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〜地力野菜〜久留米ノ巻

次に向かったのは福岡県の『久留米市』。
巨峰発祥の地である田主丸町(たぬしまるまち)で、種をとる自然農園の『ゆたか農園』さんにお邪魔しました。

人にも環境にも優しい野菜作りをテーマに、農薬・化学肥料・除草剤を使わないだけじゃなく、
黒いビニールマルチを使わない
作物の連作をしない
土の層を壊さない「不耕起栽培」の実践など、様々な農法を取り入れて、各畑で農法が違う栽培法が行われている。
有機の畑に関しても手作りの堆肥・ぼかし肥・鶏糞(有機)を使用。
現在はほとんどが植物性の肥料に切り替わっきていて、使用しても出来るだけ少量で自然に近い形を意識している。
畑には海外の野菜が中心に様々な野菜が混植されていて、一見どこに何が植わっているか判らない野菜ジャングルのような畑姿。







お話をうかがったのは、ゆたか農園代表『石井 豊勝(いしいとよかつ)』さん(39)。
田主丸町で生まれ育った石井さん。
家は祖父の代から花や苗木をやっている農家で、石井さんが高校受験の数日前に父がハウスの中で消毒している最中に倒れ還らぬ人に。
その後、農学部を卒業し、一旦は異業種に就職し7年間勤めた後、田主丸町で帰農する。
現在はJA青年部部長も務め、野菜ソムリエでもある石井さん。

ベジタブルジャーニー123件目の農家さんです^ ^



なぜジャングルのような畑に?

父が農薬で消毒している時に畑で倒れているって事もあるので、どうしても心の中に農薬に対する拒否反応があって。
色んな作物を植えている(ジャングルな)のは元々コンパニオンプランツを就農する前から見ていたし、農薬を使わない方法としてですね。

出来るだけ別の作物を混植することによって、セロリなんかも味が変わってくるんですよね。
セロリとニンジンは無農薬で育てると味が劇的に変わると思いました。
でも残念なのは、味は良いけど理想的な形にはならないですね。
福岡県の農業大学校ってところがあって、そこで社会人からの就農コースがあって1年間行ってたんですけど、最初にやらせてもらったのがセロリだったんですね。
その時は店に出るような太くてシャキシャキしたやつが出来てたけど、農業大学校の時は、高度化成肥料っていう窒素分の高い肥料をこれだけあげなさいっていう指導のもとやっていたので、結構農薬も降りましたし。
今は有機栽培ぐらい(少量肥料を加える)でそこのサイズに行かせる努力をしている最中です。
無農薬にしてから昔に比べると、そんなに病気も出てないような印象はあります。
最近は気候も凄くおかしいじゃないですか。
暑くなったり、寒くなったり。
なので色んな季節に対応出来るようにって事で、温度変化に強い野菜を植えたりもしてます。



あまり見慣れない野菜が畑にたくさんありますが、あえて海外の野菜を?

それはこだわっているわけではないんですよ。
出来るだけ『昔から存在する野菜』っていう感じで。
野菜ソムリエの勉強をした時に、日本に伝わっている野菜はもともと外(外国)から伝わってる野菜が多いなっていう風に感じて。
自然と原種に近い物を求める中で、海外の野菜になってくるのかなとは思います。
あと何年か前に、福岡在来のカボチャの種をずっと採り続けている方から貰って、八媛(やひめ)カボチャっていうのもありますよ。
野菜屋さんに聞いたところ自分を含めて4人ぐらいしかやっていないみたいで、そんなに出回っている野菜ではないようです。



種を繋ぐことは重要だと感じてますか?

感じていますね。
植物育種研究室って言うところにも所属しているんですけど、 昔からの技術として種を選抜し、より良い物を作るっていう『選抜育種』っていうのがあるので、1番良い古来の方法かなと。
その土地に合った野菜にしていけば、それこそ無農薬でも作りやすい野菜がだんだん育ってくると思うし、無農薬とか循環で考えるのであれば種採りは必要不可じゃないかと思います。



ゆたか農園のこだわりとは。

本当の野菜の美味しさを伝えていきたいと、そういうこだわりはあります。
野菜本来の味を引き出した作物やハーブをお客様に届ける。
食べ方も一緒に伝えながら色んな方と交流していけたらなと思いますね。





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〜農という生き方〜小郡ノ巻

糸島市の次に向かったのは、福岡県中央部に位置する『小郡(おごうり)市』。
無肥料・無農薬で野菜やお米を栽培されている『あおぞら農園』さんにお邪魔しました。

お話をうかがったのは、あおぞら農園代表の『松本 家徳(まつもといえのり)』さん(52)『亜紀(あき)』さん(45)ご夫婦。
ベジタブルジャーニー122件目の農家さんです^ ^



生い立ちから農家になるキッカケ。

(家徳さん)出身は山口県荻市っていう所で、学生時代は九州でカメラマンになりたくて専門学校へ行って。
そのまま博多で就職して、九州の撮影に東京から広告関係の方がいらっしゃるので、その助手に付いてたら「広告関係やるなら東京に行きなさい」って東京へ行ったんですね。
ずっと東京でテレビコマーシャルとかプロモーションビデオ・映画などの動画の撮影に携わってました。
広告関係を長くやってると若い人が多く入ってくる業界なので、ジェネレーションギャップが出てきたら仕事が成立しなくなるって僕の師匠がずっと言っていて、「カメラマンってあっという間だから辞めた時の事も考えて第2の人生を必ず確保してやれ」って教えだったんです。

撮影の仕事で色んな所を見てて、自然を撮るのも好きだったし農業良いなって。
そしたらボランティアバイトっていうのがあって、バイトなのにボランティアでやるって人が居ると。
詳しく見てみたら無農薬とか色々書いてあって。
その頃は全く食事に意識が向いてなくてスタジオ入るとコーヒー飲んでお菓子食ってみたいに、全く食べる事(健康)に一切興味がなくて。
でもその募集の文面に熱いものを感じたので、冷やかし程度にやってみようと思って行ってみたらその人が物凄く熱くて良い方だったんですよね。
気が付いたら2年ぐらいやってて(笑)
色々教えていただいたので「こういう生き方もアリだな」と思って。



