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〜呼吸〜荒尾ノ巻

菊池市を後に、最後に向かったのが熊本県北西部にある『荒尾市』。
動物性、白砂糖不使用、無添加の調味料カラダとココロにやさしい森のカフェ『Arbaro』の経営もしながら、無肥料・無農薬・無防虫のたんじゅん農法で営農されている『クルンノウエン』さんにお邪魔しました。



お話をうかがったのはクルンノウエン代表『茅畑 考篤(かやはたたかしげ)』さん(43)。



埼玉生まれ、広島育ち。
日本画を勉強して、大学も学部を出て修士・博士・研究室へ。
大学の非常勤講師をしながら日本画の団体に所属し絵描き師を続けるも、身体を壊し大学を辞めて農業の道へ。

畑の話

ここの通路は1mの深さで掘ってあって、土は入ってなくて木材のチップが1m分入っているんです。





この人参はまだ途中で大きくなるんだけど、よく自然栽培や不耕起栽培は自然だから野菜が小さかったり硬かったりするんだけど、それは土地が痩せているから。



自然に即してるから小さいのはしょうがないじゃなくて、自然に即するとデカく育たないといけない。
どの農法も『土の中の酸素量』が足りてないんですよ。
微生物のエサになるのが有機物なんですけど、そもそも有機物に微生物が食い付いて分解した物が肥料。
それを肥料として使うんじゃなくて、微生物が食い付いて『食べる過程』で色んな物質が副産物として出てくるんですけど、それが野菜の生育に必要なので、肥料じゃなく微生物のエサを入れてやる。
ただ、微生物は動物に近いので空気がないと窒息するんですよ。
なので、深く掘る事で大雨が降っても土に水が溜まらない、すぐ水が抜けるようにって事と、空気に触れる面積を広げてあげるっていう事に気をつけとく。
微生物が食い付きやすいエサを土の方に入れて、微生物が食い付きにくいものは土には直接入れない。
近くに置いておく。
例えばここは通路が掘ってあるので、ここに分解しにくい物を入れておくと、そのうち食い付きやすくなるんですよ。
食い付きにくい物を土に入れちゃうと、微生物達が入ってきた異物をなんとかしようとそっちに労力を取られて、植物との共生関係を結ばないから、適度に食い付きやすいエサを入れる。



世の中に溢れてる、炭素を含んだ有機物に微生物が食いつけるか否かの判断だけしといてやって、食い付ける物は土に、食い付けない物はそばに置いておく。
後はエアーの入り、これだけ持続できたら十中八九、誰でも出来る。
ここは掘るやり方でやってるけど、水はけが悪くなければやっていない所もあります。
今頻繁にやっているのは、熱養生処理と言って、夏場にヨーグルト・パンのドライイースト・納豆を培養したものを撒いて耕して、透明のマルチを張っておくこと。
夏の高温に当てると団粒化が進んで一気に柔らかくなるんですよね。
僕らの中では高温でリセットする感覚なんですよ。
草が生えなくなるのと、作物に悪さをするウィルスや細菌系は死んじゃうけど、納豆菌は高温でも死なないので。
どうしても大雨が酷いと土の状態がアンバランスになる事があるんですよね。
それをリセットする意味とか、耕作放棄地なんかを植え付ける前に必ずそれをしてやると、いきなり土の状態が変わるのでロケットスタート出来ちゃうっていう。
あとは腐敗と発酵で捉える考え方。
人間は発酵型なので身体に発酵物を取り入れる事でエネルギーに変えていける生物。
お酒も漬物も納豆も発酵食品は身体に良いとされている。
刺身も寝かせるのは乳酸発酵だし、お肉の熟成も発酵で旨味が増す。

