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〜美味しさの伝統〜阿南ノ巻

ベジタブルジャーニー35県目の徳島県に来ました^ ^
徳島県は、四国全土に点在する 88 か所の霊場を巡る、1,200 km におよぶ『遍路道』の起点になっているところ。





県北部は粟が多く収穫されたことから「粟国」(あわのくに)、県南部は「長国」(ながのくに)が、後に統合され、令制国では阿波国(あわのくに)と呼ばれていた徳島県。
約400年の伝統がある阿波踊りなどの文化は全国的にも有名。

今回伺ったのは徳島県阿南市。
1300年の伝統米と共に米匠の技で、昔ながらの農薬を使わない無農薬米専門にお米作りを行っている『なかがわ野菊の里』さんにお邪魔しました。



他では途絶えてしまった大変貴重なお米の品種を、なかがわ野菊の里だけが栽培し続けています。
1300年以上続く歴史と魂の伝承。
お話をうかがったのは、なかがわ野菊の里代表『新居 義治(にい よしはる)』さん(42)と奥さんの『希予(きよ)』さん(39)。
学生時代、奥さんの希予さんは日本画を学ばれていて、義治さんは工業デザインを。
義治さんは世界中へバックパッカーをしていた経験も。
ベジタブルジャーニー127件目の農家さんです^ ^



農法って聞かれるとどう答えますか?

農法って色んな名前あると思うんですけど、農法で作物を作ってるって位置付けはないんですよ。
だから農法自体は基本、伝統的な農作業をしているから『伝統農法』っていうコメントを言うけど、例えば自然農法があったとして同じ農法でされとって、同じ物が出来てるのかってなると凄く危ういんで、基本的に農業というのは大枠の農法って本当にいるのか?っていう話やと僕は思ってるんです。
田んぼに入れる物としては、基本的に毎年山へ行って落ち葉を取って来て、植物性の腐葉土と動物性の物も入れます。
私達は何代も代を越えてまで続いてお米をお届けしているお客様とかもいらっしゃるんですが、無農薬は基本ベースでやってて結構大変なんですよ。
苦労して、お米作って、やっぱり相手が見えてるからこそ、その苦労に耐えれるところがあるので、お金さえ払うわって言うのは対価は払ってるかもしれないけど、やっぱり苦労の方が辛いので。





偏った(肥料)物が欲しいって言う方はおるかもしれないですけど、自然の中でそんなに偏った圃場っていうのが基本的にないんですよ。
だって動植物両方が居るじゃないですか、だからどちらかだけ除外するっていうのはおかしいって僕は思うので。
鳥の糞でも、抗生物質を与えていない所の糞だったり、こちらが精査した物を使っていますね。



(希予さん) 農業をしていない方が食べ物を選ぶ時に農法に名前を付けたがるんですけど、どこの家の誰が作ったお味噌汁が正しいかって聞くようなもので。
そのお家によって、その田んぼによって田んぼの高低、土の状態、日の当たり具合によってもそれぞれ癖が違って、1反に何を何kg入れるっていう世界ではないわけで。
必要無ければ入れないし、必要だったら入れて元気にさせてあげる。



それはご家庭のお母さんが、お味噌汁で今の時期はお父さんや子供が外でよう動く時期やからちょっと味噌多めにしようかとか、そういう家庭で行われてる事と一緒なんですね。
どこのご家庭の味噌汁が、みなさんが好きかっていうぐらいの話なのでね。

農家になった理由とは?

お爺さん(祖父)と約束してて。
ちょうど癌で調子悪い時、田んぼを教えてくれよった時に「一代飛び越えるけど、わしがアカンようなったらやってくれへんか?」って言うた時に「うん、ええよ」って言っちゃったんだよね。
それから2年ぐらいしたら亡くなって、父親が1人でやるからええよと言いよったんだけども、倒れてしまって。
母親から電話があって帰って来てくれへんかと。
その頃は県外におったから帰ったら田んぼせなアカンし、仕事ないし、絶対田んぼじゃ飯食えんと思ってるから、彼女(希予さん)に相談してみたら「帰ったら?」と。
帰ったら結婚できへんで?「まぁしゃあないよな」って言うんでこっち帰って来て。
農作業知ってるけど、まぁ力入らんよな(笑)



1番単純な物ほど1番難しいってよう知っとったから、帰って来ても2年間くらいはお手伝いをしてた感じで。
けどまぁ歴史的背景とか色々出てきたり、そういう意味合いがあったのかなというのを理解して、それならこのお米を『日本一の物』にしようかと。
ちょうどその頃に阿南市の県の企画で100人くらいの前で演説しゃべらないかんくて、みんなの前で「今は誰も知らんけど、これ(お米)を日本一の物にするから」って言って。
今まで若手で農家になるって人が居なくて1番の若手で1番変わった事してて、無農薬って今は定番化なりつつあるけど、その頃はほんま袋叩きにあうくらい笑われるような職業だったりするから、そんな面白い奴がおるなんてって賞戴いたんですよ(笑)
年数踏んで行く事で、2016年に農水省主催『フードアクションニッポンアワード』で賞を戴いて。





海外に農産品を売って出ましょうと、加工して海外進出しようっていうような賞なんですけど。
そこで、加工もされていない米が単独で賞を獲ったのは初めてで画期的だったんですよ。







農園名の由来とは?

『なかがわ野菊』っていう野菊が自生してるんですよ。
絶滅危惧種に登録されてるような。
なか川っていう暴れん坊の川があって、そこの中流から上の方に自生してて岩場にしがみ付いてるんです。
岩に足(根)を絡めて生えとるんですよ。
葉っぱが3つで、水に流されても抵抗が少ないようになってる、そういう野菊があって。
私達がやってる農業もそういう伝統的ものを引き継いで来てるので。
しかも当時、無農薬っていうものが無くなりつつある時だったので、無農薬自体を、『伝統的な農業自体を守る』っていうそこからネーミングを戴いて、レッドブックに載るような農法を未だにやり続けてるそんな農家があってええんじゃないかと思って。



なかがわ野菊の里のこだわりとは。

美味しい物を作りたいなって思う。
でも美味しい物って結構難しいんですよ。
人によってとか、生い立ち(地域)によって美味しさの定義が違うので。
私達はこういう美味しさが好きですよって作ってるんだけど、一般の方とか農家の方は品種で分けるでしょ。
あれ品種ちゃうんよね。
コシヒカリでも今3つパターン作って提供してるんですよ。
市場に出てるお米よりちょっと美味しくて、それよりちょっと美味しくて、それより上の美味しい物を。
市場より上の3つを作ってて。
始めは普通にコシヒカリとして売ってたんだけど、技術的な面ってわからんじゃないですか。
それを理解してもらいたくて上の物と下の物を作ってあえて販売しているんです。
何が違うんですか?ってよう聞かれるんですけど、味が全然違うと。
子供と一緒で、親は一緒やけど子供って性格ちゃうやん。
お米も環境が違うとまた変わってくるからそこらを変えてるっていう。
だから子供の子育てとよく似ている。
もっと自然を理解して、その流れに基づいてやってったらええのかなって。
今の一般農業スタイルっていうのはホンマに人間の力で自然を押し込んで人間の為に作ってる。それはいかん。
これからは自然のメカニズムを理解しながら、失われた技術を構築し直さないかんと、伝統を復活させないといかん。
それには見えない世界を見ないといけないというのがあって、それを理解して、自然の力、メカニズムだけが入っていくような形で人間は最低限の力を入れていく。
そこから恵まれたお米を戴いてお客様に提供していきたいですね。







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〜作物との関係性〜まんのうノ巻

3ヶ月ぶりに2018年ベジタブルジャーニー出発致しました^ ^
最初に向かったのは34県目、四国の香川県へ。
香川と言えばやはり『うどん』。
香川県民1世帯あたりのうどん(そばも含め)消費金額は12,570円で全国1位。
2位の埼玉県では6,715円と約2倍の金額差。(農林水産省米麦加工食品生産動向2009)



香川県でなぜ『うどん』が消費されるようになったか?

