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Organic Lifestyle EXPO

先日、石川県羽咋市のJAに伺った際に頂いた招待券で東京国際フォーラムにて開催されている『オーガニックライフスタイルEXPO』にお邪魔してきました。

オーガニックライフスタイルビジネス10のカテゴリーが集っている展示会。

1青果物、海産物、畜産物、加工食品、ドリンク、酒類、他

2農業、農園・家庭菜園、生花プランター他

3アパレル・ファッション、アクセサリー、雑貨他

4ビューティー、コスメティック、スパ他

5メディカルアロマ、代替医療、ヨガ、ピラティス他

6ベビー&キッズ、食育、玩具、雑貨、アート他

7住宅、リフォーム、建材、内装、リユース・リサイクル他

8伝統伝承・地域活性化、ツーリズム、古民家再生、伝統食・技術・工芸他

9代替エネルギー、ハイブリッド技術、蓄電技術他、自然エネルギー他

10海外の商材、輸入・輸出販売他


オーガニック3.0を推進する継続可能な開発目標SDGsの実現に向けて。

集い、繋がり、交流し、国内のオーガニックを基本としたライフスタイルビジネスの健全な発展と更なる啓蒙普及を目的とし、オーガニックなファッションやコスメ、食料品から日用雑貨まで「衣・食・住」全体をテーマにした同展示会は、実際に商品を手にしてもらうことで、一般消費者に「オーガニック」を自身のライフスタイルに落とし込んでもらうねらい。

オーガニックライフスタイルEXPOは今回で2回目の開催。



































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〜雑草を味方にするお茶〜島田ノ巻

静岡県4件目で向かったのは、静岡県中部に位置する島田市で自然栽培のお茶を栽培から加工、販売までしている『無農薬茶の杉本園』さんにお邪魔しました。





お話を伺ったのは無農薬茶の杉本園三代目『杉本 鋭悟』さん。

ベジタブルジャーニー78件目の農家さんです^ ^



緑茶は発酵させたらいけない為、収穫したらその日のうちに全て製造加工されます。





これだけ色々ある機械だが、最初の蒸し以外は全て乾燥工程の機械。









最終的な重さは水分が抜けて約1/5程度に。







1日に多くて1トンもの収穫量。
収穫してからすぐに揉み始めて、早いと3時間後には既に製品になっているが、機械は年間合計で1ヶ月ほどしか稼働していない。
鹿児島などでは海から山の方までお茶を作っていて、収穫は4月くらいから始まり、山の上の方は5月くらいに終わる、そうすると下の方がまた出て来るから続けて二番茶と、かなり効率よく動かせることに比べ、静岡の場合は昔ながらの農家が多く規模が小さい為、稼働率は低いと言います。





続けてお茶畑も案内して頂きました。



杉本さんの所はオーガニック栽培でやっている為、周りにある茶農園の農薬などの影響を受けないようほとんどの畑が山の中にある。



代々農家家系の杉本家。
当時、機械もない時代は全て手摘み作業になるため収穫だけでも1ヶ月半も時間が掛かっていた。
お茶をメインでやり始めたのは車が世の中に出始めた時代あたりからで、故に流通手段もない時代の緑茶は非常に貴重な物だった。
お茶栽培をしていない東北地域のお客さんが緑茶を飲めるようになったのは戦後になってからだと言います。
酸化を嫌う緑茶がどこの地域でも飲めるようになったのは真空パックと流通が出来るようになってからで、それまでは生産している地域以外は緑茶ではなく番茶や焙じ茶を中心に飲んでいた歴史がある。



畑は先代が40年前に茶畑として開墾。
約3.5町歩の広さを家族4人で切り盛りされています。



お茶畑には防霜ファンと言って農作物に霜の被害が及ぶことを防ぐ目的で設置される送風機があるのが一般的だが、杉本園では無肥料にしてから芽の出るタイミングが自然のリズムに合っている為、霜のかかる3月後半から4月くらいには芽が出なくなり、防霜ファンも必要なくなり撤去されている。



オーガニックに切り替えたのは平成5年。
農薬が嫌いだった先代がオーガニックに切り替える事のリスクを心配する中、ある時EM菌の存在を知り可能性を感じて慣行栽培から有機栽培に切り替える形から始まった。
しかし最初の2年は上手く行ったものの途中から大量の害虫被害に遭いどうしようもない状況に。
理数系の先代は緻密な肥料計算をしていく中である時に、スタートの肥料を計算式に当てはめて0にすると、出てくるお茶が0になることに気づき、肥料を入れなくてもお茶は伸びるよなと、そこから思い切って肥料も極力入れない形に切り替えて行く。
今までやっていたボカシやEM菌も一切やめて、初めは時々米ぬかを入れる程度に。
切り替えて3年くらい経ち山の中の畑はだいぶ良くなり、他の茶畑と隣接している畑は10年かかったがこちらもだいぶ良くなって来た。
ちょうど良くなってきた頃に今度は茶毒蛾が大発生。
茶毒蛾が着いていたのは木の側面。
地面から淵の部分。
お茶の枝はふわっと丸みを帯びて伸ばすのが通例だが、茶毒蛾が着いたこともあり杉本園では横枝を全部切っているのが特徴的。



茶の木は横枝が伸びると再び土に潜り根を張る。
伸びた根っこは浅く、肥料を入れていればそれが根に効くのだが、肥料を入れなくなって弱ったのが茶毒蛾の発生ポイントになった。
その事に気づき5年〜10年かけて全ての畑の横枝を無くす形に。
木の全体の面積が減る分、収量が落ちるかと思いきや、横枝があると芽が伸びず大柄のお茶などは伸びずらい。
横枝を全てカットすると幹の根が深く潜るようになりぐっとお茶が伸びるように。
結果的に収量は全体的に上がり、横枝がなくなり風が入るようになったおかげで陽の光も入り、なにより病気に強くなった。



肥料を入れなくなったのは何かを見てとか、誰かに聞いたわけでもなく実践の中から発見していったと言うわけだ。
現在では米ぬかすらも入れずに完全無肥料の自然栽培。



杉本さんは代々農家だからやっぱり農家だったんですか?

