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〜農薬に疑問符〜竹田ノ巻

国東市を後に向かったのが大分県『竹田市』
大分県南西部に位置する竹田市は、瀧廉太郎が「荒城の月」の構想を練った岡城で知られる城下町。
大分県3件目にお邪魔したのは、MOA自然農法の最高ランク「プレミアム」の認定を受けている『White Canvas(ホワイトキャンバス)』さん。
真っ白なところから描いていこうと付けられた農園名。
お話をうかがったのはWhite Canvas代表『堀 耕一(ほりこういち)』さん(57)。





実家が専業農家な事もあり、堀さん自身も学生を卒業して以来ずっと農業に準じてきた経歴を持ち、一時はアメリカへ研修に行くなど国外の文化に触れる経験もしている。
自給自足を基本とした農的暮らしを営む堀さんは、環境問題を危惧し、洗剤なども自然に負荷を掛けない天然素材の物を選んで使うこだわり。





玄米菜食の堀さんはあまり肉を望んで食さないが、年に1回豚を一頭買いして1年分のハムやベーコン、ソーセージなどに加工して保存する。
農園ではヤギも飼育していて、ヤギのミルクから作る無添加のアイスはアレルゲンが無く、コクのある濃厚な味わいだ。





動物を飼い始めて思ったのがやはり動物が食べる食べ物。
畜産現場に行くと多くの場合が酷い匂いとベチョっとした糞が落ちている光景。
これらは餌として与えている『穀物』が原因で、大きく太らせる為に食べさせられている穀物により、牛や豚が下痢を続けている事があの匂いを出していると堀さんは言います。







専業農家の実家では慣行栽培(現代農法)。
アメリカから帰って来て実家で農業を継ぐのが嫌で独立したと言う堀さん。
ベジタブルジャーニー104件目の農家さんです^ ^

なぜ家を継がずに無農薬栽培を?

米とトマトを父が作っていて、どちらも慣行栽培だったんですけど。
農薬は大きく分けて『粉剤』『粒剤』『水和剤』。
エアーで撒く粉状と、粒で土に混ぜ込むタイプと、水に溶けるタイプ、おおむね3種類あるんですよ。
当時は実家で田んぼに粉剤を撒いたり、トマトに水和剤のスプレーを掛けたりを手伝っていたんですね。
昔は『ホリドール』っていう強い農薬を使ってて。
そういう農薬を使う現場を見てて、子供心に『こんな毒薬を使って生産を維持出来ないんじゃおかしいな』と疑問に思ってたんです。
そういう自然思考がベースにあって農薬は使ってはいけないって。
考えてみれば第二次世界大戦直後くらいまでは日本は全て有機栽培でしたし、農薬自体無かったんですよ。
年に1回MOA自然農法の講習会があってそこで勉強しながら独学でやり始めて、全圃場を自然農法に切り替えたのが10数年前ですね。
でもまだまだ手探りですよ。
基本、虫の付きにくいニンジンだとか冬場も大根だとかそういうのを作ってます。

White Canvasのこだわり。

1・有害な硝酸態窒素を減らす
ボカシ肥料の主原料は藁・野草などの植物。

2・元気な野菜作り
元気な野菜を食べることは、元気な体を作ることにつながる。

3・環境保全
土が農薬や化学肥料、窒素過剰などで汚れていないということは、雨などで水が地下に浸透しても、川(やがては海)が汚されないということです。 体にいい野菜作りは、環境にもいいからです。







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〜死ぬと思った〜国東二ノ段

大分県2件目に伺ったのは、同じ国東市で稲作をされている『合同会社 農未来 NOU FUTURE』さん。
農未来と書いてノウフューチャー。



国東半島の先端で農薬や肥料を一切使用せずにお米を育てていて種籾は他家・自家、合わせて10年以上自家採種を重ねた種を使用。
加工品にも力を入れていてお米から転換可能な物をメインに麺・マカロニ・シリアル・米粉・甘酒など様々なラインナップが揃っている。
甘酒で使用する麹菌も、強制発酵させる強い培養菌ではなく、日本国内でも片手で数えるほどしかない『蔵付きの天然発酵菌』を使うほどのこだわり。
ちなみにベジタブルジャーニー福井編で行ってきた『マルカワ味噌』も片手で数える天然菌を使う蔵の1つ。
販売先も卸しではなく、ほとんどが個人販売。
『作り手と食べる人とのイメージの共有』を最も大切にしているのは強いこだわりの1つだ。





お話をうかがったのは合同会社 農未来代表社員『村田 光貴(むらたこうき)』さん(40)と加工をメインにされている奥さんの『恵(めぐみ)』さん。
ベジタブルジャーニー103件目の農家さんです^ ^



村田さんの生い立ちと農業始めた理由。

東京出身で、小学校の頃に山村留学をしてるんですよ。
長野県の標高1000mぐらいの所に何年間か居て、その時に農業体験みたいなのがあって。
月の半分はその施設で過ごして、もう半分はその村の農家にホームステイをする生活を2年ぐらいしてたんです。
うちの親戚もだいたい東京周りだったので、田舎もないし、盆も正月も帰る所が無くて、けっこう親が田舎暮らしをしたい思考が強い人だったから家族ごと長野に引っ越してきたんですね。
それで中学校3年生くらいの頃にまた関東の方へ戻って、高校行って。
それからバックパッカー5年くらいやって。

バックパッカーはどの辺に行ったんですか?

僕はヨーロッパとか欧米人が居る所によく行ってました。
アジアとかだと日本人を見てすり寄ってくる感じが嫌で。
ヨーロッパとかだとロンドンの公園で寝てても「なんだ日本人か」みたいなあの雰囲気が好きで。
どこへ行っても助けてくれたのが農業やってる人だったんですよね。



オーストラリアをヒッチハイクで一周してる時も農園の人に助けてもらったりだとか、ニュージーランド行った時も農園で働いたり、フランスに居た時もブドウ園で働いたり。
金が無くなるとだいたい農民が助けてくれてて。
バックパッカーしてる時にちょっと料理の仕事もしてたんですけど、その時に『食べるものによって体調が違うな』って思い始めて。
掘り下げていったらオーガニックだったり自然栽培の物だったので、それで食生活を整えようと思ったら到底全部を厳選する事は難しいので「じゃあ自分で作ろうかな」って農業始めた感じなんですよね。
僕自身が凄いアトピーだったんですよ。
自分の食べられる物を作りたいなと思って、そういう理由で始めたのもあって。
そんな事を言ってたら「うちの親戚にアトピーの子が居るんだけど」っていうお客さんが「食べさせたら大分症状も良くなったよ」だとか「花粉症が治ったよ」とかそういうような声をよく戴くようになって。
アトピーだった事もあるけど、一生出来る仕事がしたいなと思って農業始めたのもあります。
初めは農業の事、何もわからなかったので農業を教えてくれながら熱い所を探そうと思って。
色々探してる内に見つけた所が陸前高田。
そこで食べたリンゴが凄く美味しくて「こんなリンゴ作りたいな」と思い、陸前高田に行ったんです。
1年半くらい学校みたいな所で農業研修を受けて勉強させてもらって。
慣行栽培(現代農法)から始めて、野菜・果物・花と、作り方はだいたい解ったので、今僕がやっている栽培方法は化学的な物を使わなきゃいいだけだよねって独学でやったような感じですね。