うどんは小麦粉、水、塩から作られています。
香川県は温暖で晴天が多く、四国山地と中国山地に挟まれ盆地とも似た状況にあるため乾いた気流が多く、雨雲が侵入しずらく降水量が少ない地域。
県内に16000を超える無数のため池を設け試行錯誤を繰り返しながら、県面積の18%占める稲作水田が開発されました。
稲作と裏作(二毛作)として小麦等の畑作物も栽培がはじまり、水不足と上手に付き合ってきた結果、小麦の収獲が盛んになり、小麦をより美味しく食べる手段として『うどん』が香川県全域に広まったのが始まりだそうです。

とは言っても現在では海外から安い小麦粉も輸入される時代なので、香川県産の小麦粉を使用するうどん屋も少ないように感じました。

そんなうどんの町、香川県では東京に比べ、オーガニック文化が浸透しておらず、なかなか生産者を見つける事ができませんでした。
まず情報収集をしようと向かったのは、まんのう町にある『さぬき こだわり市』。







オーガニック食材を扱うさぬき こだわり市では、無農薬・有機・減農薬の野菜や果物を専門に、独自の基準で5段階にランク分けされています。



お話をうかがったのは、『さぬき こだわり市』の代表取締役であり、『臼杵農園』代表でもある『臼杵 英樹(うすきひでき)』さん(58)。



情報収集の為に伺ったお店の社長が生産者でもあり、香川県の西讃地区農業士会の会長さんという事で詳しくお話を伺う事に。
※農業士(農家を育成する指導者)

臼杵 英樹さんは1960年、香川県三豊郡高瀬町に代々続く農家の長男(5人兄弟)として生まれ、高校卒業と同時に農業後継者として就農。
それから40年間ずっと農業に従事されてきました。
アレルギーの子供をお持ちのお母さん方と出会い「私達のために安全な野菜を作って欲しい」という声がきっかけとなり無農薬栽培を開始。
ベジタブルジャーニー126件目の農家さんです^ ^

香川県内のオーガニックに対する浸透具合はどうですか?

ん〜 薄いですね。
高松市で自然食品を扱うお店があるんですけど、実質経営的に成り立っているのはそこぐらいで、お店が3つ4つ出来ても成り立っていかないという事はそれだけ認知度が薄いって事やと思うんです。

シンプルに成り立たない経営をするならオーガニックじゃなく、慣行栽培(現代農法)で農地を拡大した方が安定的な収益に繋がると思うのですが。

私達、この辺の中山間農地の方はその競争の中には入っていけないんです。
入っていけない農地は荒らしていくのかってなるとそうじゃないやろと。
山は山なりの良い自然環境があったり水が良かったりと長所もあるので、そこにオーガニック的な栽培をする事で付加価値を付けて、香川県で売れなかったら東京持っていこうやって。
でも東京に同じブロッコリーを持って行った時に、こちらのブロッコリーと市場から来たブロッコリーと、先方から言ったら「どこがどう違うの?」という話になると、やっぱり『味』っていうところにこだわっていかんと。
一般的な野菜ではなく、市場に出ていないような物、これはブロッコリーなんですけどチビッコリーって名前付けたんですけど。



これを東京の新宿にある某百貨店に出してるんです。
大ヒットしていて、魅せ方を変える事で工夫したりしています。
東京の某ホテルの料理長がたまたま香川県の紹介で「臼杵さん、料理長預けるから1日案内してくれないか」という話があって。
農家をずっと周りおったんですけど、園に入って作物を見てたら何も言わなくなるんです。
それでも案内を続けていると、普通は商品でないような物を「コレ臼杵さんええよ」って言うんですよ。
それを考えていたら、それはそれなりに魅せ方を変えたら商品になるんやって思った時にこのヒントになったんです。
商品であるか商品でないかは自分の思い込みだったんだなって。



代々農家家系の方は、わりと自分は農業やりたくないっていう意見が少なくなかったんですが臼杵さんは抵抗なく農業へ?

結婚してからは、これで生計立てるんやっていう風にしか思ってなかったけど、独身の時はカッコ悪いなっていうのはあったよね。
その時代は風潮として農家の長男なら農業をして当たり前っていう家がほとんど無かった。
もうとにかく農業では食っていけないから早よ仕事行けって言うような風潮が周りにあって。
だから僕らの年代の農家って凄く少ないんですよ。
最近になって若い方がだんだん増えてきたけど、僕らの時は農業やりおったら馬鹿にされるような感じ。

なのに何故、農業をやろうと思ったんですか?

もう意地でしょうね(笑)
でもね、土建業のアルバイトとかも色々したけど、結局時空が違うんですよね。
同じ1時間でも農業だったらゆったり流れるっていうのが凄く魅力でね。
まぁそれですかね。

不思議な話があって、サイズが大きいのに糖度がある素晴らしいブドウのピヨーネを作っとる方が前に亡くなったんです。
同じ圃場を息子さんが管理したんですけど、出来るのが同じ物じゃないんですよ。
同じ畑で、同じ木、同じ農法で作っとると言うんですけど違うんです。
だからそこの何かというのが多分、作物に対しての『向き合い方』の何かがあるんだと思う。



農業指導者として臼杵さんは今後、香川県の農業をどういった方向にしたいですか?

僕は無農薬のやり方をしているので、香川県の中でとなると一般的な栽培も当然おるので、それを全部私のような方向に向けるのは難しいと思うけど、とにかく僕は中山間地域を何らかの形で再生していかないと平地の農業が成り立っていかないと思ってて。
山が荒れてるから中山間の農地が鳥獣被害にあうことで、耕作放棄地が増え山になって増えてくると、平地にも被害が出て来るので、中山間地帯が元気になる事が香川県の農業を救う事なのかなと思うんです。



臼杵さんにとって『美味しい野菜』とはどういう野菜ですか?

野菜がその本来の持っている香りであったり、味であったりをいかに引き出すかっていうところですかね。
やっぱり甘い物でも、甘いだけじゃなくてそこに旨味があったり。

臼杵農園のこだわりとは。

自分が美味しいなっていう物を売りたいっていうのがこだわりですね。
美味しくするにはどうしたら良いかっていうところも追求してます。





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〜スープと日本酒〜朝来ノ巻

島根県を後にして、2017年のベジタブルジャーニー最後に向かったのは兵庫県『朝来市』。
農薬・肥料を持ち込まない農法でお米を育て、冬は日本酒蔵で日本酒造りに携わっている『ヨリタ農園』さんにお話を伺いに田治米酒造 さんへお邪魔してきました。





お話をうかがったのはヨリタ農園代表『依田 圭司(よりたけいじ)』さん(41)。
東京都八王子市出身で、父の実家は製菓店を営んでいた。
ベジタブルジャーニー125件目は農業と蔵人の二足の草鞋を履く、農家蔵人さんです^ ^



夏場はヨリタ農園として自分で独立してやっているので、冬はこっち(酒蔵)に完全に移行して、出荷(農業)だけは夜にしているんです。
朝はちょっと早くて蔵は早朝5時から始まって、夕方5時まで。
基本的に休みがないもんで、たまにちょっと午後に休ませてもらって農作業をしたりしてるんですけど、もうこの10年ぐらいはそのサイクルで。
農家として独立したのが5年前ぐらい(2012年)なんですけど、一番最初に酒蔵でお世話になった(2008年)のは鳥取の蔵なんですよ。
鳥取の蔵に1年居て、その蔵にお米を出荷しているオーガニックの農家さんの所でちょっと勉強させてもらって、それから蔵を移って滋賀の蔵へ。
滋賀の蔵に酒米を出荷している農家さんもオーガニックだったんですけど、結構大きめにやってる農家さんで、そこでお世話になりながら、冬場は酒蔵。
そんな、夏は田んぼで冬は蔵、という生活をトータルで5年やったうえで、独立しよう と思って農家的に独立して、で今はこの蔵(田治米酒造)にお世話になってる感じです。

ほんまの当初は酒蔵で働きたくて。
オーガニック素材を最初に志向したというよりも、ある蔵のお酒で特徴的な味わいに出会って、『あ、これおもろいな』と思ったらそのお酒の材料がオーガニックで。
だから農家からじゃなく、お酒の味からこの世界に入って来たんですね。
今は二本柱でやってて、酒米も作ってるし、販売用(飯米)もちょっとなんですけど作っています。

依田さん独自のお酒もあるんですか?

あるんですよ。
これは自然栽培1年目のお米で、初めて天日干しで乾燥してみて(二年目からは機械乾燥)。
夏場に作ったお米を冬にお世話になる蔵でも扱わせてもらってるという。
蔵の仕組みは、杜氏さんっていう統括マネージャーみたいな人がいて、その下で担当が分かれて皆で造るっていう形で、僕も蔵人として杜氏さんの下で酵母とかを培養する仕事をしています。



依田さんの職種とは?