僕実家じゃなく東京に居てパチンコスロットのアニメーション描いてました。
アニメーターではなくキャラクターデザインの勉強をしてまして、去年大ヒットした映画『君の◯は』と同じ会社のパチンコの部署に居たんですけど、ある程度描ける人間は映画の方に行かないかという話になって、当時まだ売れてなかった会社だったから8畳くらいの部屋にパソコンいっぱい並べて人がぎゅうぎゅう詰めになって忙しいって話を聞いてそれは無理だなと思って断ったんですね(笑)
東京に居るときも休みの日にはお茶の試飲販売をしたり手伝っていて、どっちを取るかで実家をとりましたね。

1番の決め手はオーガニックのお店でお茶飲んでくれた方が最初飲む前に『私、もう10年くらいお茶飲んでなくて、オーガニックでも飲めないんですよ』って言われて、最初なんの事かわからなくて、でもお兄さんが入れてくれたから飲むねって飲んでくれたら『あぁ、このお茶飲める』って。
詳しく聞いたら化学物質過敏症の方で、その方が10年ぶりにお茶飲めたって言ってもらえて、それまではうちのお茶ってただ無農薬なんだって意識で、無農薬が自分の中で何なのかって事が解ってなかったんですよ。
別に農薬・肥料やっててもいいじゃんって、ただ自己満足系だなって思っていたんですけど、この話を聞いてそういう人達が居るんだと初めて知って。
それがなければ多分まだパチンコやってましたね。



杉本園のこだわり

この草(雑草)ですね。
結構みなさんこの草がどう生えないようにするかってやるんですけど、うちではどんだけ草が生えたかがなんぼだと思ってるんですよ。
これが生えないと土が良くならないので。
草を刈った後はすごいフカフカになって色んな生き物も活発に来るようになるし、お茶の芽も伸びるようになってくるので、草があっての農業だなってここ数年すごい感じてますね。
それまでは本当に有機肥料入れないとって意識があったんですけど今はもうそれが一切なくなりました。
味の方も高齢のお客様には『昔のお茶だ』って言われます^ ^



今では草を刈って雨が降ると1週間で何もなくなるまで微生物の分解が早くなったんですよ。
分解して土になった草がまた肥料になって再び草を生やして、また刈ってと、自然のループで。
最初は畑と山に生える雑草の種類も違かったんですけど、今では山も畑も同じ草が生える環境が出来上がりました。
自然と調和したお茶が出来てるんだと思います。







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〜こだわりを届ける〜掛川ノ巻

今回は静岡県中部地域を中心に牛フン、鶏フン、農薬、化学肥料を使っていない安心安全な自然農法野菜の移動販売をしている『Lalala planet plus』さんにお邪魔してきました。



移動販売と言っても販売車で売り歩くわけではなく、色々なイベントに出店したり間借りするような店舗を持たない移動八百屋スタイル。
この日は月1回、掛川市のモデルハウスで開催される野菜市。





Lalala planet plus代表の『長田 久美』さんにお話を伺いました。



なぜ自然農法の野菜を扱っているんですか?

自然農法で有名な三浦伸章さんと知り合ってから移動八百屋が始まっているので、誰でもイイわけじゃなく、三浦さんが教えた人たちの自然農法野菜を扱っています。

移動八百屋をやる経緯

私は11年間、保育士として働いてて1年辞めて専業主婦してたんです。
その時に三浦さんとイベントを通じて知り合って、私の母親も糖尿病とかで、私が結婚したときに、自分が作る食事が何年後かの家族の健康とか病気を作り出すのはその時の味付けなんだと思ったら、ごはんを作る人ってすごい責任重大だなぁって思って。
その頃JAのファーマーズマーケットが地産地消ってことを言い出してた時で、野菜はもちろん新鮮なんだけど安全はどうなんだろうと思ってた時に、三浦さんと知り合って。
こういうお野菜がこんな近くにあるんだって。
最初は友達と共同購入みたいな形で2009年くらいにやってたんですけど、周りから欲しいよって声が出てきて、じゃあお店にしようって、そこから店舗を持たずに知り合いのお店とか知り合いの場所で月2回野菜市を始めたのがそもそものきっかけです。



2011年にLalala planetって名前で友達と2人でやり始めたんですけど、去年の2016年に私が独立をしてLalala planet plusになってそれぞれが活動する形でやっています。
今は月に10日くらいのペースでイベントとか間借りをしてやっていますね。
珍しい野菜なんかは買ってもどうやって食べてイイかわからないって人も結構多いし、ちょっと食べ方を伝えるだけで珍しい野菜も美味しく食べれるから、私は『野菜を美味しく食べるレシピ』と言ってFacebookページをLalala planet plusとは別に作ってあって。
そこで色々なお野菜を美味しく食べる方法をご紹介してたりします。
静岡県の方は保守的な人が多いからあんまり珍しい野菜に手を出さないんですけど、色んな変わった野菜、店では食べるけど家では食べないみたいな物をこうすれば食べやすいよとか、これって簡単でこんなに美味しいんだよって事を、うちの物を買ってくれる人だけじゃなくて、見てくれてる人にお伝えするようにはしていますね。
それが直接商売に繋がらなくても美味しいのが伝わればいいかなって気持ちで。





Lalala planet plusのこだわりを聞かせてください

元気で笑顔になる野菜です^ ^
これを食べると元気になるし笑顔になります!





私これを売ってるんですけど、結局の根底は『愛』だと思っていて。
お母さん達が添加物・農薬いっぱいの物でも子供たちに対して愛いっぱいに作ればそれに勝るものはないって思って。
もちろんこれも凄いイイお野菜なんだけどこのお野菜を毎日イライラ作ってたら何も意味がないって思うから、そこが私が元々思ってるとこなので、もちろん無農薬・自然農法っていうのも売りなんだけど、それよりも美味しいから食べてっていう感じです^ ^!
うちの旦那もこの野菜にして調味料も気をつけるようにしたら毎年インフルエンザと扁桃腺で熱を出してたのが無くなったし。
それだけじゃないけどただ美味しいから食べて欲しい。
食べてもらえば解るからってそういう感じかな。





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〜『自然』とは決めつけない事〜磐田ノ巻

静岡県3件目に伺ったのは静岡県磐田市で無農薬・無化学肥料でオリーブを栽培している『Enshu Olives 遠州オリーブ』さんにお邪魔してきました^ ^



圃場は荒れていたお茶畑を開墾して、約700本のオリーブ2.4ha(2町4反)をご夫婦お2人で切り盛りされています。





お話を伺ったのはEnshu Olives 遠州オリーブ代表の『鈴木 健太』さんと奥様の『理恵』さん。

ベジタブルジャーニー77件目の農家さんです^ ^



2008年から2009年にかけて、それぞれ別の目的でイギリスに滞在していた鈴木夫婦。
イギリス滞在中、何度となくイタリアやスペイン、フランスなどを訪れるうちに、その食文化、生産者と消費者の関係に強く惹かれていった。

2011年6月より約2年半にわたり、オリーブの栽培・加工技術の習得のため、ニュージーランドとオーストラリアへ二人で渡航し、現地の小規模農家を訪ね回る。
再び帰国後の2014年春、遠州地方にてオリーブ農園を拡大し、現在約700本のオリーブを栽培。  2015年1月、夫婦そろって認定新規就農者に。
今年には念願の加工場も設ける予定で、自らが育てた静岡産100%のオリーブオイル等、栽培から加工・販売までの全てを担う予定。

なぜオリーブをやることに

元々ぼくと嫁さんは全く別の事やってたんですけどイギリスで出会って、イタリアとかスペインとか行くうちに、あっちの方ではレストランとかにオリーブの漬け物が置いてあったりするんですよ。
オリーブオイルもサラダに必ずかけるのでテーブルに置いてあるんですけど、それが凄い美味しくて日本でこんなの食べた事ないなと思ってそれがきっかけですね。