(亜紀さん)生まれは東京で、32歳までは東京で過ごしました。
大学が神奈川だったので神奈川県に住んでた事もあったんですけど、大学がSFCっていう慶応大学の藤沢にあるキャンパスだったんですよね。
大学卒業した後に、建築に興味を持って設計事務所に就職したんですけど、家を建てる事やデザインには興味を持っていたんですけど、小さい事務所だったのでみんな寝泊まりしながら仕事してるわけですよ。
「私ここまで好きな事じゃないかも」って思いながら仕事してたら、だんだん身体の体調が悪くなって来てしまって、最後は身体が痛くて動けなくなっちゃって、これは無理だと思って辞めたんですよね。
2年間勤めたら一級建築士の資格が取れるって事だったんですけど、2年間も持たず辞めてしまって、その時「自分はダメ人間だ」と思ってしまって身体も動かず精神的にもダメになってしまって。
日常生活も厳し状態にまでなってしまったのでリハビリ期間がその後続いて。
一応病院にも行って色々検査して診てもどこも悪くないって言われて、仕事も出来ないしどうしたらいいかなと思っていた頃に針治療に行ってみたんですね。
そこで食べ物の事を言われたんですよ。
「まずあなた砂糖を辞めなさい」って言われて。
「意味が解らない、私は何しにココへ来たんだろう?体調が悪いのにどうして砂糖を食べる事を辞めなさいって言われるんだろう?」と思って凄くビックリして。
でも初めてですよね、『食べ物が自分の身体を作る』っていう事を全く意識した事がなかったので。
身体を壊して初めて食べ物の事に気がついて。
針に行った時に食べ物の事を言われたのがキッカケで「私これから何食べたら良いんだろう」と思ってですね、その頃から塩とか何も味付けがないシンプルな素材の味っていうのに初めて気が付いて。
料理の本を色々見て、砂糖が使われていない料理を自分で作り始めたんです。
今度は料理に興味を持ち始めて、料理の所に色々行くうちに、ある料理家の方が自然農の畑をされていたんですよ。
そこに連れて行ってもらった時に凄い衝撃で。
バットみたいに膨れて取り遅れたキュウリを、ただ薄切りにしただけなのに「これ凄い」と思ったんですよ。
こんな力のある野菜ってどうやったら出来るんだろう、買えるなら買いたいと思ったんですけど、多分これは自分で作らないと無理なんだろうなと思ったんですね。
買うんじゃなくて手に入らないから、だったら自分で作るしかないのかなと思って料理の事から野菜を作るところに興味が移ってて。
東京は貸し農園もあるんですけど抽選待ちで、今すぐ申し込んでも2〜3年後っていう話だったので、どこかやれる所をネットで調べたらたまたま見つけた所が埼玉県の農家さんで。
食べ物への興味、野菜への興味がどんどん募っていって、多分私これやったら元気になるかもと思ったんですよ。
その時もまだ体調が良くなかったんですけど、その農家さんの所に行き始めたら1ヶ月で5年くらい無かった生理が急に戻って来て、本当に凄い元気になって。
3日も持たないかなと思っていたけど、結局1年間くらいアルバイトさせてもらって、「自分が本当にやりたいのはこれなんだな」って。
そこの農家さんに行った時にアルバイト一期生で居たのが主人だったんですよね。



あおぞら農園という農園名の由来。

(亜紀さん)息子の名前も空っていうんですけど、福岡に来た時に空の広さに凄いビックリしたんですよ。
糸島を車で走った時に「なんて空が広いんだぁ」と思って、とにかく九州に来たら空だったんですよね。
東京って全部建物で、空を見上げても必ず視界に何かしら入るけど、それが全くないっていう開放感。
九州に来てスコーンッと抜けてる青空の感じが1番印象的だったので名前を付けました。



あおぞら農園のこだわりとは。

(亜紀さん)考えているのはやっぱり子供かな。
次の世代の子達に良い環境を残すのはもう難しいかもしれないけど、これ以上酷い環境はもう絶対に子供達に尻拭いさせたくないから、自分達が出来る限り良いものを残してあげたいなと思って。
食べ物もそうだし、空気も土も水も。
私達も地球上から見たら鉛筆の点の先ほどもない面積かもしれないけど、それでもやっぱり『汚さない生き方』っていうかね。
何か残してあげたいなって気持ちでやってるってとこですかね。

(家徳さん)色んな国に行ったけど、やっぱり日本良いなと思っているんですよ。
日本って国も良いし、日本人の考え方も良いなと思っていて。
自然に対する気持ちというか。

(亜紀さん)今は気候もだんだん難しくなって来てて、野菜も出来にくくなって来てて。
この秋は野菜が虫に食われて出来なくて、「こういう時に薬使ったら良いんだろうな」って初めて思ったんですよね、薬って便利だなって。
生活もかかってるし、なんで自分は使わないんだろうと改めて考えてみたら、自分の身体もそうだったんですけど、薬ではやっぱり元には戻せないと言うか、結局は自分が持っている力を自分で出してやるしか無いんだと思って。
それで復活したら絶対強いんだなっていうのも思って、野菜も自分の力で育ったら多分凄いパワーがあると思う。
栄養価とかを数値で測った事はないけど、持ってる力を最大限に発揮してる方が良いと思ってて。
例えば、土の上に出て来るものを綺麗に育てたいから薬を撒いたとしても、土のバランスが崩れて来るんじゃないかなと思うし、1回使ったら使い続けないとエンドレスになって、それが無いと作れなくなって、どんどんバランスを崩れて。
結局、人間の作り出した物で自然界をコントロールすることは多分出来ないんだろうなって思ったんですよね。
だからやっぱり自分は薬を使わないんだなって。
でも身体壊してその事に気付けたから、壊して良かったかなって今は思いますけど。





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〜子供が食べられる野菜〜糸島ノ巻

ベジタブルジャーニー33県目、福岡県に入りました!
向かったのは福岡県の最西部に位置する『糸島市』。
2011年に農業生産法人を立ち上げ、色々な農法を取り入れている『卯 (うさぎ)農園』さんにお邪魔してきました。
卯農園では農薬はもちろん、化学肥料や動物性堆肥に頼らず、出来るだけ自然に沿った栽培を心がけていて、糸島雷山の麓で畑1.1町歩、田んぼ4反を管理されています。



お話をうかがったのは卯農園代表『三角 麻里子(みすみまりこ)』さん(37)。
ベジタブルジャーニー121件目の農家さん、女性の農業者代表です^ ^



農家になろうと思ったキッカケとは。

もともとは大学で有機農業の授業があって、そこで初めて農業を意識して、卒業してから今食べている野菜や添加物などが気になって来て、マクロビオティックの料理教室とかに通い出して。
私、絵本専門店で働いていたんですけど、子供達が私の時代には無かったアレルギーがすっごく増えている事にビックリして「このままじゃ恐いな」と思って。
そういう経緯もあって食べ物は大事だから農業をやってみたいなって想いがあった時に、たまたま畑借りれますよって話があって、じゃあやってみようかなという感じで始めました。

大学は農業の大学?

全然農業とは関係ない国際社会文化とかを学んでいたんですけど、農業も大切にしたいって方針の大学で。
ただ農業で食べていけないという話はずっと聞いていたので10年間は我慢して、10年目で黒字が出たらイイかなって始めからその心づもりで(笑)



今後の展開としては。

私、お料理教室が大好きなので、畑の野菜をみんなで採って、その場でみんなでお料理するっていうお料理教室をしたいなっていうのがあります。
収穫って楽しいじゃないですか、その楽しい事をみんなで共感して、私今1人暮らしをしているので1人でご飯食べるのって本当に楽しくないんですよ。
みんなで食べるっていう喜びを共有できたら良いなって。



卯農園のこだわりとは。

こだわりは子供が食べる美味しい野菜ですね。
私、子供の頃から野菜が大嫌いで。
母が有機野菜を取ってくれてたんですけど、本当に不味くて。
野菜の味が濃いから野菜嫌いな子にとって美味しくないんですよ。
有機野菜(動物性肥料使用の)って美味しくない事に気付いて、自然栽培の野菜とかってあと味もさっぱりしてるからそれを食べて、有機野菜が不味いのって未熟堆肥(動物性)がたくさん入っているからなんだって気付いて、それからこういう野菜を作らなければ子供は食べてくれるんだなと思って。
そこから子供が食べれる野菜っていうのを意識してやっています。