国東に来た経緯。

これもたまたまなんですよ。
陸前高田で、出来れば農業続けて行きたいなという気持ちがあったんですけど、東日本大震災の津波で畑もハウスも全部流されてしまって。
農地だった所も、地主さんが亡くなって他の建物が建ったり、どうにもならない状況があって。
そんな時にフランス財団の方が陸前高田に来てて、その人から「フランスに来ないか?」て言われて。
フランスって原発推進国だから、フランスで日本式の農業をやって原発とか震災の恐さを話す語り部になってくれないかってプロジェクトで。
そういう事だったら行こうかなと思ってたけど、ビザが取れなかったりとか話がなかなか進まなかったりしてたら、日本でもこういう活動してる人が居ますよって紹介してくれた人が大分が良いんじゃないかって紹介してくれて。
それ以外にも候補はいっぱいあって、もともと果樹屋なので果樹がやりたいと思ってたんですけど、無農薬でやらせてくれる所が無くて。
月に数十万円貰えるとか、この家あげるよとかはいっぱいあったんですけど、地域と同じ栽培方法をしてくれなきゃ困るみたいな縛りがあったのでそれだとサラリーマンと変わらないなと思ってて。
大分に来る時に、間に入ってくれた人がミュージシャンで、国東市でライブをやるって言うからついて来たら国東が気に入っちゃって勝手に僕が引っ越してきた感じなんですよ。
最初に陸前高田に居た時みたいなイメージだったんですよねここら辺って。
時間の流れとかも。
それで来てみたら田んぼしか空いてなかったので、米をやろうかと。



何かを入れないと成立しない農業って持続可能性ではないじゃないですか。
それが肥料にしろ種にしろ。
毎年種を買わなきゃいけない、毎年肥料を作り買わなきゃいけない、それを投入しないと出来ない農業は持続可能じゃないなと思ってて。
僕その震災の時に、陸前高田って電気も無い、電話もない、情報が全く無かったので日本中がこうなっちゃったと思ったんですよ。
明日からどう生きてこうかって考えた時に、ポケットに2百万円入ってても全く嬉しくないんですよね。
そういう時に友達の農業やってる奴が自分のとこの米や野菜を持って来てくれた時が涙が出るほど嬉しくて。
やっぱり食べ物、いつまでも持続出来るものが大事だなって思って。
あの時に『当たり前の事が当たり前じゃないな』って凄い思ったんですよ。
蛇口ひねれば水が出る、スイッチ押せば電気がつくとか。
ある物はいつか無くなるから、そういう『物』に固執しなくなったと言うか。
僕あの時に「死ぬ」って思ったんですね。
今死んだら凄い後悔するなと思ったんです。
後悔ばかりが残るイメージで。
それから自分の『死に方を考えて生きている』ので、遊びも仕事も全部一生懸命やって、自分が死ぬ時には後悔ではなく明るいイメージで死んでいきたいなっていう想いがあって。
そうなると後の世代に残して行けるような環境とかを大事にしたくて。
何かを入れなきゃ続かない農業だと持続出来ないので、種があって、土があって、水があって、米が作れたらそれだけで成立するじゃないですか。
何があっても。
そういうのを目指してる感じですかね。



農未来のこだわりとは。

震災を機に色々変わった気がしますね。
それまでは農的な暮らしというかライフスタイルで農業をやりたい感じだったんですよ。
自給自足でちょっと生活費になれば良いみたいな感じだったんですけど。
震災があって今はジョブ(仕事)の農業になっていて、それはあまり自分のやりたい農業ではないんですけど、この先日本で起こる災害で僕みたいな想いをする人が絶対出てくると思ったんですね。
そうなった時に、自分の農地で農業が出来ない人、だけど農業がやりたい人、特にオーガニックや自然栽培やっている人って行き場が無くなっちゃうので。
ただでさえそこの地域で肩身狭くやってる方も多いので、そういう方を今度は自分が受け入れる側になりたいなと思っていますね。





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〜挑戦する姿〜国東ノ巻

ベジタブルジャーニー27県目の大分県に入りました!
全国的に知名度が高い別府温泉や由布院温泉をはじめとする温泉は、源泉数、湧出量ともに日本一のおんせん県。

最初に向かったのは大分県北東部に位置する国東市(くにさきし)。
お邪魔したのは、無肥料・無農薬の自然栽培と自家製有機肥料(植物性)による季節の路地野菜を栽培している『まるか三代目』さん。



お話をうかがったのは、埼玉県出身のまるか三代目代表『上平 将義(かみひらまさよし)』さん(44)



前職は芸能界とも関わりの深い広告・出版関係のデザイナー。
埼玉県で農業研修を受け、2015年より大分県国東市で新規就農。 奥さんの実家が経営していた八百屋の屋号を戴き、まるか『三代目』
あえて過疎化が進む限界集落で農業に挑戦する理由とは。

なぜ埼玉から大分県の国東市に?

最初は5年間くらい仕事をしながら移住先をずっと探してたんですけど、その最中に『東日本大地震』があって北方面は難しいなと感じて。
妻がたまたま北九州出身なので、九州まで1度農地と家を貸してくれるとこがないか見に行ってみようっていうのが始まりだったんですよ。
でも貸してくれるっていうところが意外と無くて。
今でこそ空き家バンクブームですけどその頃は不審者扱いというか、関東から出て来てそんな事できるはずないみたいな感じで。
なかなか農地と家のセットはむずかしかったんですよ。
最初は熊本の阿蘇の方で探してたんですけど全然なくて、大分に来てから結構イイ物件も紹介してもらえるようになって大分県内を見てまわったんですけど、ちょっと農地も狭かったり家が古過ぎたりなかなか決めかねていて。
最後、大分空港から帰る時にみたのがココの国東市だったんですよ。
市役所の人に空き家を色々紹介してもらってあんまりイイ所ないなぁと思って帰ろうとした時に、道の途中で大工さんに会ったんですね。
立ち止まって市役所の人と何気ない話が始まって、飛行機もあと2時間後に飛ぶのにのんびりしてるなぁと思ってたら大工さんが「僕が借りてる家が農地もあるし古い古民家だから探してる条件に近いし見てみます?」ってなって。
これも縁だから見に行きますって行ったのがココなんですよね。
僕がこだわってたのは、囲炉裏があったり五右衛門風呂も残ってる古い古民家で。
ゆくゆく聞いてみると、その大工さんはこの家を壊すのが勿体無くて借りてたらしくて。
1回家に帰って、撮ってきた写真を見て本当に住める家かなとか考えてたら、市役所から電話が掛かってきて「今度地域興し協力隊って制度が出来て、市役所で働きながら農業の準備もできるから応募してくれないか?採用するので」って言われて、それも面白いなと。
仕事内容も移住・定住事業のお手伝いっていう仕事だったので自分も苦労したから、仕事しながら農業も出来るし。
結局それが色んな地域の方と面識が出来たり農機具も貸してくれたりと色々な縁に繋がったのでやって良かったと。



そもそもなぜ移住を?

コンセプトが『経済的にも精神的にも自立したい』っていうので全部捨ててこっちに来てるんですけど。
埼玉に居た時ってオール電化の家に住んでたんですよ。
当時あった計画停電の時に、お風呂にも入れないしエアコンも点かなくて。
高い金払って生活してるのに何やってるんだろなっていうのがあったんですよね。
それもあるので、五右衛門風呂と囲炉裏が欲しいっていうのは電気・ガスが例えば止められる何かがあった時でも微動打にしないような生活が1つ出来るという理由。
電気もガスもあるのでしょっちゅう使うわけじゃないですけど、無くても生活出来るようなスタイルっていうのを子供たちにさせてあげたいなっていうのがあったので。
僕自身も20代の頃バイクで日本一周した事があったんですけど、8ヶ月くらい掛けて毎日キャンプしてたのでアウトドアは得意なので子供たちにも自分で何でも出来るような生活をさせてあげれば『何かに頼らないと生きて行けない』ような人生を送らなくて済むんじゃないかなっていうのもありますね。



広告・出版関係のデザイナーからまさに畑違いの仕事ですけど農家になった理由とは。

デザイン業界も10年やっていたんですけど、独立出来る見込みもなくサラリーマン自体があまり性に合ってなくて30代後半は徹夜すると身体壊すみたいのが続いてたんですよね。
家族とゆっくり時間を過ごすという事もしたことが無かったので、定年退職してから田舎に引っ越して農業したいなってずっと思ってたんですけど、40歳を迎えるにあたって人生半分なので『好きな事を最後のチャンスでやってみよう』と思って。
あとは自立して経営することが出来れば、生活も出来るかなと今はチャレンジしてるところですかね。



