして、もう一方で「猿」がいるとする。
人間が真ん中にいるとしたら、自然農ってどちらかというと神に向かってる気がしてて。なるべく何もしないとかね。
有機農業ってどちらかというと糞とか沢山使ったりするから動物に近付いてる気がして。
俺はどっちかというと動物に近付いてる方が好きだなと思ってて。
結局、人間は肉食でもあって、鳥も食べるし猪も魚も獲って食べる。
そういう暮らしをしているから排泄物も出るわけだから。
人間は何かしら環境を汚して生きてるから最低限の汚し方として循環を考えて。
昔、自然農の有名な先生に「自分、自然農やりたいけど鶏飼ってるんですよ」って相談したら「そんなの大丈夫だよ、有機農家は鶏糞欲しがってるからそいつらに売りつければ良いんだよ」って言われた時に凄い違和感を感じてね。
結局、自分達が卵も鶏も食うのならその糞も処理するのが筋だし。
ゴミとして出すんじゃなくそれは土に還さないといかんと思う。
普通に鶏糞をたくさん使うと確かに腐りやすい野菜が出来るけど、上手に使ったら自然農に近い良い野菜が出来るって肥料の先生に言われて。
俺はソコを目指したいなと。
だから、あえて有機農業を堂々と訴えたいなと思ってて。
そのかわり、鶏でも抗生物質をたくさん使ってるエサを食べてる鶏と、うちの鶏は違うから、鶏糞もなるべく自然に近い鶏糞と、落ち葉とか色んな山の恵みを貰って肥料を作ってるから。
そういう発想がこだわりですね。





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〜自然との対話〜江津ノ巻

鳥取県を後にして、、、



向かったのは鳥取県のお隣、島根県。
鳥取県境港市と島根県松江市との間にかかる江島大橋、通称「ベタ踏み坂」を通ってきました。





ベジタブルジャーニー25県目です!
まずは島根の名所でもある「出雲大社」に参拝。











そして日本の製鉄のルーツでもある島根県の奥出雲地方「菅谷たたら山内」へ。
砂鉄と木炭を用いる日本古来の製鉄法をたたらと言い、日本各地にその技法はあるものの、菅谷たたら山内は江戸時代初期にその原型が完成し、日本で唯一現存する生産施設。
国の重要有形民俗文化財に指定されている。





日本刀専用の素材となっている優れた品質を誇っていた「玉鋼(たまはがね)」は、現代の製鉄技術でも再現不可能とされる、たたら製鉄における唯一無二の物。
映画『もののけ姫』の舞台にもなり、たたら場で女性が足場を踏み空気を送り込んでいたシーンは印象的だ。
しかし実際の足場は火の元に近く、非常に重労働とされ男の仕事だったそうで。
6人で1時間毎に交換したとされるこの「番子」さん。
あまりの重労働で、交代を余儀なくされる様から「交代ばんこ」という言葉が生まれたと言います。



次に向かったのは、島根県西部の日本海に面した江津市(ごうつし)。
山陰地方の中で最も人口が少なく、県内で最も面積が狭い市。
お邪魔したのは、自然栽培と一部有機栽培でゴボウ・お米・大豆を三本柱に営農されている『有限会社はんだ』さん。
元は土建業から始まった会社で、2004年から農業部門を設け、2009年には養分供給という概念を持たない「自然栽培」に全圃場を転換。
広大な農地ゆえ、あまりに地力が低い農地に限り、一部有機栽培で営農されている農場です。



お話をうかがったのは、有限会社はんだ代表取締役『反田 孝之(はんだたかゆき)』さん(47)。
学生時代には山に青春を掛け、道無き道を突き進む「藪漕ぎ(やぶこぎ)」に夢中になった20代。
いかに自然と一体になるかで、登山靴ではなく靴下も履かずに便所サンダル。
ザックにはテントを持たず、水ではなくビール20缶と硬い鰹節に寝袋を持っていくトリッキーさ。
そんなオルタナティブな反田さんが選んだゴボウとは。
ベジタブルジャーニー98件目の農家さんです^ ^