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〜菌の世界〜佐世保ノ巻

次に向かったのは、長崎県北部地方にある『佐世保市』。
県庁所在地ではない「非県都」としては比較的大きな規模を持つ都市であり、日本最大級のテーマパークであるハウステンボスに代表される観光都市でもある。
伺ったのは、いくつもの有機的農法で元気野菜を育てる『菌ちゃんふぁーむ』さん。



お話をうかがったのは菌ちゃんふぁーむ代表『吉田 俊道(よしだとしみち)』さん(58)。
長崎県出身。
1977 九州大学農学部入学
同大学院修士課程修了、農業改良普及員として長崎県に就職。
県職員を退社して、ある想いがあり有機農業に新規参入。
大地といのちの会を結成(代表)
書籍「生ごみ先生のおいしい食育」
「生ごみ先生の元気野菜革命」
「完全版生ごみ先生が教える元気野菜づくり超入門」の著者でもあり、行政と協働して子どもたちにいのちの循環体験や講演活動も行っている。

ベジタブルジャーニー120件目の農家さんです^ ^



農法について。

あのね、俺1つの農法ダメなんですよ。
もともと農業改良普及員だったから、どんな農法がそれぞれどんな特徴があるのか知りたくていくつかやっているんですよ。
メインでやっているのは通常の有機農法で、いわゆる草をたっぷりすき込んで、草で土作りをしてボカシ肥料を追加して野菜を作っていく、これが全体の3割くらい。
あと今どんどん広がっているのが生ゴミを漬けた『漬け物農法』。
今はEM菌を使ってますけどEM菌じゃなくても大丈夫なんですよ、とにかく好きな菌でやることね。
俺EM菌が好きだからやってるけど、嫌いでやったら絶対ダメね。
菌ってやっぱり心があるから「EM菌よろしく!」ぐらい想ってやると本当に凄い事が起きちゃう。
要は、あの樽に漬けて1ヶ月以上密封して完璧にしっかり漬け込むと腐敗がないから、あとはトラクターで耕してマルチャーするだけでOK。



ある程度、収入もないと給料も払わないといけないし、そうなるとこの農法はもう今惚れ込んでいますね。
周りのゴミ(佐世保青果市場)も減るし、とにかく色んな病気が少なくなりますよね。
漬け物は発酵物だから、発酵した物を畑に入れると土着の菌達もみんな発酵型になっちゃうわけ。
EM菌ってただのリーダー菌で、実際には土着菌が動いているんだけど、漬け物を入れるとpHも低いし、発酵しているし、あとは後期発酵分解をやらないとどうしよもないから、全ての日和見菌が発酵型に向くことで腐敗菌が大人しくなっちゃうから結果的に病気はほとんどない。
これがまだ1割くらいで、来年は3割くらいまで広げていく予定。



あと残りは炭素循環農法(たんじゅん農法)ですね。
いわゆる無施肥・無肥料、入れるのは竹や草や籾殻だけ。

農業改良普及員からなぜ生産者側へ?

1つは、もともと好きだったんだよね。小さい時にカボチャ作ったらめちゃくちゃ良いのが出来て、農家の人から褒められた小さい時の言葉がずっと忘れられなくて農業が好きになっちゃって。
それで大学も農学部まで行って、県職員の農業改良普及員になって。
農家の現場を見てたらいよいよやりたくなっちゃって。
もう1つは、農業改良普及員の頃に農家の人達に「どうせなら有機農業が良いんじゃないか」って事で色んな事を勉強して、各地の有機農業者の説明をしてたら農家から言われたの「あんたは公務員やからそんな事を言われると」って。
「あんたはボーナスも貰えるけど俺らは1回失敗したら借金だけ残るとぞ」って言われて、そりゃそうやと。
自分がしたこともない事を無責任に勧めて、農家の所には虫が来て借金だけが残っちゃったわけよ。
その2つの理由で「よし、自分でやろう」と決めて県職員を途中で辞めたのよ。
最初は虫食いだらけだったけどね、だんだん虫も来なくなって来て色んな事が解ってきて。
一応、私も大学出てたから出来れば科学的にこの理由を突き止めることによって全国的に広がるだろうと思っていて、今は色んな大学の先生方と色んな検証実験をしているところなんですよね。
それが出来れば、農水省も振り向いてくれる日が来ると思ってね。



虫の話。

面白いんですけど必ず虫って同じ所ばかり食べるんですよ。
あんまり全体を食べない。
それは色んな考え方があるんだけど、自然界というのは弱った物をみんなで食べるって考えてもイイし。
科学的に言うと、例えば傷をつけると傷口を守らないといけないから一生懸命そこに免疫システムが集中するから、全体からみたら免疫力が弱るわけ。
キャベツで言うとファイトアレキシンって高分子のかさぶたを作るから、色んな栄養やミネラルを使ってしまって、他の綺麗な葉っぱのビタミンやスロフォラファンなどのファイトケミカルに余裕が無くなって作れなくなる。
そうすると虫にとっては食べやすくなる。
虫はビタミンもセルロースもファイトケミカルも消化吸収できないんですよ。
ただ、人間にとってはセルロースもスロフォラファンもビタミンも健康の素なんです。
人間にとって健康の素をキャベツが作るほど虫は食わなくなる、そういう仕組みになってる。



菌ちゃんふぁーむのこだわりとは。

何もないですよ。
特にない。
まぁこだわりと言ったら「菌ちゃんありがとう」やね。
だから菌ちゃんふぁーむって言ってて、全てやってくれてるのは菌ちゃんなんですよ。
菌ちゃんとお野菜達が頑張ってるだけなので、ただ土が良くないとお野菜がいくら頑張ろうと思ってもなかなか無理なので、まず良い菌ちゃんを増やす。
菌ちゃんってもののけ姫を見てるとシシ神なんですよ。
地球上の死を食べて生を創っていく。
科学的に言うと、酸化崩壊した物を食べて抗酸化力の高い成分を作る。
地球上で命を復活させてるのが虫と菌たちなんですよ。
虫と菌たちなんだけど、虫と菌たちは一緒には住めなくて、菌が頑張っている世界では虫達は必要なくなるわけ。
だからこの畑は菌で頑張っている社会だから虫はあんまり居ない。
虫は菌が働けない腐った所に来るから。
でも完璧にはできない、弱ると来るからね。
だからどんな農法であろうと全部菌ちゃん。
ただ働く菌もそれぞれに違って、やり方がそれぞれ違うだけなんですよ。





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〜種への想い〜雲仙ノ巻

ベジタブルジャーニー32県目の長崎県に入りました!

