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〜農薬に疑問符〜竹田ノ巻

国東市を後に向かったのが大分県『竹田市』
大分県南西部に位置する竹田市は、瀧廉太郎が「荒城の月」の構想を練った岡城で知られる城下町。
大分県3件目にお邪魔したのは、MOA自然農法の最高ランク「プレミアム」の認定を受けている『White Canvas(ホワイトキャンバス)』さん。
真っ白なところから描いていこうと付けられた農園名。
お話をうかがったのはWhite Canvas代表『堀 耕一(ほりこういち)』さん(57)。





実家が専業農家な事もあり、堀さん自身も学生を卒業して以来ずっと農業に準じてきた経歴を持ち、一時はアメリカへ研修に行くなど国外の文化に触れる経験もしている。
自給自足を基本とした農的暮らしを営む堀さんは、環境問題を危惧し、洗剤なども自然に負荷を掛けない天然素材の物を選んで使うこだわり。





玄米菜食の堀さんはあまり肉を望んで食さないが、年に1回豚を一頭買いして1年分のハムやベーコン、ソーセージなどに加工して保存する。
農園ではヤギも飼育していて、ヤギのミルクから作る無添加のアイスはアレルゲンが無く、コクのある濃厚な味わいだ。





動物を飼い始めて思ったのがやはり動物が食べる食べ物。
畜産現場に行くと多くの場合が酷い匂いとベチョっとした糞が落ちている光景。
これらは餌として与えている『穀物』が原因で、大きく太らせる為に食べさせられている穀物により、牛や豚が下痢を続けている事があの匂いを出していると堀さんは言います。







専業農家の実家では慣行栽培(現代農法)。
アメリカから帰って来て実家で農業を継ぐのが嫌で独立したと言う堀さん。
ベジタブルジャーニー104件目の農家さんです^ ^

なぜ家を継がずに無農薬栽培を?

米とトマトを父が作っていて、どちらも慣行栽培だったんですけど。
農薬は大きく分けて『粉剤』『粒剤』『水和剤』。
エアーで撒く粉状と、粒で土に混ぜ込むタイプと、水に溶けるタイプ、おおむね3種類あるんですよ。
当時は実家で田んぼに粉剤を撒いたり、トマトに水和剤のスプレーを掛けたりを手伝っていたんですね。
昔は『ホリドール』っていう強い農薬を使ってて。
そういう農薬を使う現場を見てて、子供心に『こんな毒薬を使って生産を維持出来ないんじゃおかしいな』と疑問に思ってたんです。
そういう自然思考がベースにあって農薬は使ってはいけないって。
考えてみれば第二次世界大戦直後くらいまでは日本は全て有機栽培でしたし、農薬自体無かったんですよ。
年に1回MOA自然農法の講習会があってそこで勉強しながら独学でやり始めて、全圃場を自然農法に切り替えたのが10数年前ですね。
でもまだまだ手探りですよ。
基本、虫の付きにくいニンジンだとか冬場も大根だとかそういうのを作ってます。

White Canvasのこだわり。

1・有害な硝酸態窒素を減らす
ボカシ肥料の主原料は藁・野草などの植物。

2・元気な野菜作り
元気な野菜を食べることは、元気な体を作ることにつながる。

3・環境保全
土が農薬や化学肥料、窒素過剰などで汚れていないということは、雨などで水が地下に浸透しても、川(やがては海)が汚されないということです。 体にいい野菜作りは、環境にもいいからです。







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〜死ぬと思った〜国東二ノ段

大分県2件目に伺ったのは、同じ国東市で稲作をされている『合同会社 農未来 NOU FUTURE』さん。
農未来と書いてノウフューチャー。



国東半島の先端で農薬や肥料を一切使用せずにお米を育てていて種籾は他家・自家、合わせて10年以上自家採種を重ねた種を使用。
加工品にも力を入れていてお米から転換可能な物をメインに麺・マカロニ・シリアル・米粉・甘酒など様々なラインナップが揃っている。
甘酒で使用する麹菌も、強制発酵させる強い培養菌ではなく、日本国内でも片手で数えるほどしかない『蔵付きの天然発酵菌』を使うほどのこだわり。
ちなみにベジタブルジャーニー福井編で行ってきた『マルカワ味噌』も片手で数える天然菌を使う蔵の1つ。
販売先も卸しではなく、ほとんどが個人販売。
『作り手と食べる人とのイメージの共有』を最も大切にしているのは強いこだわりの1つだ。