まるか三代目のこだわりとは。

農業だけで自立していく営農ですかね。
それとやっぱり畑に肥料も何も入れない事を確立できれば、田舎でも農業だけで食べて行けるチャンスがあると思っているので、そこが今1番目指している所ですかね。
今この地域の移住定住部会の部会長もしているので、将来的には研修生も受け入れて、空き家や農地を紹介しながら少しづつやる人を増やして行けたらなと思っているんですよ。
それには自分達がちゃんと食べて行けて、農業を確立する事がまずは目標です。





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〜もう一つの海〜向津具ノ巻

下松市の次に向かったのが山口県の『長門市』
山口県北部の日本海に面したところに位置していて、本土に囲まれた深川湾・仙崎湾、向津具半島に囲まれた油谷湾などの入り江も存在し、天然の良港となっている。

今回は長門市の中でもさらに北西端にある向津具(むかつく)半島に向かいました。
自然の中からあらゆる糧を生み出す「Life artist」として、生活をまるごと豊かにできる 新しい時代の「百姓」を築き直し、ホンモノを追求し続ける『株式会社 百姓庵』さんにお邪魔してきました。



百姓庵では自給自足をベースとしてお米や野菜作りはもちろん、生活に必要な大工仕事も全て自分で賄うこだわり。
食べ物だけに気を取られがちだが、人間が生きていく上で最も重要な『塩』の製造・販売をメインに、無農薬有機栽培で育てた野菜などの加工品も販売している。
そこには『百姓』と聞くイメージとは全く違う、クリエイティブな空間で、田舎暮らしに憧れるようなお洒落で豊かな生活感が垣間見れた。











社会と付き合う上でお金は便利なツールだけどお金の為に使われるのではなく「お金を道具として使える人間」になりたいと話してくれた、百姓庵 代表取締役『井上 雄然(いのうえゆうぜん)』さん(45)にお話をうかがいました。



『株式会社 百姓庵』とは。

何でも作る人になりたくて。
「百姓」って百の姓って書いて100の仕事が出来る人という意味だから、そこを目指せば1番良いかなと。
僕自身がこういう暮らしをしようと思ったのは20歳ぐらいなんですけど、その頃に気付いたのが、現代人はお金がなかったら社会で暮らしていける力が無くなってるという現実はおかしいんじゃないかと思って。
資本主義の行く末は、いずれ崩壊するだろうというのを僕は20歳ぐらいの時に見えたので、そのレールから外れる為には何が良いか色々勉強していくうちに、昔の生き方に戻して出来るだけ『自分で作る力』さえ取り戻せばお金に依存しないでいい暮らしが実現出来るんじゃないかって。
23歳の時から自給自足の暮らしを始めたんですね。
ココで15年前からやってるんですけど、自分の自給的なスキルというのは身に付いて満足したんですけど、それと並行して子供も大きくなってきて、地域も変わって行く中で、1人自給自足をやってても仕方ないじゃないかとだんだん思い始めて。
WWOOFホストも去年まで14年間やっていて、移住して来るような需要も増えたんですけど、実際子供が出来たりするとみんな事情が一気に変わって。
学校も無くなりそうな所とか、遠かったりなど、将来の子育てに不安を感じて街に帰って働いた方が良いんじゃないかという選択になりがちなんですよね。
何組かはそういう理由で帰ってしまって、こりゃいかんなと。
もうちょっと不安を与えないで大丈夫なように僕らがサポート出来る力が欲しいということで、今年1月に法人化したんです。
会社っていうのを僕はずっと誤解していたんだけど、意外と良いもので。
会社って共産主義なんですよね。
会社の中は言ってみたら1つの「村」みたいな。
今は会社の中に各セクションの職人を育てていって、行く末は職人集団の会社にして自給自足を目指した会社を作ろうと。
地域を守るためにも力を蓄えなきゃいけないし、自給力のある力だけじゃなく、外貨を稼げる力も必要だし、それを個人でやるより組織でやった方がたくさん生産も出来るし、より技術の高い物を作れるので会社にしました。



なぜ『塩』なんですか?

バイクで九州1周して屋久島まで行った時に、たまたま天草で出会った塩屋さんに塩作りを見せてもらったのがキッカケで。
その時に塩の大切さとかも聞いて。
確かに自給自足を目指しているのに、1番根底でもある大事な塩には気付いてなかったんですよね。
米、野菜、大豆、雑穀とかその辺があれば生きていけると思ってたけど、塩がないと生きていけないんですよ。
空気が無かったら人間は3分で死にますよね。
水と塩、どっちが欠けても1週間もたないんです。
でも食べ物が無くても水と空気と塩があれば1ヶ月は生きれるんですよ。
っていうことは優先順位がどちらが高いかで言えば圧倒的に塩なんですよね。
水は取る事は出来ても作る事は出来ないので、塩は絶対に作らないといけないなと思って。
それで全国周って。
ハイエースにベッド積んで旅しながら良い所がないか海岸線を見て周ったんです。
東北は雪が降るのでその間は農作物も作れないし、塩も作れないので行かなかったんですけど、それ以外の本土は全て周ったけどなかなか良い所が無くて。
僕山口県出身なんですけど、その頃は外ばかり見てて、山口県を全然見てなくて。
たまたま友人が教えてくれたココに来たら「まだこんな残された場所があったのか」と。
後から地図を見て解った事なんですけど、自然が豊かで良い塩を作れる場所は高知と秋田とココしかなかったんです。

海を見てどういう基準で良い塩を作る場所を探すんですか?

まず大事なのは『森』なんですよ。
植林されていない豊かな森があること。
川があること。
閉鎖域があること。
汽水域(きすいいき)っていうのは閉鎖された場所があると「森の栄養」がいっぱい入って美味いんです。
森の栄養がいっぱい来てる所にしか海草って生えないんですよ。
要は、森の栄養が海草とか植物性プランクトンとかも養っているんです。
そして塩の味が1番変わるのは『雨』なんですね。
雨量が多い後には森の栄養が川をつたって流れてくるので、梅雨明けの自然海塩は旨味が強いんですよ。








みんな普通、陸から海を見るじゃないですか。
でも実は『海が陸を養ってる』っていう見方があまり気付かれてないんですよね。
海が蒸発して雨が降り、雨が森から栄養を蓄えて海に持ってくる、そしてこれを遡上(そじょう)する魚達がまた森に返すんです。
海に出て、川に戻る魚達が海のミネラルを森に戻して、森の動物に食べられ循環してたんですけど、残念ながら今は護岸工事などでさえぎってしまって森がだんだんと痩せてきてる傾向に。

塩の賞味期限はあるんですか?

塩っていうのは実は『食品ではない』ので賞味期限はないんです。
塩の管轄は『財務省』なんですよ。
昔から塩は貴重な物で、どこの国でも財務省が管轄してるんです。
歴史が始まって以来、ずっと権力者の隣には塩があるのでどこの国でもまず権力者は塩を抑えるんですよ。
ヨーロッパでも塩を抑えて、抑えようとした事に反発して『フランス革命』は起こってるし、塩の語源から出来てる言葉が『サラリー』ですから。
給料の代わりに塩をあげてたのがサラリーで、塩っていうのは凄く貴重で昔は『金と同等』だったんです。
当時は貴重な塩を運ぶ際に盗賊に襲われてしまうので、盗賊から塩を守る兵士のことを『ソルジャー』と呼んだんです。
そういう風に、塩が由来の語源が今日に来てて、塩は昔から大事にされていて政府は手放さなかったんですね。
1971年に塩業近代化臨時措置法っていうのを国が作って、それまで3000社あった塩屋さんを全部潰して、NaClという『食塩』と言われるイオン交換膜で作った塩以外は製造販売禁止という法律を作って。
それまでは今僕らが作っているような『自然海塩』というのがあったんですけど、それを全部潰して出来たのが工場地帯です。
太平洋ベルトが出来た所は塩田で、塩屋さんが居た所を全部潰して工場に変えて、工業用に必要な塩(NaCl)のみに。
NaClが作れたので最初にイギリスが産業革命を起こせたんですよ。
NaClしか要らないんですよ工業用には。







その法律が出来て、でも解禁になったんですか?