よく野菜に虫が来る、虫食いは美味しい証って言うけど、あれは根本的な間違いで、植物っていうのは発酵型なので土から根で吸い上げるんだけど、土が腐敗型だと植物は自分で選択出来る自由がないから吸い上げちゃう。
ある程度、腐敗を吸い上げても野菜自身で処理はするんだけど、キャパオーバーを起こすと処理しきれなくて虫が来る。
虫は腐敗寄りの物をエネルギーに変える生物だから腐敗に傾いた野菜を食べに来ちゃう。
虫が来るって事は土の中で過剰になったものを野菜が吸い上げて処理しきれなくなった証で、それを持ち出す役割が虫。
だから土の中が腐敗寄りじゃなく、発酵寄りに出来てたら虫は来ない。
なので乱暴に虫と人間の美味しい基準を一緒には出来ない。
ただ、虫には発酵型も居るし両方いけるタイプも居るから、虫の種類によりますけどね。



農家になるキッカケとは。

農業する気は最初からは無くて、ウチの上の子がアレルギーやけん、嫌々オーガニックの物を食べ始めて。
嫁も水商売してたんで、生まれて来た子供にアレルギーがある事が解って「なんじゃこりゃ」って。
母乳で育てようって母乳を子供にあげると真っ赤に腫れ上がっちゃって。
どうやったって治らないから、結局食べ物だって事を助産師さんに教えてもらって。
僕たちは毎日のようにコンビニで主食の生活をしてたので、そしたら食べ物でこうなるのが解っちゃったから食べるのやめるしかないってなって、ある日突然うちの嫁さんがベジタリアンになって。
添加物、保存料、食べ物だけじゃなく調理器具も含めて全部捨てて、ラッキーだったのが住んでた近所に数件自然食品店があったんで。
ただ料理する知識がないんですよ。
ある日突然ベジタリアンになったからしばらくは蒸し野菜ばっかり。
玄米と蒸し野菜に醤油垂らしたのでずっと行くから俺のストレスが半端なくて。
子供のアレルギーは突然すっごい減ったんですよ。
それにも驚いて、嫁さんも色んな本を読んで勉強して。
よくベジタリアンの人が動物性のチーズを使わずにチーズケーキ作る時に、豆腐を使うんですけど、チーズケーキじゃなく冷ややっこなんですよ(笑)
そういう時期を何年かしたら、ある日から何で作っているか判らなくなって来て。
その頃からイベントで出してくれ、とか声がかかったりして。
最終的に店にしようって事でこの店もやってて。
子供がアレルギーになってなかったらやってないですね。



僕も身体壊して大学の非常勤講師を辞めて、嫁さんの実家がある熊本に来て、子供達が食べれる物を作って、と嫁から命令が来たので。
嫁のお父さんが農家で花を作っていたんですけど花って食べないから物凄い薬使うんですよ。
物凄い薬使う農業やっていた人に、いきなり無農薬しようって言ったわけだからそりゃストレスになるわけでお父さんは2年で辞めちゃうんだけどね。
嫌々始めて、3ヶ月くらい経った時に炭素循環農法やってる人が近所に居て、ある日その人の畑に行って野菜食べたら美味しかったから、コレで出来るんだと思って。
やってるうちに面白くなって来て。

日本画と農の共通点。

日本画も栽培と近いんですよね素材の事とか。
すっごい面白いんですよ日本画の世界って。
日本で日本画の教育ってないんですよね。
描いても水彩画か油絵。
要は準備に凄い手間が掛かるから伝統絵画技法だけど誰も知らないおかしな世界。
岩絵具っていうのが特徴なんですよ。
岩から作られた絵の具、泥から作られた絵の具、金属染料から作られたもの。
同じ青でも11種類、粒子が違うパウダー状から砂つぶまで。
日本画も和紙に描いたり、絹に描いたりするけど、描く支持体は『呼吸』をすると。
日本は四季折々に湿度と温度が変わるので、呼吸するものでなければ劣化するっていう。
例えば絵の具が付けば良いじゃんって強力なポリマー系のものでやると紙が乾燥した時に裂けるんですよね、劣化するとか。
やっぱそれなりに凄く合理的な技術であって。
襖(ふすま)って何層にも和紙を貼るんですけど、あれ何でかって言うと、区切るん事が目的じゃなく、向こう側を『感じさせる為の仕立て』なんですね。
感じさせる為の微妙な膨らみをどう演出するかっていう世界。
そういう感覚っていうものに通じることは確かにこっち(農業)にもあって。
逆に言ったら知識として知ってた事を農業で再確認するみたいな。
それがまた面白かったりね。