お話をうかがったのは合同会社 農未来代表社員『村田 光貴(むらたこうき)』さん(40)と加工をメインにされている奥さんの『恵(めぐみ)』さん。
ベジタブルジャーニー103件目の農家さんです^ ^



村田さんの生い立ちと農業始めた理由。

東京出身で、小学校の頃に山村留学をしてるんですよ。
長野県の標高1000mぐらいの所に何年間か居て、その時に農業体験みたいなのがあって。
月の半分はその施設で過ごして、もう半分はその村の農家にホームステイをする生活を2年ぐらいしてたんです。
うちの親戚もだいたい東京周りだったので、田舎もないし、盆も正月も帰る所が無くて、けっこう親が田舎暮らしをしたい思考が強い人だったから家族ごと長野に引っ越してきたんですね。
それで中学校3年生くらいの頃にまた関東の方へ戻って、高校行って。
それからバックパッカー5年くらいやって。

バックパッカーはどの辺に行ったんですか?

僕はヨーロッパとか欧米人が居る所によく行ってました。
アジアとかだと日本人を見てすり寄ってくる感じが嫌で。
ヨーロッパとかだとロンドンの公園で寝てても「なんだ日本人か」みたいなあの雰囲気が好きで。
どこへ行っても助けてくれたのが農業やってる人だったんですよね。



オーストラリアをヒッチハイクで一周してる時も農園の人に助けてもらったりだとか、ニュージーランド行った時も農園で働いたり、フランスに居た時もブドウ園で働いたり。
金が無くなるとだいたい農民が助けてくれてて。
バックパッカーしてる時にちょっと料理の仕事もしてたんですけど、その時に『食べるものによって体調が違うな』って思い始めて。
掘り下げていったらオーガニックだったり自然栽培の物だったので、それで食生活を整えようと思ったら到底全部を厳選する事は難しいので「じゃあ自分で作ろうかな」って農業始めた感じなんですよね。
僕自身が凄いアトピーだったんですよ。
自分の食べられる物を作りたいなと思って、そういう理由で始めたのもあって。
そんな事を言ってたら「うちの親戚にアトピーの子が居るんだけど」っていうお客さんが「食べさせたら大分症状も良くなったよ」だとか「花粉症が治ったよ」とかそういうような声をよく戴くようになって。
アトピーだった事もあるけど、一生出来る仕事がしたいなと思って農業始めたのもあります。
初めは農業の事、何もわからなかったので農業を教えてくれながら熱い所を探そうと思って。
色々探してる内に見つけた所が陸前高田。
そこで食べたリンゴが凄く美味しくて「こんなリンゴ作りたいな」と思い、陸前高田に行ったんです。
1年半くらい学校みたいな所で農業研修を受けて勉強させてもらって。
慣行栽培(現代農法)から始めて、野菜・果物・花と、作り方はだいたい解ったので、今僕がやっている栽培方法は化学的な物を使わなきゃいいだけだよねって独学でやったような感じですね。



国東に来た経緯。

これもたまたまなんですよ。
陸前高田で、出来れば農業続けて行きたいなという気持ちがあったんですけど、東日本大震災の津波で畑もハウスも全部流されてしまって。
農地だった所も、地主さんが亡くなって他の建物が建ったり、どうにもならない状況があって。
そんな時にフランス財団の方が陸前高田に来てて、その人から「フランスに来ないか?」て言われて。
フランスって原発推進国だから、フランスで日本式の農業をやって原発とか震災の恐さを話す語り部になってくれないかってプロジェクトで。
そういう事だったら行こうかなと思ってたけど、ビザが取れなかったりとか話がなかなか進まなかったりしてたら、日本でもこういう活動してる人が居ますよって紹介してくれた人が大分が良いんじゃないかって紹介してくれて。
それ以外にも候補はいっぱいあって、もともと果樹屋なので果樹がやりたいと思ってたんですけど、無農薬でやらせてくれる所が無くて。
月に数十万円貰えるとか、この家あげるよとかはいっぱいあったんですけど、地域と同じ栽培方法をしてくれなきゃ困るみたいな縛りがあったのでそれだとサラリーマンと変わらないなと思ってて。
大分に来る時に、間に入ってくれた人がミュージシャンで、国東市でライブをやるって言うからついて来たら国東が気に入っちゃって勝手に僕が引っ越してきた感じなんですよ。
最初に陸前高田に居た時みたいなイメージだったんですよねここら辺って。
時間の流れとかも。
それで来てみたら田んぼしか空いてなかったので、米をやろうかと。



