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〜学びの場〜鹿児島三ノ段

今回会いに行ったのは鹿児島県の大隅半島で塩作りをしている『天然塩・釜元 黒潮農場』さん。
この日は来週末に控えた鹿児島オーガニックフェスタで使うための竹を伐採する為、鹿児島市の竹林にお邪魔しました。





巨大な竹ブランコを作るワークショップで必要な竹を朝からみなさんで伐採し、会場へ運搬する作業。













お話をうかがったのは天然塩・釜元 黒潮農場代表『高橋 素晴(たかはしすばる)』さん(35)。



新潟県白根市出身。
『NPO法人アースハーバー』代表理事。
小学校6年生の時に新潟県を自転車で1周。
9歳・カヌーで佐渡海峡横断に成功。
14歳・ヨットで単独太平洋横断に成功。
世界最年少記録を樹立。
今から9年前(2008年)に『天然塩窯元・黒潮農場』を立ち上げ塩作りを始める。

生い立ちから塩づくりをするキッカケ。

中学はあまり行かず、高校も行ってなくて、20歳まで新潟に居たので新潟を出ようっていうのと、呼んでくれた人がキッカケになって福岡の大学に進学したのが九州に来たキッカケで。
2年半はIT系のサラリーマンをしたんだけど、もともと仮のつもりで務めていて。
学生の頃から『自然学校』をやろうと思っていたんですね。
自然学校がやりたい事のドンピシャっていう訳でもなかったんだけど、次の時代に繋がる学びの場を創りたいっていうのと、直接的にというよりは包括的に自然と関わる仕事がしたいっていう事の中で自然学校がイメージに近いかなって学生の頃から漠然とあって。
ただ、熊本でサラリーマンをしながら熊本の自然学校系のNPO理事も関わっている中で、自然学校みたいなやりたい事をやって食べていくのは難しいなっていう限界性を感じてやめようって。
それはどういう限界性かっていうと、今は訴訟の時代に入って来ていて野外活動でもそうなんですけど、特に自然体験の世界ではリスクマネジメントのプログラム化をしないと事業として成り立たないんですね。
そこまでリスクマネジメントしたら本末転倒っていうような、やる意味がないんじゃないかっていう。
プログラム化も安定した一定のクオリティを誰がやっても提供できないと事業としては安定しないんだけど、自然を相手にするってそういう事じゃないわけですよね。
均一に出来ないからこそ、そこに楽しみがあり学びがあるのに、プログラム化すればするほどつまらなくなる。
より実践的な学びの場を創りたいっていうのが自然学校業界に片足突っ込んで思った事で、やりたい学びの場を実践しようと思うとやっぱり収益性のジレンマもあるので、いっそ有機的で生産的な活動を軸に、それ自体が学びの場になるような仕事があったらそれがイイなって探す中で『塩づくり』だって思い立って。



それがなぜ塩づくりだったんですか?

1つは海が好き。
わりと根源的なものとか好きなんですよね。
塩って本当に生き物にとって必要なもので、昔から人類は塩を作ったり運んだりしてきたっていう生きていく為に必要なもので、昔からあるカッコ良さもあったし。
後は色々な事をやりたいし、学びの場も創りたいし、自分自身色々な実践もしたいし、色々な所にも行きたいしっていうことで、まず動物(畜産)は無理ですよね。
動けなくなるし。
農的な事はやりたい事と両立しようと思ったらかなり制約されるので。
出来れば時間を空けられる仕事がイイなって。
塩は集中して頑張って夜も起きて薪を入れればその分、短い時間で出来るし、出来上がった塩は腐らないから保存が利く。
まとめて作ってストックしておけば、月に平均100kgくらいしか作っていないので細々ですけどね。

職業について。

『何でも屋さん』って言えば何でも屋さんなんですよね。
お金を稼ぐ手段としては塩と大工がメインなんですけど。
例えばこのオーガニックフェスタなんかはボランティアなんだけど、仕事っていう気持ちの部分はあるし。
地域の事とか、友達の所でする労働などは全て働くという事だけど、お金になってるものもあれば、ならないものもあって、あんまり収入が得られるからこれは仕事でこれはボランティアみたいな考え方に切り分けてはないですね。
なので、そういう意味では全部仕事ですね。
そういう事でいうと『何屋』っていうことでもないですね。