向かったのは長崎県島原半島西部に位置する『雲仙市』。
採種のパイオニアと呼ばれる『種の自然農園』さんにお邪魔して来ました。





書籍「岩崎さんちの種子採り家庭菜園」や「つくる、たべる、昔野菜」の著者でもある『岩崎 政利(いわさきまさとし)』さん(67)にお話を伺ってきました。
ベジタブルジャーニー119件目の農家さんです^ ^



代々農家家系で岩崎さんで4代目。
代々してきた慣行栽培(現代農法)から農業の道へ入り、31歳の時に原因不明の病気に襲われ、数年寝込んでしまい有機農業へ転換。
農法は変成が多々あり、最初は地元の畜産堆肥や樹木の皮の部分を発酵させて作った物(バーク)を使った時期があり、全く肥料を使わない時期も4〜5年間あったが、それでも作物の成長を観て経済的に継続性が無い為、現在はその中間タイプの畑にマメ科や緑肥を撒き、なるべく循環してあまり外から持ち込まない『小有機』スタイルを継続中。

岩崎さんの農園では種は全て自家採種されているんですか?

全てではないですね。
そこがちょっと誤解されるんですけど、基本的に営農をする中では交配種(F1種)を使った方が生産効率も高いし、経済的にはそっちの方が。
ただ、自然的な農業になると畑に有機物(肥料)が少ない状態で生きる野菜でないと耐えきれず、F1種ほど多肥な作物になってしまう。
F1種に比べて在来種は非常に生命力が強くて、あまり有機物(肥料)は必要としないというか、おのずと在来種を中心にやっていくしかないので、採取は100%という事はないですね。だいたい70%程度です。
営農という面で経済的に見合う在来種が揃わないし、在来種を育てていくには凄く長い年月がかかってしまって最低でも10年は必要。
馴染ませて自分の物にするには10年以上は付き合っていかないと活かせる作物にはならないので凄く手間と時間を要する事だから、そういう意味では新しい農家に対して種の価値を伝えていくのは非常に難しい。
だからF1種を否定するわけにはいかないし、否定するって事は経済を失うという非常に難しい問題があるんですよね。

在来種を求める流通が豊かになれば農家も在来種を守っていけるけど、オーガニックブームとは言え、そこを求める消費者の割合ってもっと低いじゃないですか。
その中で生産と消費のバランスが取れていないというか、手間と時間と生産効率も低いしオーガニック生産物+αがないと在来種のみではなかなか厳しい事がありますね。
本当は全て在来種が理想ですけど、F1種がダメとか交配種がダメとか、否定する必要もないし、そういう種と一緒に共存してその中で在来種も守っていくという。
矛盾しているんですけどね。



ただ言える事は、在来種を守るということはその人が人生を賭けて自分の子供を守っているように『人と種』という関係があるから、作物に対する想いや作物から見えてくる長所や欠点が、人と作物の繋がりという良い関係があるのは事実ですね。
10年・20年あるいは30年と、その作物その種を1番活かせるのは『守っている人』だって。
そういう意味では農民として良い関係ですよね。

また、自分の中では『美味しい』っていうのがキーワードになっていて。
最初の頃はいかにして『安全』なものを作るかだったけど、長年経って来ると安全だけでは果たして農業として、農民として満足感というか継続力というか、やっぱりそこにはどんなに安全であっても美味しくなければ意味がないというか。
食べる人が美味しいって、それが有機農業の根幹だからこそこだわって作るし、そうした時にやっぱり人が在来種を守っていくことが大切だなと。
それがやがて10年・20年その作物がその畑、その風土に馴染んだ時に美味しく表現してくれるっていう、そこに在来種の凄い魅力があって。
F1種は1回きりで次々に買わなきゃいけない、それは表現が出来ないんですよね。
人と作物っていうのは守りながら相手の欠点とか長所を見抜いて、良い所を活かして悪い所をサポートしていく、そこに生まれて来るのが美味しさというか。
そういう意味では凄く、在来種っていうのは価値があるかなって感じがしますよね。



全国各地で失われていく消えゆく野菜、あるいは山奥でひっそりと残っていた野菜とか、あるいは農家が代々守って来た野菜は『想い』があって本当なら地域の中で守っていけたらベストですよね。
全国各地にそういうものが沢山あるわけじゃなくて、本来なら伝統だからその地域だけで守っている種がベストだけども、そうなると無い地域は何も無くなってしまうから、無い所は自分達が作っていこうと。
どんなに人生賭けて守ってきても50年ですよ。50年しか守りきれないですよね。
だいたい20年〜30年が1農家が守る限界で、種をあやす回数は20回〜30回ですよ。
本当は50回種をあやして、次の世代に渡していくっていうことが素敵ですけどそこまではなかなか守りきれないというかそういう種はなかなか無いですよね。
昔、50年くらいやった人の種を握った時に凄く感銘する事が多くて。
やはり50年という1つの人生を賭けて守りきった種というのは凄い価値があるし、それはやっぱり誰かに託さないとその種は無くなってしまう。
そういう価値や想いを次の世代に託しながら伝えていく事が凄く大事かなと思うんですよね。
種だけ託しても繋がっていかないと言うか。
だから種苗交換とか種のネットワークはあまり好きじゃなくて、『人と人を通して種を伝えていく』ことが重要で、そんなにばら撒く必要はないんですよね。
誰か1人でも種を受け継いでいく人が居ればいいんです。
全国に種をばら撒いてもあまり意味がないというか、返って種を守りきった人に申し訳ない、勝手に繁殖してばら撒くのはその人に対して申し訳ない気持ちはありますよね。



岩崎さんにとって種取りとは?

自分の物を作りたいと想う気持ちで地元の『黒田五寸』という人参から始めた事ですけど、その頃は夢があって世界で自分だけの素晴らしい人参を作ろうという発想があったんですけど、結果的に自然はそうは認めなくてそこに『多様性』の大切さを学んだ経緯があって。
そうやって自分の物が出来た時に「これは凄いな」って。
それが1つ2つ増えていっただけなんですよね。
種を採って、その種で作物を作るっていう自分の物で作るっていうのは最高に「作った」って気がしますよね。
じゃあ出来るだけ沢山の野菜を自分の物にして作っていこうっていうただそれだけですよね。
そのうち色んな人から種を託されたり、色んなお土産で外国の生産者から種を戴いたり交換したり。
そうして各地で色んな人達が種を守っている姿を観た時に「これは絶やす事は出来ないな」ということで守った種が沢山あったという。
だから想いを伝えるのは凄く大事かなって。
想いがないと守れない。
絶やした時にはもうこの自然界から消えていくのが在来種の運命ですよね。
僕らが何も気付かずに地域の守られた種をお爺さんやお婆さんが亡くなると同時に消えていったという。
昔食べた美味しい味をもう1回復活したい気持ちはあっても消えてしまったら復活しようにも元がないと。
人は失った時に気付きますよね。
今は遺伝子操作で近い物は作り出せる時代にまで来たと言うけど、全く同じ物は作り出す事は出来ない。
本当は守られた在来種が美味しくて、身体にも良いはずだとは感じてはいますけど、そこはまだハッキリしていないんですよね。
在来種とF1種の人間に対する効果というか。
それももっと未来に評価されるというか、時代も、ハイテク遺伝子組み換えも否定することもしたくないし、そういう生産者になりたくないんですけども、しかし在来種というのは何かがあって生きているというか。
また時代が過ぎた時に在来種の良さを人間が気付く時が来るだろうと。
だから絶対無くしてはいけない。
少数であってもそれを守る人が居なければいけない、ある意味では自分も役目として選ばれた1つの人間として守っていく立場にあるのかなと思って。
単なる種だけど、人を感動させる農業の世界はこんなに素敵だなっていう、やった人が初めて感じる世界ですよね。
それはやっぱり若い世代に伝えて行きたいなと思うし、そこを知らないと種を守っていけないと思うんですよね。