蔵人でもあるし、農家でもあるという。農家蔵人ですね。
蔵人は夏場って基本的に仕事がないもんで。
もともと、この冬は酒蔵、夏は別の仕事というスタイルっていうのは、この辺(但馬地方)で昔から多かった出稼ぎ労働者の人たちの流れを汲んでいて、冬に雪が沢山降る地域では仕事ができなくなるので、山にいる牛飼いだったり、田んぼやってる人とか、そういういろんな技術者が冬に蔵に来て働くという流れが元々あったんですね。
いまは社員として年間雇用して夏は農業、冬は酒蔵っていう会社もあります。

米の農法について。

自然栽培で、一応何も入れてないで、土だけ発酵の方法にもっていきたいという模索をずっとしてて。
昨年ぐらいから緑肥の導入を少し考えつつ、来年から緑肥を作って、土自体の質をもうちょっとあげたいなという方向で今は動いています。
滋賀の時にお世話になっていた農家さんが、米ぬかなどを発酵させたボカシっぽいやつを土にいれるみたいな事をやっていたので、最初は入れようかなって思っていたんですが、ここ(朝来市)に来た時に誘ってくれた子が、たまたま自然栽培をやってて、じゃあやってみようかなぐらいの軽い気持ちで初めてみて、今、現実を見てるって感じですね。
やっぱ収量が下がってくるので土質と農法のせめぎ合いがあって、去年ぐらいからちょっとテストでいろんな事を試してをいて、来年からは緑肥を作ることで、微生物を増やしつつ有機物を還元させて土の環境を整えていくっていう方向に今は考えが移っています。

種について。

自家採取が基本。
100%自家採取なんですけど、酒米に関しては、みなさんおっしゃるんですけどのお米の形質の変化とともにお酒の味わいも変わってくるんですよ。
なので、5〜6年スパンで替えていかないと、例えば造るものがあって求められている味があるのに、それと極端に違うものが出来てしまうと、名前(銘柄)と一致しなくなってくるので。
それでもいいという蔵もあるんですけど、酒米に関しては、あまり味と方向性が変わってくると良くない(品種の特性を大切にしたい)と私は思っているので、来年は更新しようと思っています。



ラーメンスープからフランス料理、日本酒、そして農家になる理由。

生まれは町田。
父親の転勤で八王子に移って、八王子で小中高と行ったあと、大阪の大学に行ってから、大学のjazz研でドラムにはまっていた事もあって。
その頃、たまたま入ったラーメン屋でjazzが流れてて、手仕事でやってるし、ラーメン美味しいしっていうことで働き始めたら、スープを任される様になって。
素材を煮込んで、水と油を乳化させてというのにハマって。
スープって水によっても味わいが変わってくるんですよ。夏と冬では同じ場所の水でも味が違ったり。
夏は豚が痩せるとか、そういうのでも味がちゃうんのか〜面白いなと思って。それで結構ハマって。

そしたら行き詰まる時があって。
スープの事をもうちょっと突き詰めてやりたいなとか思ってた時に、店を出て何かやろうと思ってフランス料理のレストランの方へ。
そうしたら、料理屋さん独特の雰囲気もあって、自分はついていけなかったんです。その時に挫折して、もう一回改めて、自分は何がしたいのかって考えていたら、やっぱりスープが自分としては面白かったなってなって。
私が働いていたラーメン屋さんのスープは、豚骨スープをすごくシンプルに骨と水だけでつくるっていうのがベースで、醤油とか最終的にはかかるんですけど、その時の作り方が3回に分けていたんですよ。
はじめにたくさんの豚の頭の骨と水を大鍋に入れて、それを火にかけて灰汁抜きをして水を抜いて、それから骨を蒸して更に灰汁を取って、骨を柔らかくして。
それから水を張って沸かしてというのを時間を決めて1・2・3とやって。
2時間やったら2時間分濃縮されたやつを採って、また水を入れてというのを3回やって最後に混ぜるっていう形だったんですよね。
『3回』というのが自分の中で面白くて、このことを思い出していた時に、日本酒の本を見てみたら三段仕込みっていうのがあって、3回だったんですよ。
これスープの原点というか、これ日本酒からきてるなぁと思って。
しかも、豚骨みたいに、豚を自分で育てるのはハードルが高くて難しいですけど、お米だったら自分で作って、そのルートから全部見れるなと。
じゃぁ、日本酒は面白いなとなって酒蔵に入ってみたら、ガッとハマッたみたいな。
『3』という数字が今でも僕の中にあって。
蔵人生活を始めた頃、大きな蔵に見学に行くことがあって、その時に同年代の人に、そういうスープがあって3という数字でどうのこうのって言ったら、それはないわ〜って言われたこともあったけど、でもやっぱり3が気になってて。
だからスープと日本酒というのは未だに自分の中では近いんですよ。
どっかで繋がるんじゃないかなって今でも思っていて。
それが自分のお酒つくりに対するモチベーションというか面白さに今でもなっている。
ラーメン屋から離れて、どうやって蔵に入るのか全く解らなかったんですけど、ボラバイトで福井に農家体験に行ったことがあって、そこでお世話になった農家さんに知り合いの蔵があるからそこに行くかって言われて、酒蔵に行きました。その時に初めて蔵の社長と直接、話をする事が出来て、それを取っ掛かりにして輪島の方に行って、蔵を見させてくださいと。
そしたら蔵の社長と話すのが楽しくなってきて、その次は山形の有機農家のところでお世話になって、その近くの山形の酒蔵の社長と話しているうちにお酒つくりは結構おもろいなっていうのがもっともっと湧いてきたというか。
農家体験というのもやっていたんですけど、日本酒という面白い存在があって、そこから農家になろうっていう気持ちになっていきましたね。



飲食生産業界で働く理由とは。

なんでですかね(笑)
たぶん、父の実家がお菓子屋さん(今は廃業しています)だったということに対する憧れだったんでしょうかね。
小っちゃい頃から食べ物にこだわっていたという訳じゃないけど、ヨリタ製菓と書いてあるお菓子を友達に渡すと、「あ、ヨリタ製菓じゃん」ってなるのが嬉しいというのがあって、あの嬉しさというのが、今思えばこの世界に入るきっかけとしては、あるのかなっていうのはおもいますね。

依田さんにとってのお米作りとは?

不思議と舞い込んできた楽しいところ。まだはっきりとした形では見えてこないですけど、なんか楽しい所に来たら結構良くしてくれる人がいっぱい居て、なんか形になっちゃってて。
ある程度、自己満足の世界もあるんだけど、それがちょっとずつ人に伝える喜びってのが湧きはじめてきたっというか。
お米作りは自分の中で、今のすべて みたいな。
将来的にどうなるかわからないけど、今そこにいますよって感じがある。

日本酒とは?

僕は本当に人の縁に恵まれたので、最初に行った鳥取の日本酒蔵の社長さんも未だに声を掛けてくれたりするので、いい人に出会ったっていうきっかけが日本酒だったっていう感じ。
日本酒とは?と言われると、いい人と出会う為に必要だったものっていうか。
それは良かったなと思っています。

蔵では、道具って結構自分で作るんですよ。
手作りの道具は、木を加工して自分達が使い易い様に作るとか。
だから、スタイルとか結構あって、箱一つとっても作り方とかが蔵によって違ったりするのでそれはおもろいですよ。
人の生き方とかそういう感覚が道具とかに落とし込まれてて、つくられた道具を持っているとそういうのを感じるんですよね。
この人、こういうニュアンスでこれを作ったんだなっていうのが。
それは、最初は作ったのが農家だからだと思っていたんです僕は。
だけど、酒蔵に来ていた人の中には農家以外の人でも大工さんとか技術を持ってる人はたくさんいて、その人たちのたくさんの知恵が道具に落とし込められてるっていうのを感じると、結構ワクワクします。「すごいなぁ、なんでこの棒こんな形してるんだろ」とか。この知恵は農家じゃなくてもしかすると漁師さんの知恵なのかなとか結構そういうのを考えると面白いですね。

ヨリタ農園のこだわりとは。

たぶん日本酒を造っている人間がお米つくりにに携わるって何か意味があると思うんですよ。
最初に発酵があるっていう意味で、基本的にお米の自然栽培と自分がやっている日本酒作りって似てる部分もあるから。土壌がちゃんと発酵に向くように土の環境を整えて、その中で酵母や微生物に働いてもらって土を良い状態にもっていって、稲が健康に育ってくるっていう方向は(お米つくりもお酒つくりも)一緒だと思っていて、(酵母を)入れる入れないという違いはあると思うんですけど、基本的には発酵という同じテーマでやってるんで、今はそのテーマというのが色々繋がり始めているんですけどね。
例えばそのテーマの結果が日本酒って形になって、特徴のある味わいが出で来ると嬉しい。
その嬉しさっていうのをなんかまたお米でできないかなっていう還元がうまい事、自分で出来てきたなっていう感触があって。
だから、その発酵っていうテーマをつなげていって、誰かまた体験する人と一緒に、つながっていき続けたいというのがこだわりですね。