解禁になったのが平成9年ですね。
インドのガンジーが1番大きな仕事をしたのが『塩の大行進』をしたんですよ。
塩を民間でやらせろっていうデモ活動をしたんです。それでガンジーの名が知れ渡ったんですよ。

僕けっこう塩で講演会とか回っていて、塩のこと知られていないので話さないといけないなって。
塩っていうのはどんだけ身体に必要かというのもほとんど知られてないんです。

井上さんが作っているジャンルの塩は何ていうんですか?

『自然海塩』っていうジャンルになるんですけど、公正取引委員会が出来てから今はその用語を使っちゃいけないようになってるんですよね。

自然海塩と食塩を見分ける方法ってないんですか?

自然海塩という表現はダメになったんですけど、裏の表記が義務付けられて『工程』っていうのが入るようになったんですね。
そこに『天日平釜』とか『平釜』って書いてあるのは基本的には自然海塩です。
大手の食塩は『縦釜』とか『真空釜』『イオン交換膜式』などが書いてあります。
もしくはメキシコの塩とかオーストラリアの塩を再製してますって。
それともう1つ大きな違いとして『天地返し』っていうのをしてるかで違うんです。
これは工程とかに記載されていないので塩屋に聞かないと分からない事で。
塩っていうのは、4段階で組成の違う結晶が出来るんです。
1番下に沈むのは『カルシウム』が多い結晶、その次に『ナトリウム』が多い結晶でこれが1番量が多いもので。
その次に『カリウム』、最後に『マグネシウム』が多い組成の塩って4種類が出来るんです。
『岩塩』はそのままが地層になった物で、ナトリウムの層からしか採掘しないんです。
ナトリウムの層以外はしょっぱくないんですよ。
ナトリウムが溶けた瞬間、イオン化してしょっぱい味が出るので。
天地返しっていうのは、この4つを混ぜるという作業のことで、これをしないと『海と同じ組成の塩』にならないんです。
海と同じバランスの組成に戻した物を摂るのが身体には1番良いので。
血液を作るのは塩なので、いくら良い物食べてもベースが良くないと。
全ての命の源は海から始まってるから。





人間の内側は海なんです。
その海を守っていく為に良い水と、良い塩を摂って、常に綺麗な体液を作れたら健康がずっと続くと。
ミネラルが欠乏した状態が、病気が発病する時で、今は毛髪検査でも何のミネラルが足らないとか解る時代なので。

ただ海水と僕たちの体液の中で1つだけ大きく違うのがマグネシウムなんですよ。
海水の方が僕たちの体液と比べて13倍多くなってるんですよ。
マグネシウムって便秘の人がよく使う下剤に使われるんですね。
だから海水を飲むと出てしまうから脱水症状を起こすと。
漂流して海水を飲むと下痢を起こすから、脱水症状で寿命を縮めてしまうので、それを防ぐ方法として3倍に真水と薄めて飲むっていうことをしてたみたいですよ。
なので塩屋っていうのは、海水のバランスに戻してあげるというか、マグネシウム分を抜いてあげるのが塩屋の仕事で、飲めない海水を飲めるようにする、体液に1番違い塩を目指してるのが僕は塩屋として正しいと思ってて。
もともとは環境問題から始まってるので、環境を良くする為に何をしたら1番良いかなって考えたら、僕は自然の中で極力百姓になって何でも自分で作る暮らしを『人に魅せる』ことが1番早いんじゃないかなと。
当時ぼくサラリーマンだったんで、傍らで環境問題言ってもなんか説得力ないなって。
暮らしの中で魅せて、これが答えだよという暮らしをしていくことが1番良いなと。










『百姓庵』のこだわりとは。

大切なのはやっぱり僕は自然だと思っているので、自然を出来るだけ残せるような事に繋がる、要は『自然を護れる事に繋がる』ような事をやっていきたなっていうのがこだわりかもしれないですね。
ただビジネスがやりたいんじゃなく、ビジネスの延長線に、その仕事をやると自然が護れるってことがしたいです。
僕がなんでまた荒れてきた所で農業一生懸命やりたいかって言ったらチャンスだからなんです。
この地域を全部オーガニックにしたいので。









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〜朝露に魅せられて〜下松ノ巻

ベジタブルジャーニー26県目、本州最西端に位置する山口県に入りました!
向かったのは山口県の東南部に位置する『下松市』。
山口県下松市の山間部で「安心して日常的に使える野菜」をモットーに、農薬・肥料を使用しない野菜を育てている『田中野菜』さんにお邪魔してきました。
お話をうかがったのは田中野菜代表『田中 友紀(たなかゆうき)』さん(35)。

ベジタブルジャーニー記念すべき100件目の農家さんですp(^_^)q



もともと東京出身の田中さん。
いずれは田中さんが作る野菜が地方野菜のように【田中野菜】としてお客さんに認知されるよう願いが込められ名付けられた農園名。

東京出身でなぜ山口県で農業を?

大学生の時に語学留学で1年間ニュージーランドに留学してて、向こうの自然が凄く豊かなので大好きになっちゃってニュージーランドで働こうと思ったんですよね。
日本に帰って来てからニュージーランドと1番関係のあるフルーツ商社に入社して、キウイフルーツの取り引きとかをやってたんですけど、このまま転勤になってニュージーランドに住めるなと思ってたんですが、仕事があまりに大変すぎて退社することに。
その後に某携帯会社の派遣社員をやってたんですけど、海外に行きたいなと思いつつ働いていました。
ニュージーランドだと4時くらいに仕事を終えて、その後サマータイムだから21時くらいまで明るいのでサーフィンやったりとか、遊びに行ったり、バーベキューやったり。
「あぁ豊かな人生だな」と思ったんですよね。
そういうのに憧れてたんですけど、前の会社を退社したから目標だったニュージーランドには行けなくなっちゃったのでどうしようか考えてて。
色々と考えた末、自分は自然が好きだったので国立公園のパークレンジャーになろうと思って、オーストラリアの専門学校に入学したんです。
オーストラリアに居た時にホームステイしてた隣の家がドイツ人のオーガニックファーマーで、1年間毎朝アルバイトで手伝ってたんですよね。
そこで収穫する『朝』が凄く好きで。
太陽が登って来て、朝露に濡れた野菜を見て空気が澄んでるし、シーンとした中で収穫していく事に凄い毎日癒されてたんですよ。
「あぁこんな仕事もあるかな」って、そこから農業も悪くないなと思い始めたんですよね。
日本に帰国して当時の彼女(現奥さん)に農家になろうと思うって言ったら「良いね」って言ったので、僕は実家が東京なんですけど彼女が山口だったので、畑ならいくらでもあるからっていう事でこっちに来たっていう感じですね。
やっぱり朝の収穫が大好きなんです^ ^
すんごい静かで、まだみんな動き出してない空気も澄んだ空間を独り占め出来る感じが凄く好きなんですよね。



実際に農家になった今でも同じように感じますか?

同じですね。
やっぱり農家はキツくて、腰痛くなったりめちゃくちゃ忙しくなったりもしますけど、その景色に癒される瞬間がたまにあるんですよ。
そうすると凄い満たされちゃいますね。
あぁ良かったな農家でって。



前にオーガニックファーマーのblogを見てた時に、そこに来てたフランス人のオーガニックファーマーと話してて「オーガニックの魅力は何だろう」って話題になったらしいんですね。
そうしたら『豊かさだ』と。
オーガニックは単に豊かさに尽きる。
もちろん健康とかもあるんでしょうけど、オーガニックの物を食べるという豊かさだったり、作るという豊かだったり。
身体に良いとか、個性的な味がするとか色々言いますけど、やっぱりそれを食べた時に色んな要素を含めて『豊か』に感じれる野菜がオーガニックだったり、自然栽培だったら良いなと思いますね。

田中野菜として、今後はどのようなビジョンを。

まだ自分が何もなかった時に、この下松市の役所の方とか農家の方々が色々と助けてくれたりお世話してもらって今が成り立っているので、いまは耕作放棄地も増えて来てるので少しでもそういう耕作放棄地の解消に役立つような、若い人とかがもっと農業をしてもらえるような農家のモデルになりたいなと思ってます。
けどその為には生活がもっとしっかり出来るようにならなきゃいけないなっていうのは常に意識はしてますね。



農業をやるなら慣行栽培が一般的ですけど、なぜ手間も時間も掛かるオーガニックを?