岩崎さんのこだわりとは。

私が有機農業を始めたのは自分の病気の事で始めたんですけど、農法は人間の師匠が居ないんですよ。
有機農業を学ぶ相手が自然というのを1つの師として雑木林を駆け巡ったりする中で、目で見るだけでは本当の事は学べなくて目より心を通して自然を観ようと。
そしてそれを聞いて自分の畑に実践していこうと。
そこには色んな農法の問題があったし、そこには種もあったし。
在来種は風土に合わせて変わっていくのが良さで、今は種の長期貯蔵シードバンクもありますけど、これだけの異常気象の中で何十年間も眠った種が突然復活しても、ほとんど機能しないんですよね。
やはり異常気象に対しては毎年畑の中で、現場で保存しながら種を採っていくのは大事な時期に入ったと思うんですよね。





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〜ONE BIG FAMILY〜鹿島ノ巻

ベジタブルジャーニー31県目の佐賀県に入りました!
向かったのは佐賀県の南部に位置する『鹿島市』。
鹿島市の山奥で自給自足をベースに、耕さない・持ち込まない・持ちださない自然農で農的暮らしを営む、元レゲエセレクターとDJの家族4人が創り出す『BIG FAMILY FARM』さんにお邪魔してきました。



お話をうかがったのはBIG FAMILY FARM代表『Yo-ti』さん(40)。



長崎出身のお二人。
ほとんど畑仕事の経験の無かったが、いつか自分の食べるものくらいは自分で作れるようになりたいと思う中、佐賀の友人から有機農家さんで研修生を募集しているという情報が入り、翌月の2006年の5月に現在の場所に引っ越して研修を受け始める。
最初は、田畑を営みながら、カフェの営業で生計を立てる「半農半カフェ」を始め、大小さまざまなライブや、祭りなど企画していたが、カフェ営業やイベント等の企画をしながら、田畑を営む両立は時間の制約が多く、当初自分たちが思い描いていた暮らしとは違うものになっていると感じ、現在では田畑を軸とした農ある暮らしへとシフトしていった。

生い立ちから現在

私はずっと長崎市内で生まれ育って、長崎は原爆が落とされた街だから毎年小学校では平和教育とか受けるわけじゃないですか。
全員がそうなのか解らないけど、私は平和意識って子供の時の教育で自分なりに持っているものがあったんですよね。
だけど、『戦争』っていうのが今でも起きているっていうリアルな感覚がなくて、戦争は『昔のもの』で、アレは二度とやっちゃいけないものだっていうくらいの認識だったんですけど、9.11のアメリカ同時多発テロの時にパレスチナの問題とかも知ることになって。
『今もなお戦争ってやっている事なんだな』っていうのがリアルに感じた衝撃で。
音楽仲間ってアンテナの高い人が多いから、いろんなことを知っている人にも出会って。
それで自分なりにみんなで考える音楽イベントをやったりとか、アフガニスタンに洋服を送るイベントとかそんな事をやりつつ、毎日OL生活して夜はDJとかやって。
だんだん自分の送っている生活と、現状とのギャップが耐えられなくなってきて、自分のライフスタイルから納得のいくものにしたいなっていう想いがあって、ご縁もあり佐賀に夫婦で移住して来たんですよね。



長女が1歳半の時に移住してきて、子供ができた時に安心して食べれる物を食べさせたいから、自給するぐらいできたら良いねってぐらいだったんだけど、夫も前の仕事からもうちょっと土臭い事をやりたいっていうのもあったから、ライフスタイルを変える良いタイミングかもねって。
食べる物を変えてみようと思ったら、無農薬の野菜ってあんまり売ってないから、じゃあ自分で作るしかないなっていうのがBIG FAMILY FARMの始まりですね。



農園名の由来

野菜を作って売るという事を、お客さんと農家と言う関係よりは、家族に食べてもらうような感覚でやり始めたからそういうのもあって。
世界皆兄弟ぐらい思わないと平和って訪れないよねっていう。
足元からしか変えられないし、自分に出来ることって少ないんだけど自分の力量に合わせて足元から平和が広がっていくような活動が出来ればなって。
だから農家なんですけど、農家の枠に収まらないで、ショップみたいに野菜セットと一緒に自分がオススメしたい物とかフェアトレード商品も紹介したいしシェアしたいから販売したりして。
自分の活動として農閑期の時には政治の勉強会やったりとかもしてて、選挙の手伝いも農家しながらやったりしてます。





なぜ自然農なのか

農薬とか化学肥料とか化学的なものに根拠は無いけどあまり良いイメージがなくて、私も病院とかあんまり行かないんですけど、もともと人って江戸時代なんかはナチュラルな化学物質が無くても生活を送っていたわけだから、そこまで近付ければゴミも増えないし、遠くから何かを持ち出さなくてもイイし、そこにある物で生きていけるようになれば持続可能な生活になるんじゃないかなっていうところから。
農業研修は有機農家さんでやらしてもらったんだけど、自然農の手引きの本を人から貰ったのがキッカケで、それを読んでいたらやってみたくなったのもあって自然農にだんだん切り替えていった感じで。



BIG FAMILY FARMのこだわりとは。

無駄を無くす、余計な事をしない。
安心の中に居ればイイんじゃないかと思いますね。
働いてお金を稼ぐと言う事が生活の中心にあると、稼いでるようでもそれに付属して要らない物を買ったりとか時間とか結局、無駄な事が多いなって。
色んな事を取り払っていくと気づく事ってあるよね。





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〜呼吸〜荒尾ノ巻

菊池市を後に、最後に向かったのが熊本県北西部にある『荒尾市』。
動物性、白砂糖不使用、無添加の調味料カラダとココロにやさしい森のカフェ『Arbaro』の経営もしながら、無肥料・無農薬・無防虫のたんじゅん農法で営農されている『クルンノウエン』さんにお邪魔しました。



お話をうかがったのはクルンノウエン代表『茅畑 考篤(かやはたたかしげ)』さん(43)。



埼玉生まれ、広島育ち。
日本画を勉強して、大学も学部を出て修士・博士・研究室へ。
大学の非常勤講師をしながら日本画の団体に所属し絵描き師を続けるも、身体を壊し大学を辞めて農業の道へ。

畑の話

ここの通路は1mの深さで掘ってあって、土は入ってなくて木材のチップが1m分入っているんです。





この人参はまだ途中で大きくなるんだけど、よく自然栽培や不耕起栽培は自然だから野菜が小さかったり硬かったりするんだけど、それは土地が痩せているから。



自然に即してるから小さいのはしょうがないじゃなくて、自然に即するとデカく育たないといけない。
どの農法も『土の中の酸素量』が足りてないんですよ。
微生物のエサになるのが有機物なんですけど、そもそも有機物に微生物が食い付いて分解した物が肥料。
それを肥料として使うんじゃなくて、微生物が食い付いて『食べる過程』で色んな物質が副産物として出てくるんですけど、それが野菜の生育に必要なので、肥料じゃなく微生物のエサを入れてやる。
ただ、微生物は動物に近いので空気がないと窒息するんですよ。
なので、深く掘る事で大雨が降っても土に水が溜まらない、すぐ水が抜けるようにって事と、空気に触れる面積を広げてあげるっていう事に気をつけとく。
微生物が食い付きやすいエサを土の方に入れて、微生物が食い付きにくいものは土には直接入れない。
近くに置いておく。
例えばここは通路が掘ってあるので、ここに分解しにくい物を入れておくと、そのうち食い付きやすくなるんですよ。
食い付きにくい物を土に入れちゃうと、微生物達が入ってきた異物をなんとかしようとそっちに労力を取られて、植物との共生関係を結ばないから、適度に食い付きやすいエサを入れる。