何かを入れないと成立しない農業って持続可能性ではないじゃないですか。
それが肥料にしろ種にしろ。
毎年種を買わなきゃいけない、毎年肥料を作り買わなきゃいけない、それを投入しないと出来ない農業は持続可能じゃないなと思ってて。
僕その震災の時に、陸前高田って電気も無い、電話もない、情報が全く無かったので日本中がこうなっちゃったと思ったんですよ。
明日からどう生きてこうかって考えた時に、ポケットに2百万円入ってても全く嬉しくないんですよね。
そういう時に友達の農業やってる奴が自分のとこの米や野菜を持って来てくれた時が涙が出るほど嬉しくて。
やっぱり食べ物、いつまでも持続出来るものが大事だなって思って。
あの時に『当たり前の事が当たり前じゃないな』って凄い思ったんですよ。
蛇口ひねれば水が出る、スイッチ押せば電気がつくとか。
ある物はいつか無くなるから、そういう『物』に固執しなくなったと言うか。
僕あの時に「死ぬ」って思ったんですね。
今死んだら凄い後悔するなと思ったんです。
後悔ばかりが残るイメージで。
それから自分の『死に方を考えて生きている』ので、遊びも仕事も全部一生懸命やって、自分が死ぬ時には後悔ではなく明るいイメージで死んでいきたいなっていう想いがあって。
そうなると後の世代に残して行けるような環境とかを大事にしたくて。
何かを入れなきゃ続かない農業だと持続出来ないので、種があって、土があって、水があって、米が作れたらそれだけで成立するじゃないですか。
何があっても。
そういうのを目指してる感じですかね。



農未来のこだわりとは。

震災を機に色々変わった気がしますね。
それまでは農的な暮らしというかライフスタイルで農業をやりたい感じだったんですよ。
自給自足でちょっと生活費になれば良いみたいな感じだったんですけど。
震災があって今はジョブ(仕事)の農業になっていて、それはあまり自分のやりたい農業ではないんですけど、この先日本で起こる災害で僕みたいな想いをする人が絶対出てくると思ったんですね。
そうなった時に、自分の農地で農業が出来ない人、だけど農業がやりたい人、特にオーガニックや自然栽培やっている人って行き場が無くなっちゃうので。
ただでさえそこの地域で肩身狭くやってる方も多いので、そういう方を今度は自分が受け入れる側になりたいなと思っていますね。





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〜挑戦する姿〜国東ノ巻

ベジタブルジャーニー27県目の大分県に入りました!
全国的に知名度が高い別府温泉や由布院温泉をはじめとする温泉は、源泉数、湧出量ともに日本一のおんせん県。

最初に向かったのは大分県北東部に位置する国東市(くにさきし)。
お邪魔したのは、無肥料・無農薬の自然栽培と自家製有機肥料(植物性)による季節の路地野菜を栽培している『まるか三代目』さん。



お話をうかがったのは、埼玉県出身のまるか三代目代表『上平 将義(かみひらまさよし)』さん(44)



前職は芸能界とも関わりの深い広告・出版関係のデザイナー。
埼玉県で農業研修を受け、2015年より大分県国東市で新規就農。 奥さんの実家が経営していた八百屋の屋号を戴き、まるか『三代目』
あえて過疎化が進む限界集落で農業に挑戦する理由とは。

なぜ埼玉から大分県の国東市に?