留学中のホームステイ先で、自分のガーデンを作って何も入れないでルッコラを植えたんです。
そのルッコラが肥料とか入れてたドイツ人の物と味が全然違って、すげーシビれたんですよ「うわー美味い」て。
やっぱコレなんだと思って、自然栽培にしようと思いました。

田中野菜のこだわりとは。

やっぱり『健康な野菜』をお客さんに食べてもらいたいなというのが1番のこだわりですね。
自然栽培って実際腐らなかったりするけど、有機栽培の迫力に負けたりするなと僕は思ってるんですよ。
それが悔しくて、何か悶々と今もしてるんですけど、何がこの野菜の特徴なんだろうってずっと模索しながらやってるんですけど。
最近、隣町の病院でそこは癌患者とかパーキンソンとか抗がん剤治療をしませんって人達が全国から集まってる病院なんですけど、そこの院長先生と波動測定をする人が居てその人が先生とタッグを組んで良い野菜を探しましょうっていう事でうちの畑に来てくれた事があって。
レヨコンプ10っていうドイツの医療機器があって、振動数を測る事でいかに細胞が活性化しているかを測定できるものらしくて。
例えば細胞の振動具合が弱いから病気になりやすいとか、ドイツでは医療として認められてる機械らしいんですけど、その機械を野菜にも応用できるらしくてどれだけ細胞が活性化してるかを調べられるみたいで。
それでうちの野菜を調べてもらったら、全てのミネラルが存在していると言うより『生きたミネラル』がいかに野菜の細胞として入っているかの数値が他の野菜の2倍以上があるって色々調べてくれて、その病院で野菜を使いたいって言ってもらえて。
でもうちそんなに野菜ないから出せないんですけどね。
でもやっぱり何か違うんだなっていうのは思いましたね。
なのでせっかくうちの野菜買ってくれるお客さんには健康になってもらいたいなと思っています。



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〜神と動物〜津和野ノ巻

江津市の次に向かったのは、島根県津和野町にある『おくがの村』という集落。
ここは日本初とも言われる農事組合が地域で法人化されている。
つまり、単独で農をするだけでなく地域として農を支える事で農人の生計も立てやすく、地域の存続にも力を貸せるというところ。





2000年からおくがの村に移住して農的暮らしを営みながら地域に貢献している『たまたま農園』代表の『田中 海太郎(たなかうみたろう)』さん(43)にお話を伺いました。



たまたま農園では旬の野菜を少量多品種生産。
養鶏も並行していて、鶏糞や落ち葉・緑肥などを肥料とする循環型の無農薬有機栽培。



音楽や政治活動にも力を入れていて、おくがの村に移住する前はアメリカに旅へ出たり北朝鮮へ行ったりと、イメージや情報ばかりを鵜呑みにせずに「自らの目」で見たものをリアルとする現実派。



駒澤大学の法学部出身の海太郎さん。
優秀な学歴を持っているのに、集落で農的暮らしをする理由とは。





海太郎さんが農家になった理由とは。

もともとは福岡久留米の出身で、高校までは普通に都会へ出たいって想いばっかりで、「大学行くなら都会に出してやる」と両親に言われたから一生懸命に勉強したらなんとか合格して。
それで東京に行ったんですけど、大学が駒澤っていうとこで北海道と東京のキャンパスがあって、どうせなら北海道のキャンパスに行ってみようかなと。
2年間、自然の中で過ごしてみたら「意外と田舎おもしろいな」と思って、東京帰ってきたら凄い人混みや満員電車とかで嫌になって。
大学時代に何を間違ったのか「哲学」っていう勉強をしてしまったら法哲学の授業があったんですね。
だんだん突き詰めていったらルソーが「自然に還れ」って話を聞いて凄いなと思ったり。
それと同時に大学の時に国際関係論って勉強をしてて、世界の食糧事情を調べたら2025年に必ず食糧危機が来ると。
その当時は「せめて自分だけでも助かろう」かなと思って、田舎暮らしもイイかなと思ったり。
ただ、当時はマスメディア関係で仕事をしたいと思ってたので、大学出て1年間フリーターしながら興味があった政治活動や音楽活動やったり、好きな事をしながら就職活動してたけど、だんだんそういうのが面倒になってきて。
そういえば田舎に行きたいなとか思ったり。
色々な事が混じりあってて、政治活動しているうちに「なんか1人でやってても虚しいな」と。
そう思ってる時にUIターンフェアっていうのがあって、会場に行ってみたら農業を色々体験出来ますよっていうのがあって。
当時2000年頃は、まだほとんど就農したいって人が居なくて、ブース出してるのに対応も凄い厳しくて。
あっちこっち断られまくって、たまたま島根のブースに行ったらうちは大歓迎ですよってことで島根に行こうと。



島根でも2ヶ所興味がある場所があったので早速行ってみようと飛び込んで来て、1ヶ所目には東部の方へ行ったけど、なんか会社的な農業やってたから違うなぁと思って、2件目にココへ来たんですよ。
そしたら、おくがの村っていう法人でやってる所があって今の師匠が代表で。
代表が来るなりビールを勧められて。
とりあえず「今日からおれ」とか言われて、何か変なオッサンだなと。
でも話しているうちに「農業は文化だ」とか「農業は哲学だ」みたいなカッコイイ事言うから、ちょっと面白そうだなと思って。
ちょっと居ようかなと思ってたらずるずる今に至るみたいな感じで。
人に惹かれたってことになるんでしょうね結果的には。







農園名の「たまたま」。

たまたま来たし、振り返ってみると凄い偶然が重なってるんですよね。
この家も来た時にあと2年くらいしたら崩れるって家がたまたま残ってて、誰も入らなければ崩れてただろうって言われてたし。
有機農業もスムーズに入れたキッカケもたまたま俺が来た前の年に某青汁会社が来て、有機でケールを作る人を募集してたり。
補助金制度もたまたま俺が最後の年だったし、なんだか凄い色々な運が重なってたから、それを活用しないわけにはいかないって事と、卵の「たま」を掛けてですね。



たまたま農園のこだわり

有機農業に通じてくるんですけど、一時期「自然栽培」や「自然農」に興味持ったんですけど、そこからナゼ有機栽培に戻ったかに繋がるんです。
これはあくまで自分の中での話ですけど、一方で「神」がいるとして、もう一方で「猿」がいるとする。
人間が真ん中にいるとしたら、自然農ってどちらかというと神に向かってる気がしてて。なるべく何もしないとかね。
有機農業ってどちらかというと糞とか沢山使ったりするから動物に近付いてる気がして。
俺はどっちかというと動物に近付いてる方が好きだなと思ってて。
結局、人間は肉食でもあって、鳥も食べるし猪も魚も獲って食べる。
そういう暮らしをしているから排泄物も出るわけだから。
人間は何かしら環境を汚して生きてるから最低限の汚し方として循環を考えて。
昔、自然農の有名な先生に「自分、自然農やりたいけど鶏飼ってるんですよ」って相談したら「そんなの大丈夫だよ、有機農家は鶏糞欲しがってるからそいつらに売りつければ良いんだよ」って言われた時に凄い違和感を感じてね。
結局、自分達が卵も鶏も食うのならその糞も処理するのが筋だし。
ゴミとして出すんじゃなくそれは土に還さないといかんと思う。
普通に鶏糞をたくさん使うと確かに腐りやすい野菜が出来るけど、上手に使ったら自然農に近い良い野菜が出来るって肥料の先生に言われて。
俺はソコを目指したいなと。
だから、あえて有機農業を堂々と訴えたいなと思ってて。
そのかわり、鶏でも抗生物質をたくさん使ってるエサを食べてる鶏と、うちの鶏は違うから、鶏糞もなるべく自然に近い鶏糞と、落ち葉とか色んな山の恵みを貰って肥料を作ってるから。
そういう発想がこだわりですね。





