August 2019  |  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

〜サイハテ〜三角ノ巻

ベジタブルジャーニー30県目の熊本県に入りました!
向かったのは熊本県の中部、宇土半島の先端に位置する『三角町(みすみまち)』。
パーマカルチャーなどの発想をベースにした"楽園デザイン"により持続可能×新しいライフスタイルを描く村。
1万坪という広大な土地で、未来を見据えた新しい暮らし方を表現する『三角エコビレッジ サイハテ』にお邪魔してきました。



ルールやリーダーも無く、合言葉「お好きにどうぞ」のもと、これからの暮らしを模索・実践するコミュニティ。











お話をうかがったのは、三角エコビレッジ発起人でもあり、優しい革命家『工藤 真工(くどうしんく)』さん(42)。
ベジタブルジャーニー113件目です^ ^



熊本っていう所は、有機農業歴40年とかって農家がいっぱいあって。
なんでかって言ったら、この海の向こうに見える水俣(みなまた)っていう所があって4大公害病の『水俣病』が出た町。
あれはチッソっていうところの工業排水で海が汚れてなったんだけど、何の工場だか知ってます?
あれ『化学肥料工場』なんですよ。
農薬とかでもなくて、肥料なんですよね。
それこそ今の原発なんかと一緒で、戦争中その会社は毒ガス兵器とか作ってて。
戦争に負けて、農業第一次産業って言って農協を作って、「日本の農家は全部化学肥料を使え」って。
化学肥料作ってる工業排水で熊本の農家さんなんかは自分の大切な家族を亡くしていって、シンプルに「そんな物使えるかよ」と。
流行りのオーガニックとかじゃなくて、そういう背景が熊本の有機農家にはあるんですよ。

パーマカルチャーについて。

今ココには30人(子供10にん)住んでるんですよ。
みんなパーマカルチャーを習いに来るとノート持って話をメモって、スパイラルガーデンとは?コンパニオンプランツとは?みたいなそんなんばっかりで。
それは違うだろって。
パーマカルチャーって概念ばっかりであんまり実践している所がなくて、ココで実践しようって俺が言い出しっぺなんですけど、このサイハテ村が6年前の2011年11月11日に開村して。
パーマカルチャーっていうとパーマカルチャー技術が頭に浮かんで、サイハテはパーマカルチャーじゃないじゃんって言われるから、俺らも最近言うのはやめて『楽園デザイン』って呼ぶようにしてるんですけど。

村にパーマカルチャーデザイナーが居るんですけど、なかなか何もせんのですよ。
俺も「パーマカルチャーっぽい建物とか作ろうぜ」って思ったけど何もせんで。
6年暮らして俺もやっと解ったのは、少なくとも1年間は『観察』して暮らさないとデザインなんて始められないってこと。
人がどういう動きをして、風向き、天気、虫の感じ、水の流れとか、自然の動きを知って、初めてどこに畑作るでしょって。
そりゃそうなんですよね、無駄に畑を作って、暮らしの動線から離れてたらそれはやっぱり手間に変わるし。
いかに『無駄なく理に叶っているか』って事ですよね。
暮らしを含めて全てをパーマカルチャーって意味で。



生い立ちから現在まで。

育ちは茨城県の水戸で、親父は日本の原子力研究の第一人者で科学者なんですよ。
18歳で上京するまで水戸に居て、そこから東京にデザイン系の専門学校に行って、そこから転々と流れ流れて三重県に居た事もあるし、三重県でカフェやったりとか富山にも居たし。

熊本に来るキッカケとは?

熊本に来る前はまだ結婚する前で、嫁の実家がある富山の古民家で何もせずに暮らしてて。
有名な漁港もあるし、畑もあるし。
魚も余った物を貰えるし、何の問題もなく。
その時も本当、金がなくて嫁に「働け」って怒られたんですよ(笑)
「解った」って、近くのガソリンスタンドに面接に行って、明後日から来てくださいって。
その帰り道に「いや違うだろ」と思って。
その時ちょうど2009年は、ツイッターが日本でだんだん浸透してたから、「これはオモロイ」と思ってツイッターで求人を出したんですよ、誰か俺を雇えって。
そしたら熊本の人が呼んでくれて熊本へ。

その時は自分をどんなプロモーションで売り込んだんですか?

えっとね、その前から順序立てると。
10前の2008年に、資本主義崩壊させる会社っていうのを作ったんですよ。
名前が『弁天(べんてん)』って言うんだけど、それは社長とか社員とかそういう設定も一切なく。
東京の三鷹に天命反転住宅っていうのがあって、アーティストが建てたキチガイみたいな建物で、まん丸い部屋とか、床が全部デコボコだったり、そういう部屋にオフィスを構えて。

社員も会社の方向性も全く白紙で、そこに集まった奴がやりたい事だけやったらどこまで行くんだろうって『社会実験会社』を始めて。

それをやっていったら、だんだん1つの方向性としてアーティストがいっぱい集まって来て。
それから弁天っていうバンドが組まれて。



それはライブをやる日にちと場所は決まってるんだけど、メンバーも曲も何にも決まってない状態でステージに登って、初めましてってとこからみんなを満足させるっていう芸術集団が出来始めて。

それが人気になって日本中でライブに呼ばれるようになって、そんなネットワークの中だから答えは『コミュニティ』だと。

今度は国つくりプロジェクトっていうのを立ち上げたんです。

日本中の土地を抑えて、お金とかルールとかリーダーに囚われないコミュニティを作って。
三重県の山とか、奈良の山とか、土地は貰えたりしてたんだけど、かといってそんな何もない所に人が集まりようがなくて。
そこから、弁天も俺も、それこそ金も生まないし、限界を感じて富山に行ったって感じで。

その頃から極限まで自分の性質を分析してみたら、要は自分のワークポイントっていうのは『人の人生を変える事』なんです。
こんな世界があるんだって提案が超好きで。
っていうのも、俺『漫画家』なんですよ。
子供の頃から漫画描きまくってて。

俺の知ってる中で漫画ってのは、紙と鉛筆があれば最も簡単に世界観を表現できるもので、今はその延長なんすよね。

新人賞取って漫画の連載とかもした事あったけど、なんせ商業誌だといくら作品持って行っても「工藤さんのやりたい事って東洋哲学か何かですか?」って。
まぁ別に東洋とか西洋じゃなくて、人に違う意識を伝えるって言ったら哲学かもしれないですって言ったら、「この業界には鉄則があって漫画家のやりたいことは消費税以下ですよ」って。
当時消費税3%で、漫画家のやりたい事は3%で、あとはアンケートとマーケティングとリサーチの結果をやるものですよって言われて。
それでもうイイやって。
漫画もう描きません。

もちろん超有名な漫画家なら何でも出来るのかもしれないけど、当時の俺にはとてもそんなの考えられなくて。
で、そこにインターネットとSNSが出て来てツイッターが出た時には「貰ったぜ」って。
漫画を描いても出版社通さないで地球の裏側まで1つの絵が届く時代がやっと来たと思って。
そう思った時に「漫画描く必要ねぇじゃん」ってなって。
自分の生き方を発信すれば世界が変わって行くと思って今に至るっていう。

だからこれは俺にとってはある意味『漫画』なんすよね。









でも6年もやると今度は『この生き方』がちょうど時代とマッチングし出して来てて。
最近は行政の視察だとか、企業とかが研修に来たりするんですよ。
昔だったら5カ年計画・10カ年計画だけど、今はもう数ヶ月先ですら全く読めないから全くプランも立てられないらしくて。
昔はこういう生き方ってヒッピーとかカウンターカルチャーだったのが、今はいよいよみんな気付いてるわけですよ「そろそろ次でしょ」って。
AIもあるし、仮想通貨もあるし、幸せを見失いつつあるし、引きこもりも自殺者も多い。
いよいよこのやり方違うでしょってみんな気付いてて。
投資家もビジネスマンも主婦も、大学生とかまでみんな革命に動き出してるというか、次を探し出してて。
今度も東急不動産の重役が数人で来るって言ってましたよ。











サイハテの歴史。

25年ぐらい前に、熊本の知的障害の子供を持った親達20人くらいが、子供達と気兼ねなく遊べて手に職つけられるような場所を作ろうと『自然の里』っていうのを立ち上げたんですよ。
その人達は、行政書士や弁護士、大学教授だったりそれなりの人達の集団で。
それぞれの能力で1つずつ土地を抑えてって1万坪までにして。
こういう家とか木工工房・陶芸の窯とかは全部その人達がちょっとずつ子供達の為に作って。
ただ、そこから20年経ったらその人達も80歳とかで、子供達も大人になって。
ほとんど使われない廃村みたいになってて、そこを俺が見つけて引き継いだわけですよ。
この建物もリフォーム、リノベーションして、ただの柑橘の集荷場だったところが6年間みんながお好きにどうぞで暮らすとまぁこんな事になっていくっていう。



買ったって事ですか?