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〜森の声〜菊池三ノ段

菊池市の最後に向かったのは、標高500メートル程の高原で、木を植え、森を育て、森に抱かれながら暮らしている『アンナプルナ農園』さん。
アンナプルナとはインドの神話の食料の女神。
ギリシャ神話の女神ガイアと同じように、地球あるいは大地を意味する。
1980年代後半に先代の正木高志さんが開墾。
農薬・除草剤・化学肥料を使わずに、できるだけ自然に沿った方法でお茶を中心に野菜やお米などを栽培。
近年水を守るために、農園奥にある『水源』を含む廃村を購入。
生命平和の村づくりに力を注いでいる。
お話をうかがったのはアンナプルナ農園2代目代表、元ミュージシャンの『オト』さん(61)と、奥さんの『正木 ラビ』さん(44)。



正木高志さんについて

(オトさん)僕は入婿で、ラビと一緒になって世代交代という形でアンナプルナ農園を引き継いでっていう形だけど。
熊本は水俣病の事もあったし、環境に対する意識が強い人が沢山おられるんだけど、その中でも正木高志さんは率先して環境運動をやってこられた方で。
本も沢山出てますけど、農業と言うよりは正木さんの中では『グラウニング』っていう思想がハッキリある、本職は何ですかっていうと哲学者ってことになると思うんです。
哲学者は口ばかりの人がほとんどですけど、哲学を身体で生きようとする数少ない中で、多分正木さんはその中でも突出しているんじゃないかなと思うんですよね。
正木さんは『木を植えましょう』っていう本も出しておられますけど、気候変動の問題が地球規模で問題になる前の2000年と2005年に植林をする森づくりの森があったり。
あと1km上に行った所に村があり水源があって、ここの村の10世帯の人はそこの水源の水で暮らしているんですね。
でも、明日どこかの企業がそこの水源の土地を国に交渉して買い取ったりするような事があると、村人は暮らしていけなくなる。
それはいつ起きてもおかしくない問題で、水を守る事をしないといけないので、正木さんは水源がある村に住んで水を守る活動に入ってます。



(ラビさん)ここはうちの父が住んで私が子供の頃に暮らしてた所で。
最初に建てたログハウスとかもそこにある、父と母が切り拓いた場所で。
私達はここの農園の後取りという感じで、数年前からオトちゃんが話していた水源の場所を譲り受ける事になって。
その村がもともと5軒くらいの集落だったんですけど、そこと農園も含めてこの地帯を『花鳥村』っていう風に名付けて。
この裏に国有林なんですけど、そこを借り受けてみんなで2000年と2005年に小さな山に植林をしてる場所があって、そこがもともと花鳥山っていう名前で。
アンナプルナ農園はもともと家族でやっていた場所を今私達が引き継いで、花鳥村っていうコミュニティの中にアンナプルナ農園があるっていうような展開になってきていて。
その発端が『泉』なんですよ。
みんなよく勘違いしてエコビレッジを作りましょうとか、どういうエコビレッジが良いと思いますかとか想像してますかって質問があるんだけど、ここは泉がそこを開きたいっていう、神話的な切り口だとそんな感じ。
おもしろいエリアなんです。