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〜水の音で育つ山葵〜鹿足郡ノ巻

福岡県を後にして次に向かったのが、山口県と島根県の県境に位置する、島根県『鹿足郡(かのあしぐん)』。
以前、島根県を探索する中で連絡は取り合っていたのだけどスケジュールの都合で会えなかった『やまたねくらし』さんにリターン編でお邪魔してきました。
トレッキングコースになるほどの山奥で、ひっそりと、力強く広がっていたワサビ谷がそこにはありました。
天然にほど近い野生の『在来ワサビ』が生きる場所。









お話をうかがったのは、やまたねくらし代表『山口 敦央(やまぐちあつてる)』さん(36)。
ベジタブルジャーニー124件目の『山百姓』さんです^ ^



千葉県出身の山口さん。
ボーイスカウト経験もあり、高校時代は山岳部。
大学生の時に環境問題に興味を持ち、環境活動運動家へ。
その後就職するも、自然と触れ合って暮らしたいと『農業』や『地域おこし』に興味が湧き、出会いがあって安曇野へ1年間ホームステイ(農家)することに。
そこで自給的な暮らしへの価値観が定まり、青年海外協力隊に参加。
アフリカで3年間を過ごした後、誰も行ってないような所に行きたくて島根県へ辿り着いた。

ワサビを始めるキッカケ

前は「里山農園山口」っていう名前で少量多品目の農家をやっていました。
2回目の転機と言うか、精神的に行き詰まってしまって、自分でも何でそうなったのかよく解らなかったんだけど、頑張れば頑張るほど頑張れないみたいな感覚になって。
畑が好きだったはずなんだけど、だんだん好きじゃなくなって来ちゃって、1回農園を辞める決心をしたんですね。

辞める1年ぐらい前にワサビに出会って。
ワサビはそういう意味だと逃げ場所だったのかもしれないけど。
ココ(ワサビ谷)に来たらなにも周りの目も気にせずに、本当に自然の中で過ごせるんですよね。
どんなに調子が悪い時でもワサビ谷は受け入れてくれて生きていれたみたいな。
救われたんですよねワサビ谷に。



ワサビには、スリップスという病気が昭和40年代ぐらいから流行っていて、ワサビがどんどん作れなくなってきちゃったんですよ。
そういう問題とか、土砂災害や市場が変わってワサビ自体が売れなくなったり、在来のワサビをみんなが放棄していったんですよね。
そういう中、静岡とか東京の品種で病気に強いものが出て来て、みんなそっちに切り変えてより大きく、より青く、売れる物を選ぶようになってきたんです。
だから島根の純粋な在来種っていうのは本当に絶滅危惧種だと思っていて。

僕はどうしてもピュアな在来種がないかなと思って色んな所に聞いて周ってたんですけど、移住してから5年目くらいにやっと「あるで」っておじいさんに言われて、それやりたいです!って。

住んでいる所から離れていたので、苗を戴いて近所の谷に植えようと考えていたんですけど、おじいさんの谷の話を聞いてたら「そこやらせてください!」ってなってたんですよね。

「在来種しか生やしてなくて他には入れてない谷があるよ」って。
そのワサビは凄く優秀で、大きいし、美味しい、知ってる人はみんな知ってるような所なんだけど、みんな欲しがって苗をあげるんだけど、何故か上手く育たない。
「あのワサビはあの谷でしか生えないんじゃ」って。
それを聞いたら『じゃあその谷を守りたい』ってなったのが始まりですね。
前から野菜もずっと在来種とか固定種を採り続けていたので、その発想の延長だから今やっている事(在来ワサビ)は自分の中でやって来た事の延長だなと思っています。



ワサビって小売りをあんまりしていないんですよね。
一般の人がワサビを買うっていう機会はあんまりないじゃないですか。
でもそれをやらなきゃいけないんじゃないかと思ってて。
高級品だけど、盆暮れ正月・年越しそばとか、そういう時にはちょっとワサビを使ってみようかな、みたいな日本人のカルチャーを復活させようと思ったら、こういう事に『共感』してくれるお客さんを見つけて販売したいなっていうのがありますね。

良いワサビが採れる条件。

僕がお付き合いしてる師匠の話では、本当に良いワサビが採れる所っていうのは、水がバァーって出てる所じゃなくて、パッと見たら水がほとんど無いような所で、『よーく聞いたらコロコロ水の音が下に流れてるのが聞こえるような所』が良い所だっていう事を言うんですね。

この谷はまさにそういう場所。
で、条件が不利なんですよ。
他の場所はもっと水を流せるように工夫したり水量があったりして、機械使ってポンプで洗えるんですね。
こういう所はそういう事が出来ない場所なので、昔ながらのやり方でやらざるおえない。
そういう意味じゃ完全に『人と自然との共同作業』
毎回山を登って下って、全て手作業ですね。



農家をする理由とは。

もともとは自給自足をして、人と自然が調和した生き方がしたいって事ですね。
それをちゃんと成り立たせたら色んな人を誘えて、こういう生き方しようよって提案が出来るんじゃないかっていうのが20代の頃の夢ですよね。
でも自分がやらなくてもどんどんそういう流れになって来てるから、凄い嬉しいなと思って。
みんな同じ流れを感じてるなと思っているので、自分もその流れを加速化させていけば良いかと。

山口さんにとって在来種や種採りとは?

根っこですよね、ルーツ。
自分がベットタウンで育ったので、そういう『根っこ』を求めているみたいですね。
根無し草なりの根っこの求め方というかね。

種採りは、色んな意味合いがあるけど『趣味』ですよね。
結局どんなに追い詰められても種採りだけはやっていたので、半分は意地だし、半分は種として継ぎたいし。
多分みんな同じ想いを持ってると思うんですよね、今そういう種(固定種・在来種)を継ぎたい人って増えてると思ってて。
全部自分でやることって大変じゃないですか、だからやっぱり仕組みにしていくべきだなと思って。
去年から小さい活動なんですけど、タネの図種館 -Shimayama っていうのを始めて。
島山って島根と山口の境だから、何人かの仲間とそういう名前を決めたんですけど、今は種の交換会をしてます。
もう少し充実させていったら農家さんが本気で種採りした物を販売出来る場所作りをしたいですね。
今まではそういう種は遠くじゃないと買えなかったけど、『地元の種が地元で買える』っていう状況作りをしたいんですよね。
素人の人が気軽に種採りして交換し合う交換会と、農家の人がちゃんと発芽率とかを調べたり固定種としてしっかり固定させて保証していくような、販売する種との2層で発展していくような事を考えていて、今はとにかく自分のベースを整えてる段階なので、種採りを続けるって事と、交換会を春先と夏にやるっていうのを続けるっていう感じですね。



やまたねくらしのこだわりとは。

種を継ぐって事ですね。
昔の物とか、昔から繋がってるルーツみたいなものを感じると凄い心が震えるので、それを継ぎたい。
だからこういうワサビとか、野菜でもいくつか地元の在来種と出会う事が出来たので、それを増やしていく。
今、蕎麦を増やしている最中で、蕎麦とワサビをセットで販売できたら蕎麦もワサビも在来種だし最高だなと思って。
10年後にまた来たらやってる事変わってるかもしれないけど、山と種と暮らしに関わる事は絶対やっているだろうなと思って『やまたねくらし』なんですよね。
ワサビなんかブームになって、みんなが在来種のワサビやるぞ!ってなってくれたら全然いつでも引退してもいいんですけどね。
まずは一緒に楽しみながら味わってくれる人たちを増やしていきたいのでワサビ谷トレッキングツアーもやっているんですよ。
過程も見てもらいつつ、ココ(ワサビ谷)でワサビ丼を食べてもらうんです。
価値を解ってくれる人たちを増やしていく事が大事なので、売り方はそこまでこだわっていないですね。
自然と一緒に作業してるっていう感覚とか、ワサビの味とかストーリーを共有できれば良いですね。



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〜地力野菜〜久留米ノ巻

次に向かったのは福岡県の『久留米市』。
巨峰発祥の地である田主丸町(たぬしまるまち)で、種をとる自然農園の『ゆたか農園』さんにお邪魔しました。

人にも環境にも優しい野菜作りをテーマに、農薬・化学肥料・除草剤を使わないだけじゃなく、
黒いビニールマルチを使わない
作物の連作をしない
土の層を壊さない「不耕起栽培」の実践など、様々な農法を取り入れて、各畑で農法が違う栽培法が行われている。
有機の畑に関しても手作りの堆肥・ぼかし肥・鶏糞(有機)を使用。
現在はほとんどが植物性の肥料に切り替わっきていて、使用しても出来るだけ少量で自然に近い形を意識している。
畑には海外の野菜が中心に様々な野菜が混植されていて、一見どこに何が植わっているか判らない野菜ジャングルのような畑姿。







お話をうかがったのは、ゆたか農園代表『石井 豊勝(いしいとよかつ)』さん(39)。
田主丸町で生まれ育った石井さん。
家は祖父の代から花や苗木をやっている農家で、石井さんが高校受験の数日前に父がハウスの中で消毒している最中に倒れ還らぬ人に。
その後、農学部を卒業し、一旦は異業種に就職し7年間勤めた後、田主丸町で帰農する。
現在はJA青年部部長も務め、野菜ソムリエでもある石井さん。

ベジタブルジャーニー123件目の農家さんです^ ^



なぜジャングルのような畑に?