世の中に溢れてる、炭素を含んだ有機物に微生物が食いつけるか否かの判断だけしといてやって、食い付ける物は土に、食い付けない物はそばに置いておく。
後はエアーの入り、これだけ持続できたら十中八九、誰でも出来る。
ここは掘るやり方でやってるけど、水はけが悪くなければやっていない所もあります。
今頻繁にやっているのは、熱養生処理と言って、夏場にヨーグルト・パンのドライイースト・納豆を培養したものを撒いて耕して、透明のマルチを張っておくこと。
夏の高温に当てると団粒化が進んで一気に柔らかくなるんですよね。
僕らの中では高温でリセットする感覚なんですよ。
草が生えなくなるのと、作物に悪さをするウィルスや細菌系は死んじゃうけど、納豆菌は高温でも死なないので。
どうしても大雨が酷いと土の状態がアンバランスになる事があるんですよね。
それをリセットする意味とか、耕作放棄地なんかを植え付ける前に必ずそれをしてやると、いきなり土の状態が変わるのでロケットスタート出来ちゃうっていう。
あとは腐敗と発酵で捉える考え方。
人間は発酵型なので身体に発酵物を取り入れる事でエネルギーに変えていける生物。
お酒も漬物も納豆も発酵食品は身体に良いとされている。
刺身も寝かせるのは乳酸発酵だし、お肉の熟成も発酵で旨味が増す。

よく野菜に虫が来る、虫食いは美味しい証って言うけど、あれは根本的な間違いで、植物っていうのは発酵型なので土から根で吸い上げるんだけど、土が腐敗型だと植物は自分で選択出来る自由がないから吸い上げちゃう。
ある程度、腐敗を吸い上げても野菜自身で処理はするんだけど、キャパオーバーを起こすと処理しきれなくて虫が来る。
虫は腐敗寄りの物をエネルギーに変える生物だから腐敗に傾いた野菜を食べに来ちゃう。
虫が来るって事は土の中で過剰になったものを野菜が吸い上げて処理しきれなくなった証で、それを持ち出す役割が虫。
だから土の中が腐敗寄りじゃなく、発酵寄りに出来てたら虫は来ない。
なので乱暴に虫と人間の美味しい基準を一緒には出来ない。
ただ、虫には発酵型も居るし両方いけるタイプも居るから、虫の種類によりますけどね。



農家になるキッカケとは。

農業する気は最初からは無くて、ウチの上の子がアレルギーやけん、嫌々オーガニックの物を食べ始めて。
嫁も水商売してたんで、生まれて来た子供にアレルギーがある事が解って「なんじゃこりゃ」って。
母乳で育てようって母乳を子供にあげると真っ赤に腫れ上がっちゃって。
どうやったって治らないから、結局食べ物だって事を助産師さんに教えてもらって。
僕たちは毎日のようにコンビニで主食の生活をしてたので、そしたら食べ物でこうなるのが解っちゃったから食べるのやめるしかないってなって、ある日突然うちの嫁さんがベジタリアンになって。
添加物、保存料、食べ物だけじゃなく調理器具も含めて全部捨てて、ラッキーだったのが住んでた近所に数件自然食品店があったんで。
ただ料理する知識がないんですよ。
ある日突然ベジタリアンになったからしばらくは蒸し野菜ばっかり。
玄米と蒸し野菜に醤油垂らしたのでずっと行くから俺のストレスが半端なくて。
子供のアレルギーは突然すっごい減ったんですよ。
それにも驚いて、嫁さんも色んな本を読んで勉強して。
よくベジタリアンの人が動物性のチーズを使わずにチーズケーキ作る時に、豆腐を使うんですけど、チーズケーキじゃなく冷ややっこなんですよ(笑)
そういう時期を何年かしたら、ある日から何で作っているか判らなくなって来て。
その頃からイベントで出してくれ、とか声がかかったりして。
最終的に店にしようって事でこの店もやってて。
子供がアレルギーになってなかったらやってないですね。



僕も身体壊して大学の非常勤講師を辞めて、嫁さんの実家がある熊本に来て、子供達が食べれる物を作って、と嫁から命令が来たので。
嫁のお父さんが農家で花を作っていたんですけど花って食べないから物凄い薬使うんですよ。
物凄い薬使う農業やっていた人に、いきなり無農薬しようって言ったわけだからそりゃストレスになるわけでお父さんは2年で辞めちゃうんだけどね。
嫌々始めて、3ヶ月くらい経った時に炭素循環農法やってる人が近所に居て、ある日その人の畑に行って野菜食べたら美味しかったから、コレで出来るんだと思って。
やってるうちに面白くなって来て。

日本画と農の共通点。

日本画も栽培と近いんですよね素材の事とか。
すっごい面白いんですよ日本画の世界って。
日本で日本画の教育ってないんですよね。
描いても水彩画か油絵。
要は準備に凄い手間が掛かるから伝統絵画技法だけど誰も知らないおかしな世界。
岩絵具っていうのが特徴なんですよ。
岩から作られた絵の具、泥から作られた絵の具、金属染料から作られたもの。
同じ青でも11種類、粒子が違うパウダー状から砂つぶまで。
日本画も和紙に描いたり、絹に描いたりするけど、描く支持体は『呼吸』をすると。
日本は四季折々に湿度と温度が変わるので、呼吸するものでなければ劣化するっていう。
例えば絵の具が付けば良いじゃんって強力なポリマー系のものでやると紙が乾燥した時に裂けるんですよね、劣化するとか。
やっぱそれなりに凄く合理的な技術であって。
襖(ふすま)って何層にも和紙を貼るんですけど、あれ何でかって言うと、区切るん事が目的じゃなく、向こう側を『感じさせる為の仕立て』なんですね。
感じさせる為の微妙な膨らみをどう演出するかっていう世界。
そういう感覚っていうものに通じることは確かにこっち(農業)にもあって。
逆に言ったら知識として知ってた事を農業で再確認するみたいな。
それがまた面白かったりね。





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〜森の声〜菊池三ノ段

菊池市の最後に向かったのは、標高500メートル程の高原で、木を植え、森を育て、森に抱かれながら暮らしている『アンナプルナ農園』さん。
アンナプルナとはインドの神話の食料の女神。
ギリシャ神話の女神ガイアと同じように、地球あるいは大地を意味する。
1980年代後半に先代の正木高志さんが開墾。
農薬・除草剤・化学肥料を使わずに、できるだけ自然に沿った方法でお茶を中心に野菜やお米などを栽培。
近年水を守るために、農園奥にある『水源』を含む廃村を購入。
生命平和の村づくりに力を注いでいる。
お話をうかがったのはアンナプルナ農園2代目代表、元ミュージシャンの『オト』さん(61)と、奥さんの『正木 ラビ』さん(44)。