農家になった理由とは。

(ラビさん)まぁ自然の流れでっていうかね。
(オトさん)でも僕は3.11の時までは音楽だけで生きてきたので。
全国をライブで周っている時に僕がやっていたバンドを呼んでくれている人っていうのが、わりと自給的な暮らしをしている人達とか、環境意識が強い人達とか、地元でコミュニティを作りたいっていう人達によく呼ばれていたので、だんだんみんなが集まり上手になってくるというかそれぞれの地域が発達していって。
日本のアンダーグラウンドがオーガニックになってきた様をずっと見てきたようで。



マクロビオティックの始まりは中島デコさんが千葉にブラウンズフィールドを作った頃ですよ。
他にそんなの無かったし、みんな集まり方はそんなに上手じゃなかったし、マルシェみたいなものも無かった。
でも福島の事が起きてしまったので、それまでは僕は音楽をやりつつ自分のネットワークで安全な物を確保出来ると思っていたんだけど、それも人頼みだから3.11が起きた時にもうそれは出来ないなっていうのと、環境問題を差し置いて経済優先の状態が僕には信じられなくて。
どうにかしなきゃいけないならせめて、自分の呼吸してる酸素と友達や家族くらいの酸素分は直接『木』にお返しする感じで木が元気になる事を身体で返さなきゃと思って。
森に入りたいが為に、ライブの度に「お客さんの中で木こりの方はいませんか?」って呼びかけてライブやってたりしてましたよ。
3.11後、当時熊本は1番被害は少ない所だったんだけど、福島の人に比べれば奪われる物はココにはなくて、だからしばらくチェンジ出来るまで音楽辞めようと僕は思った。
変えないとって。
ミュージシャンとしての自分の態度表明だし、暮らし方を、食べる物を作る方向に行くムーブメントになったりすればもうちょっと変えれるだろうと思ったりしますけど、そんな事を人に企画として言うのは簡単だけど自分がまず本気でやらないと言う資格もないし。
とにかく始めなきゃと思って変えました。





アンナプルナ農園のこだわりとは。

(ラビさん)こだわりと言うか、ここの場の特徴と言うか。
人間中心ではない、もののけ目線と言うか。
自分達がやりたい事よりも、ここの自然が表現したいと思っていることのお手伝い。
(オトさん)実際に暮らしてて自分達の想像ではない事が沢山起きるんですよね。
(ラビさん)そうそう、勝手に起こっているから。
(オトさん)人間のプランニングだとかそういう事だけではスムーズに進まないし、そういう事じゃないっていうか。
(ラビさん)まぁ、計画も日常生活はお米を作ったり、お茶を作ったりその計画の中で暮らしている中で、やっぱりここの自然や泉から、この場から起こっている物語があって。
私、本を読むのも絵本を見るのも好きだったしファンタジーが好きで。
今ここで起こっている事が物語のように見えて仕方がないというか。
水の声を、森の声を聴きながら生きています。





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〜幸せな仕事〜菊池ニノ段

次に向かったのは同じ菊池市で、少量多品種生産をしている『友作農園』さんにお邪魔しました。
農法に隔たりは持たず、場合によっては自然栽培もあれば、オーガニックな植物性の材料から肥料を作り、畑に施す有機栽培もある。
どちらにしても自分達が食べる自給自足をベースに作る野菜は、安全性と美味しさが確保されている。

お話をうかがったのは友作農園『西村 友作(にしむらゆうさく)』さん(34)と奥さんの『あきな』さん。



農業を始めたキッカケ

大学卒業してからワーキングホリデーでオーストラリアに行って、行った先がヒッピーコミューンみたいな場所だったんですけどナチュラルに生きてる人と出会う機会が多くて。
色々話をしていくと『日本で感じていた日本』と『外国から見た日本』の政治観だったり教育観にすごく差を感じて「あれ?日本ほんまの事言ってないぞ?」って。
陰謀論とかも色々探し始めると点と点が線になって行き、未来のイメージをするといずれ食糧難の時代が来るぞと。
水の奪い合いだったり、食料の奪い合いだったり。
最低限、家族と身の回りの仲間の食べ物を育てられる技術を持っていれば、どこへ行っても困る事はないかなと思ったのが農業始めるキッカケ。
本当は自給自足をしたかっただけなんですけど、色々ご縁があって今は農業に携わる事になったんですよね。