父が農薬で消毒している時に畑で倒れているって事もあるので、どうしても心の中に農薬に対する拒否反応があって。
色んな作物を植えている(ジャングルな)のは元々コンパニオンプランツを就農する前から見ていたし、農薬を使わない方法としてですね。

出来るだけ別の作物を混植することによって、セロリなんかも味が変わってくるんですよね。
セロリとニンジンは無農薬で育てると味が劇的に変わると思いました。
でも残念なのは、味は良いけど理想的な形にはならないですね。
福岡県の農業大学校ってところがあって、そこで社会人からの就農コースがあって1年間行ってたんですけど、最初にやらせてもらったのがセロリだったんですね。
その時は店に出るような太くてシャキシャキしたやつが出来てたけど、農業大学校の時は、高度化成肥料っていう窒素分の高い肥料をこれだけあげなさいっていう指導のもとやっていたので、結構農薬も降りましたし。
今は有機栽培ぐらい(少量肥料を加える)でそこのサイズに行かせる努力をしている最中です。
無農薬にしてから昔に比べると、そんなに病気も出てないような印象はあります。
最近は気候も凄くおかしいじゃないですか。
暑くなったり、寒くなったり。
なので色んな季節に対応出来るようにって事で、温度変化に強い野菜を植えたりもしてます。



あまり見慣れない野菜が畑にたくさんありますが、あえて海外の野菜を?

それはこだわっているわけではないんですよ。
出来るだけ『昔から存在する野菜』っていう感じで。
野菜ソムリエの勉強をした時に、日本に伝わっている野菜はもともと外(外国)から伝わってる野菜が多いなっていう風に感じて。
自然と原種に近い物を求める中で、海外の野菜になってくるのかなとは思います。
あと何年か前に、福岡在来のカボチャの種をずっと採り続けている方から貰って、八媛(やひめ)カボチャっていうのもありますよ。
野菜屋さんに聞いたところ自分を含めて4人ぐらいしかやっていないみたいで、そんなに出回っている野菜ではないようです。



種を繋ぐことは重要だと感じてますか?

感じていますね。
植物育種研究室って言うところにも所属しているんですけど、 昔からの技術として種を選抜し、より良い物を作るっていう『選抜育種』っていうのがあるので、1番良い古来の方法かなと。
その土地に合った野菜にしていけば、それこそ無農薬でも作りやすい野菜がだんだん育ってくると思うし、無農薬とか循環で考えるのであれば種採りは必要不可じゃないかと思います。



ゆたか農園のこだわりとは。

本当の野菜の美味しさを伝えていきたいと、そういうこだわりはあります。
野菜本来の味を引き出した作物やハーブをお客様に届ける。
食べ方も一緒に伝えながら色んな方と交流していけたらなと思いますね。





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〜農という生き方〜小郡ノ巻

糸島市の次に向かったのは、福岡県中央部に位置する『小郡(おごうり)市』。
無肥料・無農薬で野菜やお米を栽培されている『あおぞら農園』さんにお邪魔しました。

お話をうかがったのは、あおぞら農園代表の『松本 家徳(まつもといえのり)』さん(52)『亜紀(あき)』さん(45)ご夫婦。
ベジタブルジャーニー122件目の農家さんです^ ^



生い立ちから農家になるキッカケ。

(家徳さん)出身は山口県荻市っていう所で、学生時代は九州でカメラマンになりたくて専門学校へ行って。
そのまま博多で就職して、九州の撮影に東京から広告関係の方がいらっしゃるので、その助手に付いてたら「広告関係やるなら東京に行きなさい」って東京へ行ったんですね。
ずっと東京でテレビコマーシャルとかプロモーションビデオ・映画などの動画の撮影に携わってました。
広告関係を長くやってると若い人が多く入ってくる業界なので、ジェネレーションギャップが出てきたら仕事が成立しなくなるって僕の師匠がずっと言っていて、「カメラマンってあっという間だから辞めた時の事も考えて第2の人生を必ず確保してやれ」って教えだったんです。

撮影の仕事で色んな所を見てて、自然を撮るのも好きだったし農業良いなって。
そしたらボランティアバイトっていうのがあって、バイトなのにボランティアでやるって人が居ると。
詳しく見てみたら無農薬とか色々書いてあって。
その頃は全く食事に意識が向いてなくてスタジオ入るとコーヒー飲んでお菓子食ってみたいに、全く食べる事(健康)に一切興味がなくて。
でもその募集の文面に熱いものを感じたので、冷やかし程度にやってみようと思って行ってみたらその人が物凄く熱くて良い方だったんですよね。
気が付いたら2年ぐらいやってて(笑)
色々教えていただいたので「こういう生き方もアリだな」と思って。



(亜紀さん)生まれは東京で、32歳までは東京で過ごしました。
大学が神奈川だったので神奈川県に住んでた事もあったんですけど、大学がSFCっていう慶応大学の藤沢にあるキャンパスだったんですよね。
大学卒業した後に、建築に興味を持って設計事務所に就職したんですけど、家を建てる事やデザインには興味を持っていたんですけど、小さい事務所だったのでみんな寝泊まりしながら仕事してるわけですよ。
「私ここまで好きな事じゃないかも」って思いながら仕事してたら、だんだん身体の体調が悪くなって来てしまって、最後は身体が痛くて動けなくなっちゃって、これは無理だと思って辞めたんですよね。
2年間勤めたら一級建築士の資格が取れるって事だったんですけど、2年間も持たず辞めてしまって、その時「自分はダメ人間だ」と思ってしまって身体も動かず精神的にもダメになってしまって。
日常生活も厳し状態にまでなってしまったのでリハビリ期間がその後続いて。
一応病院にも行って色々検査して診てもどこも悪くないって言われて、仕事も出来ないしどうしたらいいかなと思っていた頃に針治療に行ってみたんですね。
そこで食べ物の事を言われたんですよ。
「まずあなた砂糖を辞めなさい」って言われて。
「意味が解らない、私は何しにココへ来たんだろう?体調が悪いのにどうして砂糖を食べる事を辞めなさいって言われるんだろう?」と思って凄くビックリして。
でも初めてですよね、『食べ物が自分の身体を作る』っていう事を全く意識した事がなかったので。
身体を壊して初めて食べ物の事に気がついて。
針に行った時に食べ物の事を言われたのがキッカケで「私これから何食べたら良いんだろう」と思ってですね、その頃から塩とか何も味付けがないシンプルな素材の味っていうのに初めて気が付いて。
料理の本を色々見て、砂糖が使われていない料理を自分で作り始めたんです。
今度は料理に興味を持ち始めて、料理の所に色々行くうちに、ある料理家の方が自然農の畑をされていたんですよ。
そこに連れて行ってもらった時に凄い衝撃で。
バットみたいに膨れて取り遅れたキュウリを、ただ薄切りにしただけなのに「これ凄い」と思ったんですよ。
こんな力のある野菜ってどうやったら出来るんだろう、買えるなら買いたいと思ったんですけど、多分これは自分で作らないと無理なんだろうなと思ったんですね。
買うんじゃなくて手に入らないから、だったら自分で作るしかないのかなと思って料理の事から野菜を作るところに興味が移ってて。
東京は貸し農園もあるんですけど抽選待ちで、今すぐ申し込んでも2〜3年後っていう話だったので、どこかやれる所をネットで調べたらたまたま見つけた所が埼玉県の農家さんで。
食べ物への興味、野菜への興味がどんどん募っていって、多分私これやったら元気になるかもと思ったんですよ。
その時もまだ体調が良くなかったんですけど、その農家さんの所に行き始めたら1ヶ月で5年くらい無かった生理が急に戻って来て、本当に凄い元気になって。
3日も持たないかなと思っていたけど、結局1年間くらいアルバイトさせてもらって、「自分が本当にやりたいのはこれなんだな」って。
そこの農家さんに行った時にアルバイト一期生で居たのが主人だったんですよね。