田舎の方に行くと常に漬け物とオイルがあって、どこで食べても美味しいなって。
日本でも食べた事あったんですけど、今まで食べてきたのってなんだろな?ってくらい美味しいくて。
こんな美味しい物があるんだったらと思ってハマったというか。



オーガニックでやっている理由

ぼく祖父母が農家だったんですね。
売り物には農薬掛けるんですけど、自分達で食べる物には掛けないんですよね全く。
そういう疑問とか色々あって何で農薬わざわざ使う必要あるのかって考えていくと、やっぱり要らないっていう考えになって、大量に作って大量に売るっていうんじゃなくて、好きな人が買ってくれて自分たちも食べていける利益が出るんであれば全く問題ないんじゃないかなと思ってオーガニック。
僕そこまでガチガチにオーガニックやりたいとかではないんですけど、まぁ自然と言うか、基本的に海外の人とかもオーガニックだからとかじゃなくて当たり前のように農薬使うの?みたいな、そんなの使わなくて大丈夫だよっていう考え方で研修とかもしてきたので、そういう(慣行栽培)流れにならなかったと言うか、そこに至らなかった感じです。
根底として元々そういうのが好きじゃなかったのか、薬がなくても出来るものは出来るしなぁっていう考え方なので、基本的に自分も薬は飲まないですし、植物も一緒のことだと思っているので。
どーしても最悪の場合っていう風な選択なら農薬とかもアリなのかなと思ってるので、ガチガチにアンチ農薬派ではないし、出来る限り自然な栽培に近い形っていうだけですかね。



オリーブ栽培士になるまでの経緯

大学卒業して、元々はアパレルの仕事をやっていて、仕事を辞めてその後イギリスにファッションを学ぶ為に留学という形で行ったんですけど、そこで出逢ったのが食べ物で。
ヨーロッパの食文化っていうのが凄く発達しててイギリスって不味いってイメージあるんですけど移民も沢山多くて実は美味しい物たくさん溢れるんです。
その近隣の国にも美味しい物っていっぱいあって、オーガニックな物とかありふれてると言うか普通にその辺で売られている状態があって、日本とかけ離れた違いが凄かったのでそこで衝撃を受けて。
それで何かが変わったのか農業の道にって感じです。

日本に帰ってきてオーガニックとか自然農法の人とかの所に研修行ったりして学んで、その後はちょっと縁あって庭師をやることがあって。
果樹も触れるような所で、その頃にもオリーブを触る機会があって、イタリアに行ってた時を思い出して日本でも綺麗に成ってるなっていうのをそこで見て。
その時は野菜を作ろうかなと思ってたんですけど『あ、日本でも出来るんだ』と思ってそっから切り替えてオリーブに。
でその後にオリーブで有名な小豆島から色々苗を買ったりして植えてみて、だけどよくわからないなと思ったのでニュージーランドとオーストラリアに3年弱くらい研修というか仕事ですね、現地の人に雇ってもらってノックして色んなとこ3箇所くらい働かせてもらって。
基本的にはオリーブ農園の人ってワイン作ってたり、オリーブと何かをセットでやってる人が多いので、その両方をやらせて貰いました。それが終わって帰って来たのでココで広げました。



農法

ないですね(笑)
農薬・化学肥料は使わないけど、有機肥料は少し入れたり、自然農法やバイオダイナミックとかも参考にしたり、イイとこ取りしながら色々取り入れてるんでこういう農法とかって概念はないですね。

オリーブの収穫期

品種によって収穫期もバラバラで、味によっても観ながら収穫するんですね。
緑の実でも半分紫っぽくなったり、全部赤くなるまで時間を追って変化して行く中で、変化によって味も変わっていくので自分の頃合いで、今この味だろうってベストなタイミングで採るんです。





例えばこの品種ならなるべく青い方が美味しいけど、全部青いとちょっと辛いからやめるとか、そういうバランスをみて収穫していくので全部一気に収穫とかはないですね。
なので収穫期は長いです。
オリーブは7〜10年くらい経つと成木になるのでそこでようやく収穫量も落ち着いて1本の木からおよそ5kg〜10kgくらい収穫出来るようになります。
とにかく果樹は時間がかかりますね。





何種類くらい植えてるんですか

10くらい植えてますかね。
オリーブオイルはオイル用のがあって、食べるやつは食味に適した種類があってその中から抜擢して植えていきます。
僕たちは2種類のオリーブオイルを必ず出します。ブレンドしたものと、単一でどうしてもそれだけは出したいってこだわりの物があるのでその2種類。

そのこだりの物とは

フラントイオって言うイタリアトスカーナ地方でよく生産されてるものなんですけど、すごくイイ香りで、青リンゴみたいな香りがするそれが好きで始めたのでそれだけは出していこうと思って。
それがメインで約50%くらいが植わってます。



今後のEnshu Olives 遠州オリーブの方向性は

とりあえずもう少しで生産量が安定してくるので安定させて、後はマーケットとか自分が好きで色々廻ってきたので、この辺で色んな人と主催とかやりたいなって思いますね。
まぁ、あんまり僕こだわりって言うかこうしなきゃっていうのがそこまでないので流れに身を任せてというか(笑)
ファッション勉強しに行って農業行ったのも自然な感じだったし、農業やらなきゃとかじゃなくてやろうかなっていう感じで入った世界だし、性格がこういう性格なんで思ったことをやってく感じです。





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〜本物のハチミツ〜春野ノ巻

静岡県2件目は番外編。
今回は農家さんではなく、浜松市春野町で養蜂を営む『養紡屋(ようほうや)』さんにお邪魔してきました^ ^

この養紡屋というネーミングは、
「つながりを紡ぎ養う」という想いと、 「養蜂」とをかけて『養紡屋』という屋号になっています。

私たちが普段、口にしているであろう一般に流通しているハチミツの中には、蜂蜜100%ではなく、異性化液糖や水飴など糖類を加えた『加糖はちみつ』も多く存在している。

養紡屋さんのハチミツは無添加で、しかも非加熱。
混ぜ物なしの蜂蜜100%で、巷ではそれを『生ハチミツ』とも呼んでいる。
しかも抗生物質不使用の生粋でオーガニックなハチミツだ。

そこには蜂の飼育・採蜜・瓶詰め・パッケージング、全ての工程をお1人で管理するからこそ大手には真似出来ない丁寧さと信頼がある。

ハチミツには野菜や果物と同じように、土地の風土・季節・樹木・花と、
その時々の旬の“味”が楽しめる。

生のハチミツならではの面白味だ。

今回はそんな養紡屋の代表『塩見 亮太』さんにお話を伺いました。

ベジタブルジャーニー76件目です^ ^



農家さんと違って、多くの養蜂家は土地を買わない。
例えば、農薬が近くで散布される環境だと蜂たちは死んでしまう可能性があるからだ。
日当たりや日照時間など作物を育てる環境は必要なく、養蜂に必要な土地は広くて平らならばそう条件は選ばない。