農業や農地面積について

真面目に最高だね。
生まれ変わったって何度でも百姓やりたいと思う。
金じゃないからね。
でもうちの場合はある意味、金も考えてる。それはナゼかって数字で出さないと山奥で変な変わり者が変わったことやってる、で終わっちゃうから。
それじゃあ面白くないっていうことで今のような農業を志して実現したんだけどね。
うちは面積もかなり広くやっていまして17町歩を夫婦2人がメインで管理してます。
結局10町歩以上の規模でやらなんだら、変わり者扱いされて終わりなんだよね。
今まで巡られて来た方々は、おそらくそんなに規模は大きくない方が多いと思うんですけど、みなさん地域では変わり者扱いされて勿体ないでしょ?本当に惜しいんですよ。
だから無視出来んぐらいの規模でやれば行政だって無視できないじゃない。

自然栽培を始めたキッカケとは。

2009年から自然栽培に切り替えたのですが、それまでは化学物質っていうのがいかんのだろうと「化学物質拒否農法」みたいなね。
いわゆる今のガイドライン化された有機JAS農法ですよ。
やっていると色々と矛盾が出てきたんです。
化学物質過敏症の人が食えないとか。
化学物質排除してるのに食えないって言われるし。
あと、ゴボウっていうのは2〜3ヶ月保存したら1番美味くなるのにドロドロに腐っちゃうんですよ。
これもおかしいなと。
それから連作出来ないという点。
有機栽培の指導だと、大豆も3年連作して4年目から収量が一気に落ちるから圃場を変えなさいって言われてるんだけど、これだっておかしい。
ゴボウも大豆も観察してると種は真下に落ちるんだよね。
落ちて即芽が出るっていうことは自然の摂理で考えたら連作出来ないっておかしいじゃない?
もし連作出来ないならタンポポみたいに離れた所に種を飛ばす構造になってるか、もしくは種子には休眠期間っていうのが物によってはあるから、しばらくは芽が出ない仕組みになってるとか。
この3つの点がおかしいなと思っている頃に、ナチュラルハーモニーさんが出雲で自然栽培講習会を開催してくれて、それをお客さんがメールで教えてくれたのがキッカケで参加したんです。
そうしたらその3つの疑問が全部ストレートにテーマになってて、まさにズドーンと討ち取られた感じで。
化学物質とか何とかじゃなくて『養分供給するという事』自体が不自然であって、連作が出来ないとか腐るとかは、土が『不自然さを解消する為』の表れだったわけですよ。
腐るっていうのも自然界が0に戻そうとするプラス方向の作用であって、化学物質過敏症の人が食えないのも見方によっては人間への警告でもある。
そういう事があったから自然栽培を始めたわけなんだよね。



一気にやりたくなっちゃって全面積でやり始めちゃって。
そうするとこれだけの広さだから中には育たない畑ってあるわけで、だんだん毎年土に向き合っていくうちに育たない畑っていうのは厳しいなと。
経営が成り立たないんじゃ意味ないですからね。
そういう所は有機肥料を仕方なく使おうと。
ただ、自然栽培をやり始めると有機肥料の使い方も変わってきてね。
あんまりインパクトを与えないように、土に漉き込むんじゃなく、土の上にばら撒くだけとか。
有機栽培でも肥料の量が少なくて済むようになったし、そういうところは自然栽培のおかげかな。



ゴボウを美味しく食べる方法てあります?

よく聞かれるんですけどね。。。
食ってみますか!それが1番手っ取り早いですよ。









右の方はもう廃棄用で、置いてるんだけなんだど、こうやって干からびさせると吊るし柿みたいな味になるんですよ。



ゴボウは有り難いことに、あちこちのシェフにこれ以上ないぐらいの賛辞を頂いとって、先月も5人くらいシェフが東京の方から来られて。
どこかで有名なシェフがうちのゴボウを食べて感動して、ご自身の著書の本を送って来られたりね。
年間15tぐらいしか生産できてないんですけど新規のお客さんにはもう分けられんのですわ。
基本お断りなんですよ、申し訳ないんですけど。
もし良ければ「生」でどうぞ。







めちゃくちゃ甘い、全然生でも食べれますね。なんだこれ。

なんかバカバカ食えそうでしょ?女房も子供産まれた次の日に病院食が物足りないから生のゴボウ持ってきてくれって言うから、キンピラにして持ってこうかて言ったら、生のまま持ってきてくれって(笑)



だいたいこれ食うとシェフ達もビックリするんですよ。

ゴボウは収穫してから置いとくものなんですか?