1000万円で売られてて。
そもそも俺『エコビレッジ』って言葉を知らなくて、ある日おれの嫁が国づくりってやってた時に「真のやりたい事はエコビレッジって言うんじゃないの?」って。
俺は何それダッセーって。
エコなビレッジ?
でもその2秒後にはそれ作ろうって。
国づくりとか、資本主義崩壊って言ったら近寄り難いけど、エコビレッジだったらめちゃくちゃ分かり易いしポップだし、悪い気もしない。
エコビレッジを作ろうって思ったらその2日後くらいにこの土地があるって紹介されて。

見て一発でココだって。
全体上物も含めて1000万円で売られてて、早速次の日買うと、持ち主達に会いに行って。
今もだけど、当時の俺は全財産300円くらいしか無くて、貯金もした事ないし貧乏で。
それで早速その日の夜にホームページでエコビレッジを作ろうって立ち上げて、ツイッターで1000万あればココにエコビレッジ出来るからって毎日呼びかけて。

そうすると噂を聞いた人達が日々見に来るようになって、そしたらちょうど親の遺産が下りたから日本にエコビレッジが出来るなら見たいから俺が買うよっていう人が現れて、買ってくれて。

漫画でしょ?(笑)
でも今思えば、それ以外はあり得なかったかな。
要は行政から金引っ張って来るとか、企業のスポンサー付けるとかは何か違くて。
俺が作りたかったのはエコビレッジじゃなくて「お好きにどうぞ」っていう社会実験場だから、みんなからお金を集めて急にお好きにどうぞなんて言ったらみんな怒るだろうし。
1人の仲間がココを買ってくれたっていうのが漫画みたいな奇跡。
10人で100万づつ出し合っても絶対上手くはいかなかったしね。



サイハテが目指すところとは。

世界平和ですね。
これはサイハテはってよりは言い出しっぺの俺の想い。
サイハテは、世間は、っていうのはどうでもよくて、単純に現行の社会は法律とかお金とかに縛られててっていうところで、1つの雛形と言うか、こういう場所で30人が6年間暮らしていて「悪くないぜ」っていう事実があるから、それがシンプルに広がっていけばイイなって。
極論で言ったら世界がサイハテみたいになればイイなって。
もちろん色んな個性とクオリティがあるだろうけど、『雑多な社会』になればイイなと思うんすよね。
そのイメージがコレでサイハテ曼荼羅って名付けてるけど。
全部が個性的でカオスなんだけど安定した1つのになっている社会。








美土和ホームページ【オンラインストア】

ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

〜学びの場〜鹿児島三ノ段

今回会いに行ったのは鹿児島県の大隅半島で塩作りをしている『天然塩・釜元 黒潮農場』さん。
この日は来週末に控えた鹿児島オーガニックフェスタで使うための竹を伐採する為、鹿児島市の竹林にお邪魔しました。





巨大な竹ブランコを作るワークショップで必要な竹を朝からみなさんで伐採し、会場へ運搬する作業。













お話をうかがったのは天然塩・釜元 黒潮農場代表『高橋 素晴(たかはしすばる)』さん(35)。



新潟県白根市出身。
『NPO法人アースハーバー』代表理事。
小学校6年生の時に新潟県を自転車で1周。
9歳・カヌーで佐渡海峡横断に成功。
14歳・ヨットで単独太平洋横断に成功。
世界最年少記録を樹立。
今から9年前(2008年)に『天然塩窯元・黒潮農場』を立ち上げ塩作りを始める。

生い立ちから塩づくりをするキッカケ。

中学はあまり行かず、高校も行ってなくて、20歳まで新潟に居たので新潟を出ようっていうのと、呼んでくれた人がキッカケになって福岡の大学に進学したのが九州に来たキッカケで。
2年半はIT系のサラリーマンをしたんだけど、もともと仮のつもりで務めていて。
学生の頃から『自然学校』をやろうと思っていたんですね。
自然学校がやりたい事のドンピシャっていう訳でもなかったんだけど、次の時代に繋がる学びの場を創りたいっていうのと、直接的にというよりは包括的に自然と関わる仕事がしたいっていう事の中で自然学校がイメージに近いかなって学生の頃から漠然とあって。
ただ、熊本でサラリーマンをしながら熊本の自然学校系のNPO理事も関わっている中で、自然学校みたいなやりたい事をやって食べていくのは難しいなっていう限界性を感じてやめようって。
それはどういう限界性かっていうと、今は訴訟の時代に入って来ていて野外活動でもそうなんですけど、特に自然体験の世界ではリスクマネジメントのプログラム化をしないと事業として成り立たないんですね。
そこまでリスクマネジメントしたら本末転倒っていうような、やる意味がないんじゃないかっていう。
プログラム化も安定した一定のクオリティを誰がやっても提供できないと事業としては安定しないんだけど、自然を相手にするってそういう事じゃないわけですよね。
均一に出来ないからこそ、そこに楽しみがあり学びがあるのに、プログラム化すればするほどつまらなくなる。
より実践的な学びの場を創りたいっていうのが自然学校業界に片足突っ込んで思った事で、やりたい学びの場を実践しようと思うとやっぱり収益性のジレンマもあるので、いっそ有機的で生産的な活動を軸に、それ自体が学びの場になるような仕事があったらそれがイイなって探す中で『塩づくり』だって思い立って。



それがなぜ塩づくりだったんですか?

1つは海が好き。
わりと根源的なものとか好きなんですよね。
塩って本当に生き物にとって必要なもので、昔から人類は塩を作ったり運んだりしてきたっていう生きていく為に必要なもので、昔からあるカッコ良さもあったし。
後は色々な事をやりたいし、学びの場も創りたいし、自分自身色々な実践もしたいし、色々な所にも行きたいしっていうことで、まず動物(畜産)は無理ですよね。
動けなくなるし。
農的な事はやりたい事と両立しようと思ったらかなり制約されるので。
出来れば時間を空けられる仕事がイイなって。
塩は集中して頑張って夜も起きて薪を入れればその分、短い時間で出来るし、出来上がった塩は腐らないから保存が利く。
まとめて作ってストックしておけば、月に平均100kgくらいしか作っていないので細々ですけどね。

職業について。

『何でも屋さん』って言えば何でも屋さんなんですよね。
お金を稼ぐ手段としては塩と大工がメインなんですけど。
例えばこのオーガニックフェスタなんかはボランティアなんだけど、仕事っていう気持ちの部分はあるし。
地域の事とか、友達の所でする労働などは全て働くという事だけど、お金になってるものもあれば、ならないものもあって、あんまり収入が得られるからこれは仕事でこれはボランティアみたいな考え方に切り分けてはないですね。
なので、そういう意味では全部仕事ですね。
そういう事でいうと『何屋』っていうことでもないですね。



塩へのこだわり。

鹿児島の海は魅力的で、3年前に南大隅町に海水を求めて引っ越して来て。
塩をやるなら綺麗な塩でやりたいってずっと思っていて。
前は南さつまだったんだけど、南さつまの海水が安定しなくなったので移住先をずっと探してる中で、佐多岬の海水は凄く良いんですよ。
魚が凄く豊富で、魚種も多いし。量も多い。
海が多様で豊か。
移り住んでからイノシシ猟も始めたんだけど、山に入るようになったら山も凄く良くて。
美味しい水も至る所から湧いてて。
温泉が無い以外は本当に凄く魅力的な場所ですね。
南大隅って1つの岩盤の塊なんですよね。
屋久島も一緒なんですけど、屋久島の陸続きの島っていう感じで。
表面が風化して真砂土になって、黒潮がドンっとぶつかって結構標高もあって雨もたくさん降るから水は美味しいんですよ。
美味しい水がたくさん湧いているんですけど、温泉だけは掘るのが難しい。
そもそも黒潮って透明度が高いんですよ。
黒潮の海域で濁っているということは、陸の汚れが入ってるってことなんですよね。
だから陸の汚れが入っていない所が良いなっていうことで透明度が高くて、人が少ない山が良くて。
畜産と農業が与える影響は大きいので、そういう所から離れてる場所。
だからと言って、じゃあ海水がちょと濁っていたから塩の味が不味くなるかというと別問題で。
日本海とかもやや内海で、透明度で言えばかなり汚いですよね。
汚れは入ってるけど塩を焚いた時にニガリに汚れが落ちると思われるので、塩自体がそこまで汚れるのかは解らないところなのと、少しくらい汚れが入ってもそれが身体にどれくらい影響するかっていうのも、これだけ世の中が汚染された物だらけなので、塩がちょっと汚れてるくらいなんて事無い話だと思うので、僕が綺麗な海で創りたいっていうのが有効なこだわりなのかは解らないですね。
けど、鹿児島に来て綺麗な海を見て『この海で塩つくりたいな』っていうのが最初のキッカケでスタートなので、そこは大事にしたいなっていうのはありますね。



どういう塩がイイ塩かっていうのが、塩は直接食べる物ではないので、料理や加工に使う『素材を活かせるもの』活かせる塩がイイ塩だと思うんですよね。
じゃあどういう素材に合わせるのかってことで、前は柔らかい塩を作ってたんですけど、最近はちょっと抽象的な言い方なんだけど『強い塩』にシフトして行っていて。
世の中にある野菜も肉も魚も、季節は無いし、肥料をたくさん入れて農薬かけて作るから、形は立派だけど中身がスカスカなんですよね。
滋味がないし、深みがないし、底力がないから、柔らかい塩を使った方が合うんですよ。
でも本当に土が出来てて、旬の味が乗った野菜って、柔らかい塩だとどんどん野菜の旨味が出て来て、結局また塩を足すっていうように底力が全然違うんですよね。
肉もやっぱり短時間の中で、経済効率を重視した大きく育てた肉と、野生の肉って全然底力が違うし。魚も。
そういう『力』がある食材に負けない、『食材の底力を引き出せる塩』。
でもそういう食材が少数派じゃないですか。
だからそういう塩に切り替えることで塩が売れなくなるかもなって思いながら、でもそれでもイイやと思ってやってますね。
やっぱりどういう社会であって欲しいかって事で言えば、そういう社会であってほしいし、そこに合わせた塩を作ろうっていうのがありますよね。





美土和ホームページ【オンラインストア】

ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

〜10万年続くスタンダード〜南さつまノ巻

鹿児島市から次に向かったのは、この旅の根幹とも言える『多様的な生き方』の技術を、包み隠さず発信しているある方に会いに行きました。
鹿児島県薩摩半島西岸に位置する南さつま市。
旧大坂小学校を改装して作った市民工房『ダイナミックラボ』またの名をファブラボ・ダイザカにお邪魔しました。







ファブラボでは木工機械全般、デジファブ機器(レーザーカッターや3Dプリンタなど)、手芸用品、図書室を備え、思ったものを、思った時に作ることができる工房。











運用のためのエネルギーは今後、太陽光発電、雨水、薪、自作した下水へと順次移行する予定。
そして扱う材料は主に間伐材や、廃品、プラスチックゴミなど見捨てられたもの。
幅広い道具を揃え、その運用は地域の循環できるエネルギーで行い、廃品から商品を作る。
ゴミを拾って来てモノを作ればつくるほどお金は地域に集まり、自然環境が良くなるはず、という思想から誕生。









