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〜命を育て命を戴く〜南丹ノ巻

賀茂町を後にして向かったのは、京都府の中部に位置する『南丹市園部町』。
無農薬無肥料のお米(合鴨農法8反・機械除草3町2反)と、自家用に野菜・果樹・養鶏、狩猟、家具製作、ログハウス・木造建築のリフォームなど「できることは自分たちの手で」をめざす農場『コバタケファーム』さんにお邪魔してきました。



お米は京都の在来種『京都旭1号』や『亀の尾』のほか10品種を栽培していて、可能な限り自家採種を続けている。 くん炭・竹チップ・米ぬかを使った自家製培土にて育苗し、圃場においては無肥料で栽培。



そしてコバタケファームが今までの農家さんと圧倒的に違う点が『農業と狩猟』という二足のわらじを履いているところ。
種から『育てる』農業と、生きている動物を『狩る』狩猟は、私たち人間が自給するに当たってはどちらも選択肢としては大切な事。

出来ることは自分達の手でやるにふさわしいコバタケファームの『小畠 完(こばたけかん)』さんと奥さんの『麻希子(まきこ)』さんにお話をうかがいました。
ベジタブルジャーニー93件目の農家さんです^ ^



お米や野菜、肉に至るまで自給するようになったキッカケとは?

もともと実家は1町ほどの兼業米農家で、言うても大きな機械は持ってないので農協で苗を買って、機械持ってる農家さんに田植えも稲刈りも頼むんです。
自分でする農作業は月1回の畦の草刈りと、肥料と農薬をまくだけ。いわゆる土地を守っていくだけの兼業農家ね。
刈ったモミは軽トラで農協に運んで、納めたモミの買取価格から乾燥代とか調整料いろいろ引かれた分が玄米になって戻ってくる。
農協で他の農家さんのお米と一緒くたになった玄米が戻ってくるから自分の田んぼで穫れたお米を食べたことがなかったんです。
2004年に食糧管理制度の改正で農家が自分で作ったお米を自分で売っていいっていうことになったんで、近くの農家さんにお願いしてウチのお米を乾燥してもらって初めて食べたんですけど。
それがほんまにおいしくて、自分の手で作ったものを食べられるてええなって思いました。
そしたら不思議なもんで別の欲が出てきて「自分で卵を手に入れられたらなぁ」とか思うようになって、タダで貰えるって話やったから甥っ子を連れて青少年科学センターってとこでヒヨコ10羽もらってきて。
それが大きくなって卵を生むようになったら「ヤギ飼ってミルクとれたらなぁとか」ってまた別の欲がでてきて。
並行してそれまで減農薬で作ってたお米もどうせ売るんやったら無農薬で出来ひんかと、合鴨農法はどうやろ思て。
早速鴨の卵を買ってきて、孵卵器を作ってあたため始めました。
そしたら最終的に合鴨の肉が手に入った。

こんな感じで自分で手に入れられるものが増えていくのが面白くて少しづつ増えてった感じ。
今うちで継続して買ってるのはお酒と調味料、お魚ぐらいかな。

農業は育成する世界で、ジビエは狩猟という全く違う世界ですけどその辺はどのような解釈を?

僕の感覚やったら山に行って栗拾うとかワラビ採るとかそれとジビエは一緒の感覚かな。
もちろん命を殺さなあかんし、皮剥いだりしなあかんし、手数はかかるけど僕には生きてる鹿を見てもう食べ物にしか見えへん。
家畜育てるのってむしろ大変やからね。
1キロの牛肉を作るのに11キロの穀物が必要で、それが食料危機や地球温暖化にも関係してる。
京都ではまだ放射能汚染の危険性も低いしジビエはイイコトづくめなんよね。

麻希さん(妻)と出会った9年前、出会って1週間後に彼女の家でご飯食べよっことになってね。
鶏を〆るからそれで焼き鳥しようって言うてみたんです。
そん時、僕はさばいたこと無かったんですけどさばいた事あるの?って聞いたらアルって言うんですよ彼女は。
実はこれ僕の試金石的な質問やったんやけど、これ聞いて彼女と結婚しようって決めたんです。
それでさばいたのが初めて。



フランス料理とかだと子羊とか重宝されますけど若い方が肉は美味い?

「美味い」って言うことと「食べやすい」って事はちょっと違うと思う。
若い方が食べやすいし、歳とった方がクセが強くなるし、それをどっちが美味しいと思うかやと思うねんか。
沖縄とかやったらヤギ食べるけども、子ヤギなんか本当に臭いせえへん。
昔うちの子ヤギが激しく骨折して食べるしかなかったから1回食べた事あんねんけどホンマにクセが無いねん。
でも歳とっても特に雄ヤギとかクセがすっごいし、でもそれが好きな人もいるやん。
美味いって事で言うと、親の方が旨味もあるかな。 子ヤギとか子羊食べても旨味は少ないし。
最近重宝されてるのは「乳飲み牛」とかね。
乳しか飲んでない牛であったり羊も商品になってるけど、凄い淡白で。
それはそれなりの浅いのが好きな人はいいけど、そこは好みかな。



なぜそこまで出来ることはしようと?

