今日はにんにく(garlic)日本一の田子町のにんにく農家さんを訪ねました^ ^
田子町(たっこまち)とは、南は岩手県、西は秋田県との境に位置した青森県最南の町で、田子町産のにんにくは商業登記されるほどのブランドにんにくです。
にんにく×コーラのタッコーラもあります。
そんなにんにくの首都、田子町でにんにく農家をしているのが『みやむ〜のにんにく。』の宮村さん。
宮村さん(みやむ〜)は18歳の頃に上京し、9年間の東京生活を経て、お父様が亡くなった事をきっかけに実家に戻る決意を固め、農家に。
ちなみに彼はLowrider(ローライダー)。
みやむ〜の畑は約1町2反。
現在はお母様と2人で切り盛りされています。
現在は慣行栽培(現代農法)から自然栽培に転換中。
4年後の東京オリンピックの時にはみやむ〜の畑は全て自然栽培に切り替わる予定。
現在は一部休耕地を開墾してすでに自然栽培のみでもにんにくを栽培中。
見ての通り、畑は黄金色。
にんにくは葉が枯れた時が収穫のタイミング。
これは自然栽培だからこそ見られる光景で、一般的な慣行栽培では葉が緑のうちに収穫されます。
みやむ〜が自然栽培に切り替えるきっかけになったのが奇跡のりんごの木村さんの講演会だったそうです。
雪が降り積もる青森県では、生育に時間の掛かるにんにくの収穫は年に1度。
栽培方法の切り替えははっきり言ってギャンブル。
失敗すると1年をムダにするだけでなく、環境を変えてしまう大変リスクの高い事。
それでもみやむ〜は本来の形に戻す事を決意した熱い男です。
話をすればする程にみやむ〜の情熱は伝わってきました。
もともと、田子町ではエゴマも栽培していて、本来あった食文化を残したいと言う思いから栽培連絡協議会を発足。
みやむ〜はみなさんの推薦で会長を務める将来の若頭です。
作業場も見学させていただきました。
奥にあるのはにんにくの根を切るマシーン。
そして現在は収穫期の真っ最中。
にんにくをサイズ別に別けてから
乾燥させる為にボイラーで炊いた温風を満遍なく浴びせるためにシートで囲っています。3週間かけて50パーセントある水分を最終的には20パーセントまで乾燥させます。
本来の生にんにくとは、収穫したての乾燥もしない状態を言うらしく、畑で明日収穫予定のにんにくを収穫させてもらい、お土産にいただきました。
さっき初めて生にんにくを食べたのですが、辛味もなくにんにくの旨味が詰まっていて、めちゃくちゃ美味かったです^ ^
みやむ〜の情熱もたっぷり。
本当は1年で1番忙しい収穫期なので話を聞いたらすぐに退散する予定が、話が盛り上がりお宅にもお邪魔してきました。
みやむ〜は自然栽培だから、とか農法や産地のネームバリューではなく、食べてみて美味しかった結果、自然栽培だったと言うようにまずは自分が手間隙かけた物を色んな人に食べて欲しいと言ってました。
人は自分の食べた物で出来ています。
彼のように人が食べる物にこれだけの情熱をかけて作っている物には決してハズレはないと思います。
これから田子町を引っ張るであろうみやむ〜とはいつか何かの形で面白い事が出来る予感がプンプンです。
本当にお忙しい中、色んなお話を聞かせていただき、ありがとうございましたm(_ _)m
そしてご馳走さまでした!!
みやむ〜のにんにくはFacebookからでも問い合わせ出来るので『みやむ〜のにんにく。』で検索すると出てきます^ ^
そして、これで今回の青森での農家さん巡りは終了。
次に向かうのは岩手県!!
明日は一旦、秋田の乳頭温泉郷に寄ります>_<
青森の農家さんみなさま大変お忙しい中ありがとうございました!!!
次回は岩手編に入ります。
ヒロフミ
JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿
青森にフェリーで渡って最初に気付いたのは、まず気候が北海道とは全然違った。
余りに蒸し暑く、長袖長ズボンから半袖半ズボンに着替えたくらい。そして意外にも車の量がかなり多い。
青森の場合、北海道と比べて道の駅が少ないから、とりあえずフェリー乗り場から1番近い道の駅を目指し、その日は終了。
次の日の朝、この日は農家さんに会いに行こうと思って支度していたところ、道の駅に居た地元の人であろう人に声をかけられた。
「へぇー こんな風に工夫してねてるんだねぇ」
『そうなんですよ。中は自分たちでベッドを作ったりしてね』
「??%×☆には行った?%÷*々は混むからね」
恐れていた事態がさっそく起きた。
津軽弁がどうやっても日本語には聞き取れないのです。
何かに行くときは早めに行った方がいいってのは解ったけどそれ以外はムリだった>_<
話しかけて来たおじさん達は足早に道の駅店内に行ってしまった。
続けて支度をしているとおじさんカムバック。
「ほらっ」と新聞を渡された。
コレのことを言ってたんだ!