お話をうかがったのはダイナミックラボ代表の『テンダー』さん(34)。
原子炉の設計をしていた父と、ピアノ教師をしていた母の元、神奈川県横浜市で生まれる。
ヨホホ研究所主宰。
一般社団法人その辺のもので生きる代表理事。
火起こしから電子回路まで、先人の技術を引き継ぐ1万年目のこども。
職業はヒッピー。
電気・水道・ガス契約ナシの年間家賃1万円の家、てー庵に家族4人で暮らしている。
南日本新聞にエッセイ連載中。
2015年7月に版元を設立。
「わがや電力〜12歳からとりかかる太陽光発電の入門書」出版。
ウェブ直販でこれまでに7000部を販売。
全国での講演、大学講義、寄稿など多数。
2017年5月、鹿児島県南さつま市金峰町の廃校にて、ファブラボ「ダイナミックラボ」をスタート。
先住民技術から最新のデジタルファブリケーションまで、問題を解決するためのありとあらゆる技術に触れられる場所を目指して創設。
廃材、間伐材などの利用をベースに、日々技術的な引き出しを増やすために勉強中。
ベジタブルジャーニー番外編です^ ^



生い立ちから現在。

横浜出身で22歳の頃ピースボートに乗って、その時2006年なんですけど青森県 六ヶ所村の核廃棄物問題が日本中の政治とか環境問題の大きな意趣になってて。
坂本龍一さんが「ストップ六ヶ所村」って言い始めて、青森県 六ヶ所村に1年住んだのが事の発端って感じですね。
俺とエレキって奴が移住して、1年間原発反対運動とか色んな事を手伝って、札束を頬っぺたではたかれるみたいな時に、どうやったら魂を売らなかったり嫌な事をやらなくて済むのかっていうのが20代の頃の大きなテーマで。

お金からいつでも逸脱できて、得ようと思えばいつでも得られるにはどうしたらイイかっていうのを20代でずっとやってて放浪したり自営業したり。
27歳の時にインディアンの学校へ行って、究極的にお金を持たなくても石器作ったり、自然繊維作ったり、火を起こしたり出来るようになれば1つの人生の到達点だなと思い修行へ行って。
アメリカから帰ってきて、国内でトレーニングする為に横浜から自転車で鹿児島まで来て、その時は轢かれた生き物を食べながら野山に泊まり、ここまで来たって感じですね。
ナイフ一本で山籠りする練習を何回かやった結果、日本の山の生態系が酷く単一になっていたんですよ杉林ばっかりで。
生強い山よりも、里の方が全然多様性があって、そういう所なら簡単なんだけど、本当に深い山に行ってるはずなのに九州だと杉林ばっかりで。
そうすると食べられるのが尺取虫しかなくて。
これは愛する技術で愛するモノを守れないんだなと思って、森林がないのは林業政策だから政治の問題だと思って、政治家さんのスピーチライターとかやるようになって。
それでしばらくやってみて、日本に『民主主義』があると思ってたけど実際には民主主義なんて無くて『メディア主主義』しかないんだと思って。
メディアが流した情報を自分の意見に採用して再生してるだけであって、自分の頭で考えた事を言ってるわけじゃないんだと。
じゃあメディア側に行かなきゃダメだと思って、フジテレビのドキュメンタリー大賞っていう特番で1時間取ってもらって。
で、いま鹿児島新聞に連載貰ってるんですけど、自分がメディア側に行ったらどうなるのかっていうのを1年やってみた結果、『自分の頭で考える人が増えないとしょうがない』ってなり、ファボラボに至るって感じですね。



ファボラボとは。

マーケットにお客さんが1人しかいない。
市場に1人だけで、生産者も1人、消費者も1人。
その1人っていうのは同一人物っていうのがファボラボの市場なんです。
今までは大量生産の物で8割の人が満足する物が生産されていて、必ず満足出来ない人が出てくる。そういう人は常に買い続けるんですよね。
新しいiPhone出て買い続けるみたいな満たされないを繰り返して。
その根底にあるのは『他人が自分を満たしてくれるという幻想』なんですよ。
プロダクトとか他者っていうのが常に自分のベストを知っていて、誰かがいつか何故か満たしてくれるって幻想の上に『人が作った物を買う』っていうルールが存在してるんだけど。
ファボラボっていうのは生産者とユーザーが同じだから自分が1番自分の事を解ってて、自分に必要な物を自分で創る。
それでお終い、生産は1回、別に流通もしないからゴミも出ないっていうのがファボラボ。
それはエッセンシャルな部分なんだけど、一般的には好きな物が作れる場所ってくらいのメッセージ性で運営されてる。
ココの場合は、ゴミを拾って来て物を作れば仕入原価が0円で街からゴミが減り、収益が出来て移住者に雇用が生まれるっていうのをやってて。
今はアルミ缶とプラスチックをどうするかっていうのをテーマにやってます。



講演会などは本の著者として呼ばれるんですか?

いや、もう色々ですよ。
昨日は京都の同志社大学で講演会だったんですけど、それは俺が2冊目に書こうとした本のテーマが『エコロジカルフットプリント』って概念で、例えばここに居る3人に透明なガラスの半球を被せた時に半径3m、何日間生存できると思いますか?

7日間?

水がなくなっても生きられる期間ですよね。
じゃあそれが周囲10kmのカプセルになったらどれくらいだと思いますか?
場合によっては1年ぐらい生きれるかもしれませんよね。
っていう生命が存続できる最低限の面積っていうのがあるわけですよ。
例えばココで10kmって言ったら土が見えるけど、渋谷で10kmって言われても食料生産が出来ないし、CO2を吸収する物がないから、渋谷とココだと全然条件が違っていて。
世界の70億人で地球上の緑地の面積を割った時に1人あたり何ヘクタール使えるかって単位が『エコロジカルフットプリント』。
それはもう待った無しだし、言い訳も成立しない物理的単位なんですよね。
それが物凄く重要な概念だから、それを小さい子でも解るような本を書こうと思って。
世の中には難しい本しかないので、日本の第一人者の方が同志社大学の先生だったから取材しに行ったら「あんた面白いね明日授業やってよ」って3年前にしたのが始まりで毎年呼んでくれてて。
俺が会いに行ってそのまま講演になるパターンもあるし、向こうから依頼が来る場合もあるし。
例えば、電気の話、先住民技術、ファボラボ、社会運動、最近は話し方の技術とかも呼ばれますねプレゼンのやり方とか。



職業ヒッピーについて。

俺が思ってるヒッピーは『義務を放棄』して『責任』で選択する人だと思っているので。
70年代のベトナム戦争の時にアメリカには徴兵制度がある、そして俺はアメリカ人だ、でも徴兵されて戦争に行く為に俺は生まれたわけではないので、然るならば自分はアメリカ人を辞めて、国外に出て徴兵をされない事を選ぶ。
っていうのがヒッピーの始まりだから、『義務』法律がそうだからお前はそうしろじゃなくて、『責任』とは対等さによって自分がされたくないから相手もきっとされたくないだろう、何故なら相手は自分と同じようにモノを感じて考える人間であるから対等であって、相手に嫌な経験をさせない為に自分が先回ってこうしとこうみたいのが『責任』であって、それが考えられるかどうかでヒッピーだと思ってるから、別に髭にロン毛に絞り染めでピースみたいのだけじゃないと思ってるかな。

てっきり自給自足を目指してるのかと勘違いしていましたがそうじゃないんですね。

全く興味ないですね。
自給自足なんて小さな事をしたいわけじゃなくて、言ってみたらそれは自分をどうやって充足させるかの話だし、自給自足って凄い簡単だからクオリティを下げれば良いだけなので。
1日1食を食べるか食べないかにしたら誰だって自給自足出来るし、生産しなくたって出来るわけですよ。
言葉っていうのはある一定の明瞭さを持っていないと目的を達しないと思っていて、自給自足をしたい人の話を聞いてるとだいたい畑やりたいとかそういう話で。
例えば自給自足したいって人に「今から頑張って1日かけて自動販売機周って1000円回収しようぜ」って言うといやぁって。
「じゃあ養豚農家行って出荷しない豚貰ってさばこうぜ」って言うといやぁって。
じゃあ何したいの?って聞くと「畑とか」って。
最初から畑したいって言えよって話なんだけど、俺がやりたいたいって言うか責任があるなと思ってるのは『集団としての生存』であって、自分の生命の存続を一生掛けてやるほど大変なテーマじゃないしもう出来るし。
先住民技術って1万年前から今まで伝承されている地球上で最も持続可能な技術なわけですよ。
誰が何と言おうとそれより続いてる技術は無くて。
例えばここ30年でインターネットが出て来たけど、インターネットが次の30年あるかどうかって誰にも解らないけど、先住民技術は次の1万年耐えうる可能性があるのは推測ができる。
それは1万年存続した強さがあるんですね、本質的な合理性、超長期的に観た合理性があるから存続されるわけであって。
ただ、先住民技術っていうのは物凄く完成度は高いんだけど、その中に『プラスチック』と『核のゴミ』の話が入ってこないんですよ。
無いから。
プラスチックのゴミは今の世代の人達が持続可能な技術に切り替えていったり、運用する哲学を身に付けることによって次の1万年間続くスタンダードを作らないと伝承できないんですよね。
それで今はプラスチックゴミの事をやってるんだけど。
核に関しては10万年存続できる技術じゃないと原発を使うという事のお尻が拭えないので、本当に難しい話だと思うんだけど、俺がやりたいのはそっちで。
自給自足の概念には集団っていう概念が希薄だから。
家の前に100人住んでて100人農家さんが居る時に、自分の人生を農業に向けるかどうかっていうのは凄く意味のある問いだと思うんですよね。
自分が機械設計できるとか、感動する文章を書けるとか、政治的交渉能力が高い時に、農業をやることによってその土地から離れられなくなっちゃう事って、果たしてその集団にとってメリットはあるのか?みたいなのもあると思うし。