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〜自然との対話〜江津ノ巻

鳥取県を後にして、、、



向かったのは鳥取県のお隣、島根県。
鳥取県境港市と島根県松江市との間にかかる江島大橋、通称「ベタ踏み坂」を通ってきました。





ベジタブルジャーニー25県目です!
まずは島根の名所でもある「出雲大社」に参拝。











そして日本の製鉄のルーツでもある島根県の奥出雲地方「菅谷たたら山内」へ。
砂鉄と木炭を用いる日本古来の製鉄法をたたらと言い、日本各地にその技法はあるものの、菅谷たたら山内は江戸時代初期にその原型が完成し、日本で唯一現存する生産施設。
国の重要有形民俗文化財に指定されている。





日本刀専用の素材となっている優れた品質を誇っていた「玉鋼(たまはがね)」は、現代の製鉄技術でも再現不可能とされる、たたら製鉄における唯一無二の物。
映画『もののけ姫』の舞台にもなり、たたら場で女性が足場を踏み空気を送り込んでいたシーンは印象的だ。
しかし実際の足場は火の元に近く、非常に重労働とされ男の仕事だったそうで。
6人で1時間毎に交換したとされるこの「番子」さん。
あまりの重労働で、交代を余儀なくされる様から「交代ばんこ」という言葉が生まれたと言います。



次に向かったのは、島根県西部の日本海に面した江津市(ごうつし)。
山陰地方の中で最も人口が少なく、県内で最も面積が狭い市。
お邪魔したのは、自然栽培と一部有機栽培でゴボウ・お米・大豆を三本柱に営農されている『有限会社はんだ』さん。
元は土建業から始まった会社で、2004年から農業部門を設け、2009年には養分供給という概念を持たない「自然栽培」に全圃場を転換。
広大な農地ゆえ、あまりに地力が低い農地に限り、一部有機栽培で営農されている農場です。



お話をうかがったのは、有限会社はんだ代表取締役『反田 孝之(はんだたかゆき)』さん(47)。
学生時代には山に青春を掛け、道無き道を突き進む「藪漕ぎ(やぶこぎ)」に夢中になった20代。
いかに自然と一体になるかで、登山靴ではなく靴下も履かずに便所サンダル。
ザックにはテントを持たず、水ではなくビール20缶と硬い鰹節に寝袋を持っていくトリッキーさ。
そんなオルタナティブな反田さんが選んだゴボウとは。
ベジタブルジャーニー98件目の農家さんです^ ^



農業や農地面積について

真面目に最高だね。
生まれ変わったって何度でも百姓やりたいと思う。
金じゃないからね。
でもうちの場合はある意味、金も考えてる。それはナゼかって数字で出さないと山奥で変な変わり者が変わったことやってる、で終わっちゃうから。
それじゃあ面白くないっていうことで今のような農業を志して実現したんだけどね。
うちは面積もかなり広くやっていまして17町歩を夫婦2人がメインで管理してます。
結局10町歩以上の規模でやらなんだら、変わり者扱いされて終わりなんだよね。
今まで巡られて来た方々は、おそらくそんなに規模は大きくない方が多いと思うんですけど、みなさん地域では変わり者扱いされて勿体ないでしょ?本当に惜しいんですよ。
だから無視出来んぐらいの規模でやれば行政だって無視できないじゃない。

自然栽培を始めたキッカケとは。

2009年から自然栽培に切り替えたのですが、それまでは化学物質っていうのがいかんのだろうと「化学物質拒否農法」みたいなね。
いわゆる今のガイドライン化された有機JAS農法ですよ。
やっていると色々と矛盾が出てきたんです。
化学物質過敏症の人が食えないとか。
化学物質排除してるのに食えないって言われるし。
あと、ゴボウっていうのは2〜3ヶ月保存したら1番美味くなるのにドロドロに腐っちゃうんですよ。
これもおかしいなと。
それから連作出来ないという点。
有機栽培の指導だと、大豆も3年連作して4年目から収量が一気に落ちるから圃場を変えなさいって言われてるんだけど、これだっておかしい。
ゴボウも大豆も観察してると種は真下に落ちるんだよね。
落ちて即芽が出るっていうことは自然の摂理で考えたら連作出来ないっておかしいじゃない?
もし連作出来ないならタンポポみたいに離れた所に種を飛ばす構造になってるか、もしくは種子には休眠期間っていうのが物によってはあるから、しばらくは芽が出ない仕組みになってるとか。
この3つの点がおかしいなと思っている頃に、ナチュラルハーモニーさんが出雲で自然栽培講習会を開催してくれて、それをお客さんがメールで教えてくれたのがキッカケで参加したんです。
そうしたらその3つの疑問が全部ストレートにテーマになってて、まさにズドーンと討ち取られた感じで。
化学物質とか何とかじゃなくて『養分供給するという事』自体が不自然であって、連作が出来ないとか腐るとかは、土が『不自然さを解消する為』の表れだったわけですよ。
腐るっていうのも自然界が0に戻そうとするプラス方向の作用であって、化学物質過敏症の人が食えないのも見方によっては人間への警告でもある。
そういう事があったから自然栽培を始めたわけなんだよね。



一気にやりたくなっちゃって全面積でやり始めちゃって。
そうするとこれだけの広さだから中には育たない畑ってあるわけで、だんだん毎年土に向き合っていくうちに育たない畑っていうのは厳しいなと。
経営が成り立たないんじゃ意味ないですからね。
そういう所は有機肥料を仕方なく使おうと。
ただ、自然栽培をやり始めると有機肥料の使い方も変わってきてね。
あんまりインパクトを与えないように、土に漉き込むんじゃなく、土の上にばら撒くだけとか。
有機栽培でも肥料の量が少なくて済むようになったし、そういうところは自然栽培のおかげかな。



ゴボウを美味しく食べる方法てあります?

よく聞かれるんですけどね。。。
食ってみますか!それが1番手っ取り早いですよ。









右の方はもう廃棄用で、置いてるんだけなんだど、こうやって干からびさせると吊るし柿みたいな味になるんですよ。



ゴボウは有り難いことに、あちこちのシェフにこれ以上ないぐらいの賛辞を頂いとって、先月も5人くらいシェフが東京の方から来られて。
どこかで有名なシェフがうちのゴボウを食べて感動して、ご自身の著書の本を送って来られたりね。
年間15tぐらいしか生産できてないんですけど新規のお客さんにはもう分けられんのですわ。
基本お断りなんですよ、申し訳ないんですけど。
もし良ければ「生」でどうぞ。







めちゃくちゃ甘い、全然生でも食べれますね。なんだこれ。

なんかバカバカ食えそうでしょ?女房も子供産まれた次の日に病院食が物足りないから生のゴボウ持ってきてくれって言うから、キンピラにして持ってこうかて言ったら、生のまま持ってきてくれって(笑)



だいたいこれ食うとシェフ達もビックリするんですよ。

ゴボウは収穫してから置いとくものなんですか?