銀座だと屋上でミツバチプロジェクトと言うのが可能なくらい、花さえあれば蜜蜂はどこでも生きて行けるからだ。

フランスだとオペラ座の建物の上にも置いてある。









養蜂業の全てを賄う塩見さんは巣箱も全て手作りの自作。











蜂は煙をかけると大人しくなる習性があり、煙の元は蜜蝋が付いた麻布。













元々は神奈川出身の塩見さん。
25〜6歳(約7年前)くらいからハチミツに興味を持ち始め、蜂蜜と聞けば買いに行き、養蜂家と聞けば会いに行き。
養蜂に関する本があれば著者に直談判して会いに行ったりとする中で、そんなに熱心ならこっちにおいでよと、ご縁があり浜松へ移住。
翌年には移動養蜂の岐阜出身である師匠と出会い、北海道と岐阜を行き来しながら技術を学び、再び浜松に戻り独立。





養蜂家の仕事は蜂蜜を採るだけで終わりではなく、冬に農業ハウスなどでイチゴや玉ねぎだったりと、交配が必要な作物の手助けとしても蜂が使われる。
この日は『交配用の蜜蜂』を増やす為の作業。







養蜂って巣箱を置いておくだけで勝手に居着いてくれるものなんですか?

日本蜜蜂っていうのと、西洋蜜蜂っていうのが居るんですけど、僕がやってるのは西洋蜜蜂で、日本蜜蜂っていうのは巣箱を置いとくとそれこそ勝手に気に入れば居着くんですけど、西洋蜜蜂はそうは行かないんです。
最初は種芋みたいに蜂屋さんから買うって形ですね。

西洋蜜蜂は1つの花に向かって行く習性があるんですよ。
っていうのもアフリカが原産だから向こうは気候変動が激しかったんでしょうね、花が咲いた時に一気に蜜を採りに行こうっていう風に進化していったと言われています。
逆にインドが原産の日本蜜蜂は、常に熱帯雨林で花が咲いてたわけです。
いつでも蜜を採りに行けたんですよね。
だから日本蜜蜂は周りにある花を適当に採りに行く習性があるんです。
なので特定の花の蜜ってことにならないのが特徴なんですよね。

花の近くに蜂を持って行く事を『花に当てる』って言ったりするんです。
なんとなくイメージとしたら釣りに行くような感じですかね。









養蜂家になった理由

ロシア語の学校に行ってたんですけど、まぁ仕事がないもので。フリーターと言うか無職だったり、アルバイトしてたり、頑張って正社員になったりとかもしたんですけど転々としてるうちにお金も無くなってきて、僕お酒が好きだからお酒って作れないのかな?と思って糖分を無料で入手出来ないかと思いネットで調べたら蜂蜜と砂糖があったんですよね。
砂糖って言ったら沖縄と広大な大地。
これは無理だと思って、でも蜂蜜だったら庭に箱を置いておくだけなのでコレだ!って思って。
田んぼに蜂を捕まえに行ったりとか、各地の養蜂家に会いに行ったりとか、最初はあんまり仕事にするつもりは無かったんですよね。
でも浜松に来ることになってそれからって感じですね。







こだわりを聞かせてください

抗生物質不使用はこだわっていますね。
自分たちの世代で出来ることは抗生物質を使わない方法を確立していくことなんじゃないかなと思ってます。

僕は普通に食べてるハチミツが『良い物だった』ってだけで良いんですよ。
やれ生ハチミツだとか、非加熱ハチミツとかって言うんですけど、それって嫌なんですよね。
ハチミツでイイじゃんって思うんですよ。
生とか付けると付加価値が付くからとか言うけど、そもそも普通に採れるのがハチミツなので、今がおかしいんであって生とか付ける必要ないし、そういう物の見方をしたいんですよね。
消費者の人たちに生ハチミツとか言って、われ先に売ろうとするんじゃなくて、これがハチミツですよって。
今まではこういう歴史がありました、抗生物質とか入ってます、結晶させない為に加熱をしてますとか、それは大量消費社会で安く簡単にお金が稼げるようにって発想で生まれた技術と言って良いかわかんないですけど、そういうものがあったけどって過去形で。
まぁ前時代的な話ですよね。
だから普通にハチミツですよって言って売ってたいですね。



今後の養紡屋としての展開

まずお酒に関しては、酒造って違法なんですけど、最近水窪っていう地域で構造改革特区を使って、どぶろく特区を取得してお酒作れるようにしたんですよね。

構造改革特区とは実情に合わなくなった国の規制が、民間企業の経済活動や地方公共団体の事業を妨げていることがあります。  構造改革特区制度は、こうした実情に合わなくなった国の規制について、地域を限定して改革することにより、構造改革を進め、地域を活性化させることを目的として平成14年度に創設されました)

じゃあ、リキュール特区を取ってハチミツ酒を作れるように出来ないかなって。まずはお酒の事ですよね。

あとココは桜の蜜が採れるんですよ。
桜ってバラ科の植物なんですけど、ぼく北海道行った時に青森の養蜂家さんのりんごに当てた蜂蜜を食べさせてもらった事あるんですけど、そっくりの味だったんですよ。りんごもバラ科なので。
これは間違いなくバラ科の植物の味だなぁって。
それを海外に持って行けたら面白いかなって思っていて、今はコンビニみたいにパリとかだとオーガニック食品店とかあったり、ニューヨークとかもそうだなと思って、海外から良いハチミツとかって入って来てるのに日本だって良い物あるのになんで有難がって海外の物ばっかりみたいな。
それが桜蜜ですね。

あとはタイの貧困地域に寄付をしてるんですけど、復興支援みたいのが出来たら面白いなって思って。
アジアって首都圏はバブルなんだけど、周辺は本当貧困地域で、国内でもフェアトレードみたいのが出来たら面白いなって。
箱持って行けば自然は豊かだから蜂蜜は採れるので、そこで採れた蜂蜜を首都圏に持って行くような国内でフェアトレードみたいなことが出来たらなって。
結局ぼくら養蜂家は未だに問屋業がすごく強くて売りが弱いんですよね。
それがそのまんまアジアでも起こってたんですよ。ぼく寄付してたけど同じ状況じゃんって。
だから、こっちでニューヨークとかパリとか東京とか名前のある所で小売して形を作ってどうやったら首都圏の人達が買うか、どうやったらシステム化できるか、そういうのをやりつつアジアの方に行ってそれを応用していくことが出来たら面白いのかなっていう。

あとはWWOOFみたいな形で蜜蜂をトラックに乗っけて転々としたら喜ばれるかなって。
WWOOFはお金基本的に戴かないじゃないですか、各地で採った蜂蜜を自分で販売して、後は農家さん手伝いながら転々としていくみたいな。
現代版・地球版お遍路みたいな^ ^
養蜂家の道みたいのが出来たら面白いなと思いますね。



帰り際に蜂に刺されてしまい、せっかくだからと、もし蜂に刺されたらどうするか身体を張ったレクチャーをしてくれました。







針が刺さると、ドクドクと動いた袋が付いて来ます。
ここに毒が入っているので上から掴むと返って毒を体内に入れてしまう事になるので、掴むのではなく親指で横からスライドして取るのがベストです。