最初は5年間くらい仕事をしながら移住先をずっと探してたんですけど、その最中に『東日本大地震』があって北方面は難しいなと感じて。
妻がたまたま北九州出身なので、九州まで1度農地と家を貸してくれるとこがないか見に行ってみようっていうのが始まりだったんですよ。
でも貸してくれるっていうところが意外と無くて。
今でこそ空き家バンクブームですけどその頃は不審者扱いというか、関東から出て来てそんな事できるはずないみたいな感じで。
なかなか農地と家のセットはむずかしかったんですよ。
最初は熊本の阿蘇の方で探してたんですけど全然なくて、大分に来てから結構イイ物件も紹介してもらえるようになって大分県内を見てまわったんですけど、ちょっと農地も狭かったり家が古過ぎたりなかなか決めかねていて。
最後、大分空港から帰る時にみたのがココの国東市だったんですよ。
市役所の人に空き家を色々紹介してもらってあんまりイイ所ないなぁと思って帰ろうとした時に、道の途中で大工さんに会ったんですね。
立ち止まって市役所の人と何気ない話が始まって、飛行機もあと2時間後に飛ぶのにのんびりしてるなぁと思ってたら大工さんが「僕が借りてる家が農地もあるし古い古民家だから探してる条件に近いし見てみます?」ってなって。
これも縁だから見に行きますって行ったのがココなんですよね。
僕がこだわってたのは、囲炉裏があったり五右衛門風呂も残ってる古い古民家で。
ゆくゆく聞いてみると、その大工さんはこの家を壊すのが勿体無くて借りてたらしくて。
1回家に帰って、撮ってきた写真を見て本当に住める家かなとか考えてたら、市役所から電話が掛かってきて「今度地域興し協力隊って制度が出来て、市役所で働きながら農業の準備もできるから応募してくれないか?採用するので」って言われて、それも面白いなと。
仕事内容も移住・定住事業のお手伝いっていう仕事だったので自分も苦労したから、仕事しながら農業も出来るし。
結局それが色んな地域の方と面識が出来たり農機具も貸してくれたりと色々な縁に繋がったのでやって良かったと。



そもそもなぜ移住を?

コンセプトが『経済的にも精神的にも自立したい』っていうので全部捨ててこっちに来てるんですけど。
埼玉に居た時ってオール電化の家に住んでたんですよ。
当時あった計画停電の時に、お風呂にも入れないしエアコンも点かなくて。
高い金払って生活してるのに何やってるんだろなっていうのがあったんですよね。
それもあるので、五右衛門風呂と囲炉裏が欲しいっていうのは電気・ガスが例えば止められる何かがあった時でも微動打にしないような生活が1つ出来るという理由。
電気もガスもあるのでしょっちゅう使うわけじゃないですけど、無くても生活出来るようなスタイルっていうのを子供たちにさせてあげたいなっていうのがあったので。
僕自身も20代の頃バイクで日本一周した事があったんですけど、8ヶ月くらい掛けて毎日キャンプしてたのでアウトドアは得意なので子供たちにも自分で何でも出来るような生活をさせてあげれば『何かに頼らないと生きて行けない』ような人生を送らなくて済むんじゃないかなっていうのもありますね。



広告・出版関係のデザイナーからまさに畑違いの仕事ですけど農家になった理由とは。

デザイン業界も10年やっていたんですけど、独立出来る見込みもなくサラリーマン自体があまり性に合ってなくて30代後半は徹夜すると身体壊すみたいのが続いてたんですよね。
家族とゆっくり時間を過ごすという事もしたことが無かったので、定年退職してから田舎に引っ越して農業したいなってずっと思ってたんですけど、40歳を迎えるにあたって人生半分なので『好きな事を最後のチャンスでやってみよう』と思って。
あとは自立して経営することが出来れば、生活も出来るかなと今はチャレンジしてるところですかね。



まるか三代目のこだわりとは。

農業だけで自立していく営農ですかね。
それとやっぱり畑に肥料も何も入れない事を確立できれば、田舎でも農業だけで食べて行けるチャンスがあると思っているので、そこが今1番目指している所ですかね。
今この地域の移住定住部会の部会長もしているので、将来的には研修生も受け入れて、空き家や農地を紹介しながら少しづつやる人を増やして行けたらなと思っているんですよ。
それには自分達がちゃんと食べて行けて、農業を確立する事がまずは目標です。





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