島根県の公務員さんがある論文を持って来てくれて。
反田さんこんな論文あったよって今でも保存してあるんですけど、ゴボウは収穫後2〜3ヶ月目が1番オリゴ糖が乗って美味しくなるっていう事を研究した学者さんがいて。
『灰汁が糖』に変わるわけですわ。



1つは、ここで育ったから美味しいっていうのと。
それと肥料をやらなきゃ美味しいわけです。
このゴボウが美味い秘密はこの2つですね。
うちも有機肥料使ってた頃は土壌の栄養分を分析して、それに基づいて施肥設計をしてやるというのを一時やったわけですよ。
それをやってる頃は美味いと褒められると自分の施肥設計が間違っていないと、腕の見せ所のような世界があるんですけど、今は違いますよね。
いかにこの素晴らしい土の素地があって、そこに邪魔をせずに育てられるか、そうすればこうやって美味い物になるわけですよ。
そこが今の僕の腕の見せ所であって、いかに要らんことをしないかって。
要らん事ってなんだろうってそればっかり考えてますからね。
僕の中でも考えがシフトしていって。
腕の見せ所なんてないんだ、違う所で力を発揮しなきゃって。
そうするとね、凄く楽になったんだよね。
例えば病気で全滅する時もあるんですよ。
ゴボウは農薬使わないで育て難い代表的な野菜ですから。
病気になっても「土」が前向きに良くしようという1つの通過点なんだと。
そういう事も解って来たんで、仮に病気になっても気持ちはまぁまぁ安らかに。
これでまた良くなったぞと。
という風に考えられるようになったのは自然栽培のおかげかな。
消費者って肥料を与えるとそれが栄養になって、食べて身体に良いって思ってるけど、本当は違うんだよね。



農家になったキッカケとは。

林業やりたかったんだ本当は。
でも人の下で働くってのはきっと僕は向いてないなと。
自分でやりたいと思ったけど、木を植えて30年後に伐採っていっても、その間どうやって生計立てる?みたいな事になるので。
そうなると林業を自分でやるなら林業家の娘を見つけて養子に入るしかないと。
これはダメだなと、林業ダメだ、どうしようで、農業も良いんじゃないかみたいな感じの流れで。

後は学生時代に社会と接し始めて「社会の矛盾」というか。
1番具体的にショックを受けたのが、化粧品会社の社員は自社の化粧品を買わないとかね。
シャンプー会社の社員は自社のシャンプーを買わないとか。
何が入ってるか生々しく知ってるから買えないっていうね。
化粧もわざと肌が荒れるように作られて、荒れるとまた化粧が売れる。
シャンプーも髪が痛むように出来てて、痛むからリンスが売れる。
要するに経済というのは『環境と人間の健康から搾取する事で回っている』と。
でも一方で人間の精神上、幸福感を得るためにも景気っていうのはある程度良い必要があって。
じゃあ経済っていうのが必要で、人間と環境から搾取してる事実があって、ココを上手くバランスとって俺どうやって生きていこうと思った時に、一言でいうなら「正しい農業」をしたいって
思って。
食っていくのに経済行為として何か少しでもマシな正しい農業というのを追求するのも、人生の中でアリなのかなと。
っていうのが農業を志した最後の後押しですかね。
命賭けてやってみようと。

有限会社はんだのこだわりとは。

とにかく1にも2にも、世の中の課題解決のヒントは、自然界にあること。
経営も自然界から学びながらやる、というのが唯一のこだわるところですね。





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〜油〜倉吉ノ巻

北栄町の次に向かったのは、鳥取県の中部に位置する倉吉市。
当市は鳥取県中部の玄関口としての役割もあり、打吹玉川地区をはじめ土蔵が多く、白壁土蔵の街として知られている。

そんな倉吉市にある自家農園産、自然栽培原料低温圧搾生搾りにこだわる油屋『西川農藝』さんにお邪魔してきました。

お話をうかがったのは西川農藝代表『西川 真(にしかわまこと)』さん。
ベジタブルジャーニー97件目の農家さんです^ ^



高校卒業後、東京、大阪、アメリカに留学し、Uターン帰省。 長く外資系ラグジュアリーホテルのレストラン部門や料理学校の新規事業開発などを担当し、「食」の世界に長く関わり、良質の食材を提供するために献身的に取組む人達の世界を垣間見る中で、いつかは自分も手掛けたいとという思いが湧いてきて西川農藝を立ち上げたそうです。

輝かしい業績に思えますが、なぜ農業をやろうと?

「経営者」に成りたいっていうのがありますね。
農業がバリバリやりたかったか?って聞かれたらそこはちょっと疑問符なんですよね。
「加工」がやりたかったんですよ。
加工やるんだったら自分で原料作ればいいじゃんっていう、どっちかと言うと胡麻を作ったから胡麻油作りましたではなくて、胡麻油作りたいから胡麻を作りましょうの逆の流れから来てるんですね。
自分はもう45歳で、帰って来た時点で42か。
いつまでもサラリーマンやっててもなぁと。
変な話、将来の年金制度もどうかと思うし、それなら自分で手に職つけた方がって。
サラリーマンで、60定年でいつリストラされるか分からない生活より、自分の思ってるようにやれて、リスクもあるけどその方が賢いかなと思って。



後は多分アメリカに行ってきたっていうのも凄く、独立して経営したいみたいな意欲に繋がってると思うんです。
結局、日本だと良い企業に入りましたっていうのが勲章じゃないですか。
だけど、ハーバードの学生に言わせれば「そんなつまらない人生」っていうアメリカ人のそういう発想の人達といると、そうだよなと。
どこの組織に属してるかがその人の価値を決めるみたいな日本ってそういう所あるじゃないですか。
僕もね、東京でもトップの良いホテルに働いてたんですよ、だから周りは「西川凄い」て言うんですけど、僕はそこでただ働いてるだけの話で、そこで何か実績を残してるわけでもないので。
なんかそういうのも疑問に思ってね。
属してる組織が凄いからその人が凄いかはまた別の話だし、そりゃある程度は良い組織なんだから選別されてるし業界で見たときに優秀な人材が居る確率は高いと思いますけど、だけど1人1人見ていって個人が優秀かはまた別の話じゃないですか。
自分で農業やってる以上は自分が全てじゃないですか。
そういう挑戦というか。
はっきりとは解らないけど、多分そういったアメリカ人的価値観に触れたのもあるんだろうとは思います。





加工がやりたくてと言う事ですが、なぜ胡麻だったんですか?

胡麻って国産化率が0.1%と言われている業界なんですけど、あまりありきたりの物を作りたくなかった、それも何でって言われちゃうと僕も答えに困るんですけどとにかく帰って農業で何かを作るなら「胡麻だ」と。
最初、油を作りたいからって話ましたけど胡麻を作りたいっていうのもあって、胡麻を何かするとしたら油だなみたいな。
鶏と卵みたいにどっちがどうかは自分でもよく解らないよね。
とにかく胡麻を作りたい、加工もしたい油も作りたいみたいな。





西川農藝のこだわりとは

自然栽培でも例えば食酢は使ってイイとかあるじゃないですか。
そういうのも一切使いたくないなっていうのはありますね。
マルチも使いたくないとかね。
そういう化学合成的な物を畑には入れたくないですね。
自然栽培では一応OKにはなってる物だけども、そういう事はしたくないなってとこはありますね。

今後のビジョンとは?

当然、規模は拡大していきたいし、ここに帰って来て農業やります加工やりますっていう1つはやっぱり地方創生じゃないけども、何か自分に出来ることはないかって考えるんですよね。
だから人も雇用したりとか少しはこの町に貢献できたら良いなと思っています。







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〜人が来たいと思う理由〜北栄ノ巻

鳥取市をあとに向かったのは、鳥取県の中部に位置する北栄町。
北栄町は『名探偵コナン』の原作者の出身地であり、町内には青山の記念館やコナンのオブジェがあるなど「コナンの里」構想での町おこしを行ってきた町。

そんな北栄町で昭和40年から代々続く農家『浜根農園』さんにお邪魔してきました。
浜根農園では平成3年から無農薬・無化学肥料の有機栽培を始め、種がある自然のブドウやイチゴ、ジャンボ落花生、さつまいもなど長いシーズンで収穫体験が出来る、お客さんが実際に畑に足を運ぶ事をメインとした「観光農園」として運営している。

観光農園の前身が焼き芋屋だったこともあり、農園で収穫したさつまいもを石の上で3時間じっくり真心込めて焼いた焼き芋は「甘過ぎず」「濃厚」でねっとりとした味わい深い絶品の焼き芋だ。