真ん中に『個人』があって、個人の暮らしがある。
その周りには常にコミュニティもしくは政治があるんですよ。
その外には自然環境がある。
この3つのレイヤーっていうのは超重要で、ここが理解できてるか出来てないかによって振る舞いが大きく変わるなと思っていて。
これはどんな科学っぽいこと言っても、宗教的なこと言っても絶対にこう。
どんなに科学が発達したって足の下には地面があってマグマがあって、頭の上には空があって大気圏があって宇宙があって。
自然環境下でしか俺たちは生存ができない前提を持っていて、重要なところは常に外側のレイヤーからの制約を受ける。



例えば、自分の暮らしを凄く美しく旦那さんが大工と畑やってて、奥さんは自然染めしてますみたいな『暮らし職人』って俺は呼んでるんだけど、そんな人が居たとして、コミュニティや政治のレベルによって『自家採種禁止法』が出来たりするわけですよ。
これは例でも何でもなく実際そうだから。
例えばニューヨークは自家発電禁止だったかな?みたいに、どんなに個人の思想が高くてスキルや人徳があって能力があっても、上のレイヤーから条例や憲法が出来ちゃえば必ず制限を受けて、それまで30年やってきた事だって一瞬で否定されちゃうっていうシステムの中で俺たちは今生きている。



1,000年続いた王国があったとしたって、そこの下で大地震が起きたら一瞬で壊滅するわけで。
常に上のレイヤーから制約を受けている。
その時に、じゃあ天災には抗えないんじゃないかと思うかもしれないけど、『先住民技術』っていうのは地面と木と水があれば生きていける技術であって、外のレイヤーを『サバイブ』するのが先住民技術なんですよね。
自給自足っていう事をサバイブするのは中の話じゃなくて、自家採種禁止法案を『成立させない』みたいな外のレイヤーにどう関われるかの能力によって中のクオリティが決まるわけですよ。
だから常にこの3つのレイヤーを自由に行き来できる力を持ってないと自分の望む暮らしなんて出来やしないので、内部だけの話が小さい話だなと思うわけです。



俺の目的は、自分が通った道の後に生態系が多様になってるかっていうのと、自分の頭で考える人が増えることだと思っているので。
まぁ後者の方はちょっと今揺らいでるけど。
盲目的に従う方が幸せって人は一定層必ず居るんだなっていうのを理解して。
そういう人にとっては『考えること』を求めること自体が物凄いストレスみたいになっちゃうみたいだし、本当相手によるなと思ってるんだけどね。
基本原則として個人の欲求を追い求めている限り個人の生存は保証されないわけですよ。
自分よりも大きいレイヤーを整える力がないと自分というのは保証されない。
これは人間だけが見える図になってるけど、そこには他の全ての生物種が含まれているんです。
結局俺たちが摂取するのは死骸か排泄物しかないので。
酸素っていうのは木の排泄物だし、アルコールも微生物の排泄物だし。
他の排泄物を食べて生きてるから他の種が居てくれないと存続が出来ないので、自分がやることが生態系の多様性を下げると長期的に見て自分の首を絞めてるだけだから。
思想って本当に何でも言えるから態度だけだなと思ってて。
色んな人が色んな事を言うけど「あんた1人で電力を自給してどうなんだ」とか。
大原則としては『やらないよりやった方が全然イイ』
俺の暮らしが与えてる環境負荷って他の人に比べて100分の1くらいだと思うし、俺は今の家に引っ越して来て5年目だけど、うちの周りの生態系は増えている。
やらないよりやった方がマシだし専門家である必要もなくて、専門家の人よりも『実際やってる小さな態度』の方が生態系は豊かになるんだから簡単な話ですよ。



テンダーさんはそうゆう思想の人が増えた方が良いと考えてますか?

いや、もうそういう段階じゃないと思ってる。
希望を持ったり嫌な事を嫌って言い続けられる段階と、もう現実に対応しなきゃいけない段階があって、俺は現実対応しなきゃいけない段階だと思っていて。
例えば、徴兵制度の賛否の話で、徴兵制に反対だっていう『反対』の気持ちの内訳をみた時に、さっき言ったヒッピーみたいに戦争に行きたくないから反対だって気持ちはもちろん解るし、俺だってそうだけど、実質的には徴兵制度のある国の方が戦争は始めない。
国民が減っちゃうリスクが高過ぎるから。
ベトナムのソンミ村で米軍の虐殺事件があって、それを研究調査した学者さんがいて「平気で嘘をつく人達」っていう本に書いてあるんだけど、その中でなぜ虐殺が起こったかって研究をするんだけど。
その結論が軍部の専門性が高過ぎたって話があるの。
専門集団っていうのは基準が一般から外れちゃって、内部の規律によって善悪が決まってしまいがちだから、それを回避するにはどうしたら良いかっていうのを著者が出した結論が『軍部の専門性を下げること』。
すなわち、徴兵制度をとること。
素人が入る事によって軍が異常行動をするのを妨げてられるって言ってて。
そこまで降りて、そこまで覚悟して自分が沢山の人を虐殺しない覚悟でそこに加わる覚悟を持って、徴兵制度がアリかナシかを論じてるかっていうのは全然違う話だよね。
感情で徴兵制度がアリかナシかじゃなくて。
現実的に俺たちは判断能力が低くて異常行動に走っちゃう種族だから、だからこそ専門家じゃない人が間に入らなきゃいけないんだっていう責任を持ってそこに行くかみたいな話があると思ってて。
同じように、電気・ガス・水道を契約しないとか解決の技術で生きていくんだみたいなのを広報してみんなが理解できるフェーズはもう終わったんだと思ってる。
それよりももっと早いスピードで知性の劣化を促すようなコマーシャリズムが流行ってしまっていて、『本当に簡単なことが考えられない時代』になってきてるから。
とにかく俺は先行事例を作って行くのでやれる人はやってくれたらイイけど、俺がそれを広めるって作業は特にしないと思ってる。
ノアの箱舟は作るけど、客引きはしない。
電気・ガス・水道を契約しない人ってだいたいメディアに出てこないんだけど、そうすると世の中に居ない事になっちゃうから、2017年の日本では契約しないと生きていけないのか普通になるからさ。
だから1人でもやってる人が居れば日本に住んでる人は2017年でも生きていけるっていうのが嘘じゃなくなるので、俺はそっちでイイかなって気はする。



テンダーさんが一般社会からは外れた見識で物事を観るようになったのはナゼですか?

じゃあ何で大半の人は一緒なの?って質問と一緒で、俺はみんなが採用してる方向とは違うだけ。
ガブリエル・ティティアラヒっていうタヒチの長老がいて、その人はずっと裸足で暮らしててピースボートにゲストで乗ってくるんだけど、みんなガビさんに「何で裸足なんですか?」って聞くんだけど、ガビさんは「なんでお前は靴を履いている?」と聞き返すだけ。
もうそれに尽きるというか、何で『みんながやってると正しい』って思えるのって。
俺は100万回誰かが火起こしをしても、その人が『自分の能力で火を起こす体験』に意味があると思ってて。
人は『プロセス』を通して『エッセンス』に到達するんだけど、エッセンスの側からは学べないの。
今の小学校教育ってエッセンスが教えられる、これにはこういう原理があります、こういう歴史がありましたって習うんだけど、プロセストンネルを通らないとエッセンス平原には行けないんだよね。
エッセンス平原にいきなり入っても価値が解らないの。
火起こしっていうのは本当に科学の粋なんですよね。
熱力学とか流体力学とか、摩擦って概念だったり色んなモノの知識が感覚と融合できる素晴らしい教材なんだけど、みんな物が燃える為には酸素と熱と燃える物が必要っていうのは知ってる、だけど目の前で燃えてる火や燻ってる火口を見て何が足りないのか言えない。
それって意味あるの?って俺は思ってて、俺は目の端に焚き火が移っただけで何が足りないか言えるし、それはもう難しくも何ともないっていうかだってそうじゃんみたいな話で。
そういう風に常識のレベルまで降りて来た知識のみが役に立つと思ってて、それを1つずつ自分の中に積み立てていくのみだし、積み立てて来て見つけたエッセンスをどのようなプロセスからエッセンスまでのデザインを人に見せれば、みんながプロセストンネルに入ってくれるかに意味があるの。
エッセンスを再分配してもあんまり意味がなくて。
だからプロセストンネルの入り口をどれだけ美しくできるかとか、解りやすくできるかが勝負どころだと思ってる。





美土和ホームページ【オンラインストア】

ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

〜助けたい〜鹿児島ニノ段

同じ鹿児島市でお邪魔したのは、無農薬有機栽培で一般的には流通していない西洋野菜を中心に「おいしい」や「何これ」な野菜を生産している『MHS.ORGANIC』さん。
お話をうかがったのはMHS.ORGANIC代表『坂本 純崇(さかもとよしたか)』さん(36)。



大阪出身の坂本さん。
20歳まで大阪で服飾の専門学校に通い、半年間バックパッカー経験を経て21歳から仕事で4年弱の間、上海へ。
その後、6年間東京でもデザインからパターン・生産管理・受注までアパレル業界に従事し鹿児島に来る事に。

なぜ服飾から農業に。

鹿児島に来た理由は、東京に居た時に鹿児島出身の友人がでUターンで帰って来てて、独立した時のクライアントが上海進出したいからって呼ばれて来たのがキッカケで。
1度営業で上海に行ったんですけど、その会社が陶器屋さんで有機野菜を仕入れて野菜も売っていこうみたいな事もしてたみたいで、帰ってきてすぐ野菜を売らされたんですよ。
だけど僕がレストランとかに営業をかけて知り合ってく中、会社と揉めてクビになっちゃって。
仲良かったシェフがお前作れよって言われて始めたんですよね。
実は結構その揉めた理由も色々あって(笑)
会社の人の親戚が野菜を作ってて、その親戚が別の人に「この野菜作ってくれたら全部買い取ります」って言ってたんです。
それで後からその親戚の方から言われて作らされてる人とたまたま繋がって、僕が間に入って社長と揉めたんですよね「お前が口出しするな」みたいな。
結局は、最終的に僕がその農家さんと一緒にやるって話になったんです(笑)
それが『MHS.ORGANIC』のMの頭文字の人で。
Sが僕で、Hが奥さんの旧姓の頭文字で3人でやるって話だったんですけど、さぁ始めようって時にMの人が収入が安定してるその時たまたま誘われてる別の所に行く事になって。
その人がビニールハウスとかを持っていて、使ってイイからって事で僕と奥さんと始めたっていう。
だからMさんの畑キッカケでここで始めたって感じですね。



その時農業じゃなく服飾に戻る選択肢は無かったんですか?