塩へのこだわり。

鹿児島の海は魅力的で、3年前に南大隅町に海水を求めて引っ越して来て。
塩をやるなら綺麗な塩でやりたいってずっと思っていて。
前は南さつまだったんだけど、南さつまの海水が安定しなくなったので移住先をずっと探してる中で、佐多岬の海水は凄く良いんですよ。
魚が凄く豊富で、魚種も多いし。量も多い。
海が多様で豊か。
移り住んでからイノシシ猟も始めたんだけど、山に入るようになったら山も凄く良くて。
美味しい水も至る所から湧いてて。
温泉が無い以外は本当に凄く魅力的な場所ですね。
南大隅って1つの岩盤の塊なんですよね。
屋久島も一緒なんですけど、屋久島の陸続きの島っていう感じで。
表面が風化して真砂土になって、黒潮がドンっとぶつかって結構標高もあって雨もたくさん降るから水は美味しいんですよ。
美味しい水がたくさん湧いているんですけど、温泉だけは掘るのが難しい。
そもそも黒潮って透明度が高いんですよ。
黒潮の海域で濁っているということは、陸の汚れが入ってるってことなんですよね。
だから陸の汚れが入っていない所が良いなっていうことで透明度が高くて、人が少ない山が良くて。
畜産と農業が与える影響は大きいので、そういう所から離れてる場所。
だからと言って、じゃあ海水がちょと濁っていたから塩の味が不味くなるかというと別問題で。
日本海とかもやや内海で、透明度で言えばかなり汚いですよね。
汚れは入ってるけど塩を焚いた時にニガリに汚れが落ちると思われるので、塩自体がそこまで汚れるのかは解らないところなのと、少しくらい汚れが入ってもそれが身体にどれくらい影響するかっていうのも、これだけ世の中が汚染された物だらけなので、塩がちょっと汚れてるくらいなんて事無い話だと思うので、僕が綺麗な海で創りたいっていうのが有効なこだわりなのかは解らないですね。
けど、鹿児島に来て綺麗な海を見て『この海で塩つくりたいな』っていうのが最初のキッカケでスタートなので、そこは大事にしたいなっていうのはありますね。



どういう塩がイイ塩かっていうのが、塩は直接食べる物ではないので、料理や加工に使う『素材を活かせるもの』活かせる塩がイイ塩だと思うんですよね。
じゃあどういう素材に合わせるのかってことで、前は柔らかい塩を作ってたんですけど、最近はちょっと抽象的な言い方なんだけど『強い塩』にシフトして行っていて。
世の中にある野菜も肉も魚も、季節は無いし、肥料をたくさん入れて農薬かけて作るから、形は立派だけど中身がスカスカなんですよね。
滋味がないし、深みがないし、底力がないから、柔らかい塩を使った方が合うんですよ。
でも本当に土が出来てて、旬の味が乗った野菜って、柔らかい塩だとどんどん野菜の旨味が出て来て、結局また塩を足すっていうように底力が全然違うんですよね。
肉もやっぱり短時間の中で、経済効率を重視した大きく育てた肉と、野生の肉って全然底力が違うし。魚も。
そういう『力』がある食材に負けない、『食材の底力を引き出せる塩』。
でもそういう食材が少数派じゃないですか。
だからそういう塩に切り替えることで塩が売れなくなるかもなって思いながら、でもそれでもイイやと思ってやってますね。
やっぱりどういう社会であって欲しいかって事で言えば、そういう社会であってほしいし、そこに合わせた塩を作ろうっていうのがありますよね。





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〜助けたい〜鹿児島ニノ段

同じ鹿児島市でお邪魔したのは、無農薬有機栽培で一般的には流通していない西洋野菜を中心に「おいしい」や「何これ」な野菜を生産している『MHS.ORGANIC』さん。
お話をうかがったのはMHS.ORGANIC代表『坂本 純崇(さかもとよしたか)』さん(36)。



大阪出身の坂本さん。
20歳まで大阪で服飾の専門学校に通い、半年間バックパッカー経験を経て21歳から仕事で4年弱の間、上海へ。
その後、6年間東京でもデザインからパターン・生産管理・受注までアパレル業界に従事し鹿児島に来る事に。