正木高志さんについて

(オトさん)僕は入婿で、ラビと一緒になって世代交代という形でアンナプルナ農園を引き継いでっていう形だけど。
熊本は水俣病の事もあったし、環境に対する意識が強い人が沢山おられるんだけど、その中でも正木高志さんは率先して環境運動をやってこられた方で。
本も沢山出てますけど、農業と言うよりは正木さんの中では『グラウニング』っていう思想がハッキリある、本職は何ですかっていうと哲学者ってことになると思うんです。
哲学者は口ばかりの人がほとんどですけど、哲学を身体で生きようとする数少ない中で、多分正木さんはその中でも突出しているんじゃないかなと思うんですよね。
正木さんは『木を植えましょう』っていう本も出しておられますけど、気候変動の問題が地球規模で問題になる前の2000年と2005年に植林をする森づくりの森があったり。
あと1km上に行った所に村があり水源があって、ここの村の10世帯の人はそこの水源の水で暮らしているんですね。
でも、明日どこかの企業がそこの水源の土地を国に交渉して買い取ったりするような事があると、村人は暮らしていけなくなる。
それはいつ起きてもおかしくない問題で、水を守る事をしないといけないので、正木さんは水源がある村に住んで水を守る活動に入ってます。



(ラビさん)ここはうちの父が住んで私が子供の頃に暮らしてた所で。
最初に建てたログハウスとかもそこにある、父と母が切り拓いた場所で。
私達はここの農園の後取りという感じで、数年前からオトちゃんが話していた水源の場所を譲り受ける事になって。
その村がもともと5軒くらいの集落だったんですけど、そこと農園も含めてこの地帯を『花鳥村』っていう風に名付けて。
この裏に国有林なんですけど、そこを借り受けてみんなで2000年と2005年に小さな山に植林をしてる場所があって、そこがもともと花鳥山っていう名前で。
アンナプルナ農園はもともと家族でやっていた場所を今私達が引き継いで、花鳥村っていうコミュニティの中にアンナプルナ農園があるっていうような展開になってきていて。
その発端が『泉』なんですよ。
みんなよく勘違いしてエコビレッジを作りましょうとか、どういうエコビレッジが良いと思いますかとか想像してますかって質問があるんだけど、ここは泉がそこを開きたいっていう、神話的な切り口だとそんな感じ。
おもしろいエリアなんです。



農家になった理由とは。

(ラビさん)まぁ自然の流れでっていうかね。
(オトさん)でも僕は3.11の時までは音楽だけで生きてきたので。
全国をライブで周っている時に僕がやっていたバンドを呼んでくれている人っていうのが、わりと自給的な暮らしをしている人達とか、環境意識が強い人達とか、地元でコミュニティを作りたいっていう人達によく呼ばれていたので、だんだんみんなが集まり上手になってくるというかそれぞれの地域が発達していって。
日本のアンダーグラウンドがオーガニックになってきた様をずっと見てきたようで。



マクロビオティックの始まりは中島デコさんが千葉にブラウンズフィールドを作った頃ですよ。
他にそんなの無かったし、みんな集まり方はそんなに上手じゃなかったし、マルシェみたいなものも無かった。
でも福島の事が起きてしまったので、それまでは僕は音楽をやりつつ自分のネットワークで安全な物を確保出来ると思っていたんだけど、それも人頼みだから3.11が起きた時にもうそれは出来ないなっていうのと、環境問題を差し置いて経済優先の状態が僕には信じられなくて。
どうにかしなきゃいけないならせめて、自分の呼吸してる酸素と友達や家族くらいの酸素分は直接『木』にお返しする感じで木が元気になる事を身体で返さなきゃと思って。
森に入りたいが為に、ライブの度に「お客さんの中で木こりの方はいませんか?」って呼びかけてライブやってたりしてましたよ。
3.11後、当時熊本は1番被害は少ない所だったんだけど、福島の人に比べれば奪われる物はココにはなくて、だからしばらくチェンジ出来るまで音楽辞めようと僕は思った。
変えないとって。
ミュージシャンとしての自分の態度表明だし、暮らし方を、食べる物を作る方向に行くムーブメントになったりすればもうちょっと変えれるだろうと思ったりしますけど、そんな事を人に企画として言うのは簡単だけど自分がまず本気でやらないと言う資格もないし。
とにかく始めなきゃと思って変えました。





アンナプルナ農園のこだわりとは。

(ラビさん)こだわりと言うか、ここの場の特徴と言うか。
人間中心ではない、もののけ目線と言うか。
自分達がやりたい事よりも、ここの自然が表現したいと思っていることのお手伝い。
(オトさん)実際に暮らしてて自分達の想像ではない事が沢山起きるんですよね。
(ラビさん)そうそう、勝手に起こっているから。
(オトさん)人間のプランニングだとかそういう事だけではスムーズに進まないし、そういう事じゃないっていうか。
(ラビさん)まぁ、計画も日常生活はお米を作ったり、お茶を作ったりその計画の中で暮らしている中で、やっぱりここの自然や泉から、この場から起こっている物語があって。
私、本を読むのも絵本を見るのも好きだったしファンタジーが好きで。
今ここで起こっている事が物語のように見えて仕方がないというか。
水の声を、森の声を聴きながら生きています。





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〜幸せな仕事〜菊池ニノ段

次に向かったのは同じ菊池市で、少量多品種生産をしている『友作農園』さんにお邪魔しました。
農法に隔たりは持たず、場合によっては自然栽培もあれば、オーガニックな植物性の材料から肥料を作り、畑に施す有機栽培もある。
どちらにしても自分達が食べる自給自足をベースに作る野菜は、安全性と美味しさが確保されている。

お話をうかがったのは友作農園『西村 友作(にしむらゆうさく)』さん(34)と奥さんの『あきな』さん。



農業を始めたキッカケ

大学卒業してからワーキングホリデーでオーストラリアに行って、行った先がヒッピーコミューンみたいな場所だったんですけどナチュラルに生きてる人と出会う機会が多くて。
色々話をしていくと『日本で感じていた日本』と『外国から見た日本』の政治観だったり教育観にすごく差を感じて「あれ?日本ほんまの事言ってないぞ?」って。
陰謀論とかも色々探し始めると点と点が線になって行き、未来のイメージをするといずれ食糧難の時代が来るぞと。
水の奪い合いだったり、食料の奪い合いだったり。
最低限、家族と身の回りの仲間の食べ物を育てられる技術を持っていれば、どこへ行っても困る事はないかなと思ったのが農業始めるキッカケ。
本当は自給自足をしたかっただけなんですけど、色々ご縁があって今は農業に携わる事になったんですよね。