やっぱ面白いよね。なんでも出来るって。
楽しくないと出来ないのは大前提やと思う。
子供なんか見てて思うけど、楽しい事しか絶対しないからね。
それを見た時に大人も一緒やなと思って。
ワクワクするかしいひんかって1つの基準ですよね。
麻希(妻)さんもそうやけど1度はやってみること。
やってみたけど「これ手間凄いぞ」っていうことになると買おうってなるし、買うのでも大変な手間をしてはる物を売ってる人がいる、そういう人のちゃんと手の掛かった物を買おうと。
あとうちらでは絶対に手に入らない海のものとか果物とかね。
そういうのは買うと言うか、お互い沢山ある物同士を交換しようって物々交換をやってますね。
楽しい事ばっかりしてると言うよりは、『どう楽しくするか』って事を考える事かな。



奥さんの理念は?

私は自然に負担を掛けないで持続的に。
もともと農業がしたかったわけじゃなくて、その場でなるべく自然に迷惑を掛けずにやっていけたらな、みたいなのが凄く強かったので。
当時就農したのが今から18年くらい前なんですけど、その頃はまだ今ほどオーガニックとかも言われてなかったし、無農薬の人がチラホラ居たぐらいだったんで。
自然栽培って言葉とかもなかったし、農薬と化学肥料は絶対使わずにやっていくってくらいですね。



動物の〆方とかはどこで学んだんですか?

私は鳥しかやったことがなくて、鶏とか合鴨とかは合鴨農家さんの所に行って〆るのやってみたい?て聞かれたんで「是非お願いします」ってやらせてもらったのが初めてで、それ以上大きい鹿とかは私は〆た事はなく彼が全部やってくれるので。
自分1人の時は鹿を自分であえて〆て食べようとかまでは思ってなくて、近所の人からたまに貰って食べるくらいで充分かなと。
当時は肉もあまり食べてなかったので鳥くらい食べられればいいかなぁって感じで。
まぁ農業してるとどうしても死活問題(獣害)になってくるし、根本的に数を減らさないと良くならないとこもあるので、うちの場合は食肉としても美味しいし、忙しくて獲ってなくても近所の猟師さんから「獲れたけど〆る?」って声がかかるから、今はジビエとうちの鴨や鶏を使い分けてます。













コバタケファームのこだわりとは?

こだわらない事じゃない?
まぁ特に僕らの場合やったらまず家族があるって事もあるから、何が目的かってなると別に米を作るのが目的でもなんでもなくて、生活していくという中で最終的には子供達が『色んな面白い生き方』をしてくれれば良いなぁっていうその為だけやから。
別に農法どうってことにストイックになり過ぎる事もないし、収量が1割しかなかったら、言うたらしゃあないなみたいな。
そういう気持ちでいつもいるとこかなって気はする。

あとはココを自給することに関心があって、散髪屋さんとか時計職人とかお茶の先生とか、いろんな職を持つ人が移住してきてそれを目当てに外から買い物に来たり一日過ごしたり「ここに来ればなんか面白いことがある」って町にしたいですね。
ゆくゆくは学校を作りたいと思っていますけど、足がかりとして次の春からこどもキャンプを始めるんですよ。






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〜仕事を哲学する〜加茂二ノ段

今回も同じく加茂町で、自然栽培の野菜・米を生産している『Red Rice自然農園』さんにお邪魔してきました。

Red Rice自然農園は京都府中小企業「知恵の経営」実践モデル認証企業にも選ばれている農園。
脱サラして始めた農業。
勤続15年、飛行機や自動車の製造業を辞め、安定した収入生活から畑違いの農業を志す理由とは。