ジャンボ落花生も名に恥じないサイズで、食べ応えのある優しい甘みが1度食べると止まらない中毒性の高い味。





農家さんからのレクチャーで落花生の正しい食べ方。
上の方にあるエクボの部分を親指で押してやるとスムーズに殻にヒビが入り、割れやすく、とても食べやすい。









出して戴いたお茶も農園で栽培している「浜茶」。
浜茶は、日本各地の日当たりのよい河原に多く自生する、マメ科の植物「カワラケツメイ」を原料にしていて、古来より「弘法茶」という呼び名で、茎葉を摘んでお茶の代わりとして愛飲されてきた昔ながらのお茶。
マメ科だけあって、呑むとほのかに豆の香ばしいかおりがして非常に飲みやすく、この地域では今でも焙煎して呑む習慣があると言います。
ノンカフェインで利尿作用があり、身体の体脂肪を落とす効果もある。









この地域は日本一の砂丘農業地帯。
3月〜10月まで2日に1時間のペースでスプリンクラーで水を土壌に供給している特殊な地域だ。
土畑とはまた違った作り方の為、自然農法だと砂丘地では難しいとお話を伺ったのは、浜根農園代表『濱根 良保(はまねよしやす)』さんと、息子の『裕介(ゆうすけ)』さん。
ベジタブルジャーニー96件目の農家さんです。



浜根農園の農法

(良保さん)人の身体を第一に考えて、安心、安全をモットーに無農薬、無化学肥料、殺菌剤、殺虫剤、ホルモン剤、化学除草剤を一切使用しない観光農園にしようと思って今も頑張っています。
言うならば浜根農法ですね。
1番良い物を食べて欲しいです。
種も良い作物から採って自家採種しています。
(裕介さん)メインとなるものは自分達で種も採ってます。
(良保さん)良い物を残して悪いのは辞めてく、お客さんの口に合わない物は辞める。良い物を食べて欲しい。
今はわけがわからんです、農家はみんな輸入の化学肥料で。

観光農園の宣伝はどこかでしてるんですか?

(裕介さん)ホームページくらいですね。
後は口コミやイベントで対面販売で少しずつ。
顔見えた商売が本当にしたくて、その方が父親に会いたいわ〜みたいに来てくれるそういう方を増やしたいし、うちのブドウだったりを理解してもらって食べてもらいたいですね。
うちの作り方理解してもらって、食べてもらうって考えると対面で少しずつ知ってもらって「あぁ浜根さんのが良いわ」って言ってもらった方に食べてもらいたいです。
休みなく働いてるから、「ブドウ種がある、嫌だ〜」って言うお客さんとかは心がいたい(苦笑)
休みがほとんど無い分、理解ある人に食べてもらいたい。
ブドウ見に行きましょうか!





ここはブドウの葉などが落ちてフカフカのベッドみたいになってるんです。







コレ巨峰の木なんですけど昭和58年お姉ちゃんが生まれた年に植えたみたいです。









(良保さん)この落花生は16粒からスタートしたんです。
長い年月、大事に大事に可愛く育てて来て今は80a(2400坪)。
もう全てがこだわり。
感動を味わって欲しい。
自分の作った物をお客さんに食べてもらいたい、想いを伝えたい。
いい加減な物はいけんと思う。
良い物ならお客さんは増えると思います。





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〜稼ぎよりも本物を〜鳥取ノ巻

ベジタブルジャーニー24県目の鳥取県に入りました!
鳥取県は西日本有数の豪雪地帯でもあり、全国47都道府県中、面積は7番目に小さく、人口は最も少ない県。
砂丘として日本最大の「鳥取砂丘」は全国でも有名な観光地の1つ。



今回は鳥取県の県庁所在地である鳥取市に向かいました。
鳥取市気高町で、全国でも珍しいらっきょうの不耕起自然栽培をしている『タローズファーム』さんにお邪魔してきました。







タローズファームでは当初、2町歩あったらっきょう畑を現在は身体を壊した事もあり10分の1に縮小。
100%自家採種で、植え付けたらっきょうは耕起も除草も一切せずに収穫するまで自然に育て上げる、まさに「天然」にほど近いらっきょう。
らっきょうの他にも季節に合わせた旬の野菜や放飼の自然養鶏も飼育している。
2013年から「とっとりオーガニックマーケット」運営を開始。
現在は週末のみ作業場をリノベーションし、飲食店としてオーガニックな食べ物も提供している。







お話をうかがったのはタローズファーム代表『田中 正貢(たなかまさつぐ)』さん(50)。
幼少期からお世話になっている近所のオーガニックな稲作農家さんの影響で「食の大切さ」を学び、時には農薬を売る仕事もしていたが様々な職種を重ね、2009年に脱サラして農家へと転身。
ベジタブルジャーニー95件目の農家さんです^ ^



オーガニックにこだわる理由とは?

自分の稼ぎというよりも、世の中の食品がいかに汚染されてるかっていう現状をちょっとずつ勉強して、添加物とか全く知識なかったんですけど想像以上に大変な事になってるなって。
作るんだったら自分もオーガニックを食べたいし、だったらお客さんの口に入る物もそういう物でないといけないなって。
同じ作るならオーガニックですね。
今の農家さんは稼ぎ重視で、食べる人の事はほとんど考えてないんですよね。
F1種を買って、農協の指導で農薬をいつどれだけ撒いてとか、収量がこれくらいだから年間どれだけ上がりがありますよとか。
そこにお客さんの顔は見えてこないじゃないですか。
そういうとこにも疑問を持ったりしたので。



オーガニックってよく言われるのが「野菜」とか「食べる物」なんですけど、「反原発」だとか「音楽」「着てる服」「考え方」
全て共通するものがあるので、食べ物だけにこだわらずライフスタイル全て含めて『オーガニック』なのかな。
無農薬で野菜作ってても家に帰ったらカップラーメン食べたり、コンビニ食が大好きな人って結構いるんですよ。
僕の場合、食べ物は全て徹底してます。
そうじゃないと人から突っ込まれた時に何も言えないじゃないですか。
もちろん自分からはあえて言ったりはしないですけど。
あえて言うと人って反発するので、聞かれたらいくらでも答えますけど、こちらからは押し付けはしないですね。
押し付けてもその人は変わらないので自然に。その為には自分は当然ですね。



なぜ今の栽培方法に?

世の中に有機栽培があるんだっていうのを知ったキッカケは近所のオーガニックでやってる稲作農家さんだったけど、やっぱり自分で色々調べてると「自然農」とか「不耕起栽培」「自然栽培」などがあって。
でも収入に結びつけようと思ったら有機栽培で管理をしっかりして収量を上げて付加価値を付けないとお金儲けは出来ないんです。
でもお金儲けに僕は興味がないので、有機栽培よりもっと『本当に人に良い物』ってなんだろうとなった時に、収量は減るけど雑草の中から見つけるような本当の美味しい物っていうのが『自然栽培』。
だから僕は自然栽培の方がレベルが上だと思っています。
それと、有機栽培で有機JASとか取るとお金が凄い掛かるんですよ。
結局、有機栽培を喰いものにしてる事って世の中にたくさんあるので、そういうのも嫌だったし、自然栽培は定義があって農水省から認められたシールが貼れるわけじゃないけど、人と人との繋がりや信用で買って貰う方がシンプルで無駄のない行為の中になんともいえない安心感と充実感を覚えるんですよね。



鳥取のオーガニック事情とは?

全然根付いてないですよ(笑)
鳥取の人ってやっぱり閉鎖的なのでよっぽど変人じゃない限り無茶しないんですよね。
『煮えたら食わあ』っていうことわざが鳥取県にはあって、お鍋を囲んでて普通は「お腹すいた〜」って箸を出すんですけど、鳥取の人は誰かが箸を出して食べて大丈夫な事が解らないと箸を絶対に出さないという意味。
自分からはやらないっていう気質なんですよ。
まぁそれも1つの特徴で、それはそれで、こうでないといけないって事もないのでイイのかなと(笑)

タローズファームのこだわりとは

『やっぱり嘘をつかない事』ですね。
突っ込まれても詮索されても嘘がなければ問題ないので。
そこには1番気をつけてますね。





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