島根県の公務員さんがある論文を持って来てくれて。
反田さんこんな論文あったよって今でも保存してあるんですけど、ゴボウは収穫後2〜3ヶ月目が1番オリゴ糖が乗って美味しくなるっていう事を研究した学者さんがいて。
『灰汁が糖』に変わるわけですわ。



1つは、ここで育ったから美味しいっていうのと。
それと肥料をやらなきゃ美味しいわけです。
このゴボウが美味い秘密はこの2つですね。
うちも有機肥料使ってた頃は土壌の栄養分を分析して、それに基づいて施肥設計をしてやるというのを一時やったわけですよ。
それをやってる頃は美味いと褒められると自分の施肥設計が間違っていないと、腕の見せ所のような世界があるんですけど、今は違いますよね。
いかにこの素晴らしい土の素地があって、そこに邪魔をせずに育てられるか、そうすればこうやって美味い物になるわけですよ。
そこが今の僕の腕の見せ所であって、いかに要らんことをしないかって。
要らん事ってなんだろうってそればっかり考えてますからね。
僕の中でも考えがシフトしていって。
腕の見せ所なんてないんだ、違う所で力を発揮しなきゃって。
そうするとね、凄く楽になったんだよね。
例えば病気で全滅する時もあるんですよ。
ゴボウは農薬使わないで育て難い代表的な野菜ですから。
病気になっても「土」が前向きに良くしようという1つの通過点なんだと。
そういう事も解って来たんで、仮に病気になっても気持ちはまぁまぁ安らかに。
これでまた良くなったぞと。
という風に考えられるようになったのは自然栽培のおかげかな。
消費者って肥料を与えるとそれが栄養になって、食べて身体に良いって思ってるけど、本当は違うんだよね。



農家になったキッカケとは。

林業やりたかったんだ本当は。
でも人の下で働くってのはきっと僕は向いてないなと。
自分でやりたいと思ったけど、木を植えて30年後に伐採っていっても、その間どうやって生計立てる?みたいな事になるので。
そうなると林業を自分でやるなら林業家の娘を見つけて養子に入るしかないと。
これはダメだなと、林業ダメだ、どうしようで、農業も良いんじゃないかみたいな感じの流れで。

後は学生時代に社会と接し始めて「社会の矛盾」というか。
1番具体的にショックを受けたのが、化粧品会社の社員は自社の化粧品を買わないとかね。
シャンプー会社の社員は自社のシャンプーを買わないとか。
何が入ってるか生々しく知ってるから買えないっていうね。
化粧もわざと肌が荒れるように作られて、荒れるとまた化粧が売れる。
シャンプーも髪が痛むように出来てて、痛むからリンスが売れる。
要するに経済というのは『環境と人間の健康から搾取する事で回っている』と。
でも一方で人間の精神上、幸福感を得るためにも景気っていうのはある程度良い必要があって。
じゃあ経済っていうのが必要で、人間と環境から搾取してる事実があって、ココを上手くバランスとって俺どうやって生きていこうと思った時に、一言でいうなら「正しい農業」をしたいって
思って。
食っていくのに経済行為として何か少しでもマシな正しい農業というのを追求するのも、人生の中でアリなのかなと。
っていうのが農業を志した最後の後押しですかね。
命賭けてやってみようと。

有限会社はんだのこだわりとは。

とにかく1にも2にも、世の中の課題解決のヒントは、自然界にあること。
経営も自然界から学びながらやる、というのが唯一のこだわるところですね。





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