お話をうかがったのはRed Rice自然農園代表『赤穂 達郎(あこうたつお)』さんと奥様の『海佳(みか)』さん。
ベジタブルジャーニー92件目の農家さんです。



今までの仕事を辞めてまで農業をやろうと思ったキッカケとは。

『なんで働くんやろ?』と思ったんです。
よくお金の為とか、家族の為とはよくありがちですけど、逆説で家族が居なかったら働かないのか、お金が貰えなかったら働かないのかって自分に問いたんですよ。
僕は違うなと思ったんです。
ホンマにやらなあかん事やったらお金貰わなくても僕はやるなと。
って事はなんの為に働いてるんだろうって凄く考えたわけですね。
そこでとある結論に達したのが『人の役に立つ為』
要は、今使ってる機械なり洋服なりは自分では作ってはらへんでしょ?
デジタル一眼レフを作れって言われたら、多分100年あげるから作りって言われたらむっちゃ頑張って研究して出来るかもしれないけど。
電気も原油を誰かが掘りに行って燃料にして電気起こして、それを僕らが使えてるわけじゃないですか。
つまり、ものすごく色んな人のおかげで今の自分の生活が出来てるんですよね。
そう考えると僕も何かの1つの役割りを果たすことが『仕事』なんだろうなと思ったわけです。
衣・食・住というのは人間の根幹なんですよね、その3つって最終的にはどうしても必要なものだと思うんですよ。
なんか僕そういう本質的なものが好きで、そういう事に関わりたいなと。
その中でも食べ物ってどんな職業の人でも、どんな偉い人でもみんな食べてるんですよね。
とある本によると、太陽の光を浴びるだけで生きていける人が世界に何人か居るみたいですけども!(笑)
でも大体の人はそんなことしたら死にますわ。
そう考えると食べ物ってめっちゃ大事やなっていうところで農業をやりたいと思ったんですよ。



ちょうどそんな頃に子供もできて、嫁さんも食の事を考えるようになりだして、お互いに農業がえぇなみたいな中で、サラリーマンを続けてて。
それがちょうど31歳ぐらいの時かな。
ちょっとずつ農業を勉強していこうと思って調べてるうちに自然農とかにぶち当たったわけですよ。
たまたま近くでそういう食べ物を作ってる人が居て、見に行く機会があって食べさせて貰ったらめっちゃ美味しいわけですよ「なんじゃこりゃ、野菜てこんなんやった?」みたいな。
買いたいねんけどみたいなね、ところが売ってないんですよ。
そういう野菜ってどっちか言うと自給自足的に作られてるのが多くて、スーパーに行ったら買えるもんでもない。
ちょっとお手伝いしたらお礼で貰えるみたいな感じのやりとりで。
要はそういう野菜が売ってないし手軽に手に入らない「コレや!」と思ったんです。

そんでやり始めてやっと解ったんですけど、量が出来ないんですよね。
最初は色々な堅いこと想ってたんですけど、これは全員に届けることは無理やなと。
世界中が全部コレやったらえぇなとも思わんくなってね、僕はコレが欲しいねんって人の為に役に立とうと。
だから「コレええ食べ物やから食べや」みたいなのはあかんなと思ったんですよ。







これは1つのポリシーで、2人では2人分しか出来ないですよね。 結局自分が生産から加工、販売までやったら2人では2人でできる分しか届けられへんのです。うち個人で野菜セットでやっても、1回で10人が限界ですわ。
僕はひろく広めたいんでそこは『協働』したいんです。
つまり、僕は作る人、僕が運んだらその時間取られるんですよ、だから運ぶのはプロフェッショナルにお任せして、運んだ後に売るのはまたプロフェッショナルにお任せすると10倍にも20倍にも出来るんですよ。
そうやって世の中は役割り分担して成り立ってると思うので、さっきの話じゃないけど僕も電気起こせって言われたら1万年くらいあったら出来ますよ。
だけど、1万年も生きてられへんし仮に1万年経っても電気が起こせた『だけ』やからね。
それを今の世の中はこのたった一瞬で出来ている。
それぞれが役割を担って働き、その分野のエキスパートになっているからそれを活用して自分たちもどんどん進歩出来るわけですよ。
だから何でも自分でやろうとは思ってないです。
僕たちはしっかり作る事が役目だと思ってます。







Red Rice自然農園のこだわり。

今まで話したのがこだわりかも知れないですけどね。
要は顧客ニーズですわ。
そこです判断基準は。
自分たちの考えを押し付けるんじゃなくってお客さんの声を聞いてみようと。
今はこの自然栽培が自分たちにとって1番よい選択と思ってます。
お客さんも欲しいと言ってくださる方々がいるので。
でも、ずっとやってて自然栽培がもしかしたら凄くアカんもので、お客さんも要らんとなったら立ち止まりますね。
そして何でなのか調べて改善します。
「いやいや、これは間違いないんだ」ってそのまま続ける事はないと思います。
僕の好きな言葉にダーウィンの進化論で『強い者が生き残るんじゃない、その環境に適応した者が生き残るんだ』っていうあの言葉が好きでね。
今は必要やから作っててお客さんのニーズもあるから、やらなあかん僕の仕事やと思ってるんですけど、何か状況が変わったらまた考えるでしょうね。