農法の話。

農法はハッピーバイブレーション農法。
僕たちが心掛けてる気持ちが野菜に伝達するから、楽しい気持ちで畑をするっていう。
色んな農法ってあるんですけど、その人達が幸せに気持ち良く仕事していないとそれが野菜に伝わるからそこは大事にしたいなというのがあって。
畑ってどんな人が種蒔きして、どんな人が管理するかで野菜の生育が違って。
この人が植えた野菜やたら調子イイなとか、色んな人が手伝い(WWOOF )に来てくれるから、俺がやるより絶対上手く育ってるっていうのが見て解るんですよ。
その人達がワクワクした気持ちで野菜に接してくれたら、その分野菜が凄い喜んでくれて。
『言霊』とかそこは大切な事かなと思いながらやってます。
農法っていうもので相手を否定しながら自分を肯定してやってる人も目の当たりにして、これはどれだけ良い農法でもそれは悲しいなと思ったら農法とかどうでもよくなって。
何かの農法に属する事で敵を作るなら属したくないと思って。
だから僕農法とか嫌いなんですよね、方法論じゃなくて『その人が何を大切にしているか』っていうのが1番大事かなと思ってますね。





友作農園のこだわりとは。

こだわってないけど、接客する時も『楽しく』。
普通に農業やって、野菜育てて出荷してますっていうのは僕じゃなくて誰でも出来るから、それ何?みたいな他の人も真似してやりたくなるようなチャレンジを、農業って面じゃなく『ライフスタイル』として出来たらイイなと思ってます。
楽しい野菜作り。
本当に僕たち『こんな幸せな仕事無い』って思いながらやっているから、出来るだけ今後やりたいなと思う人が増えてくれるような、ワクワクしてくれるようなやり方をやりたいなと思ってます。







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〜内なる自己〜菊池ノ巻

次に向かったのは熊本県北部に位置する『菊池市』。
天然生広葉樹で覆われ、その間を縫う清冽な菊池川の源流が大小の瀬と渕と滝をつくり菊池渓谷をなしている菊池市は、熊本県内でもオーガニックファーマーが最も多いと言われている地域。
豊かな自然が残る熊本の菊池水源村で、自給自足の農村社会に向け、衣・食・住・エネルギーを全て自給できる調和した暮らしを模索する『ジャー村 発酵農園』さんにお邪魔してきました。









お話をうかがったのは、サウンドエンジニアでもあり米麹職人でもある、発酵農園代表の発酵PA『ジャー村』さん(36)。



6年前まではライブハウスでサウンドエンジニアをしていたジャー村さん。
音楽で世界は変えられると、各種イベントを企画したり、原発反対運動にも参加。
3.11東日本大震災を機に、意識だけでなく暮らしそのものを体現するように変化していき、インドの哲学『ヴェーダーンタ』を学び、更なる真理を追求する生き方へ。
自分の食べる物は全て自給しながら、麹職人を軸に稲作や畑から採れる恵みを販売し、農家として暮らしている。

栽培方法と販売品目の理由。

基本的に僕はお米を中心に作ってるんですけど、耕運はしていて、全て無肥料・無農薬で田んぼも畑もやっています。
田んぼはちょっと変わった方法でやっているんですけど、株間を普通は25cm〜30cm間隔で植えると思うんですけど、僕の場合は40cm〜45cmぐらいの間隔で苗を植えていきます。
『一本植え』なんですよ。
もの凄い間隔が空いて一本植えで植えるんですけど、それが80本〜100本ぐらいに分蘖して収量も2〜3倍くらい採れるやり方でやっています。