しかも、コレ今日だ。
車の量が多かったのもこれで理解できた。
って事で急遽予定変更!新聞を見てみると、
昨日から開催中の『東北六魂祭り』は、
福島の『わらじまつり』
仙台の『七夕まつり』
山形の『花笠まつり』
盛岡の『さんさ踊り』
秋田の『竿燈まつり』
青森の『ねぶた祭』を一挙に見れるお祭りだった。
当日の気温は14度。曇り空でしかも強風の中、小雨も混じる寒い日中でした。
が、祭が始まるとテンションも上がりますね。
本場よりは小ぶりだけど生のねぶたも見れて満足^ ^
祭りを後にして、Gishiさん夫妻に教えてもらった青森県立美術館にも行ってきました。
そして青森に来て3日目の今日は、青森県発祥の『こぎん刺し』を全国に発信する『弘前こぎん研究所』へお邪魔しました。
こぎん刺しとは
当時、農民は仕事着、普段着において木綿の使用が禁止され、紺麻布を着衣として用いていたが、荒い仕立ての麻布は通気性が良すぎるため、津軽地方の冬の寒さを防ぐことができなかった。
そのため、明和(1764年頃)になり木綿の糸が手に入るようになると、農家の女性は麻布に刺繍をして布地の目を埋める事で暖かい空気を着衣の中に留めこみ、快適な被服気候を保った。
これがきっかけで様々なデザインが誕生し、現在のこぎん刺し文化と繋がる。
現在ではココ弘前こぎん刺し研究所に、全国から発注が来て1つ1つ手作業で、こぎん刺し文化を発信し続けています。
ちなみに研究所では社長を含め総勢10名。1つの作品に3ー4時間はかかる為、1日に多くても3品作るのが精一杯だそうです。
1つ1つ手作業だけあって、どれも作りは丁寧で美しい。
のれんもこぎん刺しでした。
近くにあったオシャレな雑貨屋さんにも置いてありました。
こぎん刺しは今、若い子の間で密かなブームが起きてるみたいです。
良き文化は消えませんね^ ^
続いて伺ったのは、津軽天然藍染の『川崎染工場』さん。
ココでは昔から伝わる伝統的な材料、手法で藍染を作っています。
原料を100日以上発酵させて、手間隙かけて天然のアイと言う植物から作り出すそうです。
藍染めもまた、古くは農民が作っていて、虫除けの効果から武士が身に纏っていたんだそうです。
その為、城下町であるここの地域には当時たくさんの藍染め屋があったのに、武士もいなくなりだんだんと藍染め農家は植物アイを育てる代わりに、りんご農家に移って行ったそうです。
川崎染工場さんは古くから残る唯一の藍染め屋さん。歴史があるから、古くから伝わる型紙も残っていて、これが現在ではお店の特徴にもなっています。
ちなみにこの型紙は江戸時代から使われているもの。
藍染め屋さんを後にして、いよいよ農家さんの所に伺います。
青森と言えば奇跡のりんごで有名な木村さん。
木村さんは肥料も使わない自然栽培で世界初のりんご栽培に成功された著名人。
北海道でお会いした保志場夫妻を介して、青森の自然栽培農家さんを紹介していただくことになりました。
道の駅で待ち合わせしてお会いしたのは自然栽培『健康村』の成田さん。
西日が眩しと仰ってたところ写真を撮らせていただいたからやっちゃってました。すみませんm(_ _)m
成田さんの畑は約1町8反。奥様と2人で切り盛りされています。
インゲンがちょうど花を咲かせたあたり。
現在はちょうど野菜の収穫期で、本当にお忙しいところ、お時間頂戴しました>_<
スナップえんどうがモッサリ出来ていて味見させてもらったら、甘くて美味い!!青臭さがなくフレッシュでした。
成田さんの野菜は主にレストランなどに卸されています。舌が肥えたシェフが卸す野菜です。美味いはずです。
横浜では、高島屋などにも卸しているそうです。
成田さん、お忙しい中本当にありがとうございました( ̄^ ̄)ゞ
明日は少し離れた岩木山の麓でやられている自然栽培農家さんを尋ねます^ ^
ヒロフミ
JUGEMテーマ:車中泊・放浪・野宿