あおぞら農園という農園名の由来。

(亜紀さん)息子の名前も空っていうんですけど、福岡に来た時に空の広さに凄いビックリしたんですよ。
糸島を車で走った時に「なんて空が広いんだぁ」と思って、とにかく九州に来たら空だったんですよね。
東京って全部建物で、空を見上げても必ず視界に何かしら入るけど、それが全くないっていう開放感。
九州に来てスコーンッと抜けてる青空の感じが1番印象的だったので名前を付けました。



あおぞら農園のこだわりとは。

(亜紀さん)考えているのはやっぱり子供かな。
次の世代の子達に良い環境を残すのはもう難しいかもしれないけど、これ以上酷い環境はもう絶対に子供達に尻拭いさせたくないから、自分達が出来る限り良いものを残してあげたいなと思って。
食べ物もそうだし、空気も土も水も。
私達も地球上から見たら鉛筆の点の先ほどもない面積かもしれないけど、それでもやっぱり『汚さない生き方』っていうかね。
何か残してあげたいなって気持ちでやってるってとこですかね。

(家徳さん)色んな国に行ったけど、やっぱり日本良いなと思っているんですよ。
日本って国も良いし、日本人の考え方も良いなと思っていて。
自然に対する気持ちというか。

(亜紀さん)今は気候もだんだん難しくなって来てて、野菜も出来にくくなって来てて。
この秋は野菜が虫に食われて出来なくて、「こういう時に薬使ったら良いんだろうな」って初めて思ったんですよね、薬って便利だなって。
生活もかかってるし、なんで自分は使わないんだろうと改めて考えてみたら、自分の身体もそうだったんですけど、薬ではやっぱり元には戻せないと言うか、結局は自分が持っている力を自分で出してやるしか無いんだと思って。
それで復活したら絶対強いんだなっていうのも思って、野菜も自分の力で育ったら多分凄いパワーがあると思う。
栄養価とかを数値で測った事はないけど、持ってる力を最大限に発揮してる方が良いと思ってて。
例えば、土の上に出て来るものを綺麗に育てたいから薬を撒いたとしても、土のバランスが崩れて来るんじゃないかなと思うし、1回使ったら使い続けないとエンドレスになって、それが無いと作れなくなって、どんどんバランスを崩れて。
結局、人間の作り出した物で自然界をコントロールすることは多分出来ないんだろうなって思ったんですよね。
だからやっぱり自分は薬を使わないんだなって。
でも身体壊してその事に気付けたから、壊して良かったかなって今は思いますけど。





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〜子供が食べられる野菜〜糸島ノ巻

ベジタブルジャーニー33県目、福岡県に入りました!
向かったのは福岡県の最西部に位置する『糸島市』。
2011年に農業生産法人を立ち上げ、色々な農法を取り入れている『卯 (うさぎ)農園』さんにお邪魔してきました。
卯農園では農薬はもちろん、化学肥料や動物性堆肥に頼らず、出来るだけ自然に沿った栽培を心がけていて、糸島雷山の麓で畑1.1町歩、田んぼ4反を管理されています。



お話をうかがったのは卯農園代表『三角 麻里子(みすみまりこ)』さん(37)。
ベジタブルジャーニー121件目の農家さん、女性の農業者代表です^ ^



農家になろうと思ったキッカケとは。

もともとは大学で有機農業の授業があって、そこで初めて農業を意識して、卒業してから今食べている野菜や添加物などが気になって来て、マクロビオティックの料理教室とかに通い出して。
私、絵本専門店で働いていたんですけど、子供達が私の時代には無かったアレルギーがすっごく増えている事にビックリして「このままじゃ恐いな」と思って。
そういう経緯もあって食べ物は大事だから農業をやってみたいなって想いがあった時に、たまたま畑借りれますよって話があって、じゃあやってみようかなという感じで始めました。

大学は農業の大学?

全然農業とは関係ない国際社会文化とかを学んでいたんですけど、農業も大切にしたいって方針の大学で。
ただ農業で食べていけないという話はずっと聞いていたので10年間は我慢して、10年目で黒字が出たらイイかなって始めからその心づもりで(笑)



今後の展開としては。

私、お料理教室が大好きなので、畑の野菜をみんなで採って、その場でみんなでお料理するっていうお料理教室をしたいなっていうのがあります。
収穫って楽しいじゃないですか、その楽しい事をみんなで共感して、私今1人暮らしをしているので1人でご飯食べるのって本当に楽しくないんですよ。
みんなで食べるっていう喜びを共有できたら良いなって。



卯農園のこだわりとは。

こだわりは子供が食べる美味しい野菜ですね。
私、子供の頃から野菜が大嫌いで。
母が有機野菜を取ってくれてたんですけど、本当に不味くて。
野菜の味が濃いから野菜嫌いな子にとって美味しくないんですよ。
有機野菜(動物性肥料使用の)って美味しくない事に気付いて、自然栽培の野菜とかってあと味もさっぱりしてるからそれを食べて、有機野菜が不味いのって未熟堆肥(動物性)がたくさん入っているからなんだって気付いて、それからこういう野菜を作らなければ子供は食べてくれるんだなと思って。
そこから子供が食べれる野菜っていうのを意識してやっています。





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〜菌の世界〜佐世保ノ巻

次に向かったのは、長崎県北部地方にある『佐世保市』。
県庁所在地ではない「非県都」としては比較的大きな規模を持つ都市であり、日本最大級のテーマパークであるハウステンボスに代表される観光都市でもある。
伺ったのは、いくつもの有機的農法で元気野菜を育てる『菌ちゃんふぁーむ』さん。



お話をうかがったのは菌ちゃんふぁーむ代表『吉田 俊道(よしだとしみち)』さん(58)。
長崎県出身。
1977 九州大学農学部入学
同大学院修士課程修了、農業改良普及員として長崎県に就職。
県職員を退社して、ある想いがあり有機農業に新規参入。
大地といのちの会を結成(代表)
書籍「生ごみ先生のおいしい食育」
「生ごみ先生の元気野菜革命」
「完全版生ごみ先生が教える元気野菜づくり超入門」の著者でもあり、行政と協働して子どもたちにいのちの循環体験や講演活動も行っている。

ベジタブルジャーニー120件目の農家さんです^ ^



農法について。

あのね、俺1つの農法ダメなんですよ。
もともと農業改良普及員だったから、どんな農法がそれぞれどんな特徴があるのか知りたくていくつかやっているんですよ。
メインでやっているのは通常の有機農法で、いわゆる草をたっぷりすき込んで、草で土作りをしてボカシ肥料を追加して野菜を作っていく、これが全体の3割くらい。
あと今どんどん広がっているのが生ゴミを漬けた『漬け物農法』。
今はEM菌を使ってますけどEM菌じゃなくても大丈夫なんですよ、とにかく好きな菌でやることね。
俺EM菌が好きだからやってるけど、嫌いでやったら絶対ダメね。
菌ってやっぱり心があるから「EM菌よろしく!」ぐらい想ってやると本当に凄い事が起きちゃう。
要は、あの樽に漬けて1ヶ月以上密封して完璧にしっかり漬け込むと腐敗がないから、あとはトラクターで耕してマルチャーするだけでOK。



ある程度、収入もないと給料も払わないといけないし、そうなるとこの農法はもう今惚れ込んでいますね。
周りのゴミ(佐世保青果市場)も減るし、とにかく色んな病気が少なくなりますよね。
漬け物は発酵物だから、発酵した物を畑に入れると土着の菌達もみんな発酵型になっちゃうわけ。
EM菌ってただのリーダー菌で、実際には土着菌が動いているんだけど、漬け物を入れるとpHも低いし、発酵しているし、あとは後期発酵分解をやらないとどうしよもないから、全ての日和見菌が発酵型に向くことで腐敗菌が大人しくなっちゃうから結果的に病気はほとんどない。
これがまだ1割くらいで、来年は3割くらいまで広げていく予定。



あと残りは炭素循環農法(たんじゅん農法)ですね。
いわゆる無施肥・無肥料、入れるのは竹や草や籾殻だけ。

農業改良普及員からなぜ生産者側へ?