農法の話。

農法はハッピーバイブレーション農法。
僕たちが心掛けてる気持ちが野菜に伝達するから、楽しい気持ちで畑をするっていう。
色んな農法ってあるんですけど、その人達が幸せに気持ち良く仕事していないとそれが野菜に伝わるからそこは大事にしたいなというのがあって。
畑ってどんな人が種蒔きして、どんな人が管理するかで野菜の生育が違って。
この人が植えた野菜やたら調子イイなとか、色んな人が手伝い(WWOOF )に来てくれるから、俺がやるより絶対上手く育ってるっていうのが見て解るんですよ。
その人達がワクワクした気持ちで野菜に接してくれたら、その分野菜が凄い喜んでくれて。
『言霊』とかそこは大切な事かなと思いながらやってます。
農法っていうもので相手を否定しながら自分を肯定してやってる人も目の当たりにして、これはどれだけ良い農法でもそれは悲しいなと思ったら農法とかどうでもよくなって。
何かの農法に属する事で敵を作るなら属したくないと思って。
だから僕農法とか嫌いなんですよね、方法論じゃなくて『その人が何を大切にしているか』っていうのが1番大事かなと思ってますね。





友作農園のこだわりとは。

こだわってないけど、接客する時も『楽しく』。
普通に農業やって、野菜育てて出荷してますっていうのは僕じゃなくて誰でも出来るから、それ何?みたいな他の人も真似してやりたくなるようなチャレンジを、農業って面じゃなく『ライフスタイル』として出来たらイイなと思ってます。
楽しい野菜作り。
本当に僕たち『こんな幸せな仕事無い』って思いながらやっているから、出来るだけ今後やりたいなと思う人が増えてくれるような、ワクワクしてくれるようなやり方をやりたいなと思ってます。







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〜内なる自己〜菊池ノ巻

次に向かったのは熊本県北部に位置する『菊池市』。
天然生広葉樹で覆われ、その間を縫う清冽な菊池川の源流が大小の瀬と渕と滝をつくり菊池渓谷をなしている菊池市は、熊本県内でもオーガニックファーマーが最も多いと言われている地域。
豊かな自然が残る熊本の菊池水源村で、自給自足の農村社会に向け、衣・食・住・エネルギーを全て自給できる調和した暮らしを模索する『ジャー村 発酵農園』さんにお邪魔してきました。









お話をうかがったのは、サウンドエンジニアでもあり米麹職人でもある、発酵農園代表の発酵PA『ジャー村』さん(36)。



6年前まではライブハウスでサウンドエンジニアをしていたジャー村さん。
音楽で世界は変えられると、各種イベントを企画したり、原発反対運動にも参加。
3.11東日本大震災を機に、意識だけでなく暮らしそのものを体現するように変化していき、インドの哲学『ヴェーダーンタ』を学び、更なる真理を追求する生き方へ。
自分の食べる物は全て自給しながら、麹職人を軸に稲作や畑から採れる恵みを販売し、農家として暮らしている。

栽培方法と販売品目の理由。

基本的に僕はお米を中心に作ってるんですけど、耕運はしていて、全て無肥料・無農薬で田んぼも畑もやっています。
田んぼはちょっと変わった方法でやっているんですけど、株間を普通は25cm〜30cm間隔で植えると思うんですけど、僕の場合は40cm〜45cmぐらいの間隔で苗を植えていきます。
『一本植え』なんですよ。
もの凄い間隔が空いて一本植えで植えるんですけど、それが80本〜100本ぐらいに分蘖して収量も2〜3倍くらい採れるやり方でやっています。



1反につき普通は3kgくらいの籾種を使って4〜5本の苗を使うと思うけど、このやり方だと3号分の種籾でいいんですよ。
もの凄いエコだし収量も2〜3倍採れるので、田んぼの広さも半分くらいで済むから、草取りも草刈りの手間も省けるし。
あとは、藁と畦草を枯らせた物を全部田んぼに入れて代掻き前に漉き込むだけです。
それを毎年やってれば3年で地力のある田んぼになります。
全部そこにあるもので循環です。
ココは全て湧き水の流水でやっているのでお水も凄く綺麗で。
手植え・手刈り・天日干し、でやってますね。
籾種は毎年種採りをして、旭一号っていう西日本の在来種になります。
今回は5年間休耕田の所と、毎年やってる所と2ヶ所で種蒔いて田植えもやったんですけど、全然違ったんですよ。
休耕田の方がもの凄く生育が良い。
苗の大きさも、色も。
地力を知る事は大切ですね、それによって植え幅も変わるし。
本当にこの農法は誰でも簡単に出来ると思うんですよ、機械も使わないので。
やっぱり機械使うのが僕はストレスだし、なんか『仕事』してる感じになるんですよね。
手刈りはノンストレスで逆に心が満たされるんですよ。



今はトラクターだけ使っているので、ゆくゆくは『馬耕』にしたいと思っています。
自分で食べる物しか作ってないので、自分の身体が喜ぶ物、地球環境にも優しい物をテーマに、身体に優しくて地球にも優しくて美味しい物を作ってますね。
自分の身体にも良いと思っているんで、お米と、味噌と、梅干し。
それだけあれば僕は暮らしていけるので、もう他の食べ物はうちにはないです。それだけで満足できます。
基本的にベジタリアンなんですけど、自分で買う事もないし。
でも、みんなで食事する時に戴いた物はあんまり断らないですね、お肉とかはあんまり食べないけど。

生い立ち。

30歳までは熊本市内で、3.11東日本大震災の再起する時までライブハウスでずっと音響とかイベントをやっていました。
3.11で色々と考えさせられる事があって。
福島にお味噌を送る活動を始めたんですよ、やっぱり放射能の事があるから。
それで麹を買ってたんですけど、やっぱり高いし、自分で作ってみようと思って作った甘酒が凄く美味しくて。
それで発酵の道に目覚めて。
3.11を機に自分自身の食生活も変えたんですよ。
僕凄い病弱だったんですけど、身体の不調が全部治って。
玄米菜食凄いって自分でこういうの作ろうって。
資本主義経済から離れたいと思って自給自足を始めました。



お米の株間を空けた特殊な栽培方法はどこで得たんですか?

玉名という地域に、旭一号(米)を40年間作られてる本田さんって方がいらっしゃるんですよ。
その方が一本植えの農法をやられてて。
僕はたまたま玉名にある玄米菜食のお店に行った時に、旭一号を作っているお米が売ってて。
紹介してもらって本田さんの田んぼへ行ったんですね。
そしたら見たこともないようなもの凄い大きな稲の光景があって。
一本植えで100本くらい分蘖して、1反で10〜15kg採れる、その光景を見て「これは凄い」と思って教えてくださいって。
本田さんから全部教えて貰いました。
84歳で今でも手刈り掛け干しで、1人でやられてるんですよ。

今後の農園

基本的に今は僕1人で色々やっているんですけど、やっぱりコミュニティとして、村としてやっていきたいと思っているので、みんなで出来るだけ機械を使わないで循環型の暮らしがしたいなと思っていますね。
ゆくゆくはお金を掛けない、全部『村』だけで自給できるような暮らし。
あとは水車と馬があればエネルギーは必要ないので、そこに向けて少しずつ今からやっていけたらというところですね。



発酵農園のこだわりとは。

エゴを無くすことかな。
内なる自己、人間の本質を大切にしたいなっていうところですかね。
執着や欲望を無くして、世の為人の為にご奉仕することを心掛けています。
その為には瞑想も必要だし、ヴェーダーンタの勉強が必要だなと思っていますね。







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