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〜人生の天秤〜三ヶ日ノ巻

愛知県から静岡県浜松市へ。
静岡県は温暖な気候や豊かな自然に恵まれ富士山を擁し、製造業が盛んで日本屈指のものづくり県である一方、農業や観光産業も盛ん。

そんな静岡県の浜松市三ヶ日町へ向かいました。

静岡県1件目は、ロケーションばっちりな浜名湖の湖畔にお住まいで農業を営んで2年目『MARU FARM まるファーム』さんにお邪魔してきました。











三ヶ日町(みっかびちょう)は、静岡県浜松市北区の浜名湖北岸にある地区。
「三ヶ日みかん」の産地として有名な町。

MARU FARM代表の『長谷川 乾』さんと『実香』さんにお話を伺いました。

ベジタブルジャーニー75件目の農家さんです^ ^



畑はお住まいの三ヶ日町から車で20分ほど離れた湖西と、車で40分離れた三方原と分かれた所に合わせて約5反。

基本はご夫婦2人+アルバイトや援農者で切り盛りされています。

ちなみに浜名湖の湖畔にあるお住まいは、農業を中心とした『大地と人』『人と人』とが心地よく繋がる場所を目指したコミュニティ『みかんビレッジ』として機能していて、農業のお手伝いをして頂ける御礼にみかんビレッジでのご宿泊とお食事を無料にて提供。
ただいま農業助っ人募集中とのこと^ ^





農家になるまでの経緯

大学時代にイギリス人の教授がこれから世界がインターネットで変わるんだよって、インターネットの可能性に気づかせてくれて。
当時の日本ではまだ本流とはされてなくて既にアメリカ、ヨーロッパではその波が来てる中、日本もこれから数年のうちに来るからインターネットの術を身につけるのは生きていく上ですごく重要だし、
大学が有名な大学じゃなかったから、就職活動もすごい苦労が予想されるので、マーケティング論とか文献を漁るより、そっちのスキルをつけた方がいいって明確に言ってくれて。



それでインターネットの可能性を多分みんなより少しだけ早く気付けたのかな。
23歳新卒で、インターネットのベンチャー企業に入社して、この会社来そうだなと思って当時15人の会社に入って。
この会社で俺も必死に頑張れば、会社もデカくなるし、それに合わせて自分も成長できるかなってそこに入ったんです。
そしたらとてもラッキーな事にその自分の感覚が当たりまして、15人の会社だったのが今は8000人ぐらいの会社に。
売り上げも4000億円くらいになっちゃいまして、そのちっちゃなオフィスでやってた会社がこんなにデカくなるんだっていうのを見させてもらったというか体感させてもらって。
で、29歳で会社を辞めました。

なんでそんな成功してる会社を辞める事に?

学生時代から旅が好きで、旅に取り憑かれてと言うか魅力に惹かれてて、学生時代もそこそこは旅に行ってたんだけど、自分がもう行き切ったってほど行けてなかったんですよ。
その当時は凄い不況の時期で、就職もなかなか厳しい状況。
仮にまぐれで大手に入っていても大手が潰れている状況。
だから自分にどれだけ力を付けないと会社に依存してたらいつか倒れるなっていう危機感があって。
それで『自分に力を付ける』という所に意識をしたんです。
でも旅もしたいから。
20代の頃の夢は英語が喋れるようになることと、世界一周するということを裏目標に決めてたんですね。
それも前提にあって、29歳の時に30を目前にして、仕事も楽しくて充実してて、ずっと一直線に来てたんだけど、このまま更に突っ走ってもいいのかと。
『旅』って日本の社会は中途半端な歳で帰って来ると社会復帰が難しいっていうのを他の旅人を通して知っていたので、もし行くとしたらこのチャンスで行かないとって自分の心に問い掛けた時に、やっぱり会社の中でそれなりのポジションで、更に新規事業のチャレンジをすることと、世界一周する事を天秤に掛けた時に『心がワクワクする』方が世界一周ってことだったんですよ。



だから、みんなから羨ましいがられるような三流大学だった俺がっていう状況になってたんですけど、でもそんな事にしがみ付いて自分の人生のやりたい事を我慢するのなんて勿体無いなと思って。
本当に大切なのは自分の心がやりたい事の方なはずだから。
で、20代死ぬほど頑張って来たから仮に2年間旅して帰って来てもなんとかなるだろうなと思って。
29歳で思い切って、愛社精神トップ5に入るくらいの忠誠度めちゃくちゃ高い社員を自負してたんですけど、辞めますって言ったらみんなにドン引きされて(笑)
で、会社やめて2年間世界を旅してたんですよね。









旅から帰ってきて農家になったきっかけは

きっかけは幾つかあるんですけど、そのうちの1つは3.11が大きいかな。
あの時にやっぱり被災地支援をして、目の当たりに見たのは、東京でそれなりのみんなが憧れる会社で、それなりのポジションで、それなりの年収を貰って何不自由ない生活をしてることが親元離れて『生きていく力』が付いてたと思ってたんだけど、それはどうやら違っていたようだっていうのを被災地行ってモロに実感して。



本当に生きていく力っていうのは自然と調和した生き方とか、生きていく術や知恵を持ってる人だなっていうのを感じたので、それを実践したいなと思ったんです。

じゃあそれが何故そういう風になったかと言うと、元々のきっかけは世界放浪2年間していて、その中で色々感じた事もあったんですけど、そこで実感したのが『当たり前』と思ってた今までの日本で生活してたごく普通の生活が、どれだけ『発展途上国の土台』にして成り立っていたかっていう事と、どれだけ『地球を汚しながら』成り立ってたかっていうのを実感することがあって。

だから当たり前と思ってたけど、これだけ物質的豊かな生活を享受出来てたんだって思った時に、じゃあすげーありがたい30年間だったんだなと思って。
それだったら残りの人生、自分で感じてしまった以上、何か地球に恩返し出来るような事を仕事として実践したいなとぼんやりと思っていて。
それが3.11でよりハッキリ繋がったっていうこと。と、もう1つは妻の実香ちゃんが化学物質過敏症で、東京でも放射能をモロに身体で感じたし、それが原因と思われることで東京で倒れたし。
一緒にレストラン行きたくても俺は何食べても何も出ないけど、彼女はすぐ出るし。
あぁこんなに不自然な物を食べて身体に影響出たりする人やっぱり居るんだと思って。
それって何が影響あるの?農薬?添加物?じゃあ農薬って人間の身体も汚してるけど地球の身体も汚してめっちゃhappyじゃないじゃんと思って。
これは何かどうにかしないとなって。
実香ちゃんが食べる物もないし、それって自分が作れたら良いよねっていう。



乾さんが選んだ実践方法として畑ではどんな農法を?