なぜか無かったですね。
作らされてた農家さんの物を、本当は会社の親戚が買い取るって話だったんですけど、僕が直接営業かけて全部売ったんですよ。
責任感というか、この人が困ってたというのもキッカケというか。
農業で困ってる人を出来るだけ楽にする事が出来ないものかと、まずは自分でビジネスモデルを作ろうって感じで。





後は3.11の東日本大震災があって、奥さんが食とか医療や政治まで連鎖的に常識を疑うようになって、今のまま生きるのではなくて何かやらないといけない事があると思うって事で色々調べまわって自然農法しようってなったんですよね。
最初は彼女が自然農法やりたくて僕が手伝う形で始めたんですけど、生計的にいきなりは難しいなって事で、少しづつでも自然な栽培に近づけるような形で、今は有機栽培からやっています。



MHS.ORGANICのこだわりとは。

逆にこだわってない事ですかね。
何が良いとか悪いとか決めつけない事。
何事も裏と表はあると思っているのでそこら辺を常に考えながら時代に合わせてお客さんのニーズを考えてやっていくことですかね。





美土和ホームページ【オンラインストア】

ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

〜力の抜き方〜鹿児島ノ巻

霧島市の次に向かったのは、九州の南部に位置するし、鹿児島県の県庁所在地でもある『鹿児島市』。
政治・経済・文化・交通の中心地で古くから薩摩藩、90万石の城下町として栄えてきた街。
日本で最初に市制を施行した31市の1つでもあり、現在は福岡市、北九州市、熊本市に次ぐ九州第4位の人口を擁する都市でもある。



お邪魔したのは、鹿児島市で無農薬・無肥料栽培で西洋野菜を中心に少量多品種生産をしている『Hakusui Farm 有香園』さん。
お話を伺ったのはHakusui Farm 有香園代表『有薗 良紀(ありぞのよしき)』さん(35)。



JT(煙草会社)勤務の父親を持ち転勤族だった有薗家。
3年に1回のペースで引越しを繰り返す学生時代を過ごした有薗さんが、高校生の頃に父親が脱サラ。
水耕栽培の農家に転身。
両親の手伝いをしながら自身も農業の道へと入る。





有薗さんは土壌で、自然栽培をしている理由とは。

最初はしばらく慣行栽培(現代農法)で入ってるんですよ。
農薬を使っていたし、役所に言われるがままに作ってて。
僕すっごい極度のめんどくさがりやで、農薬撒くの「めんどくせぇ」ってなってたんですね。
別に食の為にとかじゃなく、自分に掛かるのも嫌で。
農薬を撒かなかったら作物に病気が発生したり、だんだん手入れもいい加減になって来て草も生やしっぱなしで。
そんな事をしてたら、自分が手を掛けてる時よりも綺麗に出来てるんですよね。
特にアブラナ科って植物は虫に喰われやすいんですけど、一生懸命に農薬掛けて虫取ったりしても喰われるのに、何もしてない草がボーボーの所は綺麗に出来てるんです。
それを見た時に農薬の意味って何なんだろうと。

農薬って水何リットルに対して何グラムと基準があるんですけど、その比率までは人間が食べても大丈夫だけど、それ以上はダメですよっていうその境界線って何だろうって。

境界線ギリギリならどうなるんだろう、そもそもその基準は誰が決めて、その人はそれを食べて試したのか?とか思ってたら農薬を使うって事がアホらしくなって来て。
まず農薬を辞めたんです。
そして慣行栽培から有機栽培に切り替えたんですね。
農薬は使わないんですけど、有機を始めてから今度は見事にバランスを崩すんですよね。
無理をしちゃっている感じになっちゃって。
結局、窒素が増えて植物自体は元気にはなるんですけど、土のミネラルバランスが崩れるのでそれを戻そうとして虫が寄って来たり、植物が病気になってしまったり、菌が増えたり。
それに気付かずに「何で出来ないんだろう」ってなかなか経営が成り立たず。
それで4年くらい前に自然農法っていうのを知って。
その頃ちょうど木村秋則さんをネットで見てて。
僕らってネットから情報を得る機会って多いじゃないですか、情報が溢れて過ぎてるんですよね。
結局、情報を取り過ぎてて自分がどうしたいのかって事がよくわからなくなって来ちゃって。
と思った時に、最初始めた時に農薬使ってたし化成肥料使ってたけど、何もしないで放ったらかしにしていた野菜を思い出して、その状態を作れば良いんだと思って。
めちゃくちゃ怒られたけど、何もしない事じゃないかと。
何もしないで雑草だらけにしてみたら、もちろん上手く行かなかったんですけど、ポツポツ良いのが出来てるんですよ。
その頃はもう自然農法という言葉にも出会っていたので、「やっぱりそういう事か」と思ってそこから切り替えた感じですね。



畑って自然な感じがするけど、人工的じゃないですか。
もともとは山だったわけだし、それを人間が勝手に切り開いて、食料を作る為に開墾しているので、既に自然ではないんですよね。
そこで植物を育てていくのであれば、放ったらかしにするのは違っていて絶対的に手を加えないと植物は育たないし、自然の循環というのを僕らが作り出してあげないといけないという考え方なんですよね。





畑っていうのは『どういう風に使うか』だと思っていて、みなさんフラットに使うじゃないですか。
フラットじゃなくて立体的に使ってあげるっていう事を考えてるんですよね。
例えばメインでパクチーを植える場合、ルッコラを隣に植えるんです。
パクチーって凄く硬くなってしまうのでそれを柔らかくする為にルッコラを植える。
風通しをあえて遮断する。
風が通ると植物は耐えないといけないから硬くなるしかないので、それを無くす為に植える場所も『高低差』を考えて密植する。
パクチーとコンパニオンする事で虫が寄りづらくなる効果も。





幼少時や学生時代。

子供の頃は真面目というか、人の言う事を全て間に受けてしまうタイプで。
僕野球やってたんですけど、監督が言う事をやってたら今度はコーチに怒られて、コーチの言う事をしてたら監督に怒られみたいな全部真面目にやっちゃうタイプで。
みんな子供の頃って真面目に聞かないじゃないですか、親の言う事も聞かないし大人の言う事も聞かない自由奔放で。
僕はそれが良くない事だと思ってたんですね。
周りを見ても自由にやってるのに怒られてないし。
それでだんだん気づいたのは適当で良いんだって事だったんです。
学生時代は引っ越しが多かったので転校するから『人を観る事』が多いんですよ。
転勤すると面白い事に気付いて、自然の中もそうなんですけど、どんな場所に行っても同じようなタイプの人が居るんです。
絶対同じタイプが居て、同じ関係性があるんです。
そういう事に小学校6年生くらいの頃に気付いて。
中学校、沖縄に行ってもそうだったし、沖縄から鹿児島に帰って来てもやっぱり同じで。
高校に行ってもそれがあって。
でも変わったのは大学からですね。
大学になると違うんですよ、大学って自分で選んで行くからか、類は友を呼ぶじゃないですけど同じような人しかいないんですよ。
『フラクタル』って言葉があって、自分が感じてた事を言葉にするとフラクタルって事なんですけど。
ブロッコリーで例えるのが解りやすいんですけど、ブロッコリーって全体の形はツボミですけど1つ取っても同じ形をしてるじゃないですか。
それをフラクタルって言うみたいなんですけど結局、僕らの世界観ってフラクタルでどこへ行っても同じ現象が起きていて、それの集合体だって考え方なんですね。

Hakusui Farm 有香園のこだわりとは。

脱力ですね。
そんなに気張ってこうしないと、あぁしないとじゃなくて、そんな事考えだすと息詰まっちゃうので。
生真面目な僕が不真面目なので適当が良いとは決して言いませんが、そこから見えてくるものってあると思うんですよ。
真面目な人によくあるロジックは大事だけど、そればっかりにとらわれ過ぎちゃってその道しか見えなくなっちゃうじゃないですか。
真っ直ぐな道を進むことは良い事なんだけど、寄り道する事によって色んなものを拾えるかもしれないですよね。
辿り着くのは遅いかもしれないけれど。
その時の状況に合わせて、頑張れる時は頑張れば良いし、頑張れない気分なら頑張らなくて良いし。
脱力な感じで良いんじゃないかなって。





ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

〜余裕と覚悟〜霧島ノ巻

ベジタブルジャーニー29県目の鹿児島県に入りました!
向かったのは鹿児島県の中央部に位置する『霧島市』。
伝統産業である黒酢は、蒸した玄米・米麹・水を壺に仕込み日当たりの良い屋外に並べ、日々壺を揺らしながら半年から3年をかけて発酵・熟成させる昔ながらの方法で製造される。