1つは、もともと好きだったんだよね。小さい時にカボチャ作ったらめちゃくちゃ良いのが出来て、農家の人から褒められた小さい時の言葉がずっと忘れられなくて農業が好きになっちゃって。
それで大学も農学部まで行って、県職員の農業改良普及員になって。
農家の現場を見てたらいよいよやりたくなっちゃって。
もう1つは、農業改良普及員の頃に農家の人達に「どうせなら有機農業が良いんじゃないか」って事で色んな事を勉強して、各地の有機農業者の説明をしてたら農家から言われたの「あんたは公務員やからそんな事を言われると」って。
「あんたはボーナスも貰えるけど俺らは1回失敗したら借金だけ残るとぞ」って言われて、そりゃそうやと。
自分がしたこともない事を無責任に勧めて、農家の所には虫が来て借金だけが残っちゃったわけよ。
その2つの理由で「よし、自分でやろう」と決めて県職員を途中で辞めたのよ。
最初は虫食いだらけだったけどね、だんだん虫も来なくなって来て色んな事が解ってきて。
一応、私も大学出てたから出来れば科学的にこの理由を突き止めることによって全国的に広がるだろうと思っていて、今は色んな大学の先生方と色んな検証実験をしているところなんですよね。
それが出来れば、農水省も振り向いてくれる日が来ると思ってね。



虫の話。

面白いんですけど必ず虫って同じ所ばかり食べるんですよ。
あんまり全体を食べない。
それは色んな考え方があるんだけど、自然界というのは弱った物をみんなで食べるって考えてもイイし。
科学的に言うと、例えば傷をつけると傷口を守らないといけないから一生懸命そこに免疫システムが集中するから、全体からみたら免疫力が弱るわけ。
キャベツで言うとファイトアレキシンって高分子のかさぶたを作るから、色んな栄養やミネラルを使ってしまって、他の綺麗な葉っぱのビタミンやスロフォラファンなどのファイトケミカルに余裕が無くなって作れなくなる。
そうすると虫にとっては食べやすくなる。
虫はビタミンもセルロースもファイトケミカルも消化吸収できないんですよ。
ただ、人間にとってはセルロースもスロフォラファンもビタミンも健康の素なんです。
人間にとって健康の素をキャベツが作るほど虫は食わなくなる、そういう仕組みになってる。



菌ちゃんふぁーむのこだわりとは。

何もないですよ。
特にない。
まぁこだわりと言ったら「菌ちゃんありがとう」やね。
だから菌ちゃんふぁーむって言ってて、全てやってくれてるのは菌ちゃんなんですよ。
菌ちゃんとお野菜達が頑張ってるだけなので、ただ土が良くないとお野菜がいくら頑張ろうと思ってもなかなか無理なので、まず良い菌ちゃんを増やす。
菌ちゃんってもののけ姫を見てるとシシ神なんですよ。
地球上の死を食べて生を創っていく。
科学的に言うと、酸化崩壊した物を食べて抗酸化力の高い成分を作る。
地球上で命を復活させてるのが虫と菌たちなんですよ。
虫と菌たちなんだけど、虫と菌たちは一緒には住めなくて、菌が頑張っている世界では虫達は必要なくなるわけ。
だからこの畑は菌で頑張っている社会だから虫はあんまり居ない。
虫は菌が働けない腐った所に来るから。
でも完璧にはできない、弱ると来るからね。
だからどんな農法であろうと全部菌ちゃん。
ただ働く菌もそれぞれに違って、やり方がそれぞれ違うだけなんですよ。





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〜種への想い〜雲仙ノ巻

ベジタブルジャーニー32県目の長崎県に入りました!

向かったのは長崎県島原半島西部に位置する『雲仙市』。
採種のパイオニアと呼ばれる『種の自然農園』さんにお邪魔して来ました。





書籍「岩崎さんちの種子採り家庭菜園」や「つくる、たべる、昔野菜」の著者でもある『岩崎 政利(いわさきまさとし)』さん(67)にお話を伺ってきました。
ベジタブルジャーニー119件目の農家さんです^ ^



代々農家家系で岩崎さんで4代目。
代々してきた慣行栽培(現代農法)から農業の道へ入り、31歳の時に原因不明の病気に襲われ、数年寝込んでしまい有機農業へ転換。
農法は変成が多々あり、最初は地元の畜産堆肥や樹木の皮の部分を発酵させて作った物(バーク)を使った時期もあり、全く肥料を使わない時期も4〜5年間あったが、それでも作物の成長を観て経済的に継続性が無い為、現在はその中間タイプの畑にマメ科や緑肥を撒き、なるべく循環してあまり外から持ち込まない『小有機』スタイルを継続中。

岩崎さんの農園では種は全て自家採種されているんですか?

全てではないですね。
そこがちょっと誤解されるんですけど、基本的に営農をする中では交配種(F1種)を使った方が生産効率も高いし、経済的にはそっちの方が。
ただ、自然的な農業になると畑に有機物(肥料)が少ない状態で生きる野菜でないと耐えきれず、F1種ほど多肥な作物になってしまう。
F1種に比べて在来種は非常に生命力が強くて、あまり有機物(肥料)は必要としないというか、おのずと在来種を中心にやっていくしかないので、採取は100%という事はないですね。だいたい70%程度です。
営農という面で経済的に見合う在来種が揃わないし、在来種を育てていくには凄く長い年月がかかってしまって最低でも10年は必要。
馴染ませて自分の物にするには10年以上は付き合っていかないと活かせる作物にはならないので凄く手間と時間を要する事だから、そういう意味では新しい農家に対して種の価値を伝えていくのは非常に難しい。
だからF1種を否定するわけにはいかないし、否定するって事は経済を失うという非常に難しい問題があるんですよね。

在来種を求める流通が豊かになれば農家も在来種を守っていけるけど、オーガニックブームとは言え、そこを求める消費者の割合ってもっと低いじゃないですか。
その中で生産と消費のバランスが取れていないというか、手間と時間と生産効率も低いしオーガニック生産物+αがないと在来種のみではなかなか厳しい事がありますね。
本当は全て在来種が理想ですけど、F1種がダメとか交配種がダメとか、否定する必要もないし、そういう種と一緒に共存してその中で在来種も守っていくという。
矛盾しているんですけどね。



ただ言える事は、在来種を守るということはその人が人生を賭けて自分の子供を守っているように『人と種』という関係があるから、作物に対する想いや作物から見えてくる長所や欠点が、人と作物の繋がりという良い関係があるのは事実ですね。
10年・20年あるいは30年と、その作物その種を1番活かせるのは『守っている人』だって。
そういう意味では農民として良い関係ですよね。

また、自分の中では『美味しい』っていうのがキーワードになっていて。
最初の頃はいかにして『安全』なものを作るかだったけど、長年経って来ると安全だけでは果たして農業として、農民として満足感というか継続力というか、やっぱりそこにはどんなに安全であっても美味しくなければ意味がないというか。
食べる人が美味しいって、それが有機農業の根幹だからこそこだわって作るし、そうした時にやっぱり人が在来種を守っていくことが大切だなと。
それがやがて10年・20年その作物がその畑、その風土に馴染んだ時に美味しく表現してくれるっていう、そこに在来種の凄い魅力があって。
F1種は1回きりで次々に買わなきゃいけない、それは表現が出来ないんですよね。
人と作物っていうのは守りながら相手の欠点とか長所を見抜いて、良い所を活かして悪い所をサポートしていく、そこに生まれて来るのが美味しさというか。
そういう意味では凄く、在来種っていうのは価値があるかなって感じがしますよね。



全国各地で失われていく消えゆく野菜、あるいは山奥でひっそりと残っていた野菜とか、あるいは農家が代々守って来た野菜は『想い』があって本当なら地域の中で守っていけたらベストですよね。
全国各地にそういうものが沢山あるわけじゃなくて、本来なら伝統だからその地域だけで守っている種がベストだけども、そうなると無い地域は何も無くなってしまうから、無い所は自分達が作っていこうと。
どんなに人生賭けて守ってきても50年ですよ。50年しか守りきれないですよね。
だいたい20年〜30年が1農家が守る限界で、種をあやす回数は20回〜30回ですよ。
本当は50回種をあやして、次の世代に渡していくっていうことが素敵ですけどそこまではなかなか守りきれないというかそういう種はなかなか無いですよね。
昔、50年くらいやった人の種を握った時に凄く感銘する事が多くて。
やはり50年という1つの人生を賭けて守りきった種というのは凄い価値があるし、それはやっぱり誰かに託さないとその種は無くなってしまう。
そういう価値や想いを次の世代に託しながら伝えていく事が凄く大事かなと思うんですよね。
種だけ託しても繋がっていかないと言うか。
だから種苗交換とか種のネットワークはあまり好きじゃなくて、『人と人を通して種を伝えていく』ことが重要で、そんなにばら撒く必要はないんですよね。
誰か1人でも種を受け継いでいく人が居ればいいんです。
全国に種をばら撒いてもあまり意味がないというか、返って種を守りきった人に申し訳ない、勝手に繁殖してばら撒くのはその人に対して申し訳ない気持ちはありますよね。



岩崎さんにとって種取りとは?

