〜記憶に残る野菜〜高崎ノ巻

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    ベジタブルジャーニー41県目の群馬県に入りました^ ^
    群馬県は本州の山岳地帯にある内陸県で、温泉地とスキー場で有名です。
    温泉地として有名な『草津』では、湧き出る源泉が木樋を通って滝壺へ流れ落ちる『湯畑』の光景を見ることができます。







    そして、2014年に世界遺産として正式登録された『富岡製糸場』。







    向かったのは、群馬県中部よりやや南西に位置する『高崎市倉渕町』。
    夫婦2人で、無農薬・無化学肥料の畑で旬の野菜を作りながら、食用ほおずきを生産している『森農園』さんにお邪魔しました。

    お話をうかがったのは、森農園代表『森 清和(もり きよかず)』さん(36)。
    奥さんの『有理(ゆり)』さん(36)。
    ベジタブルジャーニー137件目の農家さんです^ ^



    (有理さん)
    ここ倉渕町では、有機生産者団体で『くらぶち草の会』っていうのがあって、無農薬で農業がやりたいって思っている人が、経験がなくても研修させてもらえて、ちゃんと研修生が住む住宅もあって。
    独立したら、出荷して販売する販路もしっかりある団体があるので、この辺は結構移住者が多いんですよ。
    (清和さん)
    意外と、『無農薬』ありきでの出荷団体っていうのがあまり無いので、結構やりたいって人が集まって来てるんですね。
    なので、僕らのところ以外にもこの辺りでは無農薬のところが比較的多いかな。

    なぜ『食用ほおずき』の生産を始めたんですか?

    (有理さん)
    もともと自家用としてやっていた食用ほおずきを、3〜4年前から本格的にやり始めたんですけど、それは所属している草の会に出荷ではなくて、森農園として始めたんですね。
    食用ほおずきって原産地が南米のペルーなんですよ。
    山岳地帯で標高が高い所でやっていて。
    自分達がやってる意味とか、ここに居る意味を求めた時に、ここも標高差がわりとあって、畑が下は500m、上が900mぐらいあるんですけど、そこの土地性を活かせるんじゃないかなと思って、食用ほおずきを始めたんですね。
    周りにも生産してる方があんまりいないし、美味しい上に栄養価も高いし、やってみたら面白いんじゃないかなと思って。
    自分達らしさとか、この土地の特性とか、そういう事を活かした時に、総合的に考えたらほおずきになったんですね。



    (清和さん)
    最初は多品目の野菜とか、色々やってみたんですけど、この土地で僕ら『森農園』として、何か自分達らしい事をやりたいなって時に、食用ほおずきがビタッとハマったっていうのが1番の理由ですね。
    いわゆる、都市近郊農家に多品目はどうしたってフットワークが違うから物流の面でも勝てないんですよね。
    ここから街中に出るだけでも往復1時間以上かかっちゃうと、2人でやっててそこで人手が取られるとね。
    だったら、ここにしか出来ない、そこでは出来ないものをやろうっていうのがありますね。



    お二人の生い立ちを聞かせてください。

    (清和さん)
    生まれは長野県の松本で、うちは全然農家でもなく、強いて言うなら小学校くらいの時に小さな家庭菜園を手伝った記憶があるかないか、ぐらいの感じでしかないので、全然農業とは関係なくて。
    高校を中退して、東京に行って、いわゆるフリーターで調理師をやってて。
    その後、中古カメラ屋で10年近く東京に居て、妻と知り合って。
    それで、妻が農業やりたいって言ったんで、資金を貯める為に1年間ぐらい妻の実家の方へ行って、働いて、この倉渕町の草の会に研修生として入って、そのまま独立っていう流れですね。
    だから農業としては全く携わってきてないので、倉渕に来て0からスタートした感じですね。



    (有理さん)
    私の出身は、宮城県の塩釜市っていうところで、港の方なので山は無く、周りも住宅街で畑とか縁遠かったんですけど、大学は山形へ行って、建築関係を学んでいたんですけど、その時は若かった事もあって刺激を求めて東京に行って。
    写真が好きだったので、東京で働きながらお金を貯めて行きたい専門学校へ行こうとフリーターをやっていたんですけど、なかなか東京って家賃も高くてお金が貯まらなくて、じゃあ働きながら写真に携われるような仕事がないかなと思っていたら、旦那が居たカメラ屋さんがあったのでそこで働いてて。
    でもひょんな事で『食』から農業に興味持つようになって。
    旦那の実家がすごく田舎でのんびりしてて、めちゃくちゃ良い所で。
    例えば東京だと何か貰ったお返しは、『何かを買って』お返しするけど、田舎に行くと『自分達の作った物』、物と物との交換をしてるのも凄い良いなと思ったし、そういう事をみて「よし、じゃあ農業やろう」と思ってファームステイ先を探したのが、たまたま倉渕の農家さんで。



    やりたかった農業は最初から有機栽培だったんですか?

    (有理さん)
    最初は有機とかじゃなくて、自然農法ですね。
    そっちの方から入って行きました。

    なぜ有機栽培になっていったんです?

    (有理さん)
    自然農法って本当に無施肥で、環境に良かったりとか、作物自身の力が強かったり色々と良い事はあるんですけど、多くの人の胃袋を賄う事は出来ないというか、たくさんは育たないというのもあってですね。
    有機農業って言っても、堆肥作りをちゃんとしっかりしていないと、畑に良くない影響を及ぼしたりするやり方をしている生産者もいるんですね。
    この倉渕町にいる生産者は、しっかり堆肥作りの勉強会などもして、より良い堆肥を作っているんですけど、うちは微生物を増やす為の土作りで、土自体を底上げしていくようにしてるので、極力肥料分も与えず『足りなければ与える』ぐらいの感じでやっています。
    (清和さん)
    現実的に色々考えると、産業としての自営農業なので、自分達が継続していかないとどうしょもないし、自分達の求める、先のビジョンがそこ(自然農法)に無かったってそんな感じですかね。



    森農園として、どんな作物を発信していこうなど方向性はありますか?

    (清和さん)
    それは最大のテーマというか、『美味しい』っていう言葉は極力使わないようにしてて。
    美味しいってある種、曖昧な言葉で人によっても違うと思うし。
    なので、うちの理念として『記憶に残る野菜』って言い方をしていて。
    だとすると味とかそういうものだけじゃない部分もあるのかなと思うので。
    もちろん、味も自分達が気に入る物じゃなきゃ絶対に出さないっていうのもあるし、それにプラスして、畑の環境を知って食べてもらうのと、ただスーパーで買って食べるのって自分の中に残るものが違うので、その辺を大事にしたいなっていう、これからの課題でもありますね。



    森農園のこだわりとは。

    (有理さん)
    美味しいもそうだけど、何を食べるかじゃなくて、誰と食べるかって1番大事に感じていて。
    その時に誰と楽しく食事をしたかっていうのが、後々の記憶になると思っていて。
    最後の晩餐で何を食べたい?って時に人によって色々あると思うんですけど、その中に私達の野菜が食材として携われたら凄く嬉しいなって。

    (清和さん)
    最後の晩餐に選ばれたいって言うとちょっと傲慢ですけど、そういうところに携わって残りたいっていうのと、ここ(森農園)のこれが美味しかったからこの子にも食べさせたいって次の世代にも残るようなっていうのは心掛けていますね。
    そういう意味での『記憶に残る野菜』ってのが1番のこだわりなのかなって思います。





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