なぜ服飾から農業に。

鹿児島に来た理由は、東京に居た時に鹿児島出身の友人がでUターンで帰って来てて、独立した時のクライアントが上海進出したいからって呼ばれて来たのがキッカケで。
1度営業で上海に行ったんですけど、その会社が陶器屋さんで有機野菜を仕入れて野菜も売っていこうみたいな事もしてたみたいで、帰ってきてすぐ野菜を売らされたんですよ。
だけど僕がレストランとかに営業をかけて知り合ってく中、会社と揉めてクビになっちゃって。
仲良かったシェフがお前作れよって言われて始めたんですよね。
実は結構その揉めた理由も色々あって(笑)
会社の人の親戚が野菜を作ってて、その親戚が別の人に「この野菜作ってくれたら全部買い取ります」って言ってたんです。
それで後からその親戚の方から言われて作らされてる人とたまたま繋がって、僕が間に入って社長と揉めたんですよね「お前が口出しするな」みたいな。
結局は、最終的に僕がその農家さんと一緒にやるって話になったんです(笑)
それが『MHS.ORGANIC』のMの頭文字の人で。
Sが僕で、Hが奥さんの旧姓の頭文字で3人でやるって話だったんですけど、さぁ始めようって時にMの人が収入が安定してるその時たまたま誘われてる別の所に行く事になって。
その人がビニールハウスとかを持っていて、使ってイイからって事で僕と奥さんと始めたっていう。
だからMさんの畑キッカケでここで始めたって感じですね。



その時農業じゃなく服飾に戻る選択肢は無かったんですか?

なぜか無かったですね。
作らされてた農家さんの物を、本当は会社の親戚が買い取るって話だったんですけど、僕が直接営業かけて全部売ったんですよ。
責任感というか、この人が困ってたというのもキッカケというか。
農業で困ってる人を出来るだけ楽にする事が出来ないものかと、まずは自分でビジネスモデルを作ろうって感じで。





後は3.11の東日本大震災があって、奥さんが食とか医療や政治まで連鎖的に常識を疑うようになって、今のまま生きるのではなくて何かやらないといけない事があると思うって事で色々調べまわって自然農法しようってなったんですよね。
最初は彼女が自然農法やりたくて僕が手伝う形で始めたんですけど、生計的にいきなりは難しいなって事で、少しづつでも自然な栽培に近づけるような形で、今は有機栽培からやっています。



MHS.ORGANICのこだわりとは。

逆にこだわってない事ですかね。
何が良いとか悪いとか決めつけない事。
何事も裏と表はあると思っているのでそこら辺を常に考えながら時代に合わせてお客さんのニーズを考えてやっていくことですかね。





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〜力の抜き方〜鹿児島ノ巻

霧島市の次に向かったのは、九州の南部に位置するし、鹿児島県の県庁所在地でもある『鹿児島市』。
政治・経済・文化・交通の中心地で古くから薩摩藩、90万石の城下町として栄えてきた街。
日本で最初に市制を施行した31市の1つでもあり、現在は福岡市、北九州市、熊本市に次ぐ九州第4位の人口を擁する都市でもある。



お邪魔したのは、鹿児島市で無農薬・無肥料栽培で西洋野菜を中心に少量多品種生産をしている『Hakusui Farm 有香園』さん。
お話を伺ったのはHakusui Farm 有香園代表『有薗 良紀(ありぞのよしき)』さん(35)。



JT(煙草会社)勤務の父親を持ち転勤族だった有薗家。
3年に1回のペースで引越しを繰り返す学生時代を過ごした有薗さんが、高校生の頃に父親が脱サラ。
水耕栽培の農家に転身。
両親の手伝いをしながら自身も農業の道へと入る。





有薗さんは土壌で、自然栽培をしている理由とは。

最初はしばらく慣行栽培(現代農法)で入ってるんですよ。
農薬を使っていたし、役所に言われるがままに作ってて。
僕すっごい極度のめんどくさがりやで、農薬撒くの「めんどくせぇ」ってなってたんですね。
別に食の為にとかじゃなく、自分に掛かるのも嫌で。
農薬を撒かなかったら作物に病気が発生したり、だんだん手入れもいい加減になって来て草も生やしっぱなしで。
そんな事をしてたら、自分が手を掛けてる時よりも綺麗に出来てるんですよね。
特にアブラナ科って植物は虫に喰われやすいんですけど、一生懸命に農薬掛けて虫取ったりしても喰われるのに、何もしてない草がボーボーの所は綺麗に出来てるんです。
それを見た時に農薬の意味って何なんだろうと。