自分の物を作りたいと想う気持ちで地元の『黒田五寸』という人参から始めた事ですけど、その頃は夢があって世界で自分だけの素晴らしい人参を作ろうという発想があったんですけど、結果的に自然はそうは認めなくてそこに『多様性』の大切さを学んだ経緯があって。
そうやって自分の物が出来た時に「これは凄いな」って。
それが1つ2つ増えていっただけなんですよね。
種を採って、その種で作物を作るっていう自分の物で作るっていうのは最高に「作った」って気がしますよね。
じゃあ出来るだけ沢山の野菜を自分の物にして作っていこうっていうただそれだけですよね。
そのうち色んな人から種を託されたり、色んなお土産で外国の生産者から種を戴いたり交換したり。
そうして各地で色んな人達が種を守っている姿を観た時に「これは絶やす事は出来ないな」ということで守った種が沢山あったという。
だから想いを伝えるのは凄く大事かなって。
想いがないと守れない。
絶やした時にはもうこの自然界から消えていくのが在来種の運命ですよね。
僕らが何も気付かずに地域の守られた種をお爺さんやお婆さんが亡くなると同時に消えていったという。
昔食べた美味しい味をもう1回復活したい気持ちはあっても消えてしまったら復活しようにも元がないと。
人は失った時に気付きますよね。
今は遺伝子操作で近い物は作り出せる時代にまで来たと言うけど、全く同じ物は作り出す事は出来ない。
本当は守られた在来種が美味しくて、身体にも良いはずだとは感じてはいますけど、そこはまだハッキリしていないんですよね。
在来種とF1種の人間に対する効果というか。
それももっと未来に評価されるというか、時代も、ハイテク遺伝子組み換えも否定することもしたくないし、そういう生産者になりたくないんですけども、しかし在来種というのは何かがあって生きているというか。
また時代が過ぎた時に在来種の良さを人間が気付く時が来るだろうと。
だから絶対無くしてはいけない。
少数であってもそれを守る人が居なければいけない、ある意味では自分も役目として選ばれた1つの人間として守っていく立場にあるのかなと思って。
単なる種だけど、人を感動させる農業の世界はこんなに素敵だなっていう、やった人が初めて感じる世界ですよね。
それはやっぱり若い世代に伝えて行きたいなと思うし、そこを知らないと種を守っていけないと思うんですよね。



岩崎さんのこだわりとは。

私が有機農業を始めたのは自分の病気の事で始めたんですけど、農法は人間の師匠が居ないんですよ。
有機農業を学ぶ相手が自然というのを1つの師として雑木林を駆け巡ったりする中で、目で見るだけでは本当の事は学べなくて目より心を通して自然を観ようと。
そしてそれを聞いて自分の畑に実践していこうと。
そこには色んな農法の問題があったし、そこには種もあったし。
在来種は風土に合わせて変わっていくのが良さで、今は種の長期貯蔵シードバンクもありますけど、これだけの異常気象の中で何十年間も眠った種が突然復活しても、ほとんど機能しないんですよね。
やはり異常気象に対しては毎年畑の中で、現場で保存しながら種を採っていくのは大事な時期に入ったと思うんですよね。





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〜ONE BIG FAMILY〜鹿島ノ巻

ベジタブルジャーニー31県目の佐賀県に入りました!
向かったのは佐賀県の南部に位置する『鹿島市』。
鹿島市の山奥で自給自足をベースに、耕さない・持ち込まない・持ちださない自然農で農的暮らしを営む、元レゲエセレクターとDJの家族4人が創り出す『BIG FAMILY FARM』さんにお邪魔してきました。



お話をうかがったのはBIG FAMILY FARM代表『Yo-ti』さん(40)。



長崎出身のお二人。
ほとんど畑仕事の経験の無かったが、いつか自分の食べるものくらいは自分で作れるようになりたいと思う中、佐賀の友人から有機農家さんで研修生を募集しているという情報が入り、翌月の2006年の5月に現在の場所に引っ越して研修を受け始める。
最初は、田畑を営みながら、カフェの営業で生計を立てる「半農半カフェ」を始め、大小さまざまなライブや、祭りなど企画していたが、カフェ営業やイベント等の企画をしながら、田畑を営む両立は時間の制約が多く、当初自分たちが思い描いていた暮らしとは違うものになっていると感じ、現在では田畑を軸とした農ある暮らしへとシフトしていった。

生い立ちから現在

私はずっと長崎市内で生まれ育って、長崎は原爆が落とされた街だから毎年小学校では平和教育とか受けるわけじゃないですか。
全員がそうなのか解らないけど、私は平和意識って子供の時の教育で自分なりに持っているものがあったんですよね。
だけど、『戦争』っていうのが今でも起きているっていうリアルな感覚がなくて、戦争は『昔のもの』で、アレは二度とやっちゃいけないものだっていうくらいの認識だったんですけど、9.11のアメリカ同時多発テロの時にパレスチナの問題とかも知ることになって。
『今もなお戦争ってやっている事なんだな』っていうのがリアルに感じた衝撃で。
音楽仲間ってアンテナの高い人が多いから、いろんなことを知っている人にも出会って。
それで自分なりにみんなで考える音楽イベントをやったりとか、アフガニスタンに洋服を送るイベントとかそんな事をやりつつ、毎日OL生活して夜はDJとかやって。
だんだん自分の送っている生活と、現状とのギャップが耐えられなくなってきて、自分のライフスタイルから納得のいくものにしたいなっていう想いがあって、ご縁もあり佐賀に夫婦で移住して来たんですよね。



長女が1歳半の時に移住してきて、子供ができた時に安心して食べれる物を食べさせたいから、自給するぐらいできたら良いねってぐらいだったんだけど、夫も前の仕事からもうちょっと土臭い事をやりたいっていうのもあったから、ライフスタイルを変える良いタイミングかもねって。
食べる物を変えてみようと思ったら、無農薬の野菜ってあんまり売ってないから、じゃあ自分で作るしかないなっていうのがBIG FAMILY FARMの始まりですね。



農園名の由来

野菜を作って売るという事を、お客さんと農家と言う関係よりは、家族に食べてもらうような感覚でやり始めたからそういうのもあって。
世界皆兄弟ぐらい思わないと平和って訪れないよねっていう。
足元からしか変えられないし、自分に出来ることって少ないんだけど自分の力量に合わせて足元から平和が広がっていくような活動が出来ればなって。
だから農家なんですけど、農家の枠に収まらないで、ショップみたいに野菜セットと一緒に自分がオススメしたい物とかフェアトレード商品も紹介したいしシェアしたいから販売したりして。
自分の活動として農閑期の時には政治の勉強会やったりとかもしてて、選挙の手伝いも農家しながらやったりしてます。





なぜ自然農なのか

農薬とか化学肥料とか化学的なものに根拠は無いけどあまり良いイメージがなくて、私も病院とかあんまり行かないんですけど、もともと人って江戸時代なんかはナチュラルな化学物質が無くても生活を送っていたわけだから、そこまで近付ければゴミも増えないし、遠くから何かを持ち出さなくてもイイし、そこにある物で生きていけるようになれば持続可能な生活になるんじゃないかなっていうところから。
農業研修は有機農家さんでやらしてもらったんだけど、自然農の手引きの本を人から貰ったのがキッカケで、それを読んでいたらやってみたくなったのもあって自然農にだんだん切り替えていった感じで。



BIG FAMILY FARMのこだわりとは。

無駄を無くす、余計な事をしない。
安心の中に居ればイイんじゃないかと思いますね。
働いてお金を稼ぐと言う事が生活の中心にあると、稼いでるようでもそれに付属して要らない物を買ったりとか時間とか結局、無駄な事が多いなって。
色んな事を取り払っていくと気づく事ってあるよね。





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