坂本龍馬が日本最初といわれる新婚旅行で霧島連峰を訪れたことが知られる霧島神宮。



自然と伝統が残る霧島で無肥料・無農薬栽培(自然栽培)の大豆と麦の輪作をしている『マルマメン工房』さんにお邪魔しました。



お話を伺ったのはマルマメン工房代表『増田 泰博(ますだやすひろ)』さん(35)。
生まれも育ちも福岡の増田さん。
仕事も福岡でしていたが26歳の頃に疲弊して旅に出る。
携帯電話も無く、所持金も0で辿り着いた鹿児島県霧島にて宿と仕事を貰い根を張る事に。
ベジタブルジャーニー109件目の農家さんです^ ^



鹿児島に来たキッカケとは。

特に無くて、鹿児島に行ってお金無くなって霧島神宮ってあるんですけど、ココは一回見ときたいなと思って金もなく飯も数日食わずに歩いて行って。
今なら数日食わなくても何でもない事は解ってるけど、その時の状況って全然知識もないし先もないからこのまま死ぬんだろうかとか思ってて。
神宮近くに駅があって一泊した後に市役所に向かって。
身体だけは丈夫だから働き口を紹介してもらおうと。
そしたら社会福祉センターに行くと500円貰えるからそこで何か食べて、230円の電車賃をかけて隣の街に行けるから職業安定所に行ってみたらって感じで言われて。
500円貰ってもたかが知れてるし、職安行っても住むところも無いしって思ってたら、市役所の課長さんが地域の方でその人が旅人を泊めてくれる人を紹介してくれて。
とりあえず食わないといけないし生まれて初めて「助けてください」みたいな心情ですがって。
なかなか言えない言葉ですけど言ってしまえば楽になるっていうか。
それでその人の所で1年間居候する事になって、農作業やNPOのお手伝いをさせてもらう事に。

都会に住む人の感覚だとだいたい所持金0になったら首吊る選択肢を考えますからね。

まぁ霧島神宮に向かったのも死に場所を探すみたいな理由もあって「死ねるかなぁ」って思いながら行ったけど、全然そんな気分になれず。
僕はなんかそのまま朽ち果てるのが嫌だったみたいで。

今こうして農業をする理由とは?

理由はもうココの人達が良くしてくれてて、住む時もそうだったし。
この辺って住んでる人が500人くらいなんですよ、65歳以上が200人くらいなので10年もすれば300人くらいの人口になっちゃうし、そこからまた10年経ったら僕も55歳だけど更に人口が少なくなってると思うので、その頃この辺りの景色がソーラーパネルだらけになってるのも嫌だし何かないかなと考えた結果、農業が1番良いかなって。
ココから下に行くと街になるんですけど、街に働きに行くよりもココに住み続けるなら農家の方が良いかなと。



農業で生計立てるならオーガニックじゃなく、収量も安定した慣行栽培(現代農法)の方が効率的だと思うんですけど。

ココの下が海なんですよ。
この辺は大規模な養豚場が出来たりとか、ゴルフ場が出来るとかで揉める度に漁港の人達が「魚が減る」って。
土が下に流れるんですよね、汚れた水になって海に入って行く。
そんな事を聞くと、ココは上の方の土地なので全部下に流れて行く事を考えると自分善がりに薬を使うのは良くないなと。
あとは、有機栽培も地方に行くと、こだわりが高じて仲が悪いとか、認めてくれないって人も居るので、自分がこんなやり方(自然栽培)で認めて貰えれば他の人も入りやすいですし、自分の住んでる所はせめて守りたいなと思って。







マルマメン工房のこだわりとは。

こだわらない事じゃないですか。
キツキツにしないと言うか、2割くらい力を抜くみたいなのがイイかなと思って。
こっちがベクトル高すぎると相手(自然も人)にもベクトル求めるし、相手も構えてしまうし。
2割くらい力を抜いて生きて行けばイイと思うし、そっちの方が上手く行くのかなと思って。
2割力を抜いてれば2割分ショックも溜まらないし、自然相手だから100%で行くと100%でショックも受け止めるから。
それぐらいの余裕と覚悟は持っておこうかなと。





美土和ホームページ【オンラインストア】

ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

〜価値観をデザイン〜清武ノ巻

綾町の次に向かったのは宮崎市『清武町』。
宮崎県の南東部に位置し、宮崎市のベッドタウンとして発展した町。
お邪魔したのは麦・大豆を無農薬・無肥料の輪作自然栽培で育て、味噌や麦茶などを加工から販売まで手掛けている『ここく』さん。

オンラインショップのほか、各ショップでの販売、また宅配にも力を入れ宮崎市を中心に「みそみそ便」の名で毎月三十日(みそか)に自宅へ直接味噌を宅配し、毎月変わる旬の無農薬野菜もおまけで付けている手厚さ。

お話をうかがったのは、ここく代表『加藤 潤一(かとうじゅんいち)』さん(41)。
ベジタブルジャーニー108件目の農家さんです^ ^



静岡県浜松市出身の加藤さん。
10年以上横浜でWebを中心としたデザイナー業に従事していて、もともと移り住む予定をしていた奥さんの実家がある宮崎県には、3.11東日本大震災の原発事故がきっかけになり1年前倒して2011年に移住。
現在は『百姓』と『デザイナー』の二足のわらじを履きながら食に対する『価値観』や農業を通じ生き方の時間をデザインし続けている。
今年で6回目の開催になった田んぼで行われるコンサート『野良音 NORA-OTO』。
普段田んぼに足を運ぶ機会のない若者にも自然を肌で感じてもらう為に、加藤さんが中心となり入場料無料で開催されている。



デザイン業から農業を始めるキッカケとは。

僕がデザインの仕事をずっとしている中で、何か虚無感みたいなものがずっとあって。
僕の仕事は、大きな企業さんの開発した新商品を雑誌広告とかホームページでキャンペーンする仕事だったんですね。
良い商品もあってやり甲斐を感じるものもあるんですけど、中には「これ本当に必要?」っていうのもあったり。
僕は特にホームページのキャンペーンが多かったので、良いと思っていない商品を良く見せるようにやらなきゃいけない仕事だから、それがなんだか騙してるような感覚もありつつ、期間限定のホームページを作るんですけど。
アクセス数だけの数字でしか評価はないし、期間が終われば消えてなくなるホームページを毎晩徹夜しながら作り続ける事が、本当に社会の為に役に立ってるのか疑問に感じながら『仕事』としてやっていたんですね。



まだ横浜に住んでいた頃、嫁の帰省に合わせて宮崎に帰る時に空港で偶然手に取った文庫本が『スローフード』の本だったんですね。
その頃スローフードの言葉すら知らずになんか面白そうだから読んでみたら、知らない色の世界がいっぱい書かれていて、僕それまで全く食に興味が無かったのでガリが生姜っていう事も知らないし、ガリって何だろうって疑問にも思った事が無くて。
初めて食の世界に色んな問題があって、実は色々と『豊かな考え方』があるって事を知ったら、それまでずっと仕事で感じていた虚しさは『食に対する価値観』で、あまりにも自分に足りていなかった事と、これだけの課題がある食の世界でデザイナーとして自分が何かやれる事があるんじゃないかと思って。
最初は農業やるなんて思ってなくて、自分はホームページとか作れるから食の情報発信をしていこうと思って色々調べていくうちに、色んな食の問題はあるけど根っこの部分は何だろうと考えたら僕は食べ物を選ぶ時の価値観が今4つあると思ったんですよ。
1つは見た目の綺麗さ美しさ。
2つ目は美味しさ。味ですね。
3つ目は身体に良いなどの効能。
4つ目は価格。
この4つでだいたい選んでいるなと思って。
もう1つ大切な5つ目をみんな忘れてしまっていて、それはバックグラウンドに広がっている景色とか物語。
みんな本当はそこを探しているんじゃないかなって。
そこが等閑になってしまっているからこそ色々な問題が出て来てるんじゃないかと思って、自分がそこを伝えながら農業が出来たらイイなというところに辿り着いて。



宅配に力を入れている理由。

よく顔が見える野菜とか、にっこり笑ってる写真を載せるのが多いんですけど、生産者からは一切見えないんですよね。
僕も宅配して玄関先に持って行くと、ちっちゃい子が出てきたり、お子さんが生まれたとか玄関行けばどういう家か解るし。
そういう中で『誰の為に自分が作ってる』かを知りながら畑作業するって凄く精神的にも良くて、やり甲斐もあって。
宅配で繋がってやっていけるのは凄く理想形だなと思って。
僕は『人として付き合っているから』。
お客さんが宅配に行くと色んな物くれるんですよね。
「暑いやろぉ」ってジュースくれたり、お菓子くれたり。
またそれも人それぞれ個性があって面白くて。
中には運転してるのにビールくれたり(笑)
そういう『気持ち』をいつも貰うから、僕も気持ちだなと思って野菜を付けてお出ししてるんです。
野菜がある時はガッサリ持って行ったり、お金の契約はしてるけど、結局は気持ちのやり取りでしかないから、宅配だけで全部賄うのは難しいけど、お金の事を抜きにしたら消費者との関係性は宅配が理想的かな。
間に人が入っちゃうとダメなんです。
直接自分が持って行くのを大事にしたいですね。



ここくのこだわりとは。

3.11の時に僕が思ったのは、スーパーやら買い占めで物が無くなったじゃないですか、あの時凄いショックで自給自足に近い事を考えたんですね。
自分の食べる物は自分で作りたいと思って宮崎に来て、田んぼや畑を借りて味噌汁もご飯も全部自分で作った夕食が出来たんです。
自給自足が出来たって思いたかったんですけどそこに至るまでは物凄い『色んな人』にお世話になってるわけで。
農業員の人に畑を貸してもらったり、地主さんに貸して貰ってるから出来る事だし、お味噌の麹を作るのも別の人に頼んだり、塩だって別の人が作ったものだし。
結局、自給自足って思ってたけどそれは競争社会にある個人主義の成れの果てで、自分さえ良ければの考えで自給自足だったって事に気付いて。
3.11の時に僕に足りなかったのは自分で作れないということではなくて、生産者との『関係性』がお金でしかなかったという事に気づいたんですよね。
自分が今生産者になったので、お金だけの関係性ではなくて、人と人として気持ちをやり取りしあう事をやっていきたいから、個人主義の個の時代って言いますけど、個の時代じゃなくて個と個が濃くなっていくって意味でもあるんですよ『ここく』って。
消費者と、人として個と個がもっと繋がっていくのがこだわりですかね。





ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

〜自然が育てる生きたワイン〜綾二ノ段

宮崎県3件目に向かったのは、同じく綾町。
個人生産者としてブドウの自然栽培から醸造、瓶詰めまで全てを行う、日本初のオーガニッククラフトワインを創る個人ワイナリー『香月ワインズ』 さんにお邪魔してきました。



お話をうかがったのは香月ワインズ代表『香月 克公(かつきよしただ)』さん(43)。
ベジタブルジャーニー107件目の農家さんです^ ^



大学を中退し、働きながら日本を旅した後に、ワーキングホリデーでニュージーランドへ。
そこで出会った醸造家が造ったワインで香月さんの人生が大きく変わる。
ニュージーランド南島のマールボロ地方のワイナリーに10年間勤め、帰らないつもりで永住権まで取得していたが、色々と想う所があり生まれ育った宮崎県に帰国。
地元を盛り上げる事をしたいと、宮崎県の綾町にて今年の7月ワイナリーが完成。
2018年2月下旬に初リリースを予定している。

農家?醸造家?