でもまぁ、究極やと思いますけどね^ ^





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〜体験が選択を与える〜加茂ノ巻

ベジタブルジャーニー22県目の京都府に入りました!
日本の都市の1つで、歴史的には794年に日本の首都に定められた当時は日本の政治・文化の中心地であった場所。



















向かったのは京都木津川市にある『加茂町』
奈良時代の一時期、都が置かれたという歴史があり、多数の史跡・文化財を有する町で、日本最初の流通貨幣「和同開珎」が造られた地でもある。





そんな加茂町で、静岡茶とともに日本二大茶とも言われている『宇治茶』を自然栽培で生産している『加茂自然農園』さんにお邪魔してきました。

お話をうかがったのは、京都で代々お茶農家を伝承されている加茂自然農園代表『山崎 徳哉(やまざきとくや)』さん。
ベジタブルジャーニー91件目の農家さんです^ ^



もともとは「山徳製茶園」として代々受け継がれていた屋号で6代目になる徳哉さん。
しかし、2013年から無肥料・無農薬の自然栽培に切り替えることから親とは別の屋号「加茂自然農園」として独立。
宇治茶として代々、京の文化を支えてきた歴史ある屋号を継がずに独自の道へ進んだ。

独自でつけた屋号の理由。

もともとは、この土地でずっと農家をやってる家で、専業になってきたのが祖父の頃。
JAが出来てから農薬・化学肥料を使い出して慣行農法に切り替わって行って、僕も継ぐ時に学校へ行って勉強して農薬・化学肥料を使うやり方で継いだんですけど、お茶って農薬めっちゃ使うんですよ。
自分らも凄い吸うし、年々身体を壊していって。
枯葉剤(除草剤)もよく背中とかに溢れて浴びてたんですけど、すぐに症状が出ないので大丈夫なんかな?と思いながらやってたら、半年後くらいに段々と異変が出てきて。
肌が浅黒くなって吹出物が出てきたり、手が震えて痺れが出て、足の指先も麻痺して動かんくなってきたりとか。
それで身体がガチガチになって椎間板ヘルニアやって腰壊したんですよね。
今はジムに何年か通ってるんですけど、そこの先生に身体の事とか食事の事を教えて貰ってリハビリしてて。
通い出してアドバイスを貰ってからはヘルニアも痺れてた手足も全部治ったんですよね。
今から4年前が自然栽培に転換する時なんですけど、上の子がちょうど生まれた時でもあって、予防接種の事とか、農薬のリスクも前々からチラッと聞いてはいたんですけど、安全で大丈夫って聞いてたし信じてたので、あんまり聴く耳持たなかったけど「アレ?おかしい」ってなってから自分でも色々と調べてみたら全然安全ちゃうやんと。
手足の痺れも、よくよく調べたら『慢性中毒』やったんですよ。
そこからですね転換しようと思ったのが。





お茶って木が強いんですよ。
野菜とかやったら枯れてしまうぐらいの肥料の量を投入しても大丈夫なので、すごい虫が出る環境が作れてしまうから、逆にめっちゃ農薬が要るようになるんです。

もともとは父親と一緒にやってたんですけど、4年前に父とは分けさせてもらって、部分的にやらせてもらう流れで『加茂自然農園』として自然栽培でやっている感じです。
今でも父親の方は山徳製茶園として慣行栽培でやっています。

山崎さんが農業をやる理由とは。

代々やからっていうのはもちろんあるけど。
ちっちゃい頃からなりたいものが無くて。
かと言って継ぐ気満々でもなくて。
大学も農業とか勉強してたわけじゃなく英語科やったんですよ。
その頃はずっと海外に意識が向いてて、大学の短期留学でオーストラリアに行ったんです。
あっちは移民の国なので色んな国の人が居るんですけど、みんな自分の国の事をよく知っていて。
僕も聞かれるんですけどその時初めて「日本の事なんも知らんな」と。
そこから日本に意識が向くようになって。
お土産にお茶を持って行ってたんですけどそれが凄い喜ばれて「お茶ってえぇんやな」て想い出してその時に決心しましたね。







加茂自然農園のこだわり

自給自足も興味がないわけじゃないけど、自分や家族だけっていうよりは社会全体の問題やし、伝えられるような人に成りたいなとは思っていて。
自分としては農薬を使って来て、年々と土もカチカチになり、小さい頃に見てたお茶の景色と、自分が始めた時と比べるとお茶の木が元気なくなって来てるなって感じて。
一生懸命に肥料とかやってたら木がさらに元気なくなっていくのを感じがして。
転換する前って、お茶の木に「助けてくれ」って言われてるような感じが強くて、目が伏せれないというのもあって転換したので「お茶の木自身が元気」になるようにって想いがこだわりですかね。









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