一般的なカテゴリーでは自然農法に近い形でやっていて、一応自分で言ってるのは『江戸循環農法』って名乗ってます。



江戸循環農法の特徴とは

概念的に言うと、江戸時代の循環型社会。つまり循環型社会って1番理想的だったと言われてる時代が江戸時代らしいんですよ。
その江戸時代のような循環型の農業を目指していて、具体的に言うと江戸時代の循環型の象徴って、江戸で消費されて出た肥溜めを、埼玉とか神奈川とか千葉に築地みたいな所で集められた物を移動させて、それで畑に戻して、また郊外で作られた農作物が再び江戸に入ってくるっていう循環だったらしいんですよね。
その肥溜めを使いたい所なんですが、今この時代にそれはアウトなので、何か良い方法はないかなと思っていたところ、江戸時代の肥溜めの原理と、今の最新の微生物科学を融合させた『あうんユニット』っていう浄化槽があることを知って、それを三ケ日に移住してから付けたんですよ。
浄化槽にいる微生物のおかげでたった2日で肥溜めの何ヵ月も経った状態になるんです。
無色透明まではいかないけどほぼ無色なエナジー水になるんですね。
微生物が全てを分解、発酵、浄化までしてその水になるんですけど、この水には微生物が分解する過程で出た『酵素』がたくさん含まれてるんです。
酵素と我々人間の生命情報が入ってるんです。
その生命情報が詰まった水を畑にタンクで持って行って、畝間に流すことで畑にいる微生物は酵素の力で活性化するんですね。
微生物を通して植物に人間の生命情報も伝わって、植物はそれを感じてその人の情報に合った栄養素を身に付けて返してくれるという。
アナスタシアの話にあったような原理を具体的に実践する1つの手段としてやっていると。
それを江戸循環農法と言ってます。







無数にある農法の中でなぜ江戸循環農法をやろうとなったんですか

アナスタシアの影響も勿論大きいんだけど、ある方にお会いして。
植物を研究している博士でもあるんですけどNASAの研究員でもある方なんですよ。なかなか普通じゃ会えない人だけどたまたまご縁があって、その人の話を色々聞いてたら、今地球上の食物連鎖の1番トップって人間と一般的には言われてるけど、よくよく突き詰めて行くと植物であるというふうに自分は考えてるって言ってて。
それは何故かと言うとこの地球上で初めて生命として誕生したのも苔から始まった植物だし、動物が絶滅しても植物は死なないけど、植物が絶滅すると動物は絶対的に生きて行けない。
それは酸素を供給しているのは植物だから。って言った時に、もちろん循環なんだけど、1番地球上で素だし、大切にしないといけないのは植物だし、動物が排泄したり死んだりすると必ず土に戻って、微生物を通して植物にフィードバックされるってことを、ずっと地球が生まれてから繰り返してきてたんだけど、特に先進国の人間は土葬を辞めて火葬になり、死体が土に還るってことも大きな地球上でのフィードバックだったんだけども、それも辞め。
人間の排泄物っていうのも下水道処理で直接植物に還されるってことを辞め、自ら地球上の循環から離れて行ってるのが現状だから、本当に循環型の生活を実践したいならまず水洗トイレ辞めた方がいいよって言われて。
それで確かにと思って。
それとアナスタシアの本の影響が大きくて。





MARU FARMのこだわりを聞かせてください

んーまだ自分で確固たる答えがないですね。
一般的に言えば無農薬・無化学肥料・動物性堆肥を使わないって言うのがこだわりだし、今それに価値を感じて買ってくださるお客様が多いのが現状なんだけど、でもそれがこだわりとか価値じゃマズイとも思ってるんですよ。
それは当たり前の上で何かMARU FARMだからこそって言う価値を付けたい意識と言うか目指してはいるんだけど今現状はそこまでに留まっているかな。
ただ意識してるのはお客様視点でお客様が野菜の味とか質以外の『幸せ』もお届けすると言うか、ただ物を届けるんじゃなくて心を添える事、野菜以外でも伝えたい事とかスーパーでは届けられない農家直送だからこそできる事っていうことを意識してます。
お客様に幸せを、キッチンをちょっとMARU FARMの野菜セットが届くことでhappyにしたいなっていうのが今の現状で言うとこだわりですかね^ ^







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〜種が与えた影響〜再び豊田ノ巻

福井県から愛知県に再び舞い戻ってまいりました!
以前の愛知編でスケジュールが合わず、お会い出来なかったので今回はリトライという形でお話を伺いに。

愛知県豊田市で農を営む自然栽培百姓『遠藤 翼』さんにお話を伺いました。

ベジタブルジャーニー74件目の農家さんです^ ^



遠藤さんの農法は、無農薬・無肥料。
太陽と土と水だけの何も入れない『自然栽培』
『無門福祉会』と連携を組み、福祉会の農地で農業部門のスタッフを担いながら、自らも農地を一部借りるという形で、現在遠藤さんが独自で切り盛りされている畑は約1反。

多品目、少量という生産スタイルで1つ1つの作物としっかり向き合えるのが遠藤 翼スタイルとも言える。









他にも独自で展開する『はばたき笑店』の店主
合同会社『つむぎて』役員
農産物流通 商品開発コンサルタントと様々な事業を展開している。

『農家』と言うより、生き方の表現・手段が、無肥料・無農薬でお野菜を育て、お届けする『百姓』なんだと彼は言います。



種は自家採種100%、どうしても足りない種は、購入したとしても固定種。
F1種は使わないと決めた彼のこだわりの理由はここあった。

農家になった理由

5年くらい前の話、世の中の農家さんは自分で育てた野菜から種を採って、また撒いてということをしていると本気で思ってて、ある時ひょんなことから貰ったフリーペーパー(RICE TERRACE88)で種の特集記事があったんです。
そこで今まで知らなかった種の事が色々書いてあってビックリして衝撃を受けたんですね。
そこの記事を書いてる人が色々な著書を書かれていたので、とりあえずその本を読んでみたんです。
そしたら知れば知るほどヤバイなと。

何がヤバイって、みんな地球の事を考えてないんですよ。 これはいけないなと思って、その危機感をまず僕が飛び込んで、実際に行動を起こして発信していって少しづつでも気付いてくれる人が増えればいいなと思って農業始めました。



種を知るというのがきっかけで、そのきっかけによって今はこういう暮らしをしてて。
知らなかったらずーっとサラリーマンやってたと思いますよ。ホント。

だから今度は僕という人間や活動を通して、世の中の人が、僕というきっかけから生き方が変わってくれるとイイなというか、何かに気付いてくれるとイイなという想いでやってます。
勝手な使命感っすけど。

微々たる力かもしれないけど、気付いてる人間が諦めずに続けていく事。
活動なのか発信なのか。
僕はその中で『百姓』をするというのを選んだんです。



農家になる前の経歴

大学行った後に、東京でアパレル系のサラリーマンを3年半やりましたね。

大学在学中にアメリカへ1年間留学していたんだけど、その時は留学をする事が目的になっちゃってて、留学して何をして来るかという目的を持たずに行ってしまったので、何かコレをやって帰って来たというのが無いまま日本に帰ってきてしまったんですよね。