農薬って水何リットルに対して何グラムと基準があるんですけど、その比率までは人間が食べても大丈夫だけど、それ以上はダメですよっていうその境界線って何だろうって。

境界線ギリギリならどうなるんだろう、そもそもその基準は誰が決めて、その人はそれを食べて試したのか?とか思ってたら農薬を使うって事がアホらしくなって来て。
まず農薬を辞めたんです。
そして慣行栽培から有機栽培に切り替えたんですね。
農薬は使わないんですけど、有機を始めてから今度は見事にバランスを崩すんですよね。
無理をしちゃっている感じになっちゃって。
結局、窒素が増えて植物自体は元気にはなるんですけど、土のミネラルバランスが崩れるのでそれを戻そうとして虫が寄って来たり、植物が病気になってしまったり、菌が増えたり。
それに気付かずに「何で出来ないんだろう」ってなかなか経営が成り立たず。
それで4年くらい前に自然農法っていうのを知って。
その頃ちょうど木村秋則さんをネットで見てて。
僕らってネットから情報を得る機会って多いじゃないですか、情報が溢れて過ぎてるんですよね。
結局、情報を取り過ぎてて自分がどうしたいのかって事がよくわからなくなって来ちゃって。
と思った時に、最初始めた時に農薬使ってたし化成肥料使ってたけど、何もしないで放ったらかしにしていた野菜を思い出して、その状態を作れば良いんだと思って。
めちゃくちゃ怒られたけど、何もしない事じゃないかと。
何もしないで雑草だらけにしてみたら、もちろん上手く行かなかったんですけど、ポツポツ良いのが出来てるんですよ。
その頃はもう自然農法という言葉にも出会っていたので、「やっぱりそういう事か」と思ってそこから切り替えた感じですね。



畑って自然な感じがするけど、人工的じゃないですか。
もともとは山だったわけだし、それを人間が勝手に切り開いて、食料を作る為に開墾しているので、既に自然ではないんですよね。
そこで植物を育てていくのであれば、放ったらかしにするのは違っていて絶対的に手を加えないと植物は育たないし、自然の循環というのを僕らが作り出してあげないといけないという考え方なんですよね。





畑っていうのは『どういう風に使うか』だと思っていて、みなさんフラットに使うじゃないですか。
フラットじゃなくて立体的に使ってあげるっていう事を考えてるんですよね。
例えばメインでパクチーを植える場合、ルッコラを隣に植えるんです。
パクチーって凄く硬くなってしまうのでそれを柔らかくする為にルッコラを植える。
風通しをあえて遮断する。
風が通ると植物は耐えないといけないから硬くなるしかないので、それを無くす為に植える場所も『高低差』を考えて密植する。
パクチーとコンパニオンする事で虫が寄りづらくなる効果も。





幼少時や学生時代。

子供の頃は真面目というか、人の言う事を全て間に受けてしまうタイプで。
僕野球やってたんですけど、監督が言う事をやってたら今度はコーチに怒られて、コーチの言う事をしてたら監督に怒られみたいな全部真面目にやっちゃうタイプで。
みんな子供の頃って真面目に聞かないじゃないですか、親の言う事も聞かないし大人の言う事も聞かない自由奔放で。
僕はそれが良くない事だと思ってたんですね。
周りを見ても自由にやってるのに怒られてないし。
それでだんだん気づいたのは適当で良いんだって事だったんです。
学生時代は引っ越しが多かったので転校するから『人を観る事』が多いんですよ。
転勤すると面白い事に気付いて、自然の中もそうなんですけど、どんな場所に行っても同じようなタイプの人が居るんです。
絶対同じタイプが居て、同じ関係性があるんです。
そういう事に小学校6年生くらいの頃に気付いて。
中学校、沖縄に行ってもそうだったし、沖縄から鹿児島に帰って来てもやっぱり同じで。
高校に行ってもそれがあって。
でも変わったのは大学からですね。
大学になると違うんですよ、大学って自分で選んで行くからか、類は友を呼ぶじゃないですけど同じような人しかいないんですよ。
『フラクタル』って言葉があって、自分が感じてた事を言葉にするとフラクタルって事なんですけど。
ブロッコリーで例えるのが解りやすいんですけど、ブロッコリーって全体の形はツボミですけど1つ取っても同じ形をしてるじゃないですか。
それをフラクタルって言うみたいなんですけど結局、僕らの世界観ってフラクタルでどこへ行っても同じ現象が起きていて、それの集合体だって考え方なんですね。

Hakusui Farm 有香園のこだわりとは。

脱力ですね。
そんなに気張ってこうしないと、あぁしないとじゃなくて、そんな事考えだすと息詰まっちゃうので。
生真面目な僕が不真面目なので適当が良いとは決して言いませんが、そこから見えてくるものってあると思うんですよ。
真面目な人によくあるロジックは大事だけど、そればっかりにとらわれ過ぎちゃってその道しか見えなくなっちゃうじゃないですか。
真っ直ぐな道を進むことは良い事なんだけど、寄り道する事によって色んなものを拾えるかもしれないですよね。
辿り着くのは遅いかもしれないけれど。
その時の状況に合わせて、頑張れる時は頑張れば良いし、頑張れない気分なら頑張らなくて良いし。
脱力な感じで良いんじゃないかなって。