1反につき普通は3kgくらいの籾種を使って4〜5本の苗を使うと思うけど、このやり方だと3号分の種籾でいいんですよ。
もの凄いエコだし収量も2〜3倍採れるので、田んぼの広さも半分くらいで済むから、草取りも草刈りの手間も省けるし。
あとは、藁と畦草を枯らせた物を全部田んぼに入れて代掻き前に漉き込むだけです。
それを毎年やってれば3年で地力のある田んぼになります。
全部そこにあるもので循環です。
ココは全て湧き水の流水でやっているのでお水も凄く綺麗で。
手植え・手刈り・天日干し、でやってますね。
籾種は毎年種採りをして、旭一号っていう西日本の在来種になります。
今回は5年間休耕田の所と、毎年やってる所と2ヶ所で種蒔いて田植えもやったんですけど、全然違ったんですよ。
休耕田の方がもの凄く生育が良い。
苗の大きさも、色も。
地力を知る事は大切ですね、それによって植え幅も変わるし。
本当にこの農法は誰でも簡単に出来ると思うんですよ、機械も使わないので。
やっぱり機械使うのが僕はストレスだし、なんか『仕事』してる感じになるんですよね。
手刈りはノンストレスで逆に心が満たされるんですよ。



今はトラクターだけ使っているので、ゆくゆくは『馬耕』にしたいと思っています。
自分で食べる物しか作ってないので、自分の身体が喜ぶ物、地球環境にも優しい物をテーマに、身体に優しくて地球にも優しくて美味しい物を作ってますね。
自分の身体にも良いと思っているんで、お米と、味噌と、梅干し。
それだけあれば僕は暮らしていけるので、もう他の食べ物はうちにはないです。それだけで満足できます。
基本的にベジタリアンなんですけど、自分で買う事もないし。
でも、みんなで食事する時に戴いた物はあんまり断らないですね、お肉とかはあんまり食べないけど。

生い立ち。

30歳までは熊本市内で、3.11東日本大震災の再起する時までライブハウスでずっと音響とかイベントをやっていました。
3.11で色々と考えさせられる事があって。
福島にお味噌を送る活動を始めたんですよ、やっぱり放射能の事があるから。
それで麹を買ってたんですけど、やっぱり高いし、自分で作ってみようと思って作った甘酒が凄く美味しくて。
それで発酵の道に目覚めて。
3.11を機に自分自身の食生活も変えたんですよ。
僕凄い病弱だったんですけど、身体の不調が全部治って。
玄米菜食凄いって自分でこういうの作ろうって。
資本主義経済から離れたいと思って自給自足を始めました。



お米の株間を空けた特殊な栽培方法はどこで得たんですか?

玉名という地域に、旭一号(米)を40年間作られてる本田さんって方がいらっしゃるんですよ。
その方が一本植えの農法をやられてて。
僕はたまたま玉名にある玄米菜食のお店に行った時に、旭一号を作っているお米が売ってて。
紹介してもらって本田さんの田んぼへ行ったんですね。
そしたら見たこともないようなもの凄い大きな稲の光景があって。
一本植えで100本くらい分蘖して、1反で10〜15kg採れる、その光景を見て「これは凄い」と思って教えてくださいって。
本田さんから全部教えて貰いました。
84歳で今でも手刈り掛け干しで、1人でやられてるんですよ。

今後の農園

基本的に今は僕1人で色々やっているんですけど、やっぱりコミュニティとして、村としてやっていきたいと思っているので、みんなで出来るだけ機械を使わないで循環型の暮らしがしたいなと思っていますね。
ゆくゆくはお金を掛けない、全部『村』だけで自給できるような暮らし。
あとは水車と馬があればエネルギーは必要ないので、そこに向けて少しずつ今からやっていけたらというところですね。



発酵農園のこだわりとは。

エゴを無くすことかな。
内なる自己、人間の本質を大切にしたいなっていうところですかね。
執着や欲望を無くして、世の為人の為にご奉仕することを心掛けています。
その為には瞑想も必要だし、ヴェーダーンタの勉強が必要だなと思っていますね。







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