それを帰って来てから後悔して、外国に身を置いて生活するっていう時間はやれる時が限られてると思うから、もう1度行きたいなと思ってて。
会社に入って3年を目処に辞めてまた海外に行こうと思って、結局3年半勤めた後、26歳の時にワーキングホリデーで1年間ニュージーランドに行ったんです。
向こうで働けるという機会があって、海外で自立した生活を送れるチャンスがあるということで、日本人のコミュニティに頼らずに、極力自分の力で甘えをなくした生活をするというのを念頭に置いて行って来ました。

仕事はビンヤードというワインの農園で働いてましたね。
その後は、南米の友達がいたので南米へ3ヶ月バックパックして日本に帰ってきました。
日本に帰ってきてまた就職したけどやりたかった仕事じゃないというモヤモヤを持ちながら生活していた中で、たまたま種の事を知るきっかけがあってこの世界に飛び込んだ感じです。



暑いから喉乾いたでしょう。
今はキュウリがあるから食ってってください^ ^

またこのキュウリのネーミングが良いんですよ『つばさ』キュウリって言うんです。
ご存知かもしれませんが自然栽培のキュウリはポキッと折ってもギュっと密度が詰まっているからぶら下げても落ちないくらい吸着するんですよ。









畑の周りに溝がありますがこれは?



これは畑の外周に30cmの溝を掘り、3.5mおきに深さ80cmの点穴を掘ってあるんです。
これをやることで畑全体の通気・通水の確保ができるんです。





土の中の水とか空気の動きは放射状に分布してるんですよね。
なので1箇所だけ作ってもあまり意味がないので排出の場所、循環の口っていうのを作ってあげてるんです。
土の中で常に呼吸してる様なものですね。
そうする事で好気性菌が増えて土壌微生物とかバクテリアの住み処というのがより良くなって、根粒菌だとか菌根菌だとか、ミミズや小動物、そういったものが土を作ってくれる張本人なので、僕は土作りっていう考え方はしてなくて、土を作って貰ってる土壌微生物や生き物たちがより活発に活動しやすい場を作ることが仕事だと思ってるんです。

肥料食いなトウモロコシも無肥料で身長を超える高さになるんですよ!



野菜を美味しく食べる方法とかありますか?

素材が良いからなるべく生で食べてもらいたいかなぁ。
ズッキーニの刺身とか食べたことあります?
わさび醤油で食べるとイケますよ!







最後に遠藤さんのこだわりを聞かせてください

大きい面積をやるつもりがなくて、小さい面積でこじんまりとやっている中で、色んな『多様性』を持たせたいのと、必ず相性良い植物同士というのがあるのでそこをしっかり組み合わせて行くこと。







直販をメインにやっていこうと思っているので、どちらかというと手間を掛けてでも色んな作物を組み合わせることで『驚き』を届けたいですね。
それだけ想いがあるんだなというのを伝えて行きたいなと思ってます。





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〜伝わる意識〜鯖江ニノ段

劔神社(つるぎじんじゃ)は織田信長の織田一族発祥の神社。
織田信長は当社の神官の子孫とされ、織田家の氏神とされた。















福井県2件目の農家さんは、同じ鯖江市のすぐ隣町で農業を営む『石本 豊昭』さんにお話を伺いました。

ベジタブルジャーニー73件目の農家さんです^ ^



石本さんの農業歴は20年近いベテランの域。
自然栽培は4年目で、1町3反の稲作をお1人で切り盛りされています。





石本さんの田んぼは水を張ってないんですね。
これは何か理由があるんですか?


これは土に割れ目が出来て、そこから空気が入り根に作用するっていうのと、根元をスッキリさせたいという狙いがあるんですよ。
この時期は、稲がずっと水に浸かっていると水の温度が高いからお湯みたいになって根腐れしやすいので。
『間断潅水(かんだんかんすい)』っていいます。

自然栽培との出会いとは

たまたまあったイベントで知ったんですよね。
当時、羽咋市で始まった木村秋則さんの塾に福井から数名参加してて、その参加者たちの主催したイベントがあったんです。
その時に自然栽培で作ったお米の試食会なんかもあったりして、その人たちの話も聞いたら心うたれて、なんとなく直感的に『これが究極の農業なんじゃないかな』と思って。
農薬も肥料も使わないということは、その分コストを抑えられるということだから、自分の24時間という時間と身体をどの様に使うかという話だし、付加価値の高いものとして世間に認めてもらえる可能性があるからやる価値があると思った。
今までと同じ、みんなと同じものを作るんじゃなく、これからはそういう農法で差別化もしていかないとって。



石本さんが農家になったきっかけは?

代々家が農家で自分が53歳(9年前)の時から本格的に始めました。
若い頃は農業やりたいとは思っていなかったけど、健康とか安全、そういったことに関心を持つようになって、以前は慣行栽培(現代農法)で農薬や化学肥料をバンバン使ってたんですけど、そういう時っていうのは身体にすごく悪い薬とかを投入してやってるし、それによって身体の具合が悪くなったり。
こんなものを食べて本当に人間の身体は大丈夫なのかなという事を思う様になって、安全なものを作るには自分で作るのが1番イイってなり、周りの仲間でもそういったことを色々教えてくれる人がいたので、その人に影響されて。
お米っていうのは日本人の主食ですから、主食なるものは自分で作ってそれを食すことが間違いないだろうと思って作り続けています。



仲間に『化学物質過敏症』の人が居て、その人は有機栽培のお米も身体が受け付けなくてうちのお米を食べています。



本業は農家ですけど、1日4時間NPO法人でA型事業所にも勤めています。
障がい者の就労者支援施設です。
一般の企業で働けない様な精神的な障がいを持っている人とか、身体的、知能的な障がいを持っている人たちを雇用して農業したりとか、レストランをやったりという事業所をやっていて、そこで野菜作りの職員をやらせてもらっています。



石本さんのこだわりを聞かせてください

食べた人が美味しいと思ってくれて、しかも元気になってくれる様なお米を提供していきたいと思います^ ^



今回で一旦、妻の定期通院の為、浜松へ戻りますが、前回の愛知編でお会い出来なかった方とアポが取れたので帰りに寄っていこうと思います^ ^


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〜農のチカラ〜鯖江ノ巻

福井県1件目の農家さんは、伊藤さんのお話しにも出て来た、福井県からのと里山農業塾に通っていた農家さんでもあり、先日のマルカワみそさんが県内で委託栽培を頼んでいる鯖江市(さばえし)にある『コスモファーム』さんにお邪魔してきました^ ^

鯖江市は、福井県嶺北地方の中央部に位置する市。
キャッチコピーは「めがねのまち さばえ」眼鏡枠のシェアは国内90%以上。
女子高校生視点によるまちづくりプロジェクト「鯖江市役所JK課」の設置など、地域活性化に向けた新たな自治体モデルを模索している市でもあります。

そんな鯖江市で稲作をやっているコスモファーム代表の『黒田 正知』さんにお話を伺いました。

ベジタブルジャーニー72件目の農家さんです^ ^


黒田さんの農業歴は7年目。
自然栽培を始めてからは4年目になります。
全9町5反の田んぼのうち、6町3反が自然栽培。
この内、1町はマルカワみそのお米を栽培されています。
この広さをなんと息子さんと2人で切り盛りされているそうです。



自然栽培との出会いは?