農家ですよ。
そうなんですよね、人は分けちゃうんですよね農家とワイン造りって。
でもヨーロッパの伝統では、自分達のブドウを育てて、自分達でワインを造るのが普通なので。
当然、規模が大きくなっちゃうと効率化する為に生産者とワイナリーって分かれちゃうけど、僕みたいな少量生産者は全部自分でこなすっていうのが、ヨーロッパに居た時も当たり前だったから。
1年間の中でほとんどが畑なんですよね。



ニュージーランドはワインが盛んな国なので、ワイン好きな人には美味しいワインで知られてるんです。
自分達が造ってたワインも世界に輸出してて、80%はイギリス、ロンドン、アメリカの大きな街にほとんど輸出するような感じです。
外資を獲得するような大きなビジネスになって来たんですよね。
たまたま僕がバックパッカーで行った時にはまだヒットし始めた頃で、世界中から受注が来るから時代の変わり目のところが凄く見えてて。

ニュージーランドは気候的にワイン造りに向いてるんですか?

島国なので日本に似ていて、四季がはっきりとして凄く住みやすいんですけど、唯一違うのは向こうは湿気がないんですよ。
湿気がないカラっとしている所が美味しいワインが出来るという条件。
要するにブドウは雨や湿気に弱いんでね。
高温多湿の宮崎県の環境は結構厳しいところなんです。
そんな中で宮崎に帰る事を決めた時に、どうやってブドウを育てようか?と。
ヨーロッパ産のブドウを育ててもすぐにカビちゃうのが常なので。
だから宮崎県でワイナリーはあるけど、なかなかヨーロッパの品種は難しくて育たないんです。
なので僕は地元のブドウ研究員の人達と、湿気に強いおもしろいブドウがないか探して、ドイツの方からもかき集めて来て。
全然有名なブドウ品種じゃなくて土着の聞いたことないようなブドウ品種を、ヨーロッパの伝統に憧れるんじゃなく『宮崎の高温多湿でよく育つブドウ』ってことで、だいたい30種類のブドウを直輸入したんです。
でも苗木の輸出量っていうのが1年間に1人300本って決まっていて。
ココに1000本植わってるんですけど3年くらいかけて揃えたんですよ。
色々植えて、どれがこの環境に1番よく育つかを今は見極めてるところですね。



土壌的には海外の苗木は日本の土に合わなかったりはしないんですか?

ヨーロッパの土地、質に改良してやるってつまらないなと思って。
結局それは同じ味を作ろうと追いかけてるだけで。
人間が100人いれば100人キャラクターがあるように、ワインもそれでイイんじゃないかなと思って。
その土地のミネラル、栄養分を吸ってその『土地の味』になっていく、そういう事がやりたかったからね。
ちょっとみなさんと違う感覚で、僕は常に人間社会と照らし合わせて物事を進めるんです。
なぜ同じ時期に植えたのに小さいの?とか、人間だって大きな人も居れば小さい人も居るのと同じように、これも個性だから。
赤は赤で一緒にして混醸法(こんじょうほう)って言うんですけど、ヨーロッパの田舎に行くと色んなブドウが植わってて同じ時期に収穫して一緒にワインを仕込むんです。
そういうのは安いワインって印象があって、あまり高級なワインが出来ないっていう概念があって、やる人が少ないんですけど、僕は1つ1つそれぞれに完熟したタイミングを見計らって摘めば、混ぜたところで安いワインになんてありえないなと思っていて。
僕としてはそれが『面白いな』と。
というのも、これも人間社会と照らし合わせると、1人の人が出来る事は限られてるけど、みんなが1つになって協力し合ったらとてつもないエネルギーになって達成する事もあるという概念をワイン造りに込めて。
1種類のブドウキャラクターは表現出来る味は限られてるけど、いろんな品種が1つになれば凄く複雑な味になるんじゃないかと。



自然栽培のきっかけ。

ニュージーランドから帰国を決めて、帰りの飛行機の中でたまたま『奇跡のりんごの木村秋則さん』と『ローマ法王に米を献上した高野誠鮮さん』がタッグを組んだドキュメンタリーが流れてて。
もともとニュージーランドに居た時オーガニックに興味があったから色々そういう所でも研修してたんですけど、100%無農薬っていう所がなくて。
オーガニックって日本でもそうだけど、低農薬でもオーガニックになるんですよ。
基本的には無農薬では商売として成り立たないから、最低限は撒いて良いですよってルールがあるんですよね。
JASとか色んな認証があるんですけど、みなさん完全無農薬だと思ってるけど全くそうじゃなくて。
ワインのオーガニック制度も同じです。
ボルドー液っていうのがあるんですけどそれは最低限使う。
最低限って言っても結構キツイんですよ。
だからそのくらいがブドウの限界なのかなと思ってたら、そのドキュメンタリーで全然撒かないのを見て「出来るんだ」やってみようと。
でもいざ始めたんですがやっぱり始めは大変ですね。
なかなか肥料をやらないんで普通の成長過程よりかなり伸びないし、薬を使わない事で苗木の時に虫が集るし。
でも凄くおもしろくて、苗木も折れたら折れた所から脇芽が出てきて、次に出て来た芽って結構強いんですよ。
硬いやつとかが出てきて、自分の防衛本能が働いてるのかなって思いながら。
そうやって普通の人の2倍掛けて、2〜3年で実が成るのに、5年くらいかかっちゃったんですけどね。
その5年が今年なんです。





こっちは白ワイン用の木なんですけど、見た感じは一緒なんですが生えて来る草の種類が違うんですよ。
こっちの方が力強い草がいつも生えるんですよね。





その中で選抜していくんですけど、弱い物が出てきて育てても将来性がないものをどうしていくか。
引っこ抜いたらまたココまで育てるのに4〜5年掛かるんですよ。
このくらいまで育てないとしっかりと実が成るまで結果が解らないから。
そしたらそのダメなやつの胴体に良いやつのツボミを差し込むんです。
するとドンと枝が出る。
接ぎ木した部分は完熟しえるなかなか強いブドウで。
かなり効率良く強い木に変えていけるからこういうテクニックも使いながら。





ワイナリーも見てみますか。









発酵の時の温度管理はもの凄く重要で。
温度管理する為に冷却水をタンクの隙間に流す事によって管理して、ゆっくり時間を掛けて自然発酵させます。

ニュージーランドでも自然発酵はやってたんですか?

やはり一般的にはやらないですね。
酵母菌もジビエと一緒で家畜よりは天然の方が気が荒いです。
やっぱり野生っていうのは人間の言うことを聞かないものです。
だから適当な温度管理しても言うこと聞いてくれないから、物凄くシビアにやらないと言うことを聞いてくれない。
それをコントロールしないと臭くなってくるんですよね。
一般的にオーガニックナチュールワインとかヨーロッパにある物は臭いイメージがあるんですよ。
それは自然派だから、温度管理をあえてしないからなんです。
自分なりの小さい製造冷却水を調達して、シビアに温度管理をしたら自然発酵だったんですけど全然臭くなかったですよね。
本当、生き物を飼ってるような感覚で、目に見えないので香りを嗅ぎながら判断するんですけど。



ここで味を整えて。
しっかり時間を掛けて、酸と甘味と渋味が綺麗にまとまって一体化してくるんです。
最初って酸とか苦味が物凄く主張してて荒いんですよね。
綺麗にまとまるのに何ヶ月も掛かるので、そうなった時に瓶詰めして。
お客さんに熟成させるのもリスクだから、ベストの1番良い旬の熟成度合いまでじっくり時間を掛けてから瓶詰めして商品化します。
特にうちはフィルターとか機械処理してないから、微生物が生きたまま入ってる『生き物』なんですよね。
一般的には徹底的に殺してから瓶詰めですからね。
酸化防止剤っていうのもそうですよ、あれは殺菌剤でもあるから。

そしてこの温度管理を半年ずっとやります。
置いとくと濁り成分が下に溜まってくるんですね。
オレンジジュースが下にドロドロが溜まるような感じで。
それを1ヶ月に1回のペースで上澄みを取って、下のドロドロは酵母菌の死体だから畑に還して。
上澄みを次のタンクに移して、また時間を掛けて重力で落としていき、次の空いてるタンクに上澄みだけを移していく。
この作業を4〜5回繰り返すと、サラサラのクリアなワインに。
その作業を一般的には機械にかけて3ヶ月くらいで強引に済ましてしまうから必ず味が削げてしまう。
やっぱり自然に時間を掛けた方が本来のそのままの味が残る。
手間は掛かるけど焦らずにゆっくりと。