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〜余裕と覚悟〜霧島ノ巻

ベジタブルジャーニー29県目の鹿児島県に入りました!
向かったのは鹿児島県の中央部に位置する『霧島市』。
伝統産業である黒酢は、蒸した玄米・米麹・水を壺に仕込み日当たりの良い屋外に並べ、日々壺を揺らしながら半年から3年をかけて発酵・熟成させる昔ながらの方法で製造される。



坂本龍馬が日本最初といわれる新婚旅行で霧島連峰を訪れたことが知られる霧島神宮。



自然と伝統が残る霧島で無肥料・無農薬栽培(自然栽培)の大豆と麦の輪作をしている『マルマメン工房』さんにお邪魔しました。



お話を伺ったのはマルマメン工房代表『増田 泰博(ますだやすひろ)』さん(35)。
生まれも育ちも福岡の増田さん。
仕事も福岡でしていたが26歳の頃に疲弊して旅に出る。
携帯電話も無く、所持金も0で辿り着いた鹿児島県霧島にて宿と仕事を貰い根を張る事に。
ベジタブルジャーニー109件目の農家さんです^ ^



鹿児島に来たキッカケとは。

特に無くて、鹿児島に行ってお金無くなって霧島神宮ってあるんですけど、ココは一回見ときたいなと思って金もなく飯も数日食わずに歩いて行って。
今なら数日食わなくても何でもない事は解ってるけど、その時の状況って全然知識もないし先もないからこのまま死ぬんだろうかとか思ってて。
神宮近くに駅があって一泊した後に市役所に向かって。
身体だけは丈夫だから働き口を紹介してもらおうと。
そしたら社会福祉センターに行くと500円貰えるからそこで何か食べて、230円の電車賃をかけて隣の街に行けるから職業安定所に行ってみたらって感じで言われて。
500円貰ってもたかが知れてるし、職安行っても住むところも無いしって思ってたら、市役所の課長さんが地域の方でその人が旅人を泊めてくれる人を紹介してくれて。
とりあえず食わないといけないし生まれて初めて「助けてください」みたいな心情ですがって。
なかなか言えない言葉ですけど言ってしまえば楽になるっていうか。
それでその人の所で1年間居候する事になって、農作業やNPOのお手伝いをさせてもらう事に。

都会に住む人の感覚だとだいたい所持金0になったら首吊る選択肢を考えますからね。

まぁ霧島神宮に向かったのも死に場所を探すみたいな理由もあって「死ねるかなぁ」って思いながら行ったけど、全然そんな気分になれず。
僕はなんかそのまま朽ち果てるのが嫌だったみたいで。

今こうして農業をする理由とは?

理由はもうココの人達が良くしてくれてて、住む時もそうだったし。
この辺って住んでる人が500人くらいなんですよ、65歳以上が200人くらいなので10年もすれば300人くらいの人口になっちゃうし、そこからまた10年経ったら僕も55歳だけど更に人口が少なくなってると思うので、その頃この辺りの景色がソーラーパネルだらけになってるのも嫌だし何かないかなと考えた結果、農業が1番良いかなって。
ココから下に行くと街になるんですけど、街に働きに行くよりもココに住み続けるなら農家の方が良いかなと。



農業で生計立てるならオーガニックじゃなく、収量も安定した慣行栽培(現代農法)の方が効率的だと思うんですけど。

ココの下が海なんですよ。
この辺は大規模な養豚場が出来たりとか、ゴルフ場が出来るとかで揉める度に漁港の人達が「魚が減る」って。
土が下に流れるんですよね、汚れた水になって海に入って行く。
そんな事を聞くと、ココは上の方の土地なので全部下に流れて行く事を考えると自分善がりに薬を使うのは良くないなと。
あとは、有機栽培も地方に行くと、こだわりが高じて仲が悪いとか、認めてくれないって人も居るので、自分がこんなやり方(自然栽培)で認めて貰えれば他の人も入りやすいですし、自分の住んでる所はせめて守りたいなと思って。







マルマメン工房のこだわりとは。

こだわらない事じゃないですか。
キツキツにしないと言うか、2割くらい力を抜くみたいなのがイイかなと思って。
こっちがベクトル高すぎると相手(自然も人)にもベクトル求めるし、相手も構えてしまうし。
2割くらい力を抜いて生きて行けばイイと思うし、そっちの方が上手く行くのかなと思って。
2割力を抜いてれば2割分ショックも溜まらないし、自然相手だから100%で行くと100%でショックも受け止めるから。
それぐらいの余裕と覚悟は持っておこうかなと。





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