最初は自分達の食べる分、2反程を稲作して余った分を農協に出してたんです。
この頃はまだ農薬・化学肥料を使っていて嫌だなと思いながらもやっていました。
たまたまスーパーマーケットの書籍コーナーで木村秋則さんの本と出会って、それを見てすぐにコレしかないと思ってやり始めました。
直感的にこの農法ならやりたいと思ったんです。



無農薬だったら有機肥料でやってる人はたくさん知っていたけど、本当は感覚的に肥料をやるのにも抵抗を感じていたんです。
何でこんなに肥料をやって、誰がこれだけの量って決めたんだろうって。
肥料を撒いた後の田んぼは自然のものでない様な圧迫感を感じ、腐った様なアクが出ると言うか。



農業歴7年目ということですが、なぜ農業をやることに?

本業は眼鏡の部分加工の職人をしていて、稲作で生計を立てようと始めたわけじゃないんです。
ここの地域は田んぼをする人と、地権者が違うんですよ。
土地がなくて田んぼをする人が土地を借りて年貢を納めるんですが、その年貢の管理を第三者がしないと公平性がないので、私はこの町で年貢計算の担当を任されていました。
だんだんと色々な理由で辞農する人が増えて行く中で、誰か任せる人を探してくれって。
結果、気がついたら自分がやることになって行ったという流れですね。

百姓をする事には全く抵抗はなかったけど、自分の心情に反しているからとにかく慣行栽培(現代農法)の農薬・化学肥料が嫌でしょうがなかった。
任されて行く農地が広くて農薬を撒かないと管理しきれないというジレンマが常にありました。



農薬・肥料を使わない田んぼというのは求めてる人もいるし、地球問題にも良くて、身体にも良いお米を作るこの満足感というのは、これはすごいものです!
『最高級の1番良い仕事』ですよ。

黒田さんはなぜ自然栽培にこだわるんですか?

無条件に『自分が食べたいもの』だからです。
ある先輩農家さんがすごい量の農薬を撒いていて、こんな量の農薬撒いて大丈夫なのか?って聞いたら【俺が食う物じゃねぇからイイんだ】って言ってた。
その言葉の裏返しみたいなものですね。
自分の食いたいものを作って売るっていうのは。



黒田さんのこだわりを聞かせてください

なんかカッコいい言い方になっちゃうかもしれないけど『最近食べ物をないがしろ』にするというか、軽く見てる。
そういう風な世の中になっている様に感じる。
食べ物を大事にする国っていうのは繁栄すると思う。
『人の心を重んじる』国になると思うんだ。
実は市の方から頼まれて『人権擁護活動』もしていまして、子どもの世界はもちろん大人の世界にも人権侵害やイジメが確実にあって、小学校で紙芝居をして訴えたり、特別養護老人ホームや身寄りのない障がい者施設に行って、歌とか人形劇をしたり。
直接これはダメだと言うんじゃなくて、『遠まきに擁護』してあげる。
これが『農業ならできる』んじゃないかなって。

良いものを作り、食べ物を大切にする、そういう心の持ち主はイジメをしたり人権侵害なんてしないと僕は信じています。





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〜伝承から伝統へ〜越前ノ巻

伊藤さんの話にも出て来た、越前で昔からやってる無添加の味噌蔵『マルカワみそ』の工場見学に行ってきました^ ^









創業1914年。
初代〜5代目までは代々、お米作りをしていた農家さん。
6代目の1914年から麹を作り始めて、現在も続く老舗味噌蔵。

現社長にあたる9代目から材料を全てオーガニックに切り替え、昔ながらの木の樽でじっくり時間を掛けた味噌作りにこだわりを置いています。





工場を案内して頂いたのは10代目にあたるマルカワみそ専務取締役『河崎 紘一郎』さん。
河崎家4人兄妹の第二子、ご長男です。









(河崎さん)うちの味噌は『生味噌』と言って、カップタイプに関しては加熱殺菌とかもしてないんですよね。
ここに呼吸の弁がありまして、空気は内側から外には出ますが、外から内には入らないようになっています。





木の樽は約70本程持っていて、通常は『ステンレスタンク』で温かい所に3ヶ月で熟成させるのが一般的ですが、うちとしましては水は『地下水』をくみ上げていて、昔ながらの『木の樽』で1年寝かせたオーガニックな味噌作りが特徴ですね。







野菜で言うと、冬に夏野菜が採れるのは『ビニールハウス』で温度調整が出来るおかげじゃないですか。
味噌も温かい所に置いておくと早く出来るんですけど、うちは1年じっくり自然に時間をかけた言わば『露地栽培』のような形でやっています。



熟成は木の樽でじっくりさせて、後にバケットで味噌を掘り出し、移動させる時にはステンレスタンクを使います。



これはスピーカーで音楽を流しているんですけど、BGMを聴かせるというよりは水の粒子を振動させて熟成させる形ですね。



どんなジャンルの音を聴かせるんですか?
聴かせるのと聴かせないのでは違いはありますか?


聴かせてるのはヴィバルディの四季という曲です。
『クラシック』の綺麗な音楽を聴かせています。
味は塩味に『まるみ』があるのが1つ言えます。
あとは味噌が『柔らかく』なる傾向にありますね。
もう1つは味噌の『熟成が早い』ですね。

証明してと言ってもできないけど、これは味噌屋の体感として感じたものです^ ^





代々伝わる自社農園の方は、稲作の機械投資もあるし、現在では軽装備の畑作にして大豆を中心に栽培しています。
畑は1.5ha(1町5反)麦、なたね、大豆、野菜は3反ほどですね。





9代目(現社長)が大学時代に出会った『恐るべき食品汚染』という本があって、食物は添加物だらけだ、おにぎり1つにしてもコンビニとかだと食物油脂、グリシン、ph調整剤、調味料(アミノ酸等)とか色々入ってて、これはどうなんだろう。
どうせ店屋をするなら無添加なものをやってみたいと言う事で8代目(会長)にかけあうも、20代の頃はずっと首を縦に振らず、36歳の時(1992年)に迷惑をかけないからどうしてもやらせてくれ、やらなきゃ死ぬまで後悔すると言う事でようやく反対を押し切って、材料を切り替えたのが始まりですね。



福井県の自然栽培農家だと材料はどこのを使ったりしてますか?

コスモファームの黒田さんですね。
元々請け負いで黒田さんのとこのお米を何回か使わせて貰ったこともあるし、黒田さん自らも加工で来てもらう事はあります。







工場見学が終わり、色々な味噌を試食させていただきました。
どの味噌も角がない塩味で、そのままでも全然イケる旨さ。
中でも驚いたのがこの白味噌。





まろやかな口当たりで塩味の角味がほとんどなく、クリームのような口当たりの味噌。
こんな味噌は初めて食べました>_<
これは是非帰ったら購入したい調味料です^ ^



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