香月ワインズのこだわりとは。

人間だけの都合じゃなくて、自然と共存しながら全てを回していく事がテーマで。
人間だけが生きてるわけじゃなくて自然と共に。
自分達の体も土があってこそ。
土を作るのは畑の中にいる沢山の命。
人間は勘違いするんだけど、土作りとか自分で作ってる気になるけど、あれは微生物が作ってくれてるし、ワインも一緒で酵母菌が発酵してくれてるんだよね。
俺たちはよい環境を作るために手伝うだけで、人間は人間で出来ること、微生物は微生物で出来ることでみんなが1つになって全てが成り立ってるんだなって。
香月ワインズにとって、何1つ無駄がないそういうバランスの中で作っていくのがテーマ。
そういう事を若い人達にこの仕事を通じながら教えて行きたいなと思って。
宮崎に帰ってきたのも1つそういう理由で。
自分は外国で色々学んだからね。
卒業したら就職活動、世界も観ないままとりあえず就職、みたいな子達がほとんどなので、イカンなと思ってココを拠点に『沢山の人と会えや』って。
基盤を作ってもっともっとみんなに色んな世界を知ってもらいたいなっていうので今活動してる。
人生幸せにならないと意味がないから楽しく生きてるかって。
それには情熱持てるもの見つけて欲しいしね。
若い人達には『旅』しろって。

これからの目標は世界中で仲間になった人達をこっちに仕事として研修生で来てもらって、若者達と交流をまず始めようかなと。
色んな異国の人の考え方も刺激になるし、今後は県と組んだりして研修生の若者を育成する、海外の本番を見せるようなプロジェクトを立ち上げたいなと思ってます。
そこは香月ワインズの大きな目標かな。





美土和ホームページ【オンラインストア】

ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

〜今を生きる〜綾ノ巻

高千穂町の次に向かったのは宮崎県の中西部に位置する『綾町』。
「有機農業の町」「照葉樹林都市」などをスローガンとする町おこしの成功例として知られ、自然の中での人間らしい生活を求める全国各地からの移住者が後を絶たない町。
そんな綾町で自然に寄り添い、自然のリズムで流れに逆らわず農業を営む『いまここ自然農園』さんにお邪魔してきました。
いまここ自然農園ではお米と、冬野菜を少量多品種生産。
畑は不耕起栽培の自然農。
田んぼは自然農法。
ヒノヒカリから品種改良された、にこまるを中心に、古代米(黒米・赤米・緑米)・もち米も栽培。





お話をうかがったのは、いまここ自然農園代表『日高 宗宏(ひだかむねひろ)』さん(46)。



学生を卒業してすぐ百貨店に就職。
21年間勤続し40歳を機に、定年退職してから好きな事をやるか、それとも今やるべきかの選択で『今』を選択した日高さん。
土いじりはおろか、家庭菜園すらもした事がない日高さんがたまたま出会ったのが農業体験での自然農。
どこかで研修をすることもなく、農業塾に通いながら独学で学んだ結果が自然農による畑作と自然農法による稲作だった。

日本では98%の農家が慣行栽培(現在農法)と言われていますが、なぜオーガニックを?

代々農家の友人がハウスでキュウリやピーマンを作っていて「1回遊びにおいでよ」とたまたま遊びに行って見せてもらったんですよ。
色々話をしてるうちに「ちょっと今から薬撒くからハウスに入らないでね」って言われて。
その光景を見て薬を嗅いだ時に「うわぁ、これ出来んなぁ」と思って。
初めて農薬の香りだとか、やってる様を間近に見て「これは違うな」と。
後日また自然農業塾に行った時に「やっぱりコレが合ってるのかなぁ」って。
毎月塾に通う中で、知り合いの方を通して農地を借りれたり、田んぼを借りれたり。
農業塾で学んだ事を自分の圃場で始めたのがスタートなんですね。
何も知らなくて、たまたま出会ったのが自然農で、逆に他のやり方を知らなくてここまで来たんです(6年目)。





自然農から入って、なぜ田んぼは自然農法に?

同じように自然農で田んぼもやってはみたんですよ。
自然農の田んぼって草は凄い生えてくるし、それぞれ手植えなのでこれはもう追いつかないなと。
収量も落ちるんですよね。
1週間で植えて、その後ずーと草刈り入って。
面積広げて行ったらとてもじゃないけど追いつかなくて。
田んぼの栽培は自然農から切り替えて、自然農法にしましたね。

百貨店で働いてる時は定期的に給料が貰えてると思うんですけど、自然相手の農業に転職するに当たって金銭面など将来的な不安などは感じませんでしたか?

そうですねぇ、やりたいと思った時には正直不安はなかったですね。
なんとかなるだろうみたいな(笑)
でもやっぱり日々の充実感というものがサラリーマン時代と比べると全く違いますね。
会社員時代は与えられた仕事というか、自分の意とは別に会社の為にやらなきゃいけないし、色々なルールの中でやっていたのが、今は自分の裁量でやりたい事や時間のデザインまで出来るし。
自然相手だからやっても報われない事もあるけど、収穫出来た時の喜びもあるし、色んな思いが出来るのが農業かなぁと思ってますね。





いまここ自然農園のこだわりとは。

とにかく自分がやりたい事をやりたいようにするって事ですかねぇ。
特にこだわってないって言えばこだわっていないし。
自分がやりたい、作りたいという気持ちに正直にやるような感じですかねぇ。
毎年毎年、環境も変わるし、1つとして同じ事がないので、柔軟に対応しながら『今を生きる』みたいな所に最終的には繋がっていきますね。
会社員時代は常に計画立てて、反省をしてと、先しか見てなかったんですけど今は毎日『日々を見つめる』その時その時を大切に生きるという感じですかね。





美土和ホームページ【オンラインストア】

ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

〜繋がり〜高千穂ノ巻

ベジタブルジャーニー28県目、日照時間・降水量ともに全国で上位の南国情緒豊かな『宮崎県』に入りました。

向かったのは宮崎県『高千穂町』。



五ヶ瀬川の水流に削られて出来た高千穂峡は観光地として有名。





日本神話に出てくる高千穂は神の里とも言われ、多くの神々が登場する舞台にもなっている。
石を積むと願いが叶う言われる天安河原。







天岩戸神社は天照大神(アマテラスオオミカミ)の伝説が残り、古事記・日本書紀に書かれてる天岩戸神話を伝える神社。









雄大な自然が創った高千穂町にて、硝酸体窒素等に配慮し有機肥料を少量使用の無農薬有機栽培をしている『農園皐月』さんにお邪魔してきました。
お話をうかがったのはアウトドア派サーファーでもある農園皐月代表『前田 亮太(まえだりょうた)』さん(30)。



2017年の2月に奥さんの実家がある高千穂町へ移住。
大学院まで工学技術を学び、卒業後は”環境に良い新製品を開発して貢献したい”と自動車関連の会社に入社したが、そこには開発過程で出る大量の廃棄物や過剰性能(オーバースペック)がもたらす多くの製品不良問題など思いとはほど遠い現実があり悶々とした日々を過ごしながら3年間が経ち退職を決断。
既に農業を志そうと考えながらPatagonia創業者のイヴォン・シュイナードの考え方が好きだった前田さんは「農業とは別の仕事だが何か得るものはあるだろう」とアウトドアメーカーPatagoniaで働き始める。
そして2017年4月に農園皐月を立ち上げ独立し、現在に至る。

農園皐月の農法とは。

農法はあえてこだわってないですね。
最終目的が″健康な野菜″なので、深く根を張り、たくさん光合成をする健康な作物に育てる為の『手段』として農法があると思っているので、色んな人、色んな気象条件でやるから農家通りの方法があると思うんですよ。
僕も少量の有機肥料は入れているんですけど、これからは肥料を入れなくなったりだんだん変わって行くかもしれないですね。
肥料は完熟鶏糞を入れてるんですけど、鶏糞がもたらすデメリットな話も、どういう鶏糞をどういう土にどれだけの量をどのタイミングで入れたって所まで明確化された情報がないので、自然の摂理からして鶏糞を土に入れる事に対しては特別おかしい事ではないんじゃないかと思って今は少量を肥料として使っています。





なぜ農業だったんですか?

自動車関連の会社に勤めている時に、新しい環境に良い製品とかも開発していたんですけど、環境に良い事はしてるけど開発時に出るロスがあって、そこに矛盾を感じてしまって。
もともと物作りは好きだったんですけど、爺ちゃん婆ちゃんの家が離島だった事もあり小さい頃から海水浴ってよりは素潜りして貝をとるような遊びをしていて、今でも波乗り(サーフィン)しているんですけど自然が好きで。
環境に優しいものを作っていきたいって思って工業の道に入ったんですけど現実は違っていて、行き着いたのが農業でしたね。

オーガニックとは。

農法もそうですけど、変わって行くっていうのは自然な事ですよね。
一つの事にこだわると言うよりも。
こだわるって意味合い的には執着するというか価値があまりないものに対して執着するという意味合いらしいんですね。
僕『消費は投資』ってblogを書いてたんですけど、スーパーで買い物するにしてもその先の事を考えるとか、オーガニックっていうのも『先を観ていく』というか商品の裏にある根源を探すというか『繋がり』をみてく事だと思っていて。
どんな栽培方法だとしても、その人の顔を知ってて、その人から買うという行為がオーガニックだと思うんですよ。
この人から買いたいなっていう顔の見える関係ってイイと思って、裏にあるものを見に行く事で気付きがいっぱいあると思うのでオーガニックってそういう感じなんじゃないかなって思ってますね。





では農園皐月のこだわり。

あえてこだわらないってとこですかね。
オーガニックって農法も色々あるけど、この人から買いたいなって思えるように『繋がる事』ですね。





美土和ホームページ【オンラインストア】

ベジタブルジャーニー美土和Facebookページ

Instagram



ヒロフミ

JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿

<<back|<12345